第10話


 俺と博士は野口さんが運転するヘリに乗り、夕日島から一番近い有人島である八丈島にやって来た。


 夕日島と同じ様に自然豊かな島だが港があり、灯台があり、コンクリート道路に民家が立ち並ぶ人が生活する島だ。久しぶりに博士以外の男も見た。

 ちょっとホッとする。

 早川博士はレンタカーで黒い軽自動車を借りて、カーナビをセットすると目的地へと走り出した。

 木漏れ日の差す森林道を、車は長閑のどかに走って行く。



「……博士。今から会いに行く佐久間さんという人は、一体、どんな人なんですか?」

「夕日島に『アオユウヒ』を移植した人の孫」

「アオユウヒを、移植……?」


 そのまま車は30分ほど走り、親王しんのう椰子やしやハイビスカス、ブーゲンビリアが咲き乱れた集落に辿りつくと、高い石垣で囲まれた木造の平屋の前で車は止まった。


 玄関へ続く庭先へと入れば、土間玄関と板の間、障子の先の居間まで、プライベートな部分が丸見えの造りになっている古民家があった。


 早川博士が板の間から身を乗り出し「こんにちはー!!」と大声を上げると、奥から男性が現れた。丸眼鏡をかけた細身の男性。博士と同じ30代前半に見える。エクボを見せて、俺達の来訪を歓迎した。


 俺たちは板の間から居間へと通されて(隣に玄関があるというのに)、キンキンに冷えた麦茶を貰った。とても冷えていて、美味しくて、一気飲みしてしまう。飲み終えて吐いた息まで冷たい。


 博士の設定だと、俺たちは絶滅危惧種の植物を研究している大学教授と生徒という名目で、佐久間さんに話を伺う事になっているようだ。


 ありすの事は他人の耳に無闇に入れたくないからだ。


「――ええっと、先生たちは祖父が夕日島に移植したアオユウヒについて、お聞きしたい事があるんですよね?」


「はい。数十年前まではこの八丈島でも咲いていたというアオユウヒ。なぜ、おじい様は夕日島にすべて移植をされたのか。気になって」


「いやぁ、ボクもね、実物は写真でしか見たことないんですよ。今日話す事だって、この祖父の手記の内容ですし……」


 と、俺たちの前に色褪せた手記を差し出した。

 承諾を得て博士が手に取る。めくろうとすれば紙は劣化していてページがくっついている。そっと破かない様に指を入れると、パリパリと音を立ててページが開かれた。少しでも力を入れたら粉々になりそうだ。


 「お、この手記……」博士が何かに気がついてひっくり返す。手記には背表紙がなく、途中で手記がちぎれていたのだ。佐久間さん曰く、この手記は最初から半分に切れていたそうだ。

 ちぎれて見えた最後のページ、一つの大きな丸が雑に鉛筆で書かれていた。

 ページの上には小さくNの文字。

 そして、丸の左下に小さく✕印があった。


 詳しく覗き込もうとすれば、佐久間さんが話し出す。


「つる化の植物ってね、繁殖力も強くて根付いちゃうと作物を作っている農家にとっては強害な雑草なんですよー。特にアオユウヒの繁殖力は凄かったんですって。放っておくと島中が青い花だらけになってしまった事もあるらしくて。そこで島民が祖父に根絶を依頼したらしいんですよ」


 確かに夕日島も現在は異常に増殖している。あれが有人島で起きたら生態系が崩れてしまうだろうし、作物も育たないだろう。


「ボクも貴方達が来るって言うんで、初めてこの祖父の手記を読んだんですよ。そしたら、すごくビックリした事実がありまして。アオユウヒってしべが無いそうなんですよ」


「雌しべが、ない!!?」


 博士がその言葉に身を乗り出した。

 俺だって、しべが何なのかくらいは分かる。

 ふつうの植物はしべから出る花粉としべが受粉して花が咲いて実やタネを結ぶ。


 そのための主軸がないとは。

 一体、どうやってアオユウヒは繁殖をするんだ。

 あの大量のアオユウヒはどっから生えたんだ??


