第2話 第1の部屋
「到着しましたよ」
大元の声がきこえて梨乃たちの意識が急浮上する。
目を開けても真っ暗で、咄嗟にアイマスクへ手を伸ばす。
「アイマスクを取るのは建物の中に入ってからです」
大元の刺すような声が聞こえてきて梨乃は手を止めた。
このまま建物の中に入るなんて大丈夫だろうか?
眠ってしまったから時間の感覚もわからなくなているし、どこをどう走ってきたかもわからない。
戸惑っている間に後部座席が開く音がして、外の空気を感じた。
車内は適温に調節されていたけれど、外からはムッとした熱気を感じる。
肌を焼くような日差しはさっきよりも強くなっているみたいだ。
大元に手をひかれてそろそろと車を降りる。
アイマスクの下からでもわかるくらい、周囲が眩しい。
太陽は真上くらいに来ているのかもしれない。
やがて3人共無事に車から降りて、それから先は手をつないでゆっくりと歩いて行った。
「こちらです。お荷物はこちらですべてお預かりしております」
大元の声だけが頭の中に聞こえてきているような、不思議な感覚。
強い日差しが遮られたことと、自動ドアが開くような機械的な音が聞こえてきたことで、自分たちが建物内に入ったことがわかった。
それからもうしばらく歩いたところで、大元が立ち止った。
「ここで少しお待ち下さい」
それだけ言い残して、どこかへ行ってしまう気配がする。
「……ねぇ、これって本当に大丈夫だよね?」
たまりかねた様子で春美が聞いてくる。
春美は梨乃の右手を痛いほどに掴んでいて、左手は文秋に握りしめられている。
どちらの手も緊張のためか汗ばんでいた。
「大丈夫だよ。ねぇ、文秋?」
「あぁ。大元さんっていう人はネットで見たことがあるよ。スターダムの優秀な人だって」
だから待ち合わせ場所で初めて会ったときにあんなに興奮していたのかと、やっと納得した。
それから1分ほど経過して不意に『みなさま、アイマスクを外してください』と、声が聞こえてきた。
その声はさっきまで梨乃たちを案内してくれていた大元のもので間違いなかったが、スピーカーから流れてきたような、機械的な声になっていた。
声に促されてアイマスクを外すと、そこは12畳ほどの洋室になっていた。
部屋の中にはテーブルや電子レンジや冷蔵庫。
それにベッドや本棚が並んでいて生活感が溢れている。
これは誰の部屋なんだろう?
そう思っていると、再び声が聞こえてきた。
『プレイヤーのみなさまには今から5つの部屋からの脱出に参加していただきます。ルールは簡単。部屋の中にあるヒントを見つけて、次の部屋へ移動するだけ。制限時間は一部屋につき、1時間。ゲーム開始と同時に部屋の中には水が流れ込んできます。その水はあ1時間で部屋をいっぱいに満たすので、そうなればゲームオーバーです。また、部屋の中には1体のゾンビが潜んでいます。もしもゾンビが潜んでいる扉を開けてしまえば、攻撃を受けて脱出を妨げられます。しかし、ゾンビに攻撃されたとしても感染はしませんので、安心してください』
単純に脱出するだけでなく、邪魔してくるゾンビも出てくるらしい。
脱出ゲーム初心者の梨乃はゴクリと唾を飲み込んだ。
春美は何度もこういうゲームに参加しているし、文秋は立派なゲーマーだ。
梨乃は自分がふたりの足を引っ張ってしまうんじゃないかと、今更なから心配になってきた。
『それでは、ゲームスタートです!』
アナウンスが止まると同時に部屋の右奥の天井から水が流れ出してきた。
「本当に水が出てきてる!」
梨乃がびっくりして指差すと、文秋が「本格的にできるんだな」と笑って、まるで武者震いをするように体を震わせた。
「さて、ヒントはどこかな?」
春美が部屋の中をぐるりと見回す。
見た所なんの変哲もないただの部屋だ。
12畳の中に生活のすべての物が揃っているところを見ると、ひとり暮らしのアパートをモチーフにしているのかもしれない。
春美が右手にある窓に近づいて確認している。
「よくできてるね。この窓は偽物みたい」
言われて梨乃も近づいてみると、窓枠とカーテンだけが本物で、外の景色は印刷された写真だった。
当然、ここから出ることはできない。
左手に視線を移動させてみるとクローゼットがある。
人一人が入れるくらいの大きさ。
部屋の真ん中には白いテーブルがあって、窓の下にはシングルのベッド。
「なにもないな」
ベッドの上の布団をめくって確認したいた文秋が呟く。
部屋の中にドアはなく、窓も偽物ということは出入り口がどこにもないことになってしまう。
混乱してきた時、梨乃はふとテーブルの上に白い紙が置いてあることに気がついた。
白いテーブルの上の白い紙だから、見逃していたのだ。
梨乃が紙を手に取ろうとしたそのときだった。
「この部屋の中でドアっぽいといえば、ここだよね?」
と、春美が声をかけてきた。
梨乃と文秋が同時に振り向く。
春美はクローゼットに手をかけていた。
確かに、クローゼットの奥が出入り口になっている可能性はある。
梨乃たちはそこからこの部屋に入ってきたのかもしれない。
「ちょっと、開けてみようか」
「え、大丈夫なの?」
梨乃が不安を口にするより前に、春美がクローゼットの扉を左右に大きく開いていた。
途端に奥に広がる暗闇。
クローゼットの中にはなにもない。
と、思った次の瞬間だった。
春美はクローゼットの中でなにかと視線がぶつかった。
その目は暗いクローゼットの中で真っ白に光って見えた。
充血した眼球がギョロリと動いて春美を見つめる。
「キャアアア!」
次の瞬間春美は絶叫してクローゼットから飛び退いていた。
「どうした!?」
文秋に返事をするより前に、クローゼットにいたなにかが姿を現す。
ボロボロの衣服を身に着けて、青黒い顔をした人間。
両手を前に突き出してゆっくりと近づいてくるそれは……「ゾンビだ!!」
文秋が叫ぶ。
梨乃は咄嗟に後ずさりをしてゾンビから離れる。
ゾンビは足元に溜まってきている水をばしゃばしゃとかき分けるようにしてゆっくりと動いている。
その目は獲物を探しているようで、眼球だけがやけにギョロギョロと動き回っていた。
ゾンビは一番最初に見つけた春美をターゲットに決めたようで、春美の後を追いかけ始めた。
「いや! 来ないで!」
慌ててゾンビから逃げ惑う。
いくら偽物だとわかっていても、あれに追いかけられるのはさすがに怖い。
春美がゾンビから逃げている間に梨乃は再びテーブルに近づいた。
水はすでに足首まで迫ってきていて、靴も靴下もずぶぬれた。
制限時間はまだ残っているけれど、焦りが先行した。
梨乃は紙に書かれているイラストに注目した。
なにか、四角い箱のようなものが書かれている。
そしてその中には同じ箱がもうひとつ。
箱の横には(1.30)という数字。
「謎解きだ」
梨乃はジッと紙を見つめる。
まずはこの絵がなにを示しているのか見つけないと、横の数字の意味もわからないだろう。
「見せて」
いつの間にか隣に来ていた文秋が紙を覗き込む。
「この四角いのは電子レンジじゃないか?」
2重の四角は電子レンジのドアと中を確認する窓を差しているんじゃないか?
だとすれば横の数字は分数だ!
梨乃はすぐに後方にある電子レンジへ駆け寄った。
レンジの上には空のお皿が乗っている。
「なにかを温めろってことかな?」
そうつぶやいて電子レンジの下にある小ぶりな冷蔵庫に手をかける。
しかし、冷蔵庫は鍵がかかっているかのように開かなかった。
「レンジになにか入れないと作動しないからじゃないか?」
文秋がそう言いためしになにも入れないままでレンジのスタートボタンを押す。
しかし、レンジはうんともすんとも反応しない。
今度は空のお皿を入れてスタートボタンを押す。
レンジはブゥンと低い音を立てて動き出した。
分数は1分30秒だ。
これでなにかが起こるはずだ。
そうしている間にも春美はゾンビから逃げ続けている。
部屋の中をぐるぐると回って、まるで運動会みたいだ。
ソンビの動きは鈍くて、なかなか春美に追いつくことができないでいる。
春美はその間に足を止めて呼吸を整えた。
「ほら、はやくこっちに来てみなさいよ!」
春美はゾンビを煽るように声をかける。
それに反応してゾンビがまた春美へ向けて動き出す。
ゾンビの動きは単調で、春美以外をターゲットにするという頭の切り替えもできないみたいだ。
これなら、謎解きさえできればこの部屋からの脱出は簡単そうだ。
梨乃がレンジへ視線を向けてみると、残り時間は1分を切っている。
温めが終われば次の指示がでるはずだ。
それまでソンビから逃げ切ってくれればいそれでいい。
あと50秒。
あと40秒。
レンジの分数は見る見る減っていく。
あと10秒。
もう少しだ!
そう思ったときだった。
部屋を走っていた春美が何かに足を取られて転倒したのだ。
バシャッ! と水温がして春美の体が水に浸かる。
「冷たい!」
そう言って勢いよく起き上がった時、春美の真後ろにゾンビが迫っていた。
サッと青ざめる春美。
「危ない!」
文秋が駆けつけるより先に、ゾンビが春美の足首に食らいついていたのだ。
「キャアア!!」
春美の絶叫が部屋の中に響き渡る。
ゾンビが噛み付いた足首からジワリと血がにじみ出て、水に溶け込んで揺れている。
「嘘でしょ……」
梨乃は呆然としてその光景を見つめていた。
ゾンビは攻撃すると言っていたけれど、まさか噛み付いてくるなんて!
こんなの、普通の脱出ゲームじゃ考えられないことだった。
混乱する中、文秋がゾンビを追い払って春美を助け起こす。
その間にレンジがチンッと間の抜けたおとを鳴らして、下の冷蔵庫の蓋が開いていた。
「そこが出口だ! 急げ!!」
冷蔵庫の中に中腰になって入ってみると、少し斜面になった通路が続いている。
通路の側面にはオレンジ色の電球が埋め込まれていて、薄暗く照らしている。
「奥へ行くんだ!」
文秋に言われて梨乃は中腰のままで通路を進んだ。
後ろから文秋と春美がやっていて、すぐに冷蔵庫の戸は締められた。
部屋から冷蔵庫のドアを叩く音が聞こえてくる。
ゾンビが追いかけてきているのだと思うと、全身に寒気が走った。
「春美、大丈夫?」
狭い空間で春美の様子を確認すると、青ざめて目には涙を浮かべている。
「噛みつかれた」
か細い声で言い、傷口を確認する。
足口には肉を千切られた痕が生々しく残っていて、梨乃は口に手をあてて息を飲んだ。
「止血しないと」
スカートのポケットか
らハンカチを取り出して春美の足首に巻きつける。
白いハンカチはみるみる赤く染まっていく。
「このままじゃバイキンが入っちゃうかも。ちゃんと手当しないと」
梨乃言葉に文秋が頷いた。
「すみません! けが人が出ました! 手当をお願いします!」
通路内に文秋の声がこだまする。
アナウンスのときのようにどこからか返事があるかと期待したが、誰からもなんの反応もない。
「春美だけでも辞退させてほしいんですけど!」
再び文秋が叫ぶ。
けえどその声は虚しく消えていくばかりだ。
「どうなってるの?」
春美は本当に怪我をしてしまったし、緊急事態だというのに応答もない。
どんどん不安が募っていく。
「俺だってわからないよ」
文秋も焦った表情で左右に首をふる。
そして奥へと続いている通路へ視線を向けた。
「このまま進んだら次の部屋に出るんだよな? たったら、戻ったほうがマシか」
私達が来た道へ視線を戻す。
暗がりの中に冷蔵庫のドアが浮かび上がって見える。
部屋に戻ればゾンビがいる。
でも、このまま先へ進むことはできない。
とにかく、早く春美を手当してもらわないと。
しかし、文秋が内側からドアを開けようとして首をかしげた。
「どうしたの?」
「ドアが、開かない! 鍵がかかってる!」
「嘘でしょ?」
驚いた梨乃が文秋に変わってドアを押す。
けれどびくともしなかった。
「戻れないってこと?」
春美が青ざめた顔で聞く。
梨乃も文秋も返事ができなかった。
「私は大丈夫。怪我も、きっと大したことないから」
進むしかないからだろう、春美は2人に心配かけまいとそう言った。
「動ける?」
梨乃の言葉に春美は頷く。
しっかりしなければいけないと思ったのだろう。
もう涙は浮かんでいなかった。
「じゃあ、とにかく前へ進もう。次の部屋に出ればきっと、大元さんと会話ができるはずだ」
文秋は祈るような気持ちでそうつぶやいたのだった。
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