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「お、大森さん……?」

「だまし討ちみたいになっちゃってごめんなさい。でも、こうでもしないとみつねちゃんは心を開いてくれないかと思って」


 椅子から立ち上がって、雲来ちゃんがこの場にいることを改めて確かめ、困惑で顔を引き攣らせるみつね。


「心を開く……? 兄貴、説明してよ」

「雲来ちゃんは、前からみつねの味方になりたいと言ってくれてるんだ。ウチの複雑な家庭環境とみつねの心の寂しさも知った上で」

「ぜ、全部話したの? 家庭の話はややこしいから外には出さないように示し合わせてたのに!」

「この人になら話してもいい……全部、優しく受け止めてくれると思えた」


 視線の先の雲来ちゃんが慈愛に満ちた笑顔を浮かべていて、自分の感覚は間違えていなかったと再認識した。


「お母さんの件ももちろん聞きました。甘えたい盛りの時期に甘えられる人がいないのは辛かったと思います」

「あ、アンタになにがわかんのさ……」

「ふふ、もしかするとよくわかっていないのかもしれません。私はかなりのんびり屋さんで、察しよく人の気持ちを推し量るなんて苦手中の苦手です」

「じゃあ知ったような口きかないで。アタシの気持ちを理解できるのなんて、兄貴だけなんだ!」


 雲来ちゃんに舌を出して反抗の意を見せたみつねは、ジャージの裾を引きずりながら俺の背に隠れこんだ。

 怒りと怯えがない混ぜになった表情のまま、雲来ちゃんをじいっと睨んでいる。


「兄貴とアタシが、何年一緒にいると思ってんのさ……。ぽっと出の他人にこのとてつもない寂しさを理解されてたまるかよ……っ」


 自分と同じ辛い境遇の共有者。そういう意味でも、みつねからすると俺は代替不可の特別な人なんだろう。


「そう……ですね。私は優心くんの代わりにはなれません。みつねちゃんの心中への解像度だって下がってしまうのも当然かと思います」

「だったら……っ!」


 3人で結んだ三角形の面積は、雲来ちゃんという『動く点P』の影響により収縮していく。


「だけど、共感をすることはできます。アナタの寂しさに自分を置き換えたら――間違いなくしんどいと思えるから」


 それは雲来ちゃんなりの優しさであった。

 押し付けがましくもなく、兄貴の存在を脅かすこともなく。


 俺の代わりにならず、別の位置からみつねを支える。

 そんな決意表明のようなものであった。


「う、うるさい……説教のつもり?」


 みつねの顔つきが『怒り』から『渋い柿を食べたとき』みたいに変わる。

 すなわち内在する心情にも変化があったと考えるのが妥当……。


「いえ、お説教のつもりは」

「はぁ。十分にお説教されてる気分だったんですけど。アタシと3つしか変わらんのに」


 説教と聞くと確かに大人からされるイメージがあり、たかだか数歳差の人に説教をされたのは違和感があるとみつねは主張している。


「理解と共感の違い? こういう言葉遊び的な理屈っていかにも大人の教師が言ってきそう」

「語源からアプローチした理詰めでもって、生徒になにかを訴えかけるやつですね?」

「そう! 今のアタシの説明でよく伝わったな⁈」

「ドラマとかでありがちですもん! 『人という字は……』的な!」

「そうそう、そゆこと!」


 あれ、なんか意気投合しかけてね?


「あ、一つ訂正。大人の教師はこういうの言わないか。爪痕残そうと必死になってる社会科の教育実習生とかのほうが言いたがるか」

「急に悪口の角度すごっ⁈」

「にちゃちゃ、アタシ性格悪いもん」

「にちゃちゃ、って口に出して言うものなんですね……」


 何はともあれ、雲来ちゃんの理論武装が刺さったみたいだ!

 確かに普段の雲来ちゃんからはとても考えられないぐらいロジカルだったもんな。まるで別人みたいに。


「でも! みつねちゃんの心に響いたのなら、しっかり『先人の名言100選』を読んできてよかったです!」


「「…………え?」」


 まさかの受け売り⁈ 理論武装解除が早すぎるって! そもそも武装つってもハリボテの竹槍を持ってただけだったし!


「大森さんの言葉じゃなかったってわけ……?」

「私の脳みそのどこにあんな知的っぽいことを思いつくところがあるんですか〜? ステーキのことぐらいしか考えられませんよ!」


 上手くない上手くない! ステーキは美味いが!


「じゃ、じゃあアタシが内心でグッときてたのは完全に本の中の言葉だったってわけだ……」


 やられた、と頭を抱える。

 今日はみつねを騙してばかりになってしまってる。


「はい、そうなっちゃいますね! ええと確か14ページの……」

「ページ数で覚えんなし! せめて人名で覚えろし!」

「しかもかなり序盤だしね、雲来ちゃん……」


 これは俺も一本取られたぜ。

 ただ、変に見栄を張ったりせず、自分のできることを頑張って、誰かを励まそうとした。その姿勢こそ、彼女がみつねに約束した自分のスタンスの体現なのかもしれない。


「え? 2人ともすっごくぼーっとした顔してる。お腹空きました?」


 なわけないだろ!


 と心中で突っ込む俺をよそに、雲来ちゃんは真剣な顔つきでロールキャベツを箸で切り分け、


「こういうのはレディーファーストで。はい、みつねちゃん!」

「う……」


 満面の笑みでグイグイあーんを迫る雲来ちゃんと、降伏した指名手配犯みたいに両手をぴょこっと立てて気圧され気味のみつね。


 駆け引きも整合性もへったくれもない。

 ただひたすらに雲来ちゃんは、みつねを幸せにすることに全力だった。


 ……さすがだわ、雲来ちゃん。蒸したてのジャガイモよろしくホカホカの気持ちで2人を眺める。もっとも、補正がかかっている俺は雲来ちゃん全肯定マシーンに成り下がっている可能性も否めんが……。


「…………はむ」


 瞬間、俺の中のそれは杞憂に変わった。

 みつねの小さなお口が、雲来ちゃんのあーんに応えたのだ。

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