人斬り
「その時よ、俺がぐわって縄を引っ張ってよ。ありゃあ四メートル……いや、もしかしたら五メートル近くあったかもしれねぇ」
「嘘こけ。せいぜい二メートルぐらいだったじゃねぇか」
「いやいや、あの引きの強さは並じゃなかった。腕が押しつぶされるかと思ったぐらいで、縄の跡が一週間は消えなかったんだからよ」
「そりゃあただの日焼けだっつーの」
笑いながら船乗りの一人が同僚の肩をバンバンと叩く。
私たちはそんな話を気楽に聞いていた。
出航して四日。最初はあまり接触してこなかった船員たちだったが、少し経つと食事を持ってくるついでに雑談をしていく船員が現れ、それの相手をすると関係ない時に暇な船員がやってきて雑談をするようになっていった。
若い女が三人。中には下卑た目的で近づいてきたヤツらもいたが、一人に瞬刻の居合いの刀で脅してやると、そういう輩は私たちに近づこうとしなくなった。
「それより、兵士さまたちは何を考えているのかねぇ?」
話の区切りが良かったからか、一人の船員がそう言った。
「同じ船に乗った以上は運命共同体。もうちょっと当たりが柔らかくても良くてもバチはあたらんだろうに」
「兵士たちはそんなに厳しい生活を?」
「ああ。まるでゼンマイ仕掛けの人形よ。規律が良いって言えば聞こえは良いが、四角四面で話しかけられるような雰囲気じゃねぇ」
「所詮あいつらは俺らをバカにしてやがるからだよ」
吐き捨てるようにもう一人の船員が言った。
「自分たちは聖教会に属する崇高な人間。船乗りなんてただの雑用程度に思ってるんだろ」
「少なくともある程度の矜持があるようには思いますね」
「矜持なんて偉いもんじゃねぇよ。あるのは宗教にすがっていたいだけの貧弱な精神だ」
「おい」
今の発言は流石にツェーフェレナでは危ない発言なのかもう一人の船員が肩を叩いた。
「聖教会がただのまやかしだったって気づいたのが船乗りになった後だったのが運の尽きよ。もっと早くに知ってりゃ俺だって行商人や冒険者になって世界を自由に歩いてたね」
「その辺で止めておけ。どこで誰が聞いてるかわかんねぇぞ」
「へっ、聞かれてたら神さまが俺を呪い殺しにでもくるのかい?」
今に気づいたが船員たちは少し顔が赤かった。
時刻は夕刻の食事が終わった後。夜は非番なのか少し飲んで酔っているのかもしれない。そう考えるとツェーフェレナにおいても本当の信心深さはそれぞれの生活環境に大きく左右されるのだろう。いや、そもそも人間と宗教というものの繋がりがそういったものだと言えた。
「もう夜も少し遅くなってしまいましたね」
沈黙が落ちかけてきた空気の中で私は少し大きな声で言った。
「今日はこの辺でお開きといたしましょう。あまり遅くなると明日の仕事にも差し支えてしまうでしょう?」
「………………」
それに赤ら顔の船乗りは押し黙った。そして私が再度口を開こうとした時、彼は言った。
「なぁ、冒険者のお嬢ちゃんよ。お嬢ちゃんは今まで何人の人間が死ぬのを見てきた?」
不意の質問だった。彼なりに心を整理したかったのかもしれない。
「どうしてそのような質問を?」
「船乗りをやっている今だって事故で何人か仲間を失った。それを聖教会の神官さまは仕方のない犠牲であり、天命だったと言いやがる。聖教会は信じれば救われると言うが、それが本当かどうか知りてえんだよ。……お嬢ちゃん、あんたも冒険者なら仲間が死ぬような場面に出会ったことがあるんじゃないのか? そういう時、どういう風に考えるんだ?」
「残念ながら……と言うと変な言い方になりますが、私はこれまで旅で仲間を失ったことはありません」
「そうなのか? じゃあ随分気楽な――」
「――ただ、あくまで仲間を失った経験はない、というだけです」
その回答に船乗りはきょとんとした。しかし、すぐに言葉を続ける。
「この稼業、人が死ぬ姿は飽きるほどに見てきました。少なくとも百。もしかしたらその倍は見てきたかもしれません」
その言葉に船乗りはひゅっと息を呑んだような顔をした。
仲間を失ったことはない。
それでも人の死を何百と見てきている。
そこから導きだされる答えは多くない。
「それは……戦でか?」
震える問いかけ。もしかしたら戦という、どうしても人が死んでしまうものにすがったのかもしれない。だが、私はその言葉にゆっくりとかぶりを振る。
「戦はありましたが、私は参加しませんでした。。ですが、例え戦が起こらなかった場所でも、その闇の中で何十何百の人が死にます。それが現実というものです」
「それじゃあ、お嬢ちゃんは……」
「今は冒険者を名乗り、魔族を相手に戦うことも多いです。しかし、元は人斬りです。死んだ人の大半は私が闇の中で手を下してきたのです」
私の目の奥に何を見たかはわからない。
しかし、二人の船乗りは何も言わないまま数分の時間を過ごし、「もうこんな時間か」とわざとらしく小さく言って、「今日は邪魔したな……」と部屋を後にした。
「………………」
おシノちゃんが僅かに瞳を震わせている。私の代わりに泣いてくれているのかもしれない。もはや今の私には斬り捨てた人間に対する涙など流す資格はなかった。
「バカなことをしゃべっちゃったわね」
だからこそ、私は少しおどけたように言った。しかし、それだけで空気を軽く出来るほどおシノちゃんもフロースタも能天気じゃない。
おシノちゃんはゆっくりと私を抱きしめ、首元に顔を押しつけた。
「今の話が事実だったとしても、それは千影さんの罪ではありません」
「でも事実よ。絶対に、何があっても変えられない紛れもない事実」
「仮にそうだったとしても、貴女だけの罪じゃない」
おシノちゃんの語気は強かった。
「どうしてだか、わかるんです。薄々ですが、そこに私も関わっていたということが」
「おシノちゃん……」
「前にも言いましたよね? 分かち合いたいんです。喜びも、苦しみも。もしそこに罪もあるのだというのなら、私だってその罪を背負います」
「千影」
加えて、フロースタが口を開く。
「私は千影がこの世界とやらにきてから関わりを持った新参者だけどさ、あんまりシノにそんな顔をさせちゃダメだよ」
「……そうね」
私はおシノちゃんの背に腕を回し、トントンと叩いた。
「ありがとう。おシノちゃん」
その言葉が溶けていくように、夜はゆっくりと更けていった。
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