第11話:大追跡―Great Chace―

 ライダーはヤナドラゴから得た情報のとおり、開店前のデイグリム・アケボノ信用金庫ウグイスダニ支店の近くに来ていた。空き地に空間偽装で身を隠し裏口を見張っていると、いつものように信用金庫の名前の入った馬車が裏口に到着し、警備員に守られた多数のジュラルミンケースが行内に入って行くのが見えた。輸送体系を変えたというからにはさぞかし警備が厳しくなっているかと思ったが、いつものようにすんなり運び込まれていくのを見て、ライダーは拍子抜けする。


「油断しているのか、学ばないのか? 『襲ってください』と言わんばかりの警備状況だな」

「マア、ジョウホウガモレテイナイトオモッテイレバ、コンナモノダロウサ」

「それより、何だ今日の街中は?! 流鬼富の輸送用大型トラックが大挙して走っているから、走り難くてしょうがない!」


 〝銀弾〟が通りに目をやると、多数の輸送用トラックが路肩を埋め尽くしているのが見える。


「ゲツマツダカラナ、ユソウリョウモフエルッテモンダ」


 月末、五・十日、二十日締め、月末締め……


『ニンゲンタチガツカウコトバヲ、フツウニツカウヨウニナルトハ、ユメニモオモワナカッタナ』


 無機質な赤く光る眼を曇らせて、〝銀弾〟は自嘲しているようだった。ライダーが見ている中、カネを運び込んだ馬車が帰って行く。


「開店したら突っ込むぞ、準備しよう」


 ライダーが解除キーで開いた封印箱から流れ出た〝銀弾〟は、ライダーとバイクを包みこむと空間偽装を解き、空き地から勢いよく走り出した。表通りに飛び出すと、ハデなスピンターンを決めて信用金庫の入り口に突進する。


 グワシャーン!


 入り口のガラスは粉々に吹っ飛び、〝銀弾〟は行内に突入した。


「ゴウトウダ! ゼンインオトナシク……」


 そこまで言って〝銀弾〟は思わず黙り込んだ。行内はまったくのもぬけの空だったのである、足を組みカウンターにエレガントに座った一人を除いて。


「『いらっしゃいませ』と言うんですの? サービス業の経験はありませんので、うまく言えませんわ……ゴメンあそばせ?」


 枢女は魅惑的に微笑んで、〝銀弾〟を迎えた。あっけにとられた〝銀弾〟だったが、すぐに我を取り戻しベネリM3ショットガンを枢女に向けてバンバンバンと3連射する。イナーシャシステム=慣性利用機構のおかげで、連射はスムーズで、一発目の薬莢が未だ宙に浮いている間に既に3発目が発射される。しかも弾は以前枢女が喰らった不可視の魔弾だ。


 だが枢女が目にも止まらぬ速さで右手を動かしたと思うと、全ての弾頭は枢女の手に握られていた。しかもひしゃげた状態で、である。


「バ、バカナ! 不可視ノマダンダゾ! ナゼウケトメラレル?」

「あらあら、私を誰だと思っていらっしゃるの? マギテラの真祖が一人、カミラ・カミンスキーゆかりの者ですよ?」


 枢女の顔からは微笑みが消え、真顔を向けている。


「不可視=視えないのならば、音を聞けば良いのです。この神羅月枢女、同じ屈辱を二度は受けません」


 枢女はそう言うと握りしめ一塊にした弾丸を、〝銀弾〟の額に向けて投げつけた。


「!」


〝銀弾〟は頭を捻じって、際どいところで直撃を避ける。枢女の投げた塊が壁に大穴を開けるのを見て震え上がった〝銀弾〟は、慌ててターンを決めると飛び込んで来た入り口から飛び出した。下町の入り組んだ方に行こうとしたが、道路はトラックに塞がれている。


「クソッ、ナンダコレハ?!」


 〝銀弾〟は躊躇しなかった。完全にハメられた今の状況では、ひたすら逃げるしか他に道がない。加速しながらも〝銀弾〟は何とか路地に入ろうとしたが、道路の交差点という交差点、路肩という路肩に流鬼富のトラックが停められて、脇道に入ることが出来ない。誘導されるがままに道を旧・入谷交差点に向かって行くと、交差点のど真ん中にバイクに乗った一人の人物が立っている。〝銀弾〟は速度を落としてその人物の前に停車する。


