キュバラム
「キュバラムっていうのは湿地帯に住まう蛇のような巨大な魔族でね」
町で馬車を一台借りて、荷台でロキアは私たちに説明を始めた。
「沼地で暮らしているんだけど、厄介なことに非常に素早い動きを特徴としてるの。とは言っても、元々沼地に住む魔族で正直人里に来る可能性はほとんどないんだけどね」
「それなのに討伐対象になってるの?」
「そうさ、えーっと、アナタはフロースタちゃんと言ったわね」
「フロースタって呼び捨てで良いよ。その方が気楽だし」
「つまり可能性はほとんどないのに討伐対象にされるほどの強力な力を持った魔族ということですか?」
「大正解。アナタは確かシノちゃんね」
こくりとおシノちゃんが首を縦に振る。
「実際、過去に何度かだけだけど人里を襲ったことがある。そして、そのいずれも大きな被害を出してるのよ。
最近で言えば二百年くらい前に町が襲われ、その時は民間人の被害は十数人、近くにいた冒険者がかけつけたけど、その冒険者もDからBまでの冒険者が合計七人死んで、二人が大怪我を負わされた。
特に、口から強力な酸のようなもの吐き、普通の金属の防具なんかは身体ごと溶かしちゃうらしいわ。それに、斬ったとしてもキュバラムの血には石化の呪いがかけられているらしく、これは触れたあらゆるものを石化させたから無用に斬ったところでこちらが不利になるばかり」
「石化の呪い?」
「そう。例えば、皮膚が触れればその場所は瞬く間に石となってしまい、戻す術はなし。かと言って先手必勝で斬りかかっても、どんな剣も斬ったが最後、石になって役に立たなくなる。
もっとも、身体が固いうろこに覆われていて、並の攻撃じゃ刃が通らないって話だけどね」
「それじゃあ、その時はどうやって撃退したんですか?」
「その時はなんとかBランクの冒険者が複数人で足止めをして、それにAランクの術師が加わってようやく倒したって話さ」
なるほど、確かに魔族というくくりで言ったら私がこの世界に来て一、二を争う強敵だろう。
「そんな被害を出している魔族相手に散歩のようなものとは、相当に自信がおありなんですか?」
「ない、なんて言ったらアナタたちを誘ってなんかいられなかったわよ」
ロキアはそう笑った。
「実際、私はキュバラムと相性の良い術師。おまけに勇者さまたちがいなくなった今、新しい勇者候補ってことでワタシの名前をこの地方の貴族に薦めてくれる人がいるほどでね」
「新しい勇者候補に?」
「もちろん、そんな要請に律儀に答えるほど大人じゃなくてね。もし勇者なんかにでもなってごらん? あれやこれやと面倒な雑用をいたるところの国から押しつけられるのが目に見える。ワタシはたまにこうやって気ままに強い相手と遊んでる方が好みなんだよ」
「遊ぶ……」
「そう、遊ぶ。まさか負け戦にわざわざ赴くほどバカじゃないもの。……だけど、今回依頼を受けたのはそれだけが理由じゃないんだよ」
言って彼女が私を見やる。
「チカゲちゃん、だったわね。アナタの実力を見てみたいのよ」
「これはまたご冗談を。私はそこら中にいるDランクの剣士の一人でしかありません」
「そういう風には見えないわね。アナタの動きは一つひとつが洗練された者のそれを思わせるの。どこかゾクゾクするくらいにね」
「普段は冴えわたっていらっしゃる目が曇っておられるものかと思います。第一、私は先ほどの話からすればキュバラムに相性の悪い剣士です。戦ったところで勝敗は火を見るより明らかかと」
「それでも何かこう……感じさせるものがある。ワタシは無神論者だけど、こういう時のワタシの勘はよくあたるのよ」
町を出て一時間ほどで人の気配がなくなった湿地帯と草原の間のような場所についた。
「御者さん、この辺りに魔族除けの結界を張ったから、あんまりここからは外れないように。あと、もし万が一、四時間経ってもワタシたちの誰も帰ってこなかったら急いで町に戻って事情を説明してくれる?」
「はい。それは確かに」
「まぁ、順調にいけば二時間もあれば悠々帰って来れると思うわ」
言い残し、湿地帯の中へと私たちは入っていった。
巣と思しき大きな沼地を見つけたのは湿地帯を少しばかり歩いた先にあった。大体御者と別れて三十分ほどだっただろうか?
のんびりとした口調の割に湿地帯に入ってからロキアは進行のペースをあからさまに上げて、おシノちゃんはやや肩で息をしていた。
湿地帯では足元がぬかるんでバランスを取りにくい。まだ旅慣れているわけじゃないおシノちゃんにとっては結構しんどいものだったはずだ。
「おシノちゃん、大丈夫?」
「ええ、どうにか……」
「すごいすごい。結構なペースで飛ばしてきたのに、脱落者ゼロ。普通のDランク冒険者じゃこうはいかないわよ。特にチカゲちゃんとフロースタちゃんは基礎体力も十分、Bランク相当って言っても過言じゃないわ。それに、少し疲れちゃったかもしれないけれど、遅れなかったシノちゃんも合格」
「それは……ありがとうございます」
「さて、それじゃあ少し気合いを入れていきましょうか。この沼地に住み着いてるみたいだから」
ロキアの言葉に真剣さが交じる。確かに沼地から何らかの気配を感じることが出来た。
「気をつけていきましょう」
私は前鬼と後鬼を召喚し、おシノちゃんがそれを纏った。それにロキアがひゅーと口笛を吹いた。
「シノちゃんの雰囲気ががらりと変わったわね。それは何? ホーマ族にだけ伝わる術法のようなもの?」
「まぁ、似たようなものです」
「すっごい。流石幻の種族ね。独自の術法が残ってるかもしれない、なんて噂は聞いたことがあったけど、間近でみることが出来るとは思わなかったわ」
「出来れば内緒にしてくださいね」
その場のノリで言うとロキアは「確かに秘術が公にされると困るものね」と頷いた。
と、吹いてくる風に腐臭のようなものを感じた。鼻が曲がりそうというほどではないが、それでも心地良い香りとはとても言い難い。そう感じたかと思うとブクブクと沼の表面が泡立ち、何かの気配が濃くなる。
「さぁ、そろそろよ」
ロキアがペロリと舌を出して唇を舐める。
確かに存在は近い。
存在は近いが……おそらく彼女は勘違いをしている。
「おシノちゃん、フロースタ、気をつけて」
私がそう言うと二人はそれが彼女の言っているコトとは少し違っているものであることに気づいたらしい。これで、私としても合格点があげられそうだ。
そして……
「――来るわよっ!」
と言ったその時に沼地からがばりと大口を開け、猛スピードで突っ込んでくるキュバラムが見えた。
瞬間、
「サンド・ウォール!」
大口の攻撃をさせまいとロキアが唱えて目の前に分厚い土の壁が出来るが、守ったのは一部分のみ。
沼地から全体をカバー出来たわけじゃない。
次の瞬間、別の『もう一体』の攻撃が私たちを襲った。
「二体!? 報告じゃ一体のはずだったのにっ!?」
ロキアが戸惑い、私たちに「逃げて!」と叫ぶ。
大きさは七メートルといったところか?
大口を開き、食らいつこうというような攻撃はなかなかのものに思えた。その気になれば人間の子供なら一飲み出来てしまいそうに思う。
「ここは任せてもらえないかな、千影?」
自慢の大口から居合いで真っ二つにしてやろうとした私にフロースタが言った。
「フロースタ?」
瞬間、その場の気温が五度は下がっただろう。
「よいしょ、っと!」
ドン、とフロースタが生成したドでかい氷が大口の中に生成され、キュバラムはその重さに勢いを失い、大口も閉じるに閉じれなかった。
それにロキアは呆気にとられた表情を見せた。
「流石、勾玉の欠片の力だね。いつもより身体が段違いにかっるいや」
とは言っても相手だってそれなりの魔族だ。
フロースタの作った氷をかみ砕き、ちろちろと舌を出してフロースタを見やる。それにフロースタがにっと笑いながら手の指をこきりこきりと鳴らす。
「どうせ千影がやっちゃったらあっという間に終わっちゃうでしょう? ここは欠片の力も試してみたいからさ」
「……危ないようだったらすぐに入るわよ」
「オーケー、任せといて」
「ア、アナタたち、何をやってるの!? 早く逃げな――っ!?」
ロキアに迫った個体が、彼女が余所見をしているのをいいことに再度ロキアを襲う。
「くそっ、こんな時に!」
口を開き飛ばしてきた酸をロキアは術法の土壁で防ぐ。が、酸の勢いはそれでは完全に失われず壁を突き破る。
しかし、そこにはもうロキアの姿はない。
壁を貫かれるのは承知の上だったのだろう。
その隙に大きく跳躍、背後から
「サンドアロー・アジタート!」
鋭く激しい土石の矢がキュバラムの後頭部目掛けて放たれるが、相手だって並の魔族じゃない。
にゅるんとした身体の動きを活かして土石流を巻くように避けると、再度酸を飛ばして攻撃をしかけてくる。
それを岩石の巨大な術法の盾で防ぐ。その上で
「ライトニングランサー・プレスト!」
小さい雷をいくつも作り上げたかと思うと、一気にキュバラム目掛けて降らせる。
それにキュバラムは泥に一気に潜り込み、土で雷撃の雨を防いだ。存外頭も悪くないのかもしれない。
一方のフロースタは酸の攻撃を氷の厚さでカバーし、何十本もの氷の槍を生成して一気に降らせた。が、こちらは強度不足か、キュバラムは降り注ぐ槍を破壊し、お構いなしに突っ込んできた。
ちっ、とフロースタは空中の水分を一気に凍らせて足場を作り、そこを基点としてその突撃攻撃を回避した。
「フロースタ、筋は良いけど、まだ新しく手に入れた力を使いこなせてないみたいね。それに、やっぱり経験が不足気味。ロキアさんの方が上手く立ち回ってる」
「でも、私としてはちょっと差をつけられちゃった感じです」
そう前鬼・後鬼を憑依させたままおシノちゃんが少し悔し気に言った。それに私はコツン、と彼女の頭を軽く叩く。
「おシノちゃん。前鬼と後鬼を貸しているのは万が一のことがあったら困るからであって、私はおシノちゃんに積極的に戦って欲しいとは微塵も思ってないんだからね?」
その言葉に「そうでしたね」とおシノちゃんが苦笑した。
「だけど、本当にすごいです。ロキアさん、カグロダさんとまではいかないまでもかなりの強さに思えるのに、フロースタだってそれに負けない戦いをしてるんですから」
「そうね。たぶん、実力的にはもうBランクの上層部にいるのかも」
と、
「クロスサンダー・グランディオーソ!」
巨大な十字の雷がロキアの手から放たれ、それが大口を開けて酸を飛ばそうとしていたキュバラムを呑み込んだ。
外は鱗と泥である程度防げるとしても、口内という弱点を突かれたこともあって、一瞬にキュバラムの身体に電気が走り、感電したその巨体をズゥンと沼地に横たえた。焦げ臭いにおいにプスプスという独特の音を立てているところを見ると、もう生きてはいないだろう。
それを見てから、「フロースタ! 時間切れよ」と声をかける。
「も、もうちょっと待って! あと五分……いや、三分で良いから!」
言いながら巨大な氷の槍を生成、こちらも口内を狙って撃つが、精度が今一つ。キュバラムがぬるりと横を抜けたところで私は居合いの形で沼地を蹴った。
<無想月影流――昇月――>
コンマにも及ばないほどの一瞬の交錯。しかし、キュバラムの首を飛ばすのはそれで十分だった。
ドン、と頭を落とし、首から多量の血が流れていくと見る見るうちにその部分は石となり、すぐに小さな岩石の山が出来上がった。
こいつの血には石化の呪いがかけられているというが、そんなもの陰陽師の私にとっては何の意味もない。血に触れてしまった刀身の部分は確かに石化してしまったが、五行の術で何事もなかったかのように金属に戻すことが出来た。念のため火水木土金、と一通り変化を試すが支障もない。
「千影! なんで横取りするのさ! もうちょっとだったのに!」
「言ったでしょう? 時間切れよ」
ぷんすかと怒るフロースタの首根っこをつかまえる。
「それから、あともうちょっとでもなかった。貴女自身も気づいてるんじゃない? 少しずつだけど氷の純度や狙いの精度も下がっていってたの。体力がついていってないのよ」
図星をつかれ、フロースタは「だけどぉ……」と視線をそむけた。
「もう少し訓練を積めばあの程度のヤツに苦戦することもなくなるわよ」
「本当……?」
「ええ、私が保証するわ」
そのまま彼女を地面に降ろし、私はゆっくりとロキアの元へと寄った。
「すみません、今回の依頼のリーダーはロキアさんだったのに、勝手なことをしました」
頭を下げるが、ふっ、と小さくロキアは表情を崩した。
「驕る平家は久しからず……確かホーマ族のいにしえのことわざにそういうものがあったわよね?」
そう言った彼女の表情は何とも表現しがたいものだった。
「一体だけでしたらロキアさんに完全にお任せするつもりでした。ですが、お気づきになっていなかったようなので」
「そっちのフロースタちゃんがワタシの少し下程度の実力。それじゃあ、そっちの術法を使いそうなお嬢さんは?」
「相性ということもありますが、単純な術法の力という意味ではフロースタよりいくらか劣るかと」
「それじゃあ……」
視線がこちらに向けられる。
「あの一瞬の交錯。正直、ワタシでも目で追うのがギリギリだったわ。下手をしたら知らない間にキュバラムの頭が落とされてた、なんていう風に思ったかもしれない。こんな技が出来る冒険者なんてそうそう思い当たらないんだけど?」
「まぁ、私の実力は置いておきましょう。楽しい話題ではありません」
それにロキアは大きなため息を吐いた。
「本当にわからない連中だねぇ……」
討伐の証としてキュバラムの舌を頭から斬り落とすこととなったが、その役割も私が買って出た。
キュバラムの血の呪いから、死後もその脅威が続くのは想像に難くなく、細心の注意が払われるらしい。しかし、私にとって石化の呪いはほとんど意味のないものだ。五行をつかさどる者にしてみれば、それはただの状態の一つにしかすぎない。
おざなりに二本の舌を斬り落とす。舌自体、切り口が瞬く間に石化してくれた。御刀の一部も血に触れて石化したが、五行の術に前には無力としか言えない。
「それもホーマ族の謎の術かい?」
「まぁ、そんな感じのものです」と、適当に相槌を打つ。
「フロースタちゃんもそれを?」
「あぁ、彼女はこの術は使えません。その代わりと言っては何ですが、彼女は多少はこの術が使えます」
言って、憑依状態から抜けたおシノちゃんの方に視線を向ける。
「なので、単純な強さではフロースタの方に軍配は上がるでしょうが、相性勝負となってくると彼女の方が有利かもしれません。……とは言っても、私は彼女に戦って欲しいなんてこれっぽっちも思ってないんですけど」
「大事にしてるんだねぇ」
その顔をは私とおシノちゃんの関係に気づいているもののように思えた。力うんぬんは別にしても彼女には二百年以上生きてきた経験というものがある。その経験則は十数年ぽっちしか生きていない私が追いつけるものじゃない。
そうして、私たちは帰路へとついた。
*
馬車まで戻ると、御者は呑気に近くの石に座って呑気に大欠伸をしていた。どうやら心配はこれっぽっちもしていなかったらしい。実際、一体は彼女がほとんど危なげなく倒したのだ。
「どうでした、キュバラムは?」
私たちが帰ってくるのに気づくと、よっこいしょと石から身体を起こし、なんてことのない世間話のようにそんな話を振ってきた。
「まぁ大体は聞いてた通りさ。でも、それとは別に色んな意味で面白いものが見えたよ」
ロキアはそんなことを言いながら馬車の荷台に乗り込み、私たちもそれに続いた。
「しかし、勇者やワガクスさまが死んだと聞いた時にはどうなることかと思ったけれど、世の中の歯車っていうのは回すときちんと他の歯車も回ってめぐるものなんだね」
馬車が動き始めてさほど時間も経たない内に不意にロキアが言った。その言葉の意図をつかみ損ねて顔を見る。
「ワタシなんかよりアンタたちの方がよっぽど勇者っていう雰囲気だね」
言われ、とっさに『生憎勇者などになるつもりはない』と言おうとしたが、慌てて口を閉じた。
「どうだい? 酔狂な誘いになるし、そうそう簡単な話でもないかもしれないけど、ワタシの代わりに勇者候補になってみる気はないかい?」
「勇者候補に、ですか?」
「この混沌とし始めた世の中、どうしたって導となる者は必要になるだろう。キュバラムの舌二本を手土産に持って行けば少なくとも門前払いされることはないはずさ」
その言葉に私は「……考えてみます」と慎重な言葉を返した。
「珍しいですね、こういう話を断らないの。それとも何か企んでいるのでしょうか?」
そう小さな声で問うてきたおシノちゃんに私は微笑んだ。
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