25.

「よいしょ……っと」


 大森さんを起こさないよう、頭を優しくベッドの上に移動させる。

 少し動かしてしまったけれどまだ口を開けたままうにゃうにゃ寝言を言っていることを確認し、


「みつね、入っていい?」


 壁一枚で隔てられた、隣にある妹の部屋のドアを叩く。


 やっぱりみつねにとっても俺以外の人間関係を広げるのは大事なことだ。


 自分の殻に引きこもりがちな子ではあるけど、人嫌いなわけじゃない。

 むしろ誰より甘えたがりで愛情に飢えていて……。


 だから少しずつ、自分のペースでいいから、自分の世界を広げてほしい。


「どぞ」


 合図を受けてドアを開ける。

 入った瞬間、俺は「うおっ」とびっくりしてのけぞった。


「やっと私に構ってくれたね、兄貴」


 明かり一つない真っ暗な部屋の中で、ジャーズ姿のみつねが座敷童子みたいに床で体育座りをしていたのだ。


「びっくりする! 自分の部屋なんだから生活感出してけよ!」

「生活もなにも、兄貴が他の女の子にかまけてる間なんて生きてる心地しないし」

「まさかずーっとその体勢でいたとか言わないよな?」

「え? 壁から会話の音漏れを狙わなかっただけ褒めて?」


 どんだけ俺と大森さんが遊んでるのを気にしてたんだよ。

 目もちょっとキマっちゃってる気がするしさぁ。


「ほ  め  て」


 圧がすごい。

 まあ真隣で自分の心をざわつかせる出来事が現在進行形で起こっているのに、騒がず大人しくしていただけでも収穫か。

 と、思うことにしたゲロ甘メリケンスイーツ兄貴。


「え、偉い偉い」

「口ではなんとでも言えるんだよなぁ」

「はい?」

「ん」


 みつねはぶっきらぼうに唇を突き立てた。成長途中の少し薄いそれが薄暗闇の中でわずかに照りをもって輝いた気がした。


「や……やるかあっ!!!!」

「うわー、やっぱりアタシは負けてるんじゃん。どうせ向こうで大森さん? を押し倒して息ができないぐらいの濃厚な人工呼吸を――」

「してるわけないだろ! ノータッチノーキッス!」

「ウケる。童貞専門のタワレコみたいに」

「言ってないから⁈ タワレコがそんな尖ったフランチャイズ出すかぁ!」


 欲求不満なのか、言動が少し荒い。

 でもこのやさぐれ感、みる人がみたら『良い』んだろうなぁ。


「はい、まずは一歩前進だね」


 間違っても妹と唇なんて重ねられないので、頭をポンポンしてお茶を濁した。

 だらしなく立つ髪のアンテナが、ボサボサの長髪に収納されていく。


「はい、妹ちゃんへの労いはとりあえず合格点だね」

「……マネしないでもらって」

「いいからずっとわしゃわしゃしてて?」


 手首を掴まれ、有無を言わさず頭なでなでを継続させられる。

 みつねは毛繕い中の猫みたいに気持ちよさそうに、くしゃりと顔をほころばせた。


(妹とはいえ、女の子の髪ってやけにサラサラで緊張するんだよな)


 手櫛が髪の間を分け入るたびシャンプーの匂いがただよう。

 清潔感のある柑橘系の匂い。


「きもちいよ……おにーちゃん」


 丸め込まれたような従順な上目遣いに背筋がピクっとなる。

 間違っても妹なんだからな、この子は! 


「俺はこんなことをしにきたんじゃないんだ」

「本命女とイチャイチャする合間に妹をたぶらかしにきたんじゃなくて?」


 なんだそのストイックヤリチンスケジュール。

 隙間時間も活用して女に触れるように……じゃねえよ。わしゃMARCHの受験生か。かっこ、青学は除く。え、あそこって指定校推薦しか入学枠ないんだよね?(馬鹿者)


「みつねにも、ぜひ大森さんと仲良くなって欲しいと思って。その顔合わせのお誘いに来た」


 不要なパニックを引き起こさないよう、綱渡りをするかのごとく慎重に続ける。


「みつねが俺に離れて欲しくない……その気持ちはよくわかった」

「うん、兄貴の代わりなんていない」

「まあまあー、これだけ面倒見が良くてワガママも聞いてあげるお兄ちゃんなんて他にはまずいないからなぁ」

「……イジワルだけどさすあに」


 軽い冗談をジャブで挟みつつ、みつねに納得してもらうための論理を展開していく。


「でも、そのべったりの根本にあるのはみつねの『寂しさ』なんじゃないかな」

「さびしさ?」

「うん。甘えた盛りの小さいときからお母さんにはろくに相手をしてもらえず、その反動をずっと引きずってしまってるというか」


 みつねは床で女の子座りをしたまま、こくこくと何度も頷いている。


「甘えられる対象は、『俺』以外にもいるに越したことはないんじゃない?」


 確かにみつねは『俺』を特別に思ってくれている。その自覚はある。

 一方で一番のボトルネックが『誰かに甘えたい』だとするならば、それを満たしてやるのは俺でなくても――誰でもいいでしょ? という主張。


 やや乱暴な言い方ではあるけど。


「……アタシのこと、すんげーわかってるのな」

「当たり前でしょ、何年一緒にいてると思ってんのさ」

「13年と2ヶ月、あと8日」

「計算が早すぎるぜこのヤンデレスパコン」


 でも、俺の主張がかなり腑に落ちているみたいだ。


 一極集中化していた『甘えたい』欲の矛先を分散させることは、みつねの精神衛生を保ちつつ、俺たちのきょうだい関係をより健康にできる。


 まさに折衷的な落とし所。


「今日で確信したよ。大森さんはきっと良いお姉ちゃんをやってくれる」


 妹に会わせられないと伝えたやり取りを思い出す。

 あのときの大森さんは、みつねの事情までしっかりと考えを巡らせて納得してくれた。


 ……そもそも、大森さんは超がつくぐらい人当たりの良い子だし。


「お姉ちゃんって響きは最高。でも」


 みつねは体の正面でハートマークをつくってみせ、


「恋敵って見方もあるにはあるんだよねぇ……?」


 おい、まじまじとこっち見んな。


「…………そこだけなんだよ、懸念は」


 恋敵、って言い方はさすがに誇張も込みだ。

 けれど、『甘えたい』欲が大半を占めるみつねの脳内にも何パーセントか、本当に俺を独占し、自分の近くにだけいて欲しいという恋愛めいた感情が混ざっていることは否定できない。


 きょうだいにおける越権。みつねの倫理観は常にギリギリである。


「……とりあえず大森さん、今寝てるから。顔や雰囲気だけでも体感しにきな」


 そう提案すると、みつねは「はぁい」と澄ました顔で返事した。


 我がおセンチな妹は、自分を取り巻く環境を変えうる少女との邂逅をどう捉えるのか。


 俺はまだ知らない。

 この大森さんお披露目イベントが、嵐の始まりとなってしまうことを。

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