「よう、待ちくたびれたぜ」


 RZ350にまたがった、シーナの姿がそこにあった。茫然とシーナを見つめている〝銀弾〟だったが、大音量で響く放送によって現実に引き戻される。


「みっなさーん! 大変お待たせしました、ようやく役者が揃いました! これより〝銀弾〟VS(バーサス)ブシ・警視庁第十三魔法機動捜査班のガチンコ勝負が始まります!」


   ◇


 かつて〝秋葉原〟と呼ばれていたオウフォリフィルド・アキハバラの高速道を見下ろせる、中央線という電車が走っていた高架橋に設置された特設スタジオでは、エルフのアナウンサーが声を張り上げている。


「わたくし、今回のレースの司会を務めさせて頂きますアナウンサーのフィルミド・ルーツリーでーす! 宜しくお願い致しまーす!」


 高速道路を眺められるビルに陣取った観客たちから歓声が上がる。


「隣に座っておられるのは、今回のレースの主催者で流鬼富グループ代表取締役社長、流鬼富・恵瑠・ミストラル様です!」

「宜しくお願い致します」


 ミストラルは優雅にお辞儀してみせる。


「しかし流鬼富様、今回のこのイベントはかなりの短期間で各方面の協力を取り付けるなど、ご苦労もあったようですが……」

「いえ、警察の皆様も含め、ことのほかスムーズに快諾して頂けましたよ、うふふふ」


 ミストラルの脳内に交渉の様子が思い浮かぶ。


   ◇


「レースですって?! いきなり尋ねてきたと思ったら、なにを言っているんですか?!」


 ウォブラバリィ・ウグイスダニ署の署長室から、大声が署内中に響き渡った。応接質のソファーに鷹揚に腰掛けたミストラルは、その大声を聞いても上品な佇まいを少しも崩さない。


「ええ。お互いの意地をかけたレースがしたいというのですよ……『こんな時代に』と粋に通じるものを感じ、協力を引き受けました。御署にもご協力頂けると大変助かるのですが……」

「し、しかし!」

「もちろん、タダでとは申しませんわ。お金ではさすがに差支えがありますので、『来月一か月分の署の食材を寄付する』と云う事で如何でしょうか? あくまで善意の寄付と云うことであれば問題はないでしょう。それに今回は合同政府にも働きかけて、公営ギャンブルとしての許可も取り付けました。参加すれば、ちょっとしたお小遣いにはなりますよ?」

「……本当にうまく行くのかね?」


 ウォブラバリィ・ウグイスダニ署のオオタケ署長がくゆらせていた煙草を灰皿に強く押し付け、もみ消しながらつぶやく。


「大丈夫だ、流鬼富グループは確約してくれた。」


 と、ウストニュウエル・ニシアライ署のチュージョー署長が言葉を受ける。


「レースもだが、〝銀弾〟の方はどうなんだ? レースをやりました、逃がしましたではメンツが立たんぞ?」

「……わしを信じてもらえないか……」

「……いいだろう、そこまで言うなら協力しよう」


 その言葉を受けてチュージョー署長は心の中で祈っていた。


『あとは……シーナ、お前さんのウデ次第だ、頼んだぞ』


   ◇


「さらにそのお隣は、バイクレース解説のフルスロットル=タナカさんです、宜しくお願い致します!」

「宜しくお願い致します!」


 白いTシャツの上に派手なアロハシャツ、スラッとしたデニムのパンツを粋に着こなした短髪の男性が明るく応えた。


「ルールは簡単です! 入谷インターからこのスタジオのある高架まで、先に着いた方が勝ちです! 〝銀弾〟が勝てば、そのまま高速を抜けて逃亡してもよいということです! シーナ警部補(仮)が勝てば、賞金として流鬼富グループより賞金100万マギ円が送られます!」

