第13話


 賑やかだった女性陣が居なくなり、静けさが増す夕日島。


 アオユウヒは更に色濃く、鮮やかに夕日島を彩り始めた。その瑠璃色の青さはこの島を青い半球に変えるほどに。


 それに比例して、ありすが眠る時間が多くなった。意識も朦朧とする事が多くなり、見た目も少し小さくなった気がした。

 俺の焦燥感を煽る様に、風に靡いてサワサワと揺れるアオユウヒ。

 こっちまで『ヨカッタネ』『ヨカッタネ』と囁く幻聴が聞こえてくる気がした。


 何がヨカッタんだ……!


 一輪手折れば、ぐしゃりとその手で握り潰した。

 水気の多いアオユウヒはポタリと汁を零し、俺の手を青く染めた。



 それから数日間。

 残された俺たちは、佐久間さんの祖父が残した殴り書きの絵の場所、夕日島の南東部分をくまなく探索していた。

 二日目に何か建物が建っていた跡を発見する。

 その小屋の辺りを探っていると、高い崖の中腹から細い滝状になって流れ出る湧き水を見つけた。

 博士が「ちょうど喉が渇いていたんだっ!」と大胆にもその水に頭を突っ込んで一気飲みし、一気に噴き出した。


「ぶふううううぅううう!!」

「は、博士ー!?」

「か、辛えー! これは真水じゃない、海水だっ!!」


 そう、この湧き水は海水だったのだ。

 俺は物珍しさに、その流れる海水を手に乗せてみると、滝の奥に小さな空洞が見えた。更に奥、ズタ袋のようなものが見えたのだ。

 それを出来るだけ水に濡れない様に引っ張り出す。


 泥まみれの袋。

 泥の塊に近い袋を開ける。動かすたびにビチャビチャと泥が落ちる。袋の中には大きなはちみつ瓶が入っていた。その瓶詰めの中には丸めて入れられた紙の束があった。


 俺たちは顔を見合わせて、急いでその紙を取り出す。それは博士の予想通り、佐久間さんの祖父が書き残した手記の残り半分だった。

 

 内容は八丈島にはこびるアオユウヒの駆除を任された佐久間さんの祖父の、記録の続きだった。


『アオユウヒは抜いても焼いても翌日には大量に生えてくる。駆除をあきらめようと思った矢先、珍しい【夕日色のアオユウヒ】を近所の子供が発見した』


『普通のアオユウヒの半分以下の小さな夕日色のアオユウヒ。民家の軒下に小さくひっそりと生えていた。私はそれを抜こうとすると頭の中に『ヤメテ。オネガイ。ヤメテ』と声がした』


『夕日色のアオユウヒは、私に話してくれた。島中に広がるアオユウヒの群衆は個々に見えて、実は一本の花である。本体は夕日色の自分であり、他の青い花は自分の擬態であると。本体と擬態はどんなに離れていても、見えない根で繋がっているという』


おぞましい事実を知る。アオユウヒの繁殖方法だ。繁殖器官を持つ女性の願いを叶えた代償に、女性を母体として次世代の種を産む。これはアオユウヒの雌しべの機能が何らかの理由で低下し絶滅の危機から自然に変態した、次世代の種を産むための最終手段と仮定する』


『その赤い種こそが次世代のアオユウヒの本体となり、数多の青い擬態種を手足として、次世代の母体を探す』


『私はその真実を知り、この人食い草をこの島に置いてはならないと思った。奴は知能が高い。気付かれない様に上手く騙し、無人島である夕日島へと移植する事にした。女のいない無人島ならば、私がアオユウヒについて調べても問題ないだろう。奴の生態は謎めいていて、とても興味をそそられる』


『なんとか夕日色のアオユウヒを移植した。移植の途中、アオユウヒは海を酷く恐れた。どうやら潮水が苦手らしい。そういえば八丈島でも海岸沿いには生えていない』





『――アオユウヒが怒っている。ここが無人島だとバレたようだ。何としても私達を脅して、女性をおびき出そうとする。自分の子孫となる、次世代の種を産ませようとしている』


『骨折をした。朝、小屋から出た瞬間、足を引っかけた。私は転倒し、両足を骨折して動けなくなっている。引っかかったのは、アオユウヒのつただった。同様に一緒に移植を手伝ってくれた仲間たちも動けなくなっている。なんて奴らだ。強行手段に出てきた』



