10.


「やっべ。遅刻するかも」


 翌朝。

 弁当づくりで昨日も寝るのが遅くなったため二度寝をかました俺は、小走りで学校へ向かっていた。


 でもこのせわしなさが心地よくもある。

 みつねや大森さん、誰かに必要とされている感覚が最近増えたからだ。


 その途中、俺の前でトテトテ歩くやや特徴的な後ろ姿が。


「大森さん、家近かったんだ」


 そのゆるっとしたフォルムが特徴的で一発でわかる。一人で歩いているのに大きめのお尻が楽しげにフリフリと横揺れしているように見えるのはきっと気のせいじゃない。


 このまるまるっと曲線の多い、締まっていない体つきは唯一無二の可愛げがある。『デブ』ではない絶妙なライン。


「大森さん、おはよう」


 急がなければいけないとわかりながらも声をかけると、大森さんはくるりと振り返って俺を視界に捉え、顔を一気にほころばせた。


「あ! 有間くん! おはようございますっ!」

「きょ、今日も元気そうだね……」


 明るすぎて面食らってしまう。グイっと距離を詰めてくる大森さんの性格も理解しつつあるが、まだ慣れなくもあって。


「のんびり歩いてたけど大丈夫? 結構遅刻ギリギリだよ?」

「そ、そうなんですかっ⁈」

「だって俺、普段なら絶対に見れない星占いのコーナーまで見ちゃったし」


 星占いってだいたい番組の終盤だよね。

 富豪世帯の飼い犬自慢コーナーまでいったら完全にアウト。飼い犬自慢コーナーて。


「大森さん、いつもこんなに登校遅かったっけ?」

「いやいや、今日はたまたまで」

「ふーん……? そうなんだ」


 何か今日だけの特別な理由でもあったのかな。


「今日はあったかいから、小鳥さんが道端でいっぱい鳴いていて!」


 嬉しそうに言う。そりゃあなんとも大森さんらしい無邪気な理由だ。


「言われてみれば。ステキな感受性だね」

「えへへ、そうですか~?」

「うん。小鳥のさえずりって癒しでしかないもんね」


 理解を示して言うと、大森さんが『いや』と苦笑いで否定する。

 違うの? そういう高尚な理由でバードウォッチングをしていたのではなく?


「今日の晩ごはんはチキン南蛮にしようか、唐揚げにしようか迷っちゃって!」

「こっわ!着眼点こっわ!」


 大森さんの頭の中は想像以上に食べることでいっぱいらしい。


 パタパタパタパタっ!


「ほら、大森さんが物騒なことを言うから鳥たちが全員飛んでいったじゃんか!」

「ええぇ!怖がらせちゃいましたかねぇ?!」


 目をまん丸にしてオーマイガーみたいな顔。

 罪の意識はないんですねそうなんですね。


「あんなに手羽先を羽ばたかせて……」

「部位で言うな! 羽でいいでしょ!」


 呆れる気持ちと可愛らしく思う気持ちでそれこそ甘辛い気分になっているところで、


「マズい! いよいよ遅刻するよ!」

「え、ホントですか?」

「ホントだよ! 走ろう大森さん!」


 時間に急かされ、大森さんも一緒にダッシュで行こうと提案する。


 だが彼女は、やけに渋っているみたいで。


「う、うーん……。私は走りたくないかもです」


「でもこのまま歩いてたら遅刻確定だよ? 内申点とかにも響いちゃうし!」


「じゃ、じゃあ! 有間くんが先に一人で走って行ってください!私は後ろから追いかけます!」


「それはなんのフォーメーションなのさ……」


 男女の運動能力の差でも気にしているのかな。走りに自信がなくて俺に迷惑をかけるのが申し訳ない的な。


「安心して。俺も男だけど、運動神経なんてひでぇもんだから」


 と、フォローするように言うも、大森さんの懸念とはズレていたようで。


「うぅ……。速さの問題じゃないんですっ!」

「じゃあなんなのさ……」

「もう! 走ってるところを誰にも見られたくないんですよぅ!」


 と、恥ずかしそうに地団駄を踏む。


 そ、そうなのか。

 そっちの方面は想定外だったぞ。


「だって私が走ったらどんなことになるか……想像つきません……?!」

「ちょ」


 ホワイ、と外国人の抗議ばりに豊かな表情の大森さんは半ば強引に俺の手をとる。


 そしてあろうことか……その手を自分の体に引き寄せた。


 ほんの少しだらしなくたわんでいる、お腹に。


「……握ってみてください」

「む、ムリだよ!女の子のお腹をつまむなんて……!」

「いーいーかーらー」


 手首を強く握られる。


 この体が弾んだらどうなるのか。

 そんなことは想像にたやすい。大森さんの主張はよーくわかったから、別に体をつまませなくてもいいんじゃないかな……?


 という俺のアタフタなんて知らず、大森さんは羞恥にまみれた潤んだ目で訴えかけてくる。


「私のやらかいやらかいお腹、もみもみしてくださいよう……っ」


 そこまでして走りたくない理由を示したいのか。絶対にこっちのほうが恥ずかしいと思うんだけど。


「ほうら……ね?」


 掴む手の指先が俺の手首を優しく撫で、オーバーヒートしそうになる。

 早くシて。テクニシャン的な手つきが暗にそう訴えてくる。


 はいはいもうわかりました。

 俺に逃げ場はないんですね。これをどうにかしないとそもそも遅刻しちゃうし。


「や、やらかっ……」


 指先に力を加え、お腹をつまむ。

 その柔らかさは想像を遥かに超えていた。


「…………んひっ」


 そして肌に刺激が加わった瞬間、吐息混じりの声をあげつつ、下唇を噛む大森さん。


「……ごめんなさい、変な声が出ちゃいました。続けてください?」

「ええと、もう体形のことはよーくわかった。続ける必要性がどこに?」

「…………ちょっとだけ気持ちよかったので」


 通学路で互いの腕とお腹を握りあう異様な男女。


 大森さんは、まだまだ満足してくれそうにない。


「あ、でももう次はもう少しだけ優しくもみもみしてくださると……。有間くん、意外に力強くて」

「……っ」


 無意識な緊張がそうさせたのか⁈

 人の腹にがっついてるみたいでめっちゃキモいじゃん!


 とまあ、俺たちの関係性が変わりつつある新しい朝。

 大森さんの甘ったるい攻勢はより大胆に、天井知らずになっていく。

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