「ええ。しべの様に見えているものは、アオユウヒの『擬態雌しべニセめしべ』なんですよ。つまりアオユウヒは世界的に見ても稀な奇形種なんです。なのに、どうやって子孫を増やし大量発生するのか。謎ですよね。当時の島民は気味悪がって『アオユウヒには近づくな。子を産む女は嫉妬されるから近づくな』っていう言葉もあったそうです。アオユウヒはしべがないから、女に嫉妬する。そんな迷信もあった様です」


「……聞けば聞くほど、気味が悪い花ですね」


「不思議な花でしょう? このまま根絶させるのを惜しんだ祖父が研究目的で夕日島へと移植したらしいんです。植物学者だった祖父はアオユウヒの特異な性質にとても関心があったそうです。しかし移植して数か月後、夕日島で研究に没頭している間に不慮の事故で死んでしまったそうです。……祖父が亡くなる前、まだ幼かった私の父は、アオユウヒの伝説を祖父からよく聞いていたそうです」


「アオユウヒの伝説?」

「アオユウヒは【願いを叶えてくれる花】らしいのです」


「……願いを?」


「ええ、その昔。一人の島乙女が身分の高い男に恋をしたらしいのです。その男と添い遂げたいと願った島乙女はいつも傍に咲く青い花に涙を零したそうです。するとその花は乙女の涙を吸い取り、青く輝き、島乙女と男を夫婦にしたそうなんです」


「……願いを叶える力……」


 以前の俺だったら、こんな昔話は信じなかったと思う。

 でも俺は確信する。


 アオユウヒが、ありすの願いを叶えたんだ。


 確かにありすは俺に言ったんだ。

 お花の神様にお願いしたって。


「しかし、この話の恐ろしいのは、この島乙女が結婚してしばらく経った日の事です。ある日、この乙女は突然死んでしまったんです」


「……!!」


「夫となった男が仕事から帰ると、島乙女が倒れていて、家の回りにたくさんの青い花が咲き乱れていたそうなんです。男は慌てて島乙女に駆け寄りましたが、息が絶えていました。その時、男は微かに聞こえたそうなんです。『ヨカッタネ』『ヨカッタネ』と誰かが囁く小さな声を。そしてその島乙女の涙から一粒のアオユウヒの種が生まれたそうです……」



 想像しただけで、眼の前が真っ暗になった。



 ――その後、俺は佐久間さんの話が耳に入らなかった。

 博士は何か口を動かしていたし、二人は夕日島の地図を見てメモを取っていたようだが、俺はありすの成れ果てを想像しては、項垂うなだれるばかりだった。





 ◆




 佐久間さんの家を後にして、少し早い夕ご飯を食べるために道中にあった展望台で休憩した。

 高台にある展望台。八丈富士に八丈小島が一望出来る。

 きっと観光で来ていたならば写真の一つでも撮りたくなる風景だが、今は手元に置かれたおにぎりしか見えなかった。

 博士が俺のために握ってくれたおにぎり。

 いびつで、ソフトボールぐらい大きい。

 隣で博士はそれを頬張りながら、独り言のように呟いた。


「……蜂の中にはさぁ、寄生バチと言って卵を他の生き物に寄生させて産ませる事例はあるが……あの花も同じって事か。願いという蜜をぶら下げて、寄主きしゅを苗床にするつもりだなんて…………ひでえ花だぜ」


「博士……ダメなんでしょうか。ありすはもう願いを叶えて貰った。だから、アオユウヒの種の温床になるしかないのでしょうか……?」


「……」


 博士が黙ってしまった。


「例えば、俺がアオユウヒにありすを助けて欲しいと願えば……」


「……憶測だけどさ。アオユウヒは繁殖器官を持つ生体にしか願いを叶えないと思う。願いと自身の繁殖が等価交換なんだ。男の俺や斗真君じゃ無理だろう。……逆にこの話が真実ならば、ありすちゃんのために集めた女性達が危ない。一刻も早く夕日島から避難させないといかんな」


 やがて野口さんが迎えに来る時間となり、完全に日が暮れる前には夕日島に戻った俺たち。


 博士は「……とにかく、今はありすちゃんの傍に居てやってくれ。俺は佐久間さんのおじいさんが残した手記の半分を探す」と言う。驚いた。


「この手記の半分が、この島にあるんですか?」


「俺はさ、残りの手記は佐久間さんのおじいさん自身が「破り捨てた」と考えていてさ」


「なぜそんな事を??」


「分からないが、この切れた手記の最後のページの絵、殴り書きみたいなやつ、他のページは万年筆で綺麗に書かれていたのに、このページだけが鉛筆書きで「急いで書いた」様に見えた。これは、佐久間さんのおじいさんが誰かに何かを伝えたいけれど、表立って伝えられないメッセージがある様に思えてさ」


 博士は佐久間さんの持っていた手記を撮影したスマホ画面を俺に見えた。

 例の鉛筆書きの絵だ。


「これは夕日島の全体図なんだろう。そして、このページ上に書かれたNが方向の北を示すならば、この左下の×印のところに何かがあると思うんだ」


 博士の目が強く確信めいていた。

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