第3話 第2の部屋
暗い通路を進んでいくと目の前に扉が現れた。
それを確認した梨乃は一度ふたりへ視線を向ける。
ふたりにも扉が見えているのだろう、大きく頷く。
梨乃は少し深呼吸をして、目の前の扉を押し開いた……。
そこはさっきと同じような部屋だった。
真ん中にテーブルがあり、奥にはキッチン。
右の壁には洗濯機と乾燥機が置かれている。
左の壁には勉強机に本棚。
ここも、誰かのひとり暮らしの部屋といったイメージだ。
3人が出てきたのは部屋の壁の一部からだった。
ドアが閉まった途端に壁際から水が流れ出す。
「けが人がいるんだ! ゲームを中断してほしい!」
文秋が慌てて叫ぶ。
きっと、部屋にはそれぞれ監視カメラがついているはずだ。
異変があればすぐにゲームを中断させることができるように。
「声は届いてないのかもしれない」
梨乃はそう呟くと天井へ向けて両手を振った。
これなら声を拾っていなくても異変に気がついてもらえるはずだ。
文秋も同じように監視カメラがあるはずの天井へ向けて手を振り始めた。
春美は1人、部屋の奥にあるベッドに座って傷口を濡らさないようにしている。
「春美、大丈夫だよきっと誰かが来てくれるから」
これだけアピールしておけばきっと大丈夫。
梨乃はそう思って窓へと近づいた。
けれど、ここの窓も前の部屋と同じで作り物だ。
外へ出ることはできない。
他に出口らしきところは見当たらない。
第1の部屋と同じで、なにか仕掛けを動かさないと開かないようになっているんだろう。
「痛む?」
春美の横に座り、その肩を抱く、
ゾンビに襲われた時の恐怖が残っているのか、春美の体が小さく震えている。
「ううん。大丈夫」
春美が言っていたとおり怪我は大したことがないのかもしれない。
血も、もう止まっているようでひとまずは安心だ。
だけどこのままゲームを続けることはできない。
早く誰か来てくれないと……。
「なんで誰も来ないんだ」
何度もジャンプをして監視カメラにアピールしていた文秋が疲れた顔をして近づいてきた。
「きっと、ここまで来るのに時間がかかってるんだよ。広い建物みたいだし」
「それにしてもおかしいだろ。普通、こういうのってすぐに駆けつけられる場所で待機してるだろ」
そう言われると、何も言い返せない。
試験段階のゲームだから、体勢が整っていないのかもしれないけれど、そんな状態で招待するなんてとんでもない話だ。
元にこうしてけが人が出てしまっている。
「ねぇ……」
ずっと震えている春美が深刻な表情で口を開いた。
「どうしたの?」
顔を向けるけれど、春美はこちらを見ない。
なにか恐ろしいことに気がついてしまったような、そんな雰囲気があった。
「あのさ、そんなこと、絶対にないと思うんだけど……」
もごもごと口ごもって、言いづらそうにしている。
「なんでも、感じたことを言ってくれていいよ?」
梨乃が促すと、ようやく春美は顔をこちらへ向けた。
「もしかしてこのゲーム、本物なんじゃないかなって思って」
早口になった春美の言葉に梨乃は絶句する。
文秋も細い目を大きく見開いた。
「本物って?」
梨乃が聞く。
「だから、なにもかもが本物なの。制限時間になれば水が天井までたまることも、ゾンビも本物ってこと」
春美の言いたい意味が理解できて青ざめる。
梨乃は文秋へ視線を向けた。
文秋は「そんなはずないだろ」と言いながらも、笑顔がひきつっていて笑えていない。
「それって、最悪の場合死ぬってこと?」
梨乃の質問に春美はコクリと頷いた。
ゾンビに攻撃を受ければ死ぬ。
制限時間になれば死ぬ。
梨乃は強いメマイを感じて、視界がグラリと揺れる。
頭を押さえてどうにかメマイを振り払った。
そんな馬鹿な話があるわけない。
これは単なるゲームで、私達は参加者なんだから。
そう言いたかったけれど、言葉にならなかった。
「か、考えすぎだって!」
文秋の声が裏返っている。
ここに梨乃たちを連れてきたのは文秋だ。
ゲームがすべて本物だとすれば、文秋がふたりを巻き込んだことになる。
もちろん悪気はなかったにせよ、とんでもないことをしてしまったことになるのだ。
「きっと助けがくるから、それまで頑張ってくれよ」
懇願するように春美へ言うが、その助けはいつまで待ってもやって来ない。
第2の部屋に入ってから、すでに15分は経過している。
水はどんどん部屋に溜まってきていて、足首の上まで来ている状態だ。
「これが本物だとすれば、脱出しなきゃ」
梨乃が文秋へ視線を向けて言った。
その目は真剣そのものだ。
脱出ゲームが本物だなんて思いたくはないけれど、ぼーっとしていたら水が溜まってきてしまう。
なにもしないまま溺死することなんてできない。
文秋はまだなにかを言いたそうにしていたけれど、グッと言葉を押し込んで部屋の中を確認し始めた。
少し歩く度にバシャバシャと水を蹴る音が響く。
ヒントが床とか、カーペットの下にあった場合は、かなり不利になることになってしまうだろう。
「春美はここにいて」
梨乃は春美にそう言い置いて、文秋と共に部屋の中を探し始めた。
第1の部屋では案外簡単に脱出することができたけれど、レベルは上がっていくはずだ。
第2の部屋ではそう簡単には扉を開くことはできないだろう。
水位はどんどん上昇してきて、もうすぐふくらはぎまで届きそうだ。
動きにくさが増していく度に、焦りで背中に汗が流れる。
身を屈めて水に沈むカーペットをめくってみたりするけれど、ヒントらしきものは見当たらない。
「ねぇ、これ!」
そんな声が聞こえて振り向くと春美がテーブルの上を指差していた。
すぐにそちらへ向かう。
テーブルの上には第1の部屋と同じ大きさの紙が置かれていたのだ。
前の部屋と同じ場所にヒントがあるとは思っていなかったから、盲点だった。
「この絵、なんだ?」
文秋が横から紙を覗き込んで首をかしげている。
紙には長方形の箱が書かれていて、その下に(本、本、本)と乱雑に重なり合った漢字が書かれている。
漢字はすべて(本)だ。
「なにこれ。どういうこと?」
焦っているためか、ヒントを冷静に分析することができない。
四角い箱は4段の枠に分かれていて、上2段と下1段は黒く塗りつぶされている。
そして下から2番めの枠だけが真っ白だ。
まるで、最初はこの枠の中も真っ黒だったのに、空白になったような……。
そこまで考えてハッと息を飲んだ。
「これってもしかして本棚のこと!?」
この部屋の中で4段に別れた長方形の箱といえば、本棚しかない。
本棚へ視線を向けると、そこにはギュウギュウに本が詰め込まれている。
つまりこれは真っ黒に塗りつぶされている。
ということなんじゃないだろうか。
梨乃と文秋はすぐに本棚に駆け寄って、下から2番目の本を引っ張り出して行く。
幸い本棚には足がついていて背が高く、まだ水には濡れていない。
次から次へと本を引っ張り出して床に落として行くと、それはまさにイラストに書いてあるとおりの図になった。
(本)という漢字が折り重なっているのは、本を実際に本棚から抜き取っていく行為を意味していたのだ。
下から2段めだけが空になった状態で、周囲を見回す。
しかし、部屋には何の変化も見られない。
もっとなにかヒントがあるんだろうか?
そう思って本棚の前で身をかがめていると、背板に赤いマジックで矢印が書かれていることに気がついた。
2段めの本をすべて引き抜いたから見えるようになったのだ。
矢印は右向きに書かれている。
梨乃はすぐに立ち上がって本棚の右側に置かれている勉強机の前に立った。
「勉強机になにかヒントが……」
そうつぶやいたとき、違和感があった。
勉強机には椅子がセットでついているものだけれど、これには椅子がない。
よく確認してみると、机には足を入れるスペースがなかったのだ。
机のふりをした、寸胴の箱が置かれているような状態だ。
明らかにおかしい勉強机に手をかける。
引き出しを開けてみると、カチッと小さく音が聞こえた。
その瞬間、勉強机の天板が少し開いたのだ。
左手で天板を押し上げてみると、中は薄暗い通路になっていて、下へ向かう梯子がかけられてあったのだ。
「出口だよ!」
思わず叫んで振り向く。
文秋が笑顔になるのと、春美が怪訝そうな表情になるのが同時だった。
ベッドの上に座っていた春美が弾かれたように立ち上がり、こちらへ近づいた。
「春美?」
文秋が首をかしげたとき、ベッドの板が持ち上がったかと思うとそこからゾンビが出現したのだ。
「キャア!!」
梨乃と春美の絶叫が部屋にこだまする。
「なんでゾンビが? 春美、なにか触った?」
梨乃からの質問に春美が全力で左右に首をふる。
「私なにもしてない! なにも触ってない!」
怪我をしてずっと座っていたのだから、嘘ではなさそうだ。
じゃあ、どうしてゾンビが……?
そう考えた梨乃の視界に自分が開けてしまった机の天板が見えた。
まさか、扉を開いたことが原因?
だとすれば、避けようとしても到底無理なことだった。
この部屋ではゾンビは100パーセント出現するように仕掛けられていたんだ。
「逃げなきゃ!!」
梨乃は咄嗟に春美を先に行くように促した。
怪我をしている春美を最後にすることはできない。
春美は息を引きつらせながら机に手をついて自分の体を持ち上げ、梯子に足をかけた。
キズが痛むのか下唇を噛みしめる。
それでもかまっていられなかった。
「早く! 早くするんだ!」
文秋の叫びに後押しされるように梯子を下る。
ゾンビがゆらりと梨乃へ視線を向けた。
梨乃は小さく悲鳴を上げて、春美に続いて梯子に足をかけた。
高い場所は苦手で、またメマイを起こしてしまいそうになる。
でも、捕まったら本当に死んでしまうかもしれないのだ。
恐怖心をどうにか押し込めて梯子を下る。
ターゲットの梨乃を追いかけるようにゾンビが動き出した。
その動きは俊敏で、第1の部屋にいたゾンビとは比べ物にならない。
梨乃に続いて梯子を降りようとしていた文秋が「うおっ」と声をあげて飛び退いた。
ゾンビは勢いよく机に体をぶつける。
そのまま通路の中へ入り込んでしまいそうだったので、文秋は慌てて足を踏み鳴らして水を蹴った。
「お前の相手はこっちだ!!」
挑発するように声をかけると、ゾンビが振り向く。
その目が文秋を捉える。
よし!
ひとまず通路にいるふたりから意識をそらして、文秋はゾンビから距離を取った。
ゾンビはバシャバシャと水をかき分けて早足で文秋へ近づいてくる。
文秋はソンビから視線をそらさずに後退し、手探りでなにかを探した。
そして右手に触れたものを握りしめる。
この部屋に入った時に確認しておいた武器だ。
もしもまたゾンビが襲ってきたなら、こっちだって攻撃し返さないといけないと、覚悟を決めていた。
動きを止めた文秋にゾンビが一気に襲いかかってくる。
十分に距離が縮まるのを待ってから、文秋は右手に握りしめたバッドを頭上へと振り上げた。
そして両手でしっかりと持ち直し、ゾンビへ向けて振り下ろす。
ゴッと鈍い音が響いて、ソンビはバシャンッと水音を上げて倒れ込んだ。
文秋はバッドを投げ出し、大急ぎで机のハシゴへと向かう。
ゾンビは倒したはずなのに、いつまでも追いかけられているような恐怖心がつきまとう。
今にもソンビに後ろから襲われるんじゃないかと妄想したとき、ようやく机のドアを締めた。
カチッと小さな音がして、そのドアも自動で鍵がかけられたことがわかった。
「文秋!」
梨乃の声がして下を向くと、梯子の下で待っているのが見えた。
3メートルほど下からは横へ移動する通路に切り替わっているみたいだ。
文秋はまだ動機がする心臓を収めるように深呼吸をして下っていく。
「顔色が悪いよ、大丈夫?」
「あぁ……」
梨乃に心配されてもうまく返事ができない。
ゾンビを殴ったときの感触がしっかりと両手に残っていて、手が震えていた。
両手をギュッと握りしめてみるけれど、震えが止まる気配はない。
「俺、初めて人を殴った」
しかもあんな武器を使ってだ。
今更ながら自分への恐怖が湧いてきて涙が出てきてしまいそうになる。
そんな文秋の腕を梨乃がさすった。
「あれは人じゃない。ゾンビだよ。攻撃しなきゃ、私達がやられてた」
途中まで文秋のことを見ていた梨乃は懸命になだめる。
ずっとゲーム一筋だった文秋は誰かと喧嘩することだってなかった。
ゲームの中で戦っても、相手に怪我を負わせるわけじゃない。
それが現実世界で相手を傷つけたのだから、ショックは大きかったんだろう。
「あのゾンビ、死んだのかな」
「ソンビは元々死んでるよ。だから大丈夫」
そう言ったのは春美だ。
誰も文秋を攻めたりはしないということを、わかってほしかった。
「それにしても」
と、梨乃は通路の先へ視線を向ける。
通路の中はさっきと同じようなもので、オレンジ色の光で照らされている。
この先へ進めば今度は第3の部屋に出るはずだ。
「本当に、このまま進んでいくべきだと思う?」
梨乃は真っ直ぐに伸びている通路の先を見つめて、ふたりに聞いた。
ふたりから返事はない。
できればもうこれ以上進みたくはない。
だけど進まないと出口はない。
八方塞がりな状態だった。
「ずっと通路にいたら、誰か来てくれないかな?」
梨乃の言葉に春美が微かに笑みを浮かべて、左右に首を振る。
誰も助けが来てくれないことは、すでにわかっているはずだ。
「ここにいても餓死するだけだと思う」
文秋が自分の体のあちこちをさすりながら言う。
そうしていないと、落ち着かないんだろう。
3人の間に重たい沈黙がのしかかってくる。
それは何時間もあったようにも思うし、ほんの数分だったような気もする。
沈黙を破ったのは水音だった。
それは梨乃たちが降りてきた梯子の方向から聞こえてきて、視線を向けると、少量ずつ水が通路へ流れ落ちてきているのが見えたのだ。
「前の部屋の水が落ちてきてるんだ!」
梨乃がサッと青ざめて叫ぶ。
このまま通路にいたら餓死する前に溺死してしまう!
3人は同時に出口へ向けて進み始めたのだった。
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