第3話 揺れるブランコ
千紗の家がある市営団地に着くころには、息が切れていた。
息をととのえながら、千紗の家の玄関のドアを三回ノックする。千紗の家のインターホンは壊れたままだ。だからいつもこうやっている。
家の奥から玄関に近づく、ゆったりとした足音が聞こえた。
ドアが開くと、「あら、ハルちゃん。どうしたの?」と、千紗のお母さんがにこやかに出迎えてくれた。
でも、その顔色は悪い。
「おばさん、こんにちは。千紗ちゃんいますか?」
「千紗、さっきまでハルちゃんと電話してたから部屋にいるのよ。遊ぶ約束してたのね。ちょっと待って」
おばさんが玄関で千紗の名前を呼ぶ。
「千紗、ハルちゃんが来てるわよ」
千紗が「え? ハル?」と驚いた声を出した。
驚くのは当然だと思う。さっきまで電話していたし、約束してなかったから。
「おばさんね、ちょっと風邪気味なの。ハルちゃんに移したらいけないから、お外で遊んでてくれる? ごめんね」とおばさんが言った。
私と千紗は、団地の中にある小さな公園に移動する。
「おばさん、大丈夫なの?」
「いつものことだよ。大丈夫。風邪じゃないからね」
おばさんは、ウツ病らしい。
それについては触れないようにしている。
話を変えようと考えていると、俯いたままの千紗は溜息をついた。
「ハルが転校したら、遊ぶ友達いなくなる。ゆかりや絵美とも離れてしまうし」
「大丈夫だよ。千紗なら、友達すぐできるよ!」
千紗は、ゆかりのようにジコチューじゃないし、絵美のように人の顔色を伺って意見をころころ変えたりしない。内気で話し下手だけど、とても優しい子だ。
「だといいんだけど……」
千紗は、ブランコに座る。
私も千紗の隣のブランコに座ってみた。
「キューピッド様やるのはすごくいやだけど、私は反対する勇気がない」
千紗は泣きそうになってるのか、声が震えている。
ブランコをゆっくりと漕ぎ始めた千紗は、「ハルが転校しなくてもいいようにしちゃおうかな」と妙に低い声で言った。
聞き間違えたのかと思って、「え? 何?」と聞き返す。
「ううん。なんでもない。あのね、ハルは、幽霊とかそういうの、信じてる?」
千紗の質問に、思わず私はブランコから降りた。
千紗のことを初めてわからないと思った。怖いとも感じ始めた。これ以上話すと嫌な話になりそうな気がして、どうやって話を終わらせようかと考えた。
早く家に帰らなきゃ。
ゆかりの家に行かなくてもいいように、ベッドで寝ているフリをしなきゃ。
お母さんに見つからないようにしなきゃ。
それを、なんて伝えたら良い?
「ハル、ゆかりの家に行くよね? 行くのやめるなんて言わないよね?」
千紗の言葉が、私の背中に刺さるように、公園に響いた。
私はゆっくりと振り返る。
千紗がどんな顔をしているのか、気になってしまったから。
千紗は、いつものように内気そうなおどおどとした目をしていた。
「お昼ごはん食べなきゃ。一度、家に帰るよ。ちゃんとゆかりの家に行くからね」
行かないとは言えなくなってしまった。
千紗を見ていなくちゃ。心配だから。
「よかった。じゃあ、また後でね」
千紗はブランコからそっと降りて、手を振りながら家に戻っていった。
ブランコが不規則に揺れている。
千紗はそっと降りたはずなのに。風のせいかもしれないけど。
──ハルが転校しなくてもいいようにしちゃおうかな。
千紗が何気なく言った言葉が、頭のなかで繰り返される。
誰も乗っていないブランコは、ギイと不快な音を立てながら風に揺られている。
そういえば、ずっと前に千紗が言ってたっけ。
『ブランコって、誰もいなくても揺れてるときがあるよね。風のせいだとわかっていても、見えない誰かがいるのかもって思って、ちょっと怖いよね』
──見えない誰か。
なんで一人のときに、そんな話を思いだしてしまったんだろう。背筋がぞっとしてきた。
ブランコを見るのが怖くなってきて、公園の中央にある時計に視線を移す。
時計の針は、十二時十分前をさしていた。
帰らなきゃ!
お母さんが戻ってくるまでに。
私は、再び全速力で走る。スピードを緩めるのが怖かった。
汗が流れてくる。背中をつたう汗が、気持ち悪い。
家の裏口にたどり着いて、そっと表を見てみると、車がなかった。ほっとしながら、裏口のドアを開けて家の中に入る。
家には誰もいないのに、爪先立ちになってそおっと廊下を歩く。
洗面所でタオルを取り、汗をぬぐう。それから、部屋に戻りベッドに潜り、ぎゅうっと目をつむった。
もしかして、汗をかいたから熱が下がってるかも。それなら、約束を破らずにゆかりの家に行ける。
千紗が何かを企んでいそうな気がして、私は怖くなっていた。
私は起き上がって、ゆかりの家に行く準備をし始めた。
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