第11話


 八丈島から帰って来た俺は、その足でありすの元へと戻った。

 何も知らないありすは無邪気に「スイカも食べないで、どこ行っていたのー?」と尋ねて来る。


 俺は彼女の大きな小指に触れた。

 そして、強く抱きしめた。


 トクン、トクンと彼女の脈の音がする。命の音。

 生きている。彼女は生きている。


「……どうしたの? 斗真くん?」


 首を傾げるありす。

 しかし、何も言えなかった。


 今、口を開いたら、俺は泣いてしまう。

 失いたくない。失いたくないよ。

 この命の音が、途絶えるだなんて嫌だ。



 しばらく沈黙が続いた。



 すると、ありすは「あのね」と言葉を紡いだ。



「私、知っているよ。――もう、長く生きられないんでしょ?」



「……えっ」


「三日前くらい……かな? 突然聞こえ出したの『ヨカッタネ』って声が」


「あ、ありす」


「アオユウヒの声だってすぐ分かった。だって、お家に居た頃はよく聞こえていたからね。夕日島でも、ずっとアオユウヒは私に囁いていたんだと思う。でも私はアオユウヒの声がなんだか怖くって、いつもアオユウヒの声が何故か聞こえない海に居た。でも、聞こえてくるって事は、私、弱っているのかな~? なんて、考えていたの。それでね、怖かったけど「なんで『ヨカッタ』の?」ってアオユウヒに聞いたら、「君の願いが叶って良かったね」って言うの。「今度はボクの願いを叶えてね。ボクの子供を産んでね」って言われたの」


「ありす!」


「私は人間だから、貴方のお母さんになれないよって言ったら、君の命で新しいアオユウヒの種が生まれるんだよって。……それってつまり……死ぬって事だよね?」


「ありす、もう止めてくれよ!」


「ううん、いいの。これは……天罰よ。私が斗真くんにした事への天罰なんだわ」


「俺への、天罰……?」


 身に覚えのない「天罰」に、俺はありすの顔を見上げた。そこには彼女のいつもの柔らかい笑顔は無かった。

 そこに居るのは、俺の知らない、ぞっとするくらい冷たい表情をした女の子だった。


「あのね、もうこんな状況だから、白状しちゃうね。私が斗真くんに告白して付き合ったのはね……パパへの見せしめなのよ」


「見せしめ……?」


「私のパパと、斗真くんのお母さんはね……付き合っているのよ。つまり、不倫」


 落ち込んで沈んでいた心が、一気に揺さぶられる。


「うちのパパ、一年以上前から別居しているの。理由は、貴方のお母さんが好きになったから。パパの会社の下請けが、斗真くんのお母さんの会社なんだよ。……たぶん、ママには離婚したいって言っていたんだと思う。でもママは拒否し続けて、埒が明かないパパは出て行ったんだと思う。……この話、ママは私とあいらには言わなかった。ずっと急な海外への単身赴任だって嘘ついていた。でも、明るかったママが急に暗くなって無口になっちゃって、おかしいなと思って。パパの会社に電話しちゃったんだよね。……そしたら、単身赴任なんて全くの嘘。斗真くん家の近くにアパート借りてふつうに暮らして居たの」


 脳裏に母ちゃんの指に大事そうに嵌まっていた指輪が浮かぶ。

 そうか、あの指輪は……そういう指輪だったんだ。母ちゃんは相手が既婚者だと知っていて付き合っているのだろうか。


 綺麗だと思ったあの指輪が、俺の心の中で黒く色塗られていく。


「……私、悔しくて……。あんなに仲良しだったのに、ママの事も大好きだったはずなのに、あっさり……ほんとにあっさりと私たちを捨てたパパが憎くて!! 私、パパに復讐してやろうとしたのよ。うんと困らせてやる方法でね。それで相手の女の事を調べていたら、私と同じ高校に息子が居る事を知って。それで閃いたのよ。斗真くんと私が付き合ったら、パパと斗真くんのお母さんは再婚出来ないでしょ?……だから、だからね……私は貴方に告白したんだよ?」


 俺を見下ろすありす。

 その冷たい眼差しに、教えてくれなかった告白の理由に、俺は身震いした。


 しかし次の瞬間、ありすの黒目がじんわりと潤んだ。


「でも、私、私ね、本当に斗真くんが好きになったの……。パパが貴方のお母さんに惹かれた様に、私もすぐに斗真くんが好きになった。……だから、私の事好きって言ってくれた時、すごく嬉しくて……嬉しくて、キスしたの」


 ポタポタと大粒の涙が地面を濡らす。


「貴方が好きになって、貴方に見合う女の子になりたくて。そしたら家の庭に突然咲いた薄青色の花がお願いを叶えてくれるっていうの。最初は信じなかったわ。でも、毎日、花は同じ事を言うの。だから、冗談半分で「大きくなりたい」って言ったわ。すると、一輪だけだった花は増え始めて、花びらも濃い青になった。まるで、私から養分を吸い取るかの様に。それと比例して私はちょっと大きくなった。嬉しくて毎日アオユウヒに「もっと大きくなれますように」って願った。けれど、流石に大きくなり過ぎて「もう止めて」って言っても、アオユウヒは聞いてくれなかった。……だから死んじゃうのだって…………斗真くんを騙したんだもの。私は死んで当然なんだわ」


 ありすは淡々と語り続けては泣きじゃくる。


「斗真くん、幻滅したでしょ? 私って、すっごくすっごく汚い狡い子なんだよ。だからね、これ以上、私の事で苦しむ事はしなくて……良いんだよ?」


 そうか。

 だから、俺を好きになった理由を頑なに教えてくれなかったのか。



 ……そうか……。

 


 ……なんだ……。



 俺って、ありすの復讐に利用されていただけなんだ……。


 がっかりした。幻滅した。

 そう思う気持ちも確かに大きい。



 ――でも俺はそれ以上に、ありすから貰った気持ちを考えると、次に言う台詞は決まっていたんだ。


 俺は泣きじゃくるありすを見上げ、ニッと歯を見せて笑った。


「……じゃあ、母ちゃんとありすのパパには感謝しないとな」


「――えっ」


「俺とありすを出逢わせてくれて、ありがとな、って!!」


 驚いたありすの表情。

 じわじわと再び目元に涙が溜まっていく大きな目。


「悪いけど、俺も性格悪いんで。母ちゃんの倖せよりも、自分の倖せを優先するわ。絶対に、この恋は譲れないから」


「……斗真くん……!!」


「だから、諦めないよ。俺、ありすが居なくならない様に足掻くから。だから、ありすも負けないでよ」


「……な、なんで? なんでなの? なんでこんな私を好きだと言ってくれるの!? 斗真くんに迷惑ばっかりかけて、何もあげられてないのに……!」


「……違うよ。ありすは俺にいっぱいくれたよ。最初は嘘だったかもしれない。でもさ、ありすは俺に愛をくれた。俺と手を繋いでくれたし、笑ってくれた。子守り歌も歌ってくれた。俺が眠る時に俺を包み込んでくれるのは、ありすだけだから」


 ありすは泣き続けた。

 それから落ち着くと、ぽつりと言った。


「お願いがあるの」

「うん」


「もし、もしもね、私がいなくなっても……あいらとは仲良くしてね」

「え?」

「斗真くんも分かっているでしょ? あいらが斗真くんの事が好きな事」

「う……やっぱり……そうなのか……な」

「私、あいらが大好きなの。あいらは斗真くんと同じくらい大事。そんなあいらには一等、誰よりも倖せになって欲しい。だから、ずっとずっと仲良くしてあげて欲しいの。あの子、そういう大事な事は絶対に言わないから」


「……うん、分かった。あいらの事は大切にするよ、絶対に」


 ありすは安心した様に、微笑んだ。

 しかし、しばらくすると墜ちる様に眠ってしまった。

 俺は水面みなもに揺られて眠るありすを見届け、すぐそばのテントに戻ろうとした。


 すると、テントの前にはあいらが居た。


 両手を握りこぶしをつくり、仁王立ちするあいら。

 小刻みに震え、俺を強く睨みつけた。


「あいら、いつからそこに……」

「ぜったいに、仲良くしないから!!」


 俺の言葉を遮って、あいらは叫んだ。


「お前となんか、ぜったいに、ぜったいに、仲良くしてやるもんか!! お前は私の大嫌いな奴で、大好きなお姉ちゃんの彼氏で、ずっと二人でお姉ちゃんの取り合いの喧嘩するんだから……!!」


 あいらの叫びに、俺はハッとした。

 あいらは「もしも」も考えたくないのだ。ありすが居ない世界を。

 仲睦まじい姉妹。その絆は俺なんかじゃ作れない。

 そのいじらしさに、優しさに、涙が零れた。


「うん、そうだよな……」

「ぜったいに、ぜったい!」

「うん」

「お前となんか、一生仲良くしなから!!」

「……うん、うん」


 俺があいらの頭を撫でると、彼女は悔しそうにポトポトと涙を零して泣き出した。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る