第5話
早川さんから連絡が来たのは、その日のバイトが終わり、家に戻って冷蔵庫から麦茶のペットボトルを取り出した時だった。
ラインアイコンは朝顔みたいな青い花。どこかで見た事ある気がしたが、その時は早川さんから連絡が来た事に意識がいっていて、あまり気にしなかった。
まず、彼女からの内容は『やっほー!』と喋る白猫のスタンプが押してあった。
それから本題。
『桐谷君、こんにちは。あれからバイト行っている? 新しい人はもう入った? 突然の連絡びっくりしたでしょ? ちょっと気になる事があって、連絡をしました。――桐谷君、「ありす」という女の子を知っているよね?』
その名に、ごとんと麦茶ボトルがテーブルに落ちて横倒しになる。
……なぜ、早川さんが、ありすの名前を?
俺は素早く返信する。
『知っています』
『もしかして、付き合っていた彼女って、ありすちゃんですか?』
俺は震える手で『そうです』と打ち始めた。
ありすちゃん、と書いてあるという事は早川さんとありすは顔見知りという事になる。
すると、早川さんから電話が掛かってきた。
文字を打っていた勢いで、通話ボタンを押してしまった。
『もしもし?……もしもーし? 桐谷君??』
俺は観念して、スマホを耳に当てた。
「……はい、お久しぶりです」
『久しぶり。とは言っても、一週間だけどね!』
明るい早川さんの声が電波越しに届く。
「あの、ありすの事……」
『ねえ、桐谷君。バイト休みをとって、私の島に来れないかな?』
唐突に、そんな事を言われた。
◆
――それから二日後。
国が管理する無人島・夕日島へ飛ぶヘリコプターに乗っていた。
夕日島。
全長一キロに満たない小さな無人島。
希少な野生動植物が多く、国が生息地保護区として管理しているらしい。
ヘリコプターを運転するのは野口さんという三十代後半の女性パイロット。
母ちゃんと同い年なのに、落ち着いている雰囲気。母ちゃんが年の割りに若作りなのかもしれないが。
乗っているのは、俺以外だと早川さんの旦那と同じ大学の研究員だという倉田さんという二十代前半の女性と、年配の勅使河原さんという女性医師。
つまり、女性ばかり。
勅使河原さんと倉田さんは陽気な性格で、すぐに仲良くなって他愛無い世間話をしていた。
そんな中、一人大きな黒リュックを抱え、縮こまっている俺。
何となく女性ばかりの空間に息が詰まる思いがした。
「もうすぐ、夕日島に到着します」
パイロットの野口さんがアナウンスする。
俺は窓から前方を見やればこんもりとした、お椀型の山になっている島が見えて来る。島は緑の草木以外に――青い花が多いのだろうか。全体的に青色が見える。
ヘリコプターは人工的に作られた頂上にあるヘリポートに停まった。
そこで待っていたのは、早川さんと――真っ黒に日焼けし、筋肉質で濃い顔立ちの男の人が立っていた。羽織る白衣とのコントラストが眩しい。
「桐谷くーん!!」
降り立つ俺を手を振って出迎えてくれた早川さん。
深くお辞儀をした。
早川さんの隣に居た男の人は、倉田さんと勅使河原さんと何やら親密そうに話している。どうやら知り合いらしい。
「長旅お疲れ様。ベースキャンプはここから少し下った所なの。……あ。あの白衣に黒いのが、私の旦那。一応大学で博士やってんの」
倉田さん達と話し終えた、旦那さんはこちらへとやって来た。
「君が斗真君か! 僕は早川賢一。植物希少種の進化生態学を専攻している!」
がしりと俺の右手を掴んだ。なんて強い力。握力いくつあるんだろうか。
俺たちは集団となって、獣道を下っていく。
鬱蒼とした森林。ありすと学校帰りに歩いた雑木林とは比較出来ないほど、物騒で緑が濃い本当の山道だ。雑草が鋭利な刃物の様に刺さる。呑気にハーフパンツで来た事を後悔するほどに。
しばらくすると、青い屋根のプレハブ小屋が見えてきた。ここがベースキャンプらしい。
数えて五つ。一列に南を向いて並んで建っていた。
「私と旦那の家はここ。桐谷君も、ここで泊まってネ」
左端の家に案内された。
中は2DK。玄関から一段上がった先は六畳の畳部屋が二つ。板の間のキッチン。その奥にトイレと洗面所があった。
「お風呂は、ここから更に下った先に天然温泉が湧いているからね」
荷物を置くと、早川さんは俺に飲み物とお弁当、水着だけ持つように指示し「ついて来て!」と俺の腕を引っ張った。
プレハブ小屋を横切って歩いていく。
俺たちの隣の小屋に勅使河原さんが入って行く。中央の小屋はひと際大きく、集会場の役目かもしれない。更に隣の小屋には倉田さんと、他に妙齢の女性が二人居た。
みんな女性ばっかりだ。
そんな時、ちょうど一番右端のプレハブ小屋から、タンクトップに短パン姿の少女が飛び出した。
揺れるポニーテール。
あいらだ。
血の気が引く俺。
あいらもまた俺を見て、目を見開き、それから険しい顔つきになった。
あいらはズンズンとこちらへと近づき、俺に詰め寄った。
「なんで……。なんでお前が此処に居るの!? なんでだよ?!」
「あ、あの、それは……」
「あいらちゃん、私が呼んだの」
「美津さんが!?」
あいらは早川さんを一瞬見上げ、それから再び俺を睨みつけた。
「美津さん!! なんでこんな事したの!?」
「だって、ありすちゃん……桐谷君に会いたがっていた」
早川さんはぽつり、と呟いた。
「あいらちゃんは、昼間の……笑うありすちゃんしか知らないでしょう? 私は夜間にありすちゃんを見守る役目だから、知っているの。ありすちゃん、いつも泣いているんだよ。いつも同じ方角を見て。暗闇で見えないと思っているんだろうね。静かに、さざ波の音に紛れて、泣いているんだよ」
早川さんの目が、俺を見つめた。
「最初は住んでいた街を思い出して泣いているんだと思っていた。でも、少し前に小さく「トウマくん」って呟いていて。……私、あいらちゃんがあの日、バイト先の桐谷君の所へ来た子だとその時に気が付いて。ありすちゃんが思いを馳せているのが君だと気が付いたんだよ」
「でも、でもこいつ……! 大きくなるお姉ちゃんを見て、ビビッて逃げた男だよ!? そんな奴、いまさら会わせるなんて……!!」
「あいら」
騒ぎに背後からあいらの母親が駆け付けた。
「あのね、早川さんには私からもお願いしたの」
そして、母親は俺に頭を下げた。
「あの日、あんな風に追い返してごめんなさい。あの時は私たちも、いっぱいいっぱいだったの。でも、あの日、ありすが貴方を追い出したのは、怯えた貴方に絶望していたんじゃない。貴方に迷惑かけたくないから、あんな風に追い出したって気が付いて…………。今更、こんな図々しいお願いをするなんて、貴方に何度頭を下げても、謝っても、許してくれるとは思えないけれど……お願いします、お願いします。ありすに、一目でいいから会ってあげてください。……ありすはもう「普通の女の子の人生」は歩めないから……せめて……」
ぽたぽたと母親の足元に水滴が落ちる。
「顔をあげてください」
母親がゆっくりと涙で濡れた顔を上げた。
そして俺は言った。
「ありすさんに、会わせてください」
そのために、この島に来たのだから。と心で呟いて。
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