「安くないか! おい!」


 入谷方面からシーナの怒号が響く。


「なお、今回のレースは流鬼富グループが公営ギャンブルとして開催しております! 皆さま、まだ間に合います! 奮ってご参加ください!」


 ルーツリーが言うまでも無く、多くの観客の手にはすでにレース券が握られている。


「スターターはミス・スタンドフット・アダチにも選ばれた、サウザンジュ高校いちの美女、塩崎麗羅さんです!」


 シーナと〝銀弾〟の前にレースクイーンの格好をした麗羅が、チェッカーフラッグを持って歓声と共に現れた。観客に向かって朗らかな笑みを浮かべる麗羅を見て、シーナは思わず口笛を吹いて苦笑する。


「麗羅、またファンが増えるな」

「仕事よ、仕事!」


 麗羅はふてくされた顔をして舌を出すが、気持ちを切り替えて真剣な面持ちでチェッカーフラッグを高く掲げ、シーナと〝銀弾〟に向き直る。


「レディ?」


 シーナも〝銀弾〟も空気抵抗を減らすべく、低い姿勢でバイクに取り付く。軽くスロットルを緩め、同じくクラッチを握る手も緩めた。


「Go!」


 麗羅の掛け声とともにフラッグが振り下ろされる。その瞬間、シーナと〝銀弾〟の間に激しい火花が散り、わずかだがシーナのスタートが遅れた。


「シーナ!」

「心配すんな、麗羅! ブチ抜いてみせるぜ!」


 エコーがかった捨てゼリフを残して、シーナは走り去っていった。


   ◇


「スタート寸前に、シーナ警部補(仮)と〝銀弾〟の間に火花が走りましたが、あれは何ですか?」


 ルーツリーが怪訝そうに尋ねると、ミストラルがすかさず答えた。


「〝銀弾〟が体の一部を目に見えないぐらいの細い針状にして、シーナさんを攻撃したようですね。シーナさんが対抗魔術で防いだため、火花が散ったのでしょう」

「スタート時の緊張した一瞬にそんな攻撃を仕掛け、またそれをコトも無げにしのぐとは……〝銀弾〟もシーナ警部補(仮)もやりますね!」


 タナカが唸ってみせる。


「で・でも、レースですよ? 汚くありませんか?」

「レースではありません、真剣勝負なのです」

「その通りです、フラッグが振られる前から勝負は始まっているのです! フフフフフ……」

「よく解っていらっしゃいますね、社長! フフフフフ……」


 ルーツリーは二人の笑いを聞いて、心底肝を冷やしていた。


『こいつら、イカレてるわ!』


 ルーツリーはアナウンサーとしての意識を以て平静を取り戻すと、実況に戻った。


「さ、さてシーナ警部補(仮)と〝銀弾〟はアプフィルヂ=ウエノのカーブに差し掛かります。タナカさん、このカーブはいかがですか?」

「いや別段難しいというわけでも……いや、ちょっと待ってください?! 空間が歪み始めました! こ、これは!」

「な・なんですかタナカさん、道路が何かとてつもない形に変形しましたよ?」

「こ、これは! あの伝説の鈴鹿サーキットのS字コーナー?! こんな高難度なコースを具現化出来るのか!」

「両者、コーナーに突入します!」


 シーナと〝銀弾〟はコーナー直前で軽くブレーキを掛けると、『コン・コン・コン』とリズムよくギアを6速から3速へシフトダウンし、転倒スレスレまで車体を右に傾け最初のコーナーをクリアーしていく。


 目の端で地面の縁石が流れていくのが見えるが、気にしてはいられない。すぐに左コーナーが迫ってくるのが見え、両者とも筋力と滑らかな体重移動で、今度は車体を左に傾け美しいシルエットで、タイヤでなぞるようにコーナーを駆け抜けていった。


「両者、なんなく鈴鹿のS字カーブを抜けて行きました! タナカさん、いかがですか?」

「いや、見事ですね! 〝銀弾〟の人と車と魔物が一体となったライディングテクニック、素晴らしいモノがあります! 同時にシーナ警部補(仮)のテクニックも目を見張るモノがありますね、あのRZ350は只のバイクではありませんよ?!」

「え? え? それはどういうことですか?」


 タナカの考察に、ルーツリーは目を丸くして聞き返した。


   ◇


 そのころ〝銀弾〟も気付いていた。自分が運転者の身体能力を増幅し、マシンの性能をいかんなく発揮させているにも拘らず、あの白バイ警官の女はそれに匹敵する……いや、それ以上の性能を引き出している。


『何か必ず秘密があるに違いない……』


 そう思って〝銀弾〟がシーナのRZ350を眺めていると、おかしなことに気が付いた。これだけ性能をフルに発揮しているというのに、マシンの排気音や駆動感が薄い気がする。まるでこの世の物ではないかのようだ……そこまで〝銀弾〟が考えたとき、道路上に何かが散乱しているのが見えた。


〝銀弾〟とほぼ同時に直線に入ったシーナも、コース上に散りばめられた障害物が目に入った。少しテクニックが要るが、躱すのには特に造作もない……と思っていたら、いきなり障害物が爆発し始めた。どうも魔法力を感知して爆発するようで、近くに寄ると盛大に爆風を上げる。


「ミストラル! あのクソ女、なんてことしやがる!」


   ◇


ズガーン! ズガーン!

「おおーっと! 直線コースに入った両者の周囲で次々と爆発物が炸裂しています!」


 道路上に散りばめられた障害物が次々に爆発するのを見て、ルーツリーは戦慄した。


「ちょ、ちょっと、やり過ぎではないでしょうか?」

「見た目は派手に爆発して見えますが、あれは映画などの特殊効果用の火薬です。対人地雷や対戦車地雷のような破壊力は在りませんので、その辺はご安心ください」


 ミストラルは目の前で起こっていることに全く動揺も見せず、コメントする。


「しかし実際に爆発しているんですよ! 運転に影響はないんですか、タナカさん?」

「わたしの若い頃には、子供向けの特撮番組やテレビドラマでも爆発シーンは日常茶飯事でしたよ! 要はいかにコースを見切って走り抜けるかですね!」

「仮面〇イダーV3のオープニングの爆発シーンは芸術的でした!」


 タナカのコメントに、ミストラルまでもがウキウキと話を合わせるのを聞いて、ルーツリーは戦慄を覚える。


『怖い! この人たちコワイ!』


 しかし仕事である限り、中継は続けなければならない。ブラウン管モニターに目を戻したルーツリーは驚くような光景を目にした。


「こ、これは! スゴイ! 両者スピードを上げて、魔法力を感知される前に通過しています! 地雷は両者の後方で破裂しています!」


   ◇


 シーナも〝銀弾〟も、チマチマと躱すのをやめていた。本物の地雷と違い、モノは道路上に見えているのだ。ならばコースを決めて、爆発する前に高速で走り抜けてしまった方がダメージは少ない。二台は二つの弾丸となってコースを駆け抜けていた。


『タノシイ!』


 今〝銀弾〟は心の中に広がる歓喜の波に打ち震えていた。地球の人間というのはなんと愉快な道具を開発していたのだろう!


 だが、その時、ふたたび疑念が大きく膨れ上がった。


『追跡しているヤツは、なぜ自分たちについてこれるのだ?』


 こっちは魔獣とバイクとライダーの合体……マギテラの魔法と地球の技術の融合体だ。そんな人外の存在に、いかに自分の攻撃をやすやすとしのぐ様な魔女であっても、マシンの性能をここまで上げられないはずだ。〝銀弾〟はちらと並走するシーナとバイクを見る。……やはりおかしい、バイクの存在が霊的なものに感じる。しかも神性を帯びた神々しい存在だ。まじまじと目を凝らしてみると神性を帯びたバイクの中に、霊樹の存在を感じる。


「マ、マサカ!」


 そんなことが出来るのか? それはまさに神のみが行える行為ではないか?


「マサカ、バイクヲツクモガミ(付喪神)ニシテ、ホウキニヒョウイ(憑依)サセヤガッタノカァァァァァ!」


   ◇


「そんなことが出来るんですか? RZ350を付喪神にするなんて!」


 ブシ・警視庁の地下駐車場で、シーナは思わず声を上げていた。


「うん、だって〝銀弾〟は上等な魔物だものぉ。対抗するにはこっちも魔術的な対抗措置は取っておかなきゃねぇ」

「でも……」


 シーナは思わず口籠もる。神憑りにする、と云う事は存在自体を神に昇華させることだ。備品とは云え、せっかく手に入れることが出来たRZ350を、霊的存在にするのはあまりにもったいないと思うのは当然のことだった。


