噂
だが、その日を境に『黒い影』の噂はあちらこちらで飛び交うこととなった。
根も葉もない噂なら「なんだそんなもの」と一笑に付してしまえるものも、実際にこうやって摩訶不思議な例が出てしまうと噂はどんどんと独り歩きを始めてしまう。
最初の内は『まぁ多少でも噂が広がってしまうのも仕方ないだろう』と思っていた私たちだったが、日に日に噂は雪だるまを転がすように仰々しい大言へと変わっていった。
『見つかった船には誰も乗っていなかったのにも関わらず帆を張り、逃げるような動きを見せた』
『実は船内には多量の船乗りの死体があったが、そのあまりの凄惨さに最初から誰もいなかったことにされた』
『船内には魔族が付けたと思しき呪詛が書かれていた』
『見つけた時にはまだ魔族がおり、なんとか船は取り返したもののこちらにも多大な損害が出た』
探せばもっと多くの噂があっただろうが、途中からは事実を多少誇張したものではなく、ほとんどが嘘で固められたフィクションになっていた。
「どうするんですかね、この騒ぎ」
基本的には我関せずの立場を取っている私たちの耳にも噂は入ってきた。ほとんどの人間は、この町の者じゃない、それも冒険者の私たちが船に乗っていたとは思いもしないようで私たちが質問攻めにあうことはなかった。
が、その分聖教会の窓口にあたる人間にはかなりの人が押し寄せているとみえる。ただその窓口の人間はこういった噂に対して否定も肯定もしなかった。それがより一層噂の信憑性と多大な妄想を引きつけ、三日もすれば町の海には未だかつてみたこともない魔族がいるような話になってしまっていた。
ここからは想定の話になってしまうが、聖教会という大きな本部がある以上、この町の人間が単独で何かしらの決断を下すわけにはいかないのだろう。
こういった状況になり、こういった噂が蔓延している。
それをどうするか?
それをいちいち聖教会の本