勇者
試験
目の前には正中に剣を構えた騎士が立っていた。
年は聞いていないが見たところ三百をいくらか超えたところで、防具の類は軽装ではあったが、その防具の質を見るに安物ではないのは確かだろう。しかし鉄仮面をしていないその表情は明らかに困惑していた。眼前に立つ私に対してどういう振る舞いをしたらいいのかわからないのだろう。いや、振る舞いというか『戦い』と言ってしまった方が早い。
なんでも彼はコスト子爵の私兵騎士団の団長をしているそうで、冒険者で言えばその実力は確実にBランクはあると言われているそうだ。
うららかな午後。豪奢な屋敷の庭先にはいくらかの人が私たちの『戦い』を見やっていた。
唯一用意された椅子に座るのはこの屋敷の主であるコスト子爵。
そして並ぶようにして、カートゥンのリーダーをやっているというレオノラ。私を直々にこの場に立たせることになったロキアと、そんなロキアと同じBランク冒険者のファール。
そんなカートゥンの面子は面白い余興を見やるような余裕に溢れていたものの、一歩下がった位置にいる女中や騎士団員たちは緊張した顔をしている。
おシノちゃんもフロースタは女中たちと同じ位置から私と騎士団長を見やっていた。私がこの戦いにどう始末をつけるのか興味があるらしい。
「ほ、本当に全力でやって良いのだな?」
騎士団長が若干震えているように思う声で問うてくる。
「全力でやるように。少なくとも私は先ほどコスト子爵やカートゥンの皆さまからそうおっしゃられたので、久方ぶりに全力でやってみようかと思っています」
そんな私の答えに、「はは……っ」と騎士団長が渇いた笑いをもらす。
「久方ぶりに全力でやる、か。貴殿はかの有名なキュバラムを討伐したということだが、その時ですら本気でなかったということか?」
「ええ」
言って、私は居合いに形を取った。
「生憎、この世界で全力を出せるような相手はそうそういなくて。この場も全力など出す必要はこれっぽっちもないと思っていますが、コスト子爵のご要望となれば従わないわけにはいきません。全力でやってみようと思います」
「なるほど面白い冗談を言ってくれる……」
ここまで言ってようやく騎士団長の剣に僅かな殺気が混ざるのがわかった。
小娘にここまで言われて腹を立てない者はそうそういないだろう。と言うかこうする他に彼に全力を出させる方法が思いつかなかった。
ここで相対してからというもの、彼が目の前の私に手心を加えようとしているのは一目瞭然だった。
コスト子爵が普段からどういう人なのかはわからないが、道楽の類を好んでよく見世物を見たりしているという話を先ほど女中の会話で小耳にはさんでいた。今回もそのお遊びに付きあわされている程度の感覚だったのだろう。騎士団長の彼も、物珍しいホーマ族がいたから試しに遊んでやれ、と言われていたのかもしれない。
それが、こうもボロクソに言われれば腹の一つでも立てて当然だ。
とは言ったものの、私自身は全力を出すつもりはこれっぽっちもなかった。
自身の底が見えない。
自分が自分ですらわからなくなる感覚。
虫のようなヤツと戦った時のある種の恐怖は今の私にとって最も怖いものだった。
あの時はおシノちゃんの存在に救われたが、今度も無事に終えられるとは限らない。出来れば彼女に余計な心配はかけたくなかった。
「なら、私も全力でやらせてもらうっ!」
騎士団長が動くその一瞬。
<無想月影流――月鳴-焔>
次の瞬間、振り下ろされる鉄製の剣は炎となった刀身に斬られ、胸当ての前面はぱっくりと割れていた。
「え、あ……?」
彼が振り下ろす剣もそれなりの練度だったが、私との戦いはそういう次元ではない。その刃は根本から分断され、刀身は重力と慣性の力に任せるままに地面に落ちるだけだった。
「なん、だ……?」
彼の目には今のがどう映ったのかはわからない。
ただ、勝手に剣が折れ、胸当てが割れたように思えたか……いや、多少の実力があるようだったから、刀を抜き、居合いを放った一連の流れは辛うじて追えていたかもしれない。
と……。
『パチパチパチ』
