第9話

 その日以来、あいらの様子が変だった。


 ありすのところへは来るものの、完全に護衛に徹するというか。ライフル銃を背負い、俺とありすが遊んでいてもその光景を見守っていることが多くなった。


 今日も海で俺とありすが遊んでいるのを海岸からじっと見ている。それまではいつでもあいらの視線はありすだった。

 しかし、あの日以来、なんとなく俺を見ている気がする。


 ――最初は己惚うぬぼれているのかと思った。


 けれど、何度も視線を感じて振り向けば、そっぽを向くあいらがいる。その横顔の頬は、いつもほんのりと色づいていた。


 ――あいらの視線は俺たちの関係に良くない兆候だと思った。

 ありすはこんな状況だ。動けない。

 三人の関係がこれ以上拗れない様にするためには、俺が物理的に離れるしかないのだ。


 でも俺は離れたくないし、本土へ帰りたくもない。


 しかし、時間は有限で。

 あと一週間で夏休みが終わる。

 そうなれば俺は本土へ戻って学校へ行かなければならない。

 傍に居てあげたい。勉強だってここから出来る様にして貰いたい。でも今の俺はありすの家族じゃない。特別措置をして貰える存在じゃないのだ。

 俺にだって母ちゃんは居るし、バイトだって無理言って休ませて貰っている。

 俺自身もたくさん勉強しなくちゃならない。

 ありすが元の大きさに戻ったら、同じ大学に通うのが俺の目標なんだから。


 だから今だけは。

 あいらがどんな感情を持って俺を見ていたとしても、この場所は譲れなかった。あいらの気持ちを無視するしかなかった。

 気付かないフリをするしかなかった。





 ◆




 それから二日後の事。

 太陽が真上に昇る時分に、夜の見守り役の早川さんが昼間なのに俺とあいらを呼びに来た。


 本土から来た大量のスイカをありすのところまで運ぶのを手伝って欲しいと。

 ありすの大好物らしい。それは運んであげたい。

 でもわざわざ寝ていた早川さんを起こして来なくても、呼びに来るのはありすの母親でも助手の倉田さんでも良いはずだ。

 不審に思いながらも早川さんにありすの見守りを任せて、俺たちは山を登る。

 あいらと相変わらず――いや、以前とは違った緊張を持ちつつ、無言でベースキャンプへ向かう。


 ベースキャンプは女性だらけな上に、声の大きい博士のせいで、いつも賑やかだった。

 しかし、今辿り着いたベースキャンプは静寂そのもので。

 怪しむ俺たちを待っていたのはスイカではなく、ありすの主治医の勅使河原てしがわら先生だった。


 早川博士や倉田さん、他の助手さん達も集会場にしている中央の小屋に集まっていた。簡易折り畳みの長机が二列に並び、パイプ椅子が添えられている。学校の会議室の様だ。

 教壇の部分に勅使河原先生が立ち、前列の机に腕を組んだ早川博士とありすの母親。

 後列は倉田さんと助手さん二名が座っていた。

 座る様に促されて俺は後列に、あいらは母親の隣に座った。


 いつも早口でせっかちで、でもベテラン医師らしい頼もしさも兼ね合わせている勅使河原先生。

 朝一と夕方にありすの往診に来ては、他愛無い世間話をしながら彼女の体調をてきぱきと確認していた。

 勅使河原先生は、俺が座ったのを確認すると一呼吸置いて話しだした。


「みなさんに集まって貰ったのは、ありすちゃんの体について、重要なお話があります」


 いつもと違った、ゆっくりとした口調で話す勅使河原先生。


 ――嫌な予感がよぎる。


 早川博士が腕を組み天を仰ぎ、貧乏ゆすりを始めた。カタカタと机が揺れるが、その事に誰も言及しない。

 それよりも、勅使河原先生が告げる言葉を聞き逃さない様に、意識を前に向けている。ありすの母親の顔は曇り、あいらも口をきつく噤んだ。


「……五日前から、ありすちゃんの食事量が急激に減りました。それに伴い、彼女の体が僅かですが小さくなっています」