「シーナちゃんの気持ちも、もちろん解るわぁ。でも治安を守るのが警察の役目よ。これ以上の不法行為を止めるためにはやむを得ない措置だと思うのぉ……」

「…………」


 シーナは思わず唇を嚙みしめて俯く。


「言い出したのはシーナちゃんよぉ、よく考えてちょうだいぃぃぃ」

「シーナ……」


 枢女にはシーナのためらいが解る。あれほど大事にしてきたのだ、愛着たるや並大抵のレベルではない。だが、シーナは決然と顔を上げた。


「やりましょう。あの〝銀弾〟のクソッタレを止めなきゃいけない……それが大事なことは利用されたRZ350が一番よくわかっているはずです」

「分かったわぁ」


 度美乃はホッとして答える。


 シーナはRZ350の前に行くと、跪いてそっと触れた。


「伝説が神様になっちまうなんてな……気軽にツーリングなんか出来やしねえ」

「シーナ……」


 枢女にもシーナの気持ちはわかる。自分が運転しなかったとはいえ、あれほど軽快であれほど楽しい乗り物は、融合体の枢女でも経験がない。


 心配そうに見つめる枢女の前で、シーナはすくっと立ち上がった


「お願いします、菅竈由良警視」


   ◇


 聞いたことが無い! 何百年も経た道具ならともかく、数十年しか経ていない地球の機械を付喪神に、神に昇華させるなど、どんな人物が行ったというのか?!


 驚愕に動揺した〝銀弾〟はスタート時の勢いを無くしていたが、それは憑りついている〝銀弾〟だけのせいはなかった。〝銀弾〟が憑りついているライダーは、スタート段階から既に戦意が欠けていたのだ。


『おいおい、何だこの展開は! オレはカネが目当てなんだ、こんなヤバい展開に付き合ってられるか!』


 弱気の虫は鈴鹿のS字コーナーを抜け、特殊効果用地雷を駆け抜ける間にドンドンと膨れ上がっていた。


『くそ、ゴールまであと少し! この間を先に駆け抜けて、逃げちまえばいいだけだ!』


 そんな弱気な虫を抱えたライダーの目の前で、ふたたび空間がぐにゃりと曲がって行く。


「な、なんだありゃあ!」


 シーナも思わず声を上げていた。


   ◇


「おーっと、皆様ご覧ください! 私たちの眼前の空間がねじ曲がって行きます! こ、これは! 360度回転コースターのようなコースが目の前に現れたぁぁぁぁぁ!」

「す、すごい! これだけの空間歪曲を実現出来るなんて、どれだけの魔力が? いや、もはやこれは神の仕業としか言いようがありません!」


 ルーツリーとタナカが目を丸くして驚いている横で、ミストラㇽがうつむいたまま震えている。


「ど、どうしたんですか? ミストラルさん?」

「……うふ……うふふ……うふふふふふ……」


 微かな含み笑いはやがて笑いになり、そして大爆笑にと変わった。


「あーははははは! とぼけた顔してあの警視、やるじゃない! シーナ、私の与えた試練を、みごと越えてみせてちょうだい! ははは、あーはっははははは!」


 笑い転げるミストラルを、ルーツリーとタナカが唖然として見つめていた。


「タ、タナカさん……」

「ええ……マジヤバい展開ですね……」


  ◇


「菅竈由良警視! あのお調子者がぁぁぁぁぁ!」


 シーナは吠えると、障害物を避けるために戻したスロットルを全開にした。


   ◇


「いいんですか? あとでシーナに絶対、噛みつかれますよ」


 ゴールに向かう黒死号の中で、枢女が度美乃をたしなめる。


「だってぇ、ミストラルちゃんが『その方が絶対面白い』って言うんだもぉぉぉん」

「それでシーナが負けたらどうするんですか?!」

「大丈夫、シーナちゃんは絶対負けないわぁ」

「なんでですか!」

「〝愛〟があるからぁぁぁ」


 意味不明な度美乃の答えに、枢女は唖然として言葉を失う。


「……勝手にほざいていてください」

「てへぺろ?」


   ◇


 空間を歪めて出現したループに、シーナと〝銀弾〟は迷うことなく突入した。魔術とドライビングテクニックと気合の三つの要素を駆使して、重力に負ける前に、勢いループを通過すればよいのだ。