『骨折の痛みが酷い、眠れない』



『腹が減った』



『飢え死にさせる気だ』



『なんとか、這って歩けるようになるが、気が付かれると蔦で拘束される』



『母体を呼べと、ずっと囁いている』



『気が狂いそうだ』



『仲間が餓死し始めた。救援は来ない。周りが気付くのは帰宅を予定していた二週間後だろう。絶望的だ。せめて、救援者に女性が来ない事を祈るばかりだ』



『アオユウヒはとても知能が高い。喋れるし、識字も出来る。母体が人間だからだろうか。もし、この手記の存在に気付かれたら、廃棄される可能性がある。どうにかして、この事実をアオユウヒに気付かれずに伝える事が出来るだろうか』



『今日も仲間が死んだ。腹が減った』



『佳子の飯がもう一度食いたかった』

『太一の学生姿が見たかったなあ』





『誰か』


『誰か、助けて』


『誰か』


『助けて』

『助けて、助けて、助けて、たすけて、たすけて、たすけて、たすけて、たすけて、たすけて、たすけて、たすけ』



 恐ろしくなって、手記を読むのをやめた。

 良く見れば、手記の紙がたくさん無造作にちぎられている。

 きっと佐久間さんの祖父は、飢えから逃れるために、この手記を食べたのだと思う。


 博士は大きく息を吐くと「なるほどなぁ」と納得した口調で、


「ここに咲いている青いのは全部、本体を守るニセモノなのか。アジサイの装飾花と同じ役割で、本体はただ一本、夕日色をしているんだな」


「でも、これが本当ならば、なんでうちの家の庭にアオユウヒが咲いていたんだろう?」


「あいらちゃん、それは多分、ドローンだろうな。今のドローンは飛翔距離が飛躍的に伸びている。遊び半分でこの夕日島へと飛ばした奴が居て、偶然にも擬態種をつけて本土に戻ったんだろう。そして偶然にあいらちゃん家の庭で育ったんだ」


「博士、本体の夕日色のアオユウヒはこの島のどこかに居るって事ですよね? その本体を潰せば……ありすが助かる可能性はありますか?」


 博士は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「……何とも言えない。ありすちゃんはすでに願いを叶えて貰っている。本体を潰したところで、絶対に上手くいくとは考えられないが……もう他に可能性は無い。この先、次世代の花を咲かせないためにも、本体は潰しておいた方が良いと思う」



 佐久間さんの祖父の手記に重要な事が書いてあった。

 アオユウヒの弱点が、海水である、という事だ。

 試しに近くに咲いていたアオユウヒを、その海水の滝につけてみた。

 一瞬だけ海水に掛けても少し萎れる程度。数分の間、アオユウヒを海水に浸けておくと、やっと花が変色し、茶色くなった。


「生命力の強い花だな」と、博士は茶色くなったアオユウヒを見て言う。


 俺たちは何かに使えるだろうと海水をもって歩く事に決めた。しかし詰め込める容器がないため、一度ありすの居る海岸へと戻ることにした。


 ありすは砂浜を頭にして海辺に寝そべり、眠っていたが、俺たちが戻ると、うっすらと目を開けた。

 呼吸が浅い。朦朧とした中で、俺たちの気配を感じて、大きな手をこちらに差し伸べてくる。俺はその中指に触れた。


「一人にして、ごめん。寂しかった?」


 ありすは小さく首を振る。


「やっと、アオユウヒの事が分かってきたんだ。待っていて、必ず……必ず、奇跡を起こすから……ありすを助けるからね」


「……きせき?」


 ありすが小さく呟く。あいらもまた、ありすの人差し指に抱きついた。


「そうだよ!お姉ちゃん、安心してねっ!!」


「きせき……」


 ありすが、頭を横にして、俺とあいらを見た。

 その頬に大粒の涙がこぼれた。


「きせき、要らない……あいらは、ここから、逃げて」

「やだ!!」


 ぴしゃりと言うあいら。


「やだ、やだ、やだ!! 私はお姉ちゃんと一緒に家に戻るって決めているんだから!!」


 喚くあいらを無気力な眼差しで見つめるありす。


「そうだよ、俺もありすと一緒にあの街に帰るつもりだからね」

「……」


 ありすの反応が鈍い。

 はたして俺の声は届いているのだろうか。

 こんなに近くにいるのに。

 こんなに近くで君の事を想っているのに、届かない。

 すると、ありすの乾いた唇がゆっくりと動く。


「きせき、起こしたい」


「!」


「きせきを、私が……起こす」


 しかし、ありすの言っている事が少し変だった。

 奇跡を起こすのは俺たちなのに、ありすが起こすと言う。

 それから、すうっと眠ってしまったありす。


 結局、ありすに俺たちの言葉が伝わったのか、分からないまま、夕日色のアオユウヒを探す事にした。


 

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