そんな拍手が送られてきて、見やるとカートゥンのリーダーのレオノラが『面白いもんを見た』という言葉を表情に出しながらやってきた。
ロキアはにんまりとし、ファールという冒険者も「ほぅ」と驚いた様子だ。
なるほど、確かにこのケアド帝国屈指の冒険者たちということで、私の動きがきっちりと追えたのだろう。この分だったらもう少し速い剣を見せても良かったかもしれない。
が、それは彼らがきっちりと修練を積んでいたからで、今この場にいる、戦いを生業にしていない人間から見れば、私が『ただ鞘から刀を抜いた』だけに見えたに違いない。
パチパチとした拍手をレオノラが止めたところで、姿勢を真っ直ぐに直し、私はコスト子爵に向けて頭を下げた。
「今のが私の全力です」
もちろん方便だ。
もし私が本気を出していたら目の前の冒険者はもちろん、おシノちゃんやフロースタ、大層自信家であるらしいカートゥンの面々ですらわからない速度の居合いとなってしまう。それこそ、本当に『誰の目にもわからない』ものだったに違いない。
今の私に必要なのは絶対なる強さじゃなく、勇者候補となるにふさわしいギリギリのラインの強さだ。
「……今のは、何が起こったのかね?」
私が発言してから少しの沈黙を経て、コスト子爵が口を開いた。
「ワシはタネの仕込まれた摩訶不思議な手品を見せよ、と言ったつもりはこれっぽっちもないのだが?」
その言葉には若干怒気が含まれているように感じられた。
当たり前だ。何も見えなかったものの結果だけを目の当たりにさせられ、真っ当にものを考えられるわけがない。
「お、お言葉ですが主さま」
慌てたように騎士団長が口を開く。
「今のは彼女の技でございます」
「技?」
「と、とてつもなく速い剣でございます。その異様な速度で私の剣や胸当てを斬った……少なくとも私にはそう見えました」
「では、今のは摩訶不思議な手品ではない、と?」
「え、ええ、それはもちろん、手品などではございません」
「それだけじゃねぇぜ」
騎士団長の言葉にレオノラを始めとしたカートゥンの面々が口を開いた。
「どういう仕組みかは知らねぇが、今の一刀、剣が炎をまとってた」
「あれは娘っ子の術だそうだよ。ワタシも見るのは初めてだったけど」
「術法なのか、あれ?」
「並の術法じゃない。そういった総合力では実のところワタシより高いかもしれないねぇ」
「なんだ、ロキアがそこまで褒めるとは珍しいじゃねえか」
「強者は強者として認める。それがワタシたちの流儀だろう?」
「いやいや、面白ろいものが見えたな。流石のホーマ族ということか?」
そんな会話に、コスト子爵は「ふむ」と口ひげをいじりながら、「つまり、手品ではなかったのだな?」と確認のように言った。
「ええ。とてつもなく速さに鉄さえも焼くような炎。それが騎士団長の剣と胸当てを斬ったということです」
「で、どうだったよ、騎士団長さんよ。実際に剣を受けた感想は?」
「まさか……と、狐か狸に化かされた気持ちです」
レオノラの言葉に騎士団長が口を開く。
「ざわりとした胸騒ぎ。それを覚えたかと思った次の瞬間には剣と防具がこの有り様です」
「だろうな。あの瞬間、俺も少し毛が逆立つような感覚を覚えたさ」
言いながらレオノラがこきりこきりと首を鳴らしてこちらへとやってきた。その仕草、動き、明らかに戦いに向けて身体が動いているのがわかった。そして少しだけ視線を鋭くした。
「まぁ、それはそれなんだがよ。……お嬢ちゃん、コスト子爵は全力でやれって言わなかったか?」
「はい。ですので全力でやらせていただきました」
そう言って地面に転がった折れた剣と騎士団長の胸当てを目で示す。が、
「いや、もっと上があるだろう? まーだ隠してやがる」
にやりと笑うようにレオノラが言った。
「は……?」
それに呆気を取られたのは騎士団長だった。
「そ、そうおっしゃられるということは、私との手合わせではこの娘は手加減をしていたということですか、レオノラさま?」
「ああ。とんだ食わせもんだよ、このチカゲとかいうお嬢ちゃん」
ち、と舌打ちをしたくなるが辛うじて堪える。流石Aランクの冒険者というところだろうか?
