第8話


 ――夕日島に来てから七日が経った。


 出来る限り、ありすと一緒に過ごす毎日。

 最初は早川さん達の小屋で寝泊まりしていたが、ありすと一緒に居たくてテントを一つ、俺専用にして貰っていつもありすの傍にいた。

 慣れないサバイバル生活は不便さ、未知の虫と、亜熱帯の暑苦しさとの戦いだったが、それでも此処に俺がいることだけが、ありすへの愛情だと思った。


 俺に出来るのは行動だけ。それだけがありすに対する誠実さだと思ったからだ。


 昼間はありすの肩に乗って移動したり、海で遊んだ。そしてその反対側の肩にはあいらがいた。

 お互い、ありすの取り合いといった感じだろうか。つまり、三人で行動する様になったのだ。


 結局、三人で離島冒険にも行ったし、海水浴も磯遊びも三人でした。そしていつも俺とありすが良い感じになると、あいらが拗ねた。

 それを慰めるのがありす。


 これが当たり前になっていた。


 その日も日暮れまでありすとめいっぱい遊び、夜に早川さんがやって来ると俺とあいらは風呂に入りに山を登って行く。


 この時間だけ、あいらと二人きりになる。


 ありすと居ればウルサイあいらだけど、この時間は決まって静かだった。

 あんなにうるさかったのに……いきなり会話が無くなるのも、なんとなく気まずくて。

 だから、会話を探している内に余計な事を尋ねてしまったんだと思う。


「あのさ」


 突然、俺が話しかけると、前を歩くあいらの小さな肩があからさまにビクリと震えた。振り返るあいらの焦った表情。


「なっ、なんだよ! 急に声掛けんな!」

「あ、ごめん」

「べ、べつに良いけどっ!?」


 なんだか二人だと、会話のリズムが狂うな。


「気になってたんだけどさ……。二人のお父さんってこの島に来ないね。仕事か何かなのかい?」


 ヘリコプターは五日に一度本土から、小型船は三日に一度近隣の島から、夕日島にやって来る。

 主に食料や日用品の輸送のためだ。

 国からの支援らしい。

 だから、物理的に夕日島に来られないという理由はない。だからこそ仕事が多忙だとか、何か理由があるのだと思っていた。

 しかし聞いてすぐ後悔する。あいらを取り巻く空気が重くなるのを感じた。


「あ、ご、ごめん。言いたくないなら、言わなくていいから」

「なら聞くなよ!!」


 そう言って、スタスタと歩き出した。


 ……そうか、父親の事は地雷だったか。

 どうしてだろうか。仲が良さそうな家族写真があったのに。反抗期かな。 

 しかし、あいらが不機嫌になるなら、会話に出すのはもう止めよう。


 更に気まずくなって、無言で山道を歩いていると、ポタと水滴が頬にあたった。

 気のせいかと見上げれば、もう一滴、額に当たる。


「雨が」


 と呟いた瞬間、遠くでゴロゴロと雷鳴がした。

 次の瞬間、暗い森林を青白い光が照らした。


「きゃああああああ!!」


 つんざく悲鳴。

 あいらはその場にしゃがみ込み、頭を抱えた。

 雷の容赦ない重低音が島中に響いた。

 さすがに俺も屋外で、しかもこんな原生林だらけの山中だと恐怖を感じる。


 ……ありすと早川さんは大丈夫だろうか。


 踵を返して二人の様子を見に行こうと海岸へ戻ろうとしたが、怯えているあいらを置いていく訳にもいかなくて。


 雨は一気に強くなり、土砂降りになった。

 更に、ピカッと光った空。

 俺は慌てて、悲鳴を上げて歩けなくなったあいらに覆い被さった。

 あいらはびっくりして俺を見上げた。

 しかし、また重低音と共に、雷が落ちる音がした。

 俺の胸に収まるあいらが「ひゃあああ」と声を上げた。俺にしがみついて。


 ……怖いよな。

 男の俺でも怖いんだ。あいらが怖がるのも無理はない。


 体が大きい分、ありすはもっと怖いだろう。俺たち以上の恐怖を感じているはず。

 俺はあいらに「ありすが心配だ、見に行ってくるから、ここでしゃがんでいられる?」と尋ねると、あいらの俺のシャツを引っ張る手が更に強くなった。


「やだ、やだ、やだぁ! 一人にされるくらいなら、一緒に行く!!」


 まるで駄々っ子の様に、首を振って俺にしがみついた。

 ちょっと可愛いと思ってしまった。


「分かった。一緒にいこう」


 それから二人して肩を抱き合い、低姿勢のまま、恐る恐る海岸へと戻る。

 光っては立ち止まり、あいらは絶叫。更に光っては叫ぶを何度かそれを繰り返す内にありすの居る海岸にまで辿りついた。


 ありすは海中に這い蹲っていた。頭だけが海岸から覗いていた。

 その傍には早川さんも居る。


「ありす!」

「あ、斗真くんにあいら!!」


 あ、予想外。

 思った以上にありすは笑顔で元気な声を上げた。

 早川さんの方が怖がっていたくらい。


「ありす、早川さん、大丈夫か?!」

「う、うん、私はなんとか……」

「斗真くん、見てみて! 光った瞬間がとっても綺麗!」


 その瞬間、再び雷が鳴り、あいらは絶叫する。

 俺に抱きつくあいら。もう藁でもなんでも縋りたいのだろう。

 その光景を見て、ありすは震えるあいらの背中を手で優しく包んだ。


「ほら、あいら。お姉ちゃんのとこにおいで」


 あいらは、その手に包まり「ひゃああああ!!」とまた声を上げた。

 そんなあいらを慈しむ様に見つめるありす。


「あいら、昔っから雷が苦手なのに……。来てくれたんだね」


 そのあいらを包む姿は神聖で慈愛に満ちていた。二度雷が鳴り響くと次第に雨が弱まり、雷鳴が遠のいていった。




 ◆




 それから、ありす達に再び別れを告げて、山道を登る俺とあいら。いつもはあいらが先頭でズンズンと歩いていくのに、今は逆。

 俺が先を歩き、あいらは俯きながらトボトボと歩いている。


 あまりに元気がなくて、心配になる。

 まだ雷が怖いのかもしれない。


 山中で少し拓けた場所に出た。

 すると、雷雲の去った空には一面の星空が覗いていた。今宵は新月。光を遮るもののない星は瞬き、流れ星がいくつも流れた。その光景は息を飲むほど美しく、自然の壮大さに鳥肌が立つほどだった。


「あいら、上を見てよ! すごく綺麗な……」


 星空、と言いかけた俺をあいらが見つめていた。

 あまりに真剣な目つきで、真っすぐ見つめられている。

 俺もその目に音を吸われて、言葉を続きを紡げなくて、あいらを見つめてしまった。


 やや釣り目で体もスレンダーだけど、本当によく似ている姉妹。その姿に、付き合い始めた頃のありすを思い出してしまう。


 だから――あの頃のありすを思い浮かべて、俺は少し笑ってしまったのだと思う。


 すると、あいらの顔がくしゃりと醜く歪んだ。

 絶望したように怯えるあいらの表情。


「……!! ちがう……ちがうんだっ。こんな……こんなのは、絶対に嫌だっ!!」


 そう叫び、俺を通り抜けて駆けていく。


「あいら!?」


 あいらは泣いていた。

 雷は去ったのに。まだ泣いていた。


 ……なぜ?


 俺はこの時、あいらが何を自覚して、何に絶望したのか、分からなかった。


 ――ただ、なんとなく絡まって取れない糸が更に拗れる様な気がしたんだ。


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