「えっ!! それ……それって、お姉ちゃんが元に戻ろうとしているって事!?」


 あいらが立ち上がり、興奮し、食い気味に勅使河原先生に尋ねた。

 しかし、周囲の無言……重い空気にあいらは戸惑い、周囲を見回した後、居たたまれなくなって、勅使河原先生の続く言葉を待った。


「他にも睡眠時間の大幅な増加、筋力低下、極度の疲労が見られます。この症状、私が多くの患者に関わってきた経験からすると…………ありすちゃんの、彼女の命が尽きようとしている、と考えています……」



「…………え?」



「ありす……の?」



 堰を切った様に、ありすの母親が机に項垂れて泣き崩れた。

 それにつられて、周囲の女性たちも静かに涙を零す。

 早川博士は、悔しそうに眉を顰めている。


 俺と、あいらだけが、茫然とその場に固まっていた。


「今の進行状況だと……早くて一週間。それが彼女の命が尽きる時だと考えています」

「そんな……!!」


 一週間で……ありすが死ぬ!?


 そんな馬鹿な。

 だって、ありすはさっきだって、元気そうに笑っていたんだ。

 そんな訳がないじゃないか。


 あいらが突然、その場から外へと飛び出した。

 思わず立ち上がり、後を追う。

 彼女は一人きりになりたくて飛び出したのかもしれない。でも直感で、後を追わなければいけない気がしたんだ。


 あいらは道無き道……ありすの居る海岸とは反対側の海岸まで走り、砂浜で足を引っかけて転んだ。

 俺は慌てて彼女を起こそうと近づくが、あいらは上半身を起こすと顔中砂まみれで、何かに謝罪した。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!許して、神様、お願いします、許してくださいっ……!!」

「あいら、一体、何に謝って……?」


「罰が当たったんだ!! 神様はっ、私の気持ちを許さなかったんだ!! だからって、お姉ちゃんにこんな仕打ち……酷い、ひど過ぎるよぉ!! 罰を与えるなら、私にしてぇええええ!!」

「あいら、落ち着けっ!」


 砂だらけの彼女の細い両腕を掴んだ。俺を見つめる双眸そうぼうからは、留めどない大粒の涙が零れている。

 なんて小さな体。庇護欲に駆られて抱きしめたくなる。

 思わず掴んだ手に力が入ると、あいらの表情はすっと強張り冷たくなった。俺の手を振りほどき、拒絶した。

 それから、ヨロヨロと数歩先へともつれ込む様に倒れると、その場で吐いた。


「あいら……!?」

「うえ、げほ、げほっ……」

「あいら、大丈……」

「近づくな! 私に、近づくなよぉおおお……!!」


 困惑した俺の元へ、あいらの母親がやって来た。

 母親はあいらに駆け寄り、背中をさすり介抱している。

 更にそのあとから早川博士がやって来た。

 咽び泣く母娘の姿を見て、深く息をついた後、


「……あいらちゃんは、お母さんに任せておこう。斗真君は……俺と、ちょっと来てくれよ」


 あいらと駆け抜けて来た鬱蒼とした原生林を早川博士とトボトボと歩く。

 数歩先を歩く博士は、突然足を止め、しゃがみ込めば、その場に咲いていたアオユウヒを一輪手折る。


「……ありすちゃんが衰弱しているのは、俺も分かっていた。真実を君達に告げて、不安にさせたくなかったんだ。……でもな、俺は諦めないぞ。斗真君だってそうだろう? きっと、この花に秘密がある。大きくなったのだって奇跡なんだ。この状況を覆せるような奇跡は、きっとある!」

「奇跡……」


「斗真君。今日の午後のヘリで一緒に来てほしいところがある。……見つかったんだ。俺がずっと探していた、アオユウヒに詳しい人物が……!!」


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