下手な小細工より、インパクトのある一撃を手加減した方が良いだろう。
そう算段して下手な打ち合いなどはせずに、先手で先ほどの月鳴で全てを終いにしたのだが、それも手加減したものだったことをレオノラは見破ったらしい。
「どうだ、次は俺と手合わせしないか? こう言っちゃ騎士団長に悪いが、さっきよりは退屈しないで済むと思うぜ」
「なんでも、ハンドの連中も一人の勇者候補を立てようとしているようでな」
パーティの中でも最も年長、四百歳よりいくばくか上らしきファールが言った。
彼はBランク。あくまでカートゥンのリーダーはレオノラということだったが、彼がパーティのまとめ役となっているのはなんとなくわかった。
「俺たちも一人、勇者候補を立てようじゃないかって話になってきているんだよ」
「ロキアさまから話は聞いていましたが、からかいか、少しの買い被りかと思っていました。まさか、本気でそんな重要な役目を私に任せようと?」
「少なくともさっきの一撃を見てうちのリーダーさんはすっかり火がついちまったようだな」
ため息をひとつ。
ここまでやってこられてしまっては身を引くのもなかなかに難しい。
「おい、誰か剣を一本貸してくれ。その辺に転がってるやつでいい」
「おや? スベルクスは出し惜しみかい?」
「バーカ。俺は嬢ちゃんと殺し合いをしたいわけじゃない。遊びたいんだよ」
レオノラがにやりと笑う。
「ゾクゾクするのが止まらねぇんだ。長く覚えてなかった戦いへの渇望だな。この渇きを満たすだけの力が嬢ちゃんにはあるんじゃねぇかと思う」
「あんまりのめりこむなよ? 肝心のお嬢ちゃんを壊しちまったら元も子もない」
「だから普通の剣を使うんだろう? スベルクスに手を伸ばしちまったらもう本当に止まりそうにねぇからな」
腰に巻いていたベルトごと彼は愛刀らしいものをその場においた。慌てて女中の一人がレオノラににかけより、鞘に収められた西洋剣を手渡そうとする。
「……わかりました。勇者候補の件、お受けいたします」
「おいおい、ここまできてそれはねえだろう? それに、さっきのは試験の内の一つ。そういうことは俺との試験を突破してから言ってもらおうじゃねえか」
「どうしても、でございますか?」
「ああ、どうしてもだ」
私はため息を一つ吐いた。
こうなってはしょうがない。
レオノルは受け取った剣を鞘から出すと、片手で大きく構えを取った。剣の基本からはかけはなれた構えだったが、流石のAランク冒険者なのか、隙はそこまであるようには見えない。
「さ、一つ楽しもうじゃねえか」
そう笑みをこぼす相手に私は仕方なく居合いに構える。
相手は私に先手を譲るつもりなのか一向に手を出してくる気配がないが、私とて――殺すことが目的なら別にしても――お遊びで相手の懐に飛び込むほど酔狂じゃない。
「来ないのか?」
その問いかけに私はただ静かに居合いを構えたままだった。
そして、
「なら、こっちから行かせてもらうぜ!」
構えた剣を振りかざして迫ってくる。
そこそこの速度にまぁまぁの身体の動き。いや、この世界にいる人ということを考えたら彼は最上位に位置していたと言っても良かっただろう。
勇者たちにカグロダ。
この世界の強者と何ら遜色ない。
しかし――、
「どうした? 避けてばかりじゃこれっぽっちも楽しくないだろう? 反撃してこいよ。それくらいの実力はあるだろう?」
剣を振りながらよくもまぁしゃべる。
上位にいると思っているからこその余裕。格下をあしらう雑な攻撃。ここが本当の戦場で、テーロ程度の実力がある者が相手なら、もう四度は死んでいる。
「よっ、と!」
右から大きくえぐるように剣を振ってくるが、私はそれもミリの単位でよけ、すっと居合いに構えを落ち着ける。
「なんでぇ、避けるのばっかりが上手くても攻め手が見つけらねぇんなら永遠に勝ちはないぜ」
「……構えてください」
「は?」
「剣を正中に。そこまでおっしゃられるのであれば、本気の攻撃をお見せしたく思います」
その言葉にレオノラはにやりと笑った。
「いいねぇ。さっきの騎士団長と同じ状態でやってやろうってことか」
「………………」
「ただ、今度は全力で来いよ? 生半可な攻撃なら受け流してそのまま攻撃させてもらうぜ。さっきの術で今回もどうこう出来ると考えているなら、お前さんはこの俺、レオノラ・メレーヌ・ラングランを舐めすぎってことだからな」
「わかりますよ。弱い犬ほどよく吠える、と言いますから」
「ほぅ……」
レオノラが目を細くし、「言ってくれるじゃあねえか」と正中に剣を構えた、次の瞬間――
「――そういう物言いがすでに舐めてるってことなんだよ!」
レオノラは正中に構えたままにせず、こちらに突っ込みながら剣を振るってきた。
が、
<無想月影流――居月-
一瞬の交錯。
カランカランと音を立てて転がる剣の残骸。
「なっ――?」
居合い、そして返す刀で切ったそれは見事に三等分されていた。
もちろんレオノラには傷の一つもつけていないし、全力でやったわけでもない。自分を見失わない程度に、それでいて相手には一切見えないだろう塩梅でやった。
「こいつは、いったい……」
手元に残ったほとんど柄だけになった剣を持って、レオノラが呟き、
「手合わせ、ありがとうございました」
私は淡々と言った。そのままコスト子爵の方に向いて一礼する。
それにゴクリと唾を飲み込んだのは騎士団長だった。何も見えなかっただろうが、戦いの中に身体を置いている身として本能的な恐怖が彼を襲ったのは間違いない。
そして、それはレオノラを含んだカートゥンの面子全員も感じはずだ。
「今のも手品ではないのだな? さっきのものと同じ技というものだろう?」
「それは……いえ……」
コスト子爵の言葉に騎士団長は言葉を失っているようだった。
「なんだ、はっきりせぬな。それとも今度のものは手品だったのか? ……あぁ! いくら強者を用意したと言っても、カートゥンの猛獣、レオノラを相手に小娘が勝てるわけはないか!」
そうコスト子爵がはっはっはと愉快そうに笑う。
が、周囲はそれと反比例するかのように沈黙が広がった。
こうなった理由は少し前にさかのぼる。
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