「うおおおおおおお!」


 高速を絞り出したエンジンの振動によってブレるバイクを、シーナは両脇と太ももでしっかり抑え込みループに走り込む。走行による慣性が重力に勝り、RZ350はループを駆け上って行った。


 今この時、シーナの頭の中からは度美乃への怒りも〝銀弾〟への対抗心もすべて消え真っ白になった。ただひたすらコースに向かって邁進する、無我の境地に入ったのである。


 だが残念ながら〝銀弾〟は違った。まず物理的に重量が違いすぎた。750ccを超える排気量は市中を走る時には大きなアドバンテージになるが、それを支えるボディーの重量は曲芸のようなこのレースにはマイナスだったのである。


 そして何より欠けていたのは冷静な判断と根性ガッツである。〝銀弾〟のライダーには、このループを超えられるか否かを判断できなかったのだ。


 これがお互いを信じあった魔獣と人とマシンの融合体であれば、このループを超えて行くのも可能だったかもしれない。しかし、所詮は金目当ての犯罪急造チームである〝銀弾〟にそんなものがあるはずも無い。根性も無く、支え合う意識も無く、技術もない〝銀弾〟はループの頂上付近で勢い=慣性が重力に負けて、落下していった。


「アアアアアアアアアア!」


   ◇


 一心不乱に走るシーナには、周囲の状況などまったく感じていなかった。


 周囲を埋め尽くした群衆とその歓声も、スピーカーから響くルーツリーの実況も、落下していく〝銀弾〟の姿も悲鳴も。今のシーナには感じられなかった。神格化してもなお激しく振動するバイクを両足と腕で必死に抑え込み、自分を道路から引き剥がそうとする重力に速度と慣性で打ち勝ち、溶接されたように固定されたライディングスタイルを執るシーナの視線の先に映る景色は、目の前のただただ真っ直ぐな道路だけだ。


   ◇


〝銀弾〟は、バイクと人と魔獣が完全に分離し、バラバラになった状態で眼下の道路に落下していった。落下していく中、〝銀弾〟の赤い目に自分が憑りついていたバイクが映る。その瞬間、〝銀弾〟の脳裏に今までに無い想いが浮かんだ。


「コンナタノシイモノヲ、ウシナッテナルモノカ! コノキカイダケハ、マモラナケレバ!」


 〝銀弾〟はとっさの激情に身をまかせ、落下するバイクをその身で包んだ。これでこの機械を守れるか自信はないが、これが今自分に出来る精一杯の事だった。いくらマギテラの魔獣とはいえ、この高さからこの機械の重量を支えたまま落下すれば無事では済まないだろう……逃げまどう人々が居なくなって、無機質に広がる〝あすふぁると〟とかいう地面を見ながら『マタはしレタラ、イイナ』そんな事をふと思う。


 だがその時、奇妙なことがおこった。自分たちが落下する地点に、紫色のゼリー状の物体が出現したのだ。


 ライダーも〝銀弾〟が包んだバイクも、その物体に包まれるように着地した。しかし、着地した瞬間のバイクの重量による衝撃はそのままだった。


「グエエエエエ!」


 〝銀弾〟は衝撃を受けて、悲鳴を上げる。魔術的コアが破壊されそうな衝撃だったが、〝銀弾〟はなんとか耐えしのいだ。


   ◇


集中しているシーナに、その時はやって来た。自分を引きずり降ろそうとする重力が徐々に消えていき、道路に伝わる駆動力がより確かに感じられる。


『ループが……終わった?』


 道路の先に白い帯が見える。その瞬間、シーナの意識にすべての状況が流れ込んで来た。高速道路を見下ろせる場所を埋め尽くした群衆、もとJR高架に陣取った放送席にはルーツリーと知った顔の解説者、そしてミストラルのくそヤローの顔も見える。目に入った白い布には〝GOUL〟の文字。その文字がだんだんと大きくなり、バイクの先端が帯をはねる。帯が風に流れて舞った時、高架下から大量の紙吹雪が舞った。


「You Win! シーナ巡査部長(仮)の勝利です!」


 ルーツリーの宣言と同時に、シーナに賭けていた連中の勝利の雄叫びと、〝銀弾〟の勝利に賭けていた連中のうめき声が絶妙なハーモニーで轟いた。


   ◇


 ゼリー状の物体は水分が抜ける様に徐々に縮んでいき、〝銀弾〟とバイクは静かに地面に横たわっていた。ライダーは白目をむいて、気絶した状態で横たわっている。


 衝撃で身動きの取れない〝銀弾〟の耳に、聞き覚えのある声がする。


「枢女ちゃんの魔法は防げなくても、人助けには使えたわぁぁぁ」

「警視の魔法も、〝たまには〟役に立ちましたわね」

「〝たまには〟ってなにようぉ! ぷんぷーん!」


 力なく顔を上げた〝銀弾〟の眼に、枢女と度美乃の姿が目に入る。視線に気が付いた枢女は〝銀弾〟の方を向いて話しかける。


「身を挺してバイクを守ろうとしたその行い、粋に通じますわ……わたくしの相棒はあなたのその行いを高く評価し、罪一等を減じるよう働きかける事でしょう」

「アンタノアイボウトイウノハ……アノオンナシロバイタイインノコトカ……」

「ええ」

「ツタエテクレ……」

「?」


 怪訝そうに見つめる枢女に、表情など判らないはずの〝銀弾〟が明らかに楽しそうに言った。


「……『マタイッショニ、ハシロウ』、ト……」

「承りましたわ」


 枢女は感慨深げに頷いたあと、高速道路を見上げた。


   ◇


 ゴールに到達したシーナだったが、なぜかアクセルを緩めることなくガードを突き抜け、走りすぎて行く。


「……あれ? シーナ巡査部長(仮)が停車しませんよ?」


 ルーツリーが走り抜けるシーナを見てつぶやく。確かにシーナはブレーキを掛ける様子がない。


「……気分が高揚したままなんでしょうね……」


 タナカが言う通り、シーナは走り足りなかった。このまま中央環状線に入ってそのまま飽きるまで走りたかった。しかし、その衝動を止めたのは〝しがらみ〟だった。


 クォーンクォーンクォーンクォーン


 相棒の枢女が、上司の度美乃が、友人の麗羅が、ウストニュウエルの人々が脳裏に浮かんだとき、シーナはゆっくりとブレーキングしながらギアをダウンさせていき、やがて停車した。


 数百メートル離れたゴールではまだバカ騒ぎが続いている。だがそんなバカ騒ぎこそ、〝バイクを全開で走らせる〟という自分のひとつの夢をかなえさせてくれたのだ。だがそこまで思った時に、胸に別な思いが走る。


 〝いつか自分が夢をかなえた時、今自分を取り巻いているすべては敵になる〟


 幸せなバカ騒ぎを眺めるシーナの胸にそんな思いがよぎる。だがその思いを、シーナは「フッ」と自嘲したような笑みで吹き消した。


「昨日は昨日、今日は今日。〝明日〟なんて、そんな先の心配なんかしたってしょうがないか。何があるかなんて判らないんだからな」


 シーナは派手にスピンターンを決めて、バイクをUターンさせる。


「さあ、取り敢えず愛すべきクソッタレどものところに戻るとするか」

 〝クォン〟とアクセルをふかしシーナは来た道を戻って行った。


   ◇


 一台の装甲トラックが幹線道路を一般車両や市民を威嚇し搔き分けながら、アウターリング目指して爆走していた。頑丈な鋼鉄で覆われた荷台では、ありったけの現金を組から持ち出してきたヤナドラゴが、震えて座っていた。


 〝銀弾〟が捕まった今、捜査の手が銀行襲撃を指示したヤナドラゴに伸びるのは確実である。そんなものを悠長に待っているほどヤナドラゴはバカではなかった。組の金庫にある現金・財宝ほか金目のものはすべてアタッシュケースに詰め込んで、組員たちの目を盗み逃げ出してきたのである。


 なんということもない、このカネを持って、マギテラ時代のようにアウターリング外のどこかの洞穴に隠れていればいいのだ。いまでも一獲千金を目論む〝冒険者〟と云われる集団もいないことは無いが、経済がこれだけ発達した世界では少数派だし、あの女警官たちのような化け物でもない限り、簡単に負けることもないだろう……そこまで考えて、少し安堵したヤナドラゴの耳に、運転していた手下の絶叫が届いた。


「く・組長!」

「どうした?!」


 荷台と運転席の間の連絡用小窓を開けて前を見たヤナドラゴの目に、一人の少女の姿が目に入る。何かの紋様の入ったヘアピンで前髪を留め、相変わらず一部のスキも無い清楚な姿の流鬼富・恵瑠・ミストラルが、百メートル先の道路の真ん中に現れたのである。


 おかしい……ミストラルはオウフォリフィルド・アキハバラの特設スタジオに居るはずだ。


「くそっ、スタジオに居るのは分身か! このままぶつけちまえ、ひき殺すんだ!」

「へ、へい!」


 手下がアクセルを踏み込み、加速する。ミストラルはその様子を眺めても顔色ひとつ変えずに、左手を伸ばした。曲げた小指を親指でキープし、デコピンの姿勢をとる。真剣な面持ちで、暴走する装甲トラックがデコピンの間合いに入るのを待つ。


 加速したトラックはすぐに伸ばした腕のすぐ前に到達した。わずか数センチ違えばデコピンは威力を発揮しないというのに、ミストラルはその数センチの距離を刹那につかみ、放った。


 ズゴン!


 ミストラルのデコピンは、小指一本だというのにとんでもない威力だった。装甲トラックは対戦車砲に撃たれたように大穴を開けて前後がひしゃげ、踏み潰した空き缶のような姿になってしまう。あまりの衝撃に装甲板を止めていた鋲はすべて抜け落ち、構成していた外装全ての装甲板は握りつぶした紙切れのような姿で、ガランガランと大きな音を立てて道路上に落ちて行った。


 ヤナドラゴは、まるで潰れた缶から中身が絞り出されるようにして後方にころがり落ちる。衝撃で人の姿を保ってなど居られず、元のドラゴンの姿をさらした状態で地面に叩きつけられた。


 とても信じられない、あの華奢な姿にこれほどの力と魔力が備わっていようとは!


「り・理不尽だぁぁぁぁぁ!」


 叫んだ瞬間、ミストラルの美しいスラッとした足が顔面に叩き込まれた。


「三下ドラゴンが、ずいぶん好き勝手してくれたわね……」

「は・はわ! お・お許しください! ア・アタッシュケースの金は差し上げます! いのち、命だけは助けてください!」


 あくまで媚びへつらうヤナドラゴの言い様に、一瞬きょとんとしたミストラルだったがすぐに満面の笑みで答える。


「イヤですわね、わたくしがそんな簡単に命を粗末にするわけがないじゃありませんか」


 『いつかスキを見て逃げ出してやる』と思いながら懇願するヤナドラゴに、満面の笑みを邪悪な微笑みに変えたミストラルが応える。


「貴重なドラゴンの血は、死なない程度に搾り取ってやります……ああ、腕と足は無くても生きていけるわね……精肉して売り飛ばしましょう。内臓も必要最低限だけ残して代替機能を持つ寄生生物を埋め込んで、細胞の一つ一つまでその命、有効に活用させてもらうわ……ふふ、ふふふ、ふふふふふふふふふ……」


 その笑いを聞きながら、ヤナドラゴは自分が最悪の結末を迎えたことを知り、気を失った。


申方さるかた

「はい」


 申方と呼ばれた優男が近付いてくる。


「こいつをウストニュウエル・ニシアライ署に放り込んで来なさい」

「良いのですか? 仰るように、血肉の全てを利用した方が、こんな三下ドラゴンでも少しは役に立ちます」

「どうせこのあと泣きを見る人がいますから、少しでも施してあげましょう」

「受け取りませんよ?」

「ウストニュウエル・ニシアライ署の署長が、うまくとりなしてくれるでしょう」


 配下の者がヤナドラゴの金の入ったアタッシュケースを拾ってくる。


「お嬢様、この金はどうしましょう?」


 ミストラルはちらと眺めて首をかしげる。


「表沙汰にできないお金はどうしようもありません。お金はお金、大事にしないとね。こちらで頂いておきましょう、命の対価とみれば安いものです」


 ミストラルはそう言って、先程の邪悪な笑みとはうって変わった美しい微笑みを浮かべた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る