第7話


 それから、丸一日海で遊んだ俺たち。


 ありすの手に乗り、カモメと一緒に空を飛び、そのまま海に飛び込んだ。


 背泳ぎするありすにのって、宛てもなくぷかぷかと海に浮かんで日焼けした。


 ありすの肩に乗ってイルカの群衆を見に行った。


 今の二人で出来る遊びをたくさんした。


 日焼けしてヒリヒリと痛む背中に夕日を浴びながら島に戻ると、そこには早川さんとあいらが岸辺で待っていた。

 早川さんは笑顔で手を振ってくれて、あいらは腕を組み仏頂面をしていた。


「おかえり! 楽しかったようね!」


 と声を掛けた早川さんに対して、


「お姉ちゃん! 今日は一緒に隣島まで冒険に行こうって言っていたのに……!」


 と、大切なものを奪われた子供の様に頬を膨らませて、あからさまに拗ねている仕草をするあいら。


「ごめんね、あいら。明日は一緒に行こうね」

「桐谷はついてくるなよ!!」


 びしりと指を差されて同行を阻止された。


「はいはい。じゃあ、みんなご飯にしようね」


 島に降り立つと強烈なカレーの匂いがする、と思ったら直ぐ側に移動式の巨大な大釜があり、そこにこんもりとカレーライスが乗っていた。

 ありすのご飯の様だ。

 俺たちにも無人島には不釣り合いなラーメン家が使う出前用のおかもちがあり、その中からカレーライスを取り出した。


「ありすちゃん達のお母さんと、倉田さん達が作ってくれた力作だよ!」


 みんなでレジャーシートを広げ、カレーを食べる。ありすは崖を机にして、ショベルカーの腕を使って食べていた。

 なんて大釜カレーにショベルカースプーン。なんてワイルドなんだ。でも頬をもちもち動かして食べている姿はとても可愛い。


 それぞれが美味しいカレーに舌鼓を打っていると、遠くの方からブオォーンという金属音が響いた。

 ありすはハッとして、ショベルカースプーンを大釜に置いて、身を守る様に体を屈めた。

 突如、周囲に緊迫した雰囲気が漂う。すると、スプーンを咥えたあいらが急に持参していたらしい黒いケースから、細長い黒い銃器を取り出しドローンに向かって構えた。


 ライフル銃だった。


「え、ええええ!?」


 俺が一人で驚いている間に、あいらは標的に照準を合わせ、引き金を引いた。ドローンは煙を吹き出しながら海上にボッチャンと落ちた。


「……夕方に来るなんて、油断した」


 硝煙が漂うライフル銃を下げたあいらはそう呟いた。戸惑う俺に早川さんが答えてくれた。


「ここに来るまでにありすちゃんの事、マスコミに見られちゃっているんだよね。奴らとしてはありすちゃんの事をネタにしたいわけ。だからあんな風にドローンを飛ばしたり、中にはただ単にすけべ根性で飛ばしてくる一般人もいてさ」


 ここ数年でドローンの飛行距離は飛躍的に伸びた。

 ここから一番近い有人島や船からだったら、高性能ドローンであれば、この夕日島まで飛ばすのだって可能だろう。


「奴らは昼間に飛んでくる事が多いんだ。だから必然とお姉ちゃんと昼間一緒に居る私がクレー射撃を教わって、撃退係になったんだ。あ、もちろん、国から特別許可は貰ったよ」


 なんて、サラッととんでもない事を言う中学三年生のあいら。


「お姉ちゃんの悪は、私が全部倒す!」

「た、頼もしい〜……」


 無い胸を張るあいらに、はにかむありす。

 とっても嬉しそうだ。きっと二人は昔から仲の良い姉妹なんだろう。

 それから、夕食を再開し四人で談笑しながら食べ終わるとすっかり空は真っ暗になっていた。

 一旦、ありすの見守りを早川さんに任せ、俺とあいらはベースキャンプに戻ることにした。今夜はありすと一緒に居る事にしたけれど、とりあえず俺は風呂に入るためだ。


 行きは下り道だったが、帰りは道無き道を登るという結構ハードなコース。

 身軽なあいらは、カンテラを片手に慣れた足取りでどんどんと登っていく。

 夜目にもポニーテールが揺ら揺らと揺れている。


 そのポニーテールが突然止まった。


「……あの、さ」

「な、なんだい?」


「……お姉ちゃんさ。お前が来てさ……嬉しそうだった」

「そっか。なら、良かった」


「……す……」


「す?」


「す……す……すっごく、すっごく、すっごく、すっごく、すっごく……悔しいけど!……お前が来て、良かった……よ」


 そう言うと、あいらは再び足軽に獣道を登り始めた。

 思いがけない言葉に驚いて足を止めていると「早く来いよ!」と促され、俺は足を進めた。

 道は険しくて、歩きづらくて、怖かったけれど、なんだかさっきよりも足が軽くなった気がした。




 ◆




 風呂に入るために早川さん達の小屋に戻れば、早川博士が一人、大盛りカレーをもりもり豪快に食べていた。


「おう!! 彼女とのデートは楽しかったか?」

「はい。楽しかったです。でも、みなさんがありすのために色々と研究している時に俺ばっかり遊んでいて……」


 博士はカレーにらっきょを乗せてバクリと頬張ると、スプーンを咥えたまま「いいや! 違うぞ」と米粒を吐き出しながら答えた。


「お前さんは、ありすちゃんと遊んでくれ! 斗真君の仕事は、あの娘を元気にすることだから。あ、いや、仕事だなんて言っちゃいけないか。とにかく、難しい所は大人に任せとけ!!」


 米粒を口から吐き出しながらサムズアップする博士。


「あの、ありすは……どうなんですか?」


 テーブルに散らばった米粒をティッシュで拭いている博士に尋ねる。

 博士は俺と目を合わせず「アオユウヒの事は聞いたか?」と聞き返したので俺はありすから聞いた話をする。


「ありすちゃんの症状は……だ。ただね、斗真君がこの島に来た時、アオユウヒが咲いているのが見えただろう?まるで、彼女を歓迎するように」


「……ありすを歓迎する……?」


 博士はテーブルから手を伸ばし、乱雑に重なった青ファイルの一番上を取った。

 そして、パラパラとめくると俺に見せた。


「これはこの島に来た頃の夕日島だ」

「アオユウヒもまばら……?」


 そこには夕日島を上空から撮った写真があった。

 今の様に、島がアオユウヒの青で覆われているわけではなく、点々とアオユウヒらしき花が咲いているだけに見える。


「ありすちゃんがこの島に来てから、急激に数が増えている。この現象も含めて、もっと植物に詳しい先生も近々来る予定だ」


 博士達がこの島に来たのだって、ほんの一週間前。

 その間に増える量ではない。爆発的な増え方はまるでウイルスの様だ。気持ち悪い。博士はそんな俺の顔を覗き込んだ。

 そしてポンポンと肩を叩かれた。


「……そんな顔すんな。さっきも言ったが、これは大人の仕事だ。お前さんがそんな顔していたら、ありすちゃんが不安がるだろう」

「は、はい」

「うん、お前さんが不安なのも、十分分かっている。でも、お前さんはそんな事は気にせず、あの子の光になってやってくれよ。暗いところは俺たちが何とかするからさ……」


 博士の言葉をもどかしく感じながら、風呂に入った俺は再びありすの居る海岸へと降りていく。

 きっと博士は、俺に精神的な負担を負わせない様に何度も励ましてくれたのだと思う。でも、実際はその言葉に安心しつつも、もどかしく思う自分も居て。

 その気持ちが何なのか分からないまま、俺はありすが居る海岸へと下る。


 海中で体育座りをして輝く満月を眺めるありすと、その傍でキャンプしている早川さんが居た。

 早川さんは気を利かせて、二人で話して来いと俺たちを海の先へと追っ払う。

 俺はありすの肩に乗せられて、夕日島から少し離れた海中へと進む。

 遮るもののない、凪いだ黒い海は黄色い月をそのままに映し出し、光の黄金の道を作っていた。

 美しい光景を焼き付ける様に、言葉をなくしていると、


「ねえ、斗真くん。……キスして、欲しいな……」


 ありすが小声で俺に囁いた。

 俺はありすの肩から立ち上がり、大きな頬に軽く口付けた。

 すると、ありすは俺を手のひらに乗せて、今度はお互い唇にキスをした。

 ありすは息を止めている様だった。きっと彼女が息をしたら俺は吹き飛ばされてしまうから。

 唇を離したありすは涙ぐんでいた。


「……悔しい。すごく悔しいよ……。斗真くんと、もっと色んな事したかった。些細な事で良かったの。手を繋いで公園を歩いたり、図書館で受験勉強したり、時間が許す限り駅やバス停でジュースを飲みながらおしゃべりしたり……。それに、キスだけじゃない、もっと大人の恋愛も……したかったな」

「なんで過去形なんだよ。ありすが元に戻るために、博士達が頑張っているのに!!」

「……うん」

「まだ諦めるのは早いからな」


「うん、そうだよね。……ねえ、斗真くん。もしも……」

「うん?」

「もしも、私が元の大きさに戻れたら……私と大人の恋愛もしてくれる?」

「えっ?!」

「してくれる?」

「う……うん」


 ありすは微笑んだ。

 俺の頭に頬を摺り寄せた。


「今日は一緒に寝ようね」

「え?」

「おっぱいに挟まって寝てもいいよ?」

「えっ?!……いや、その……」


 答えを渋る俺に、ありすの表情が青くなる。


「も、もしかして、私の事、はしたない女の子って思った……?」

「違う、おっぱいは嬉しいよ! 俺が戸惑ったのはそこじゃなくて……」

「どこなの?」


「……俺、誰かと一緒に寝るなんて、十年ぶりで緊張する」


 俺は自分の生い立ちを話した。

 父ちゃんが幼い頃に死んだ事。そのせいで母ちゃんがいつも居なかった事。

 それを静かに聞いていたありす。

 無表情のまま、ぽつりと言った。


「……酷い母親」

「え?」


 しかし、すぐに笑顔になり、


「じゃあ、子守歌を歌ってあげる。小さい時のあいらもね、こうすると眠ってくれたんだよ」


 ありすはゆっくりと自分を傾けると、胸元へと俺を導いた。

 緊張しながらも、その柔らかい谷間に横たわると、ドクンドクンと彼女の心臓の音が強く響いた。決して静かではないのに、すごく安心するのは何故なんだろうか。

 よく母体の中にいる赤子は胎内音で落ち着くというが、そういう感じなんだろうか。

 そして、ありすは歌う。

 黒い海に響く、優しく囁く歌声。


 うっすらと目を開けてありすを見上げれば、微笑む優しい笑顔。

 その姿に俺は静かに安堵し、涙が零れた。

 なんて優しい時間なんだろうか。


 俺は眠る。

 ありすの愛を感じながら。

 そして、俺はそんなありすを心から愛おしいと思うのだった。


 出来る事なら、俺も彼女を包み込んであげたい。

 そう願わずにはいられなかった。






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