17.

 大森さんが近づいてくる。

 いつものような無邪気な笑みで、左右に体を揺らしながら。



 だがその一挙手一投足に、俺は背負ったリュックが重くなるのを感じていた。


 弁当が、昨晩頑張って作った弁当が重い。


「うっ……」

 

 おまけに頭まで痛い。


 大森さん一人前分の弁当が増えたことがそんなに負担で、その苦労がスルーされようとしているのが悔しくて辛いのか?


 __いや、それだけじゃない。


 自分の頑張りが見向きもされない辛さ。

 俺は、誰よりも知っているから。



 ♢



「お母さん、上手に絵が描けたよ」

「……お母さん、理科のテストで初めて100点取れたんだ」

「おか」


「はーいスゴいね、これで好きなゲームでも買ってきなさい。じゃ私行くから」


 まだまだ赤ちゃん同然の幼稚園児や小学生にとって、親から興味を持たれていないことがどれだけ残酷か。

 俺は身をもって実感していた。


「お待たせ、ダイ君! 今日は焼肉に連れてってくれるんでしょ〜? 楽しみだな〜!」


 お母さんが出て行ったドアの向こうから、2トーン釣り上がった気持ち悪い声が聞こえる。男の気を引くためにしか使われない音程。


「ゲームなんていらない。ボクはお母さんに褒めて欲しいだけなのに……」


 __俺のお母さんは、実の子どもではなく浮気相手の男に愛情を注ぎ込んでいた。


 しかもこんな風に自宅の前にまで男が来る。お人よしなお父さんも見て見ぬふりをしている。もう、グチャグチャだった。


 そんな歪な家庭環境で、普通の人の半分の愛情で育った俺。


 自分はなぜ産み落とされたのか。

 生きることを望まれているのだろうか。


 マセていると言われてもいいが、そんなことばかりを考えて小さい頃は過ごした。子どもには何もできない。お母さんが自分に接する態度を見て、俺のやっていることの全ては他人に興味を持たれない無価値なものだと考えていた。


 ……『存在意義』の欠乏による栄養失調。

 俺は痩せ細るように、地味に根暗に育っていった。


 妹と俺を食わすため、お父さんは毎日残業続き。

 汗水垂らして、下げたくもない頭を下げて、必死に稼いだお金が、無価値な俺の腹へ消えていく。やがてそれは、さらに無価値な排便となる。


 頭がおかしくなりそうだった。テレビの金持ちタレントでさえ札束で汗を拭くぐらいしかしないのに、ギリギリのはずのウチではお金を下水道に流し込んでいる。


「お父さん、いつも働いてくれてありがとう。明日からご飯づくりは俺に任せてよ」


 最初は失敗ばかりで、怪我や切り傷もたくさんした。

 でも徐々に上達し、美味しいご飯に妹や父さんの笑顔が増えた。


 初めて、自分がいることで誰かが喜んでくれた気がした。


 だから俺にとって料理とは。


 残された家族を幸せにするための。

 自分に存在意義を見出すための。


 とても大切で、絶対に軽んじたくない宝物みたいなものなんだ。



 ♢



「ごめんなさい、ちょっと通ります〜!」


 人混みを逆流し、俺の元へ急ぐ大森さん。


 早くこの公園で俺に合流し、買ったばかりの次のグルメにありつきたい。きっとそんなところだろう。


(俺の弁当なんて出る幕ないよな)


 今持っている弁当は、元はと言えば大森さんがリクエストしたもの。

 けれど、恐らく忘れ去られていることに対して怒りはない。


 だってここは大森さんにとって夢のような極楽だから。

 目いっぱいに楽しむ無邪気な大森さんが、昨日俺ごときとした約束なんてどこかへ吹っ飛んでいるとしてもそれは自然とさえ思える。


 性格的にも鈍感なところがあるし。


「おかえり。何買ってきたの?」


 映えグルメ?

 それともわんぱくにお肉の2回戦?

 デザートの線もあり得るか。


「ふふふ、すっごく良いものですよ!」

「ここにあるのなんて、ほとんど良いものなんじゃない」

「それはそうです! でも、これは特別に良いと思います!」


 豊満な胸を張る。

 そんなにか。よほどの好物or美味しそうなものを見つけたんだろうな。


「じゃじゃじゃーん! 有間くん、見てください!」


 遊園地を駆け巡る子どもみたいな大森さんが、自信満々に見せつけてきたものは。


「お、お箸……?」


 食べ物ではなく、物を食べるためのツール。

 完全に不意打ちで素っ頓狂な声が出る。


 フードフェスとはいえ繁華街のど真ん中だから、雑貨屋も当然あって、そこで買ってきたというのはわかる。

 けど、意図がわからない。


「はいっ。しかもこのお箸、ただのお箸じゃありませんよ!」


 ノリノリの大森さんは自分の背の後ろでガサゴソと紙袋をいじり、


「いひ。私と有間くん、お揃いのお箸なんです」

「そ、そうきたか……」


 手渡されたお箸と、大森さんがあざとく顔に寄せるそれを見比べる。


 確かにお揃いで、持ち手に入った横線が青色と赤色で違っている。


「い、イヤじゃなければ貰ってください!」


 顔を赤くし、お願いするように頭を下げる。

 女の子が俺とお揃いの物をプレゼントしてくれる。

 不意打ちの品物だったけど、胸がザワザワキュンキュンしてしまう。


「嬉しいよ。ありがたく使わせてもらうね」

「やったぁ! 喜んでもらえて私も嬉しいです!」


 サプライズ成功、と飛び跳ねて感情を表す大森さん。

 どっちがプレゼントした側かわからないな、これ。


「私の場合はもっと多いですけど、ご飯は最低でも一日3回ありますし?」


 もっと多いのは考えものだけど。


「このお箸があったら、その度に有間くんのことを考えられるでしょ?」

「え、あ、うん。俺も大森さんがよぎりそう……」

「ぜひぜひっ! 会ってない時も一緒にもぐもぐしましょう!」


 大森さんっぽいプレゼントだなぁ。ちょっと気持ちが重いような気はするけど……。


「でも、今日は幸せなことに晩まで有間くんの横にいられますから!」


 晩飯も当然一緒に食べよう、とはにかむ。

 俺は食べ巡りを見越してセーブしつつ寿司を食べたから腹に余裕はあるんだけどさ。


「で、次はなにを食べるの?」


 次の店を探そうとベンチから腰を上げた俺の前に大森さんが立ち塞がる。


「次? そんなのひとつに決まってます!」


 大森さんは用意周到で、もうめぼしい店を見つけていた、


「そっか。そのお店ってどこなの? 移動しないと」


 と思ったのだが。


「移動はいらないです。私の食べたいもの、ここにありますから」

「ほっ」


 俺の背後に回り込み、リュックを抱き抱えてきた。顔や胸、大森さんの柔らかさがリュック越しにも主張してくる。


 待てよ。

 大森さんの食べたいものが、ここリュックに?


「私が世界で一番大好きな……有間くんのおべんと」


 擬似バックハグをされながら、うっとりとした甘い声。


 忘れてなかったのかよ。

 むしろ、楽しみにとっておいてくれたのかよ。


 それはさ……反則だよ、大森さん。

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