第4話 ふわふわのオムレツ
ゆかりの家に持っていくものと、着ていく洋服の準備ができた。
リビングに行くと、ちょうどお母さんが買い物から戻っていて、スーパーの袋から野菜を取り出している。
「おかえりなさい」
私がそう言うと、お母さんは「ただいま」と、にこやかにほほえんでくれた。
私がこっそり抜け出していたことには気付いてないようだった。ほっとして、リビングのソファーに腰かける。
冷蔵庫にいろんなものを片付けながら、大丈夫なのと聞いてくる。
「うん、大丈夫。熱下がったような気がする。ゆかりたちと約束あるから出かけていいかな?」
私がそう言うと、お母さんは作業をいったんとめて、私の方に近づいてきた。
おでこに手をあてる。
「あら、ほんと、不思議ね。下がってる」
そう言いながら、キッチンへ戻った。
「ゆかりちゃんたちと遊びたいから、熱が下がったのかな?」
キッチンからリビングに向かってお母さんが言った。
「かもしれない……」と、お母さんに聞こえるか聞こえないかくらいの声でつぶやく。汗をかいたからかも、とは言えない。
「風邪うつしたらいけないから、ちゃんとマスクしていきなさいね」
「うん」
「昼ごはんは軽くでいい? ゆかりちゃんの家でおやつ食べるんでしょ?」
「うん」
「何が食べたい?」
「お母さんが作るふわふわのオムレツ!」
私は、そこでお母さんのいるキッチンへかけよった。
お母さんは嬉しそうにしている。何だかお母さんに甘えたくなって腕を組んでぴったりひっついてみた。
「ふわふわオムレツね。作るから椅子に座ってて」
しばらくして、お母さんがテーブルに出来上がったおかずを並べていく。
「念のため、風邪薬ものんでおきなさいね。ここに置いておくから」
お母さんは、コップにお水を入れて、錠剤を小さなお皿の上に置いた。
ふわふわのオムレツを食べていると、怖いと思ってたこともすっかり飛んでいってくれた。
幽霊なんかいないんだよ。
鉛筆が動かないかもしれないし。
動かなかったら、冒険の話もなくなるかも。
楽観的に考えていればいい。
そう言い聞かせながら、食べ終わった食器を流しの方に運ぶ。
「お菓子はいつもの棚の中にあるから、持っていきなさいね」
片付けをしながら、お母さんが言った。
棚の中にはチョコレートクッキーといろいろなスナック菓子があり、それをスーパーの袋に入れた。
「六時までに帰りなさいね」
「うん」
玄関で靴を履きながら、怖くなんかない、だいじょうぶ、何も起こらない、鉛筆は動いたりしない、何もない、と再び何度もそう言い聞かせる。
だいじょうぶ、だいじょうぶ。
「ハル、スニーカーの紐が緩んでるよ。危ないから結びなおしなさいね」
キッチンからお母さんが話しかけてくる。
「はーい、ありがとう。じゃあ、いってきまあす!」
お気に入りのスニーカーの紐を結びなおしながら、いつもよりも大きな声を出す。
玄関のドアが、妙に重たく感じた。
だいじょうぶ、だいじょうぶ──と、自分に言い聞かせながら、自転車を漕ぐ。
いつもなら自転車で数分で着くはずのゆかりの家が、すごく遠くに感じる。
ゆかりの家は、この町で一番広い。家の周りを囲む長い塀、入り口の門など、それだけでも別世界のように素敵だ。門から玄関まで普通の家の二軒分は歩くんじゃないかというくらいの、凄い家。専属の庭師もいるって言ってた。
私は豪華な門の前に立ち、インターフォンを押すのをためらいながら、深呼吸をする。
「ハル、押さないの?」
後ろから急に声がして、私はひゃっと声をあげ飛び上がる。
「なんでそんなに驚くの?」
絵美が、はははっと声を出して笑う。そして勢いよくインターフォンを押した。
『どうぞ、入って』と、ゆかりの声。
「はーい!」と、絵美が言い、門を開けて広い庭に入る。
「千紗はまだ?」
私と絵美は、自転車を押しながら、広い庭の隅にある自転車置き場に向かう。
「自転車はまだないみたいね」
ゆかりの家の専用駐輪場には、ゆかりのお父さんのマウンテンバイクが沢山並んでいて、駐輪場というよりはガレージなんだろう。
立派なマウンテンバイクのそばに自分の自転車を置くのは気がひける。
千紗はここに入るのを嫌がっていた。自分の家の事情について、普段は平気な顔をしているけれど、あまりに違いすぎる世界に、やはり馴染めないというか、いい気分ではないんだろうと思う。
「もしかしたら歩きかもしれないね。ここに自転車乗ってくるの、いやそうだったじゃん?」
千紗の自転車は、リサイクルセンターで買ったという、古いもの。整備されているけど、かなり古い型で言い方悪いけど、ちょっとカッコ悪い。
絵美もそういうところに気がついていたんだなと思った。
玄関へ向かう途中、庭師のおじさんに、「こんにちは」とあいさつをしていると、玄関からゆかりが出てきて「遅いよー」と不機嫌そうに言った。
「千紗は?」と絵美が言うと、「部屋にいるよ」とゆかりが返す。
来ないかもと思っていたけど、先に来ていたんだと安心した。
「アレ、持ってきた?」
ゆかりが絵美にたずねる。
「うん。ネットで調べてきたよ」
絵美はそう言って、「どきどきするよね」と私とゆかりの顔を交互に見る。
正直、私は怖い。
ほんとにするんだ。
何もなければいいな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます