05 マイフレンド
「ハロー、マイフレンド」
翌朝である。
ひとりで通学路を歩いていためぐるはいきなりそんな言葉を投げかけられて、朝から目を白黒させることになった。
「お、おはよう、かずちゃん。いったいどうしたの?」
「いや。新参者に負けないように、アピールしておこうと思ってさ。何せ相手は、八万円の価値がある強敵だからね」
めぐるの隣に並んだ和緒は、真面目くさった面持ちでそのように言いつのった。
おたがいに、紺色のブレザー姿である。同じ中学校を卒業した二人は、この春からめでたく同じ高校に通うことになったのだ。しかし和緒は発育不良のめぐるよりも十センチ以上は背が高く、モデルのようにすらりとしていたため、同じ制服でも比較にならないぐらい格好よく見えてならなかった。
「で、新しい相棒の調子はどうよ? いい具合に練習は進んでる?」
「ううん、全然。やっぱりひと晩じゃ、どうにもならないみたい」
そんな風に答えてから、めぐるは口もとを隠しつつ欠伸を噛み殺した。
すると、和緒は鋭く目をすがめる。
「ずいぶん眠そうだね。それに、その指は何事?」
「あ、これは……なんか、血豆ができちゃって……」
めぐるは右手の人差し指と中指、そして左手の親指を除く四本の指先に、絆創膏を巻いていた。弦を押さえる左手ばかりでなく、弦を弾く右手までもが血豆だらけになってしまったのだ。
「たったひと晩でその有り様とは、大したもんだね。いったいどれぐらい練習してたの?」
「うーん、どうだろう。気づいたら、ベースを抱えたまま寝ちゃってて……最後に時計を見たときは、午前三時ぐらいだったかも」
めぐるが照れ隠しに笑いながらそのように答えると、和緒はますますクールな目つきになった。
「これはいよいよ、由々しき事態だね。他に何か欲しいものがあったら、あたしが買ってあげよっか?」
「な、なんでそんなこと言うの?」
「だって、あたしにべったり依存してたあんたが他のものに夢中になるのは、面白くないじゃん」
めぐるが口をぱくぱくさせると、和緒は「冗談だよ」と目だけで微笑んだ。
「あんたは頑丈だから、あたしに依存したりもしなかったもんね。あんたの孤独を埋められるのは、人間じゃなく楽器だったってわけか」
「ちょ、ちょっとコメントに困るんだけど」
「困らせようとしてるんだから、当たり前じゃん」
すました顔で言いながら、和緒は正面に向きなおった。
どこから見ても端整な顔立ちをした和緒であるが、とりわけ横顔は美しい。睫毛は長いし、鼻は高いし、下顎から頬にかけては彫刻のように精緻なラインを描いているし、きめの細かい肌にはにきびのあとひとつ見られないし――男女ともに憧れる人間の多い和緒がめぐるのような冴えない人間にあれこれかまってくれるのは、今さらながらに不思議な心地であった。
「そういえばさ。家に帰ってからあれこれ検索してみたんだけど、あんたの脳髄を撃ち抜いたバンドの正体は、けっきょくわからなかったよ」
「え? そんなことを調べてくれてたの?」
「だって、あんたの部屋にはワイファイがないからね」
答えになっているようななっていないような、和緒ならではの返答である。
「まあ、ヒントが少なすぎるっていうのもあるんだろうけど……少なくとも、そんなメジャーなバンドではないんだろうね。今時はアマチュアバンドでも、ライブ映像をガンガン公開してるからさ。そうだとしたら、もうお手上げだ」
「うん、そっか。わたしのために、わざわざありがとう」
「……ずいぶんあっさりしてるね。もういっぺんその映像を観たいとか思わないの?」
「うん、あんまり。……それで思ったよりカッコよくなかったら、ショックを受けちゃいそうだし……」
「出た、受動に振り切ったネガティブ思考。あんた、面倒なことから逃げるの得意だもんね」
めぐるがまごまごして答えられずにいると、和緒は遠慮なく頭を小突いてきた。
「ま、そんなあんたがあんなもんを衝動買いするってのは、大冒険だったね。その姿を動画に残せなかったのが残念だよ。よかったら今度、再現動画でも撮らせてくれない?」
「やだよ。そんなの撮って、どうするのさ?」
「ここぞというときに、あんたを辱めるんだよ。決まってるじゃん」
やっぱり今日も、和緒は和緒であった。
そうしてめぐるは寝不足の頭を抱えながら、今日ものんびりとした心地で一日をスタートさせることがかなったのだった。
◇
めぐると和緒はクラスが異なるため、昇降口からは別行動となる。
ひとりで一年E組の教室に向かっためぐるは、誰とも目をあわさないまま自分の席に着席した。
入学式からようやく一週間ていどの日が過ぎた現在、めぐるはおおよそ理想通りの環境を整えることができていた。誰にも干渉せず、誰にも干渉されない、静かで穏やかな環境である。最初の数日は何かと声をかけてきたクラスメートたちも、めぐるに交流の意欲がないと見て取ると、すみやかに身を引いてくれたのだった。
(無理につきあったっておたがいに疲れるだけなんだから、こうするのが利口だよね)
めぐるの通っていた中学校は学力が低かったらしく、この市内きっての進学高に合格した生徒は数えるぐらいしか存在しない。しかしその数少ない同窓生たちがめぐるの悪評を流してくれれば、今後も静かな学校生活を送れるはずであった。
めぐるはとにかく、人と関わるのが面倒なのである。
相手の気持ちを気づかったり、こちらの気持ちを気づかってもらったりというのが、もう面倒でたまらない。めぐるは小心者である上に、根っこの部分が傲岸であるものだから、誰と語らっても疲れるばかりであるのだ。そんなめぐるのしょうもない本性を丸ごと受け止めてくれるのは、和緒のような物好きだけであったのだった。
(かずちゃんと同じ高校になったのは、たまたまの偶然だったけど……真面目に勉強して、よかったなぁ)
和緒とはクラスが離れているため、体育の授業などでも合同になることはない。自分たちで望まない限りは、なかなか顔をあわせる機会もないのだ。ただ、同じ校内に和緒がいるというだけで、めぐるはどこか心強い気分であったし――そして本日は、そこにベースの存在も加えられている。退屈な授業を乗り越えて帰宅すれば、今日も思うさまベースを弾くことができるのだ。そんな風に考えるだけで、めぐるは頬がゆるんでしまいそうだった。
そうしてめぐるは、心安らかに半日を過ごし――昼休みに和緒と再会することになった。
めぐるが校舎裏で水筒のスポーツドリンクをすすっていると、どこからともなく和緒が現れたのである。
「やっぱりここだったか。あんた、暗くてじめじめしたとこが好きだよね」
「か、かずちゃん、どうしたの?」
「どうしたのって、ランチだよ。普通の人間は、昼休みにランチをいただくもんだからね。……じゃんけん、ぽん」
めぐるが反射的に開いた手の平を差し出すと、和緒が握った拳でぽんと叩いてきた。
「また負けたか。ごほうびのカツサンドです」
「い、いいよいいよ。いっつもお世話になるのは、申し訳ないし……」
「その罪悪感を緩和させるための、じゃんけんでしょ。あたしだって、数少ないマイフレンドが栄養失調で倒れる姿は見たくないんだよ」
めぐるの手にカツサンドの包みを押しつけてから、和緒も校舎の壁にもたれてしゃがみこんだ。
「ネカフェの次の日は、いっつも昼ぬきだもんね。しかも昨日はそれ以上の大出費だったから、財布の紐もぎゅうぎゅうにしめられちゃうわけだ」
「う、うん。だけどほら、水分さえとっておけば、倒れることもないだろうし……」
「そんなたわけたこと言ってるから、いつまで経っても背がのびないんじゃない? 髪はパサパサだし肌もカサカサだし、栄養失調まるだしじゃん。衝動買いの無駄遣いに文句はないけど、健康を二の次にするのは感心しないね」
こんなお説教も、この二年間で嫌というほど繰り返されている。しかし和緒は自分の意見を積極的に述べながらも、決して強制はしてこないため、何とかかんとか穏便な関係性が保たれているわけであった。
「でも、かずちゃん……こんなところにいていいの? 入学したばかりなんだから、新しいクラスメートと仲良くしたほうがよくない?」
「その台詞、まるっとお返しいたしましょう」
「だ、だって、わたしはこういう人間だから……」
「それならあたしも、こういう人間なんだよ。団体行動は、苦手なの。あんたはいっつもひとりぼっちだから、あたしにとっても都合がいいのさ」
和緒はツナマヨネーズのおにぎりをかじりながら、そのように言いたてた。
「そんな孤独なマイフレンドに、ご提案です。今日、あたしの家に遊びに来ない?」
「え? で、でも……」
「あー、言い方を変えよっか。今日、あたしの家でベースの練習をしない?」
めぐるはきょとんと目を見開くことになった。
「ど、どうしてかずちゃんの家で? そんなの、かずちゃんが退屈でしょ?」
「ぶきっちょなマイフレンドが、ちょっとばっかり心配でさ。どうせあんたは馬鹿正直に、教則本をなぞってるんでしょ? ネットをあされば、もっと効率のいい練習法が見つかると思うんだよね」
あっという間におにぎりをたいらげた和緒は、カレーパンの包みをあけながら肩をすくめた。
「で、ネットをあさるにはワイファイが必要だから、あんたの部屋じゃ都合が悪いわけ。以上、説明終了。あんたもさっさと、そいつを食べたら?」
「う、うん。……いただきます」
めぐるはいつも、和緒に世話を焼かれてばかりである。
しかし、どのように恩を返せばいいのかはわからないし、めぐるが何かお返しをしようとすると、和緒は機嫌を損ねるのだ。めぐるは自分の人格に難があることをわきまえていたが、この友人もそれほど一般的な人格ではないはずであった。
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