23.
「はあぁ……私は有間くんのそばにいられて、とってもとっても幸せです……」
とろけるような声音。
木にとまるセミみたいにピトと俺の背中にへばりつき、顔をすべすべとこすりつけている。
まさかあの大森さんがご飯以外にここまで心酔するとは。
そしてその夢中の対象がまさかの自分であることに、驚きと照れが隠しきれない。
「か、唐揚げっ!」
「はい。からあげ〜」
「一応揚げたてで用意してるし⁈ 冷める前に食べて欲しいっていうか!」
ローテーブルに置かれた唐揚げの山を指して移動を促す。
このまま抱きつかれ続けるのももちろん悪くないが、脳みそがショートしておかしくなってしまいそうだった。
「お気遣いありがとうございます。でも、もうちょっとだけ」
離れてくれそうにない。
それどころか、俺の胴を抱く力は一段と増した。
まるでこの密着の気持ちや記憶を、自分の中に刻み込むように。
当分忘れないよう、噛み締めるみたいに。
「今だけは、どんな美味しいご飯よりも有間くんのことを食べちゃいたい……です」
「…………っ⁈」
興奮気味に熱を帯びた吐息が俺のうなじを下から舐め上げる。
同時に迸った電撃に、俺はもう立っているので精一杯だった。
大森さんを相手に、この手のことはあまり思ったことがなかった。
汚してしまう感じがしたし、ピュアな彼女にそういうのは似合わないと思っていたから。
でも、いくらなんでもこれは大胆すぎる。
ということで、湧き上がってきた感情を率直に。
(え、えっろ…………)
密室で艶かしくバックハグをしてくる大森さんに、俺の心は文字通り完食寸前。
♢
「あ、熱いですねっ⁈」
バックハグは攻めすぎだとようやく気がついたのか、大森さんは床につくなり目をパチパチさせ、セーター生地のトップスの首元を動かして送風し始めた。
顔には粒のような汗が数滴滲んでいる。
「……こっちのセリフなんですが、それは」
「ご、ごめんなさいっ! でもぎゅーってしてるとき、私もすっごくドキドキしてたんですっ!」
「お互い様ってところか……」
「はい。有間くんのカッコいい背中を見てたら、体が勝手に……」
大森氏は一部容疑を否認しているようです。
これ、俺が他の女の子にしてたら余裕で警察行きなんだろうな。
「はああっ、唐揚げ美味しいです! とってもとっても!」
口に何かを詰め込みたくなった、という感じで焦って唐揚げを頬張った。
大森さんの両頬は木の実を食べるリスみたいに線対称で膨らんだ。
「それに、お肉をいっぱい食べて精をつけておかないと! 今日はなにがあるかわかりませんしね⁈」
「そんな力を使うようなことはしないでしょ⁈」
「わ、わかんないじゃないですかっ! 一応ここは、有間くんのお部屋ですし……」
俺の部屋だからこそ、力仕事なんてやるわけないと思うんですが。
大森さんはなにを想定しているのかなぁ、やだなー。
「はむ、はむ、はむ……っ」
部活終わりの高校生みたいに、大森さんは至極真剣に、一心不乱に唐揚げにがっついていた。
むき出しのお腹の中に、衣をまとったお肉の塊がどんどん詰め込まれていった。
♢
「大森さんって、ご飯以外に趣味とかないの?」
唐揚げをたいらげ、スナック菓子もそれぞれ味を確かめ、ある程度お腹も気分も落ち着いたところで、俺が訊いた。
フードフェスの日も学校帰りだったし、よくよく考えたら今日みたいにがっつりプライベートに触れたのは初めてだった。
「んー、ないですね!」
机を挟んだ真正面から、清々しいまでの笑顔が飛んでくる。
「……体壊すよ」
「だって美味しいご飯以上の幸せなんてこの世にあります⁈」
「あるでしょ、めちゃめちゃ」
「じゃあ例をあげてみてください!」
「んー? ホントになんでもいいんだけどなあ……。動物園とかは?」
「あぁん、ダメですよ! あんな飯テロ施設! お腹空いちゃいます!」
餌やりを『飯テロ』と認識すんな。
「そろそろ夏だし、マリンスポーツなんかならいいんじゃない?」
「マリン? 海ってお寿司屋さんの食材倉庫みたいなものでしょ?」
大森さんのためにも一回殴ってあげたほうがいいかもな……。
「私には食べることしかないんです! ノーフードノーライフ!」
ミス食物連鎖みたいな標語を口にし、拳をグッと握り込む。
「……まあ、大森さんが楽しいのが1番か」
無邪気な笑顔の前では、あれこれ難癖をつける気にもなれなかった。
「あ! そう言えば妹さんはどちらです?」
食への探究の話をきっかけにか、大森さんが思い出したように言う。
忘れてた。
元はと言えば大森さんは、俺のご飯への愛着をみつねと共有するためにやってきたんだ。
「今日の朝食も有間くんが作ってあげたんですか? どんなお顔で、どんな感想を述べられてましたか?」
ズイズイズイ。
関心事になったときの大森さんの前進気性は相当なものがある。
「ていうか有間くんの妹さんなんて、ぜ〜ったいに優しくて素直で良い子ちゃんですよね! 私、お姉ちゃん頑張っちゃいますよ?」
「大森さん……」
大森さんの朗らかな包容力なら、ステキなお姉ちゃん的振る舞いをしてくれるのはまず間違いないだろう。みつねにとってそういう役回りの人が増えることは歓迎すべきだとも思う。
だが、当の本人が。
「大森さん、ごめん。妹――みつねに会うのは、ちょっと難しいかもしれないんだ」
今はみつねを変に刺激したくない。
俺と大森さんが仲良くやってるところを見させて、不安感を煽りたくない。まあそもそもその不安感が誤解である――大森さんとの関係性にかかわらず、みつねはずっと大切にしていくと誓った家族だということを理解してもらわなきゃいけないんだけど。
「そう、なんですか……」
大森さんの口角はやや下がり、どこか寂しそうな表情を浮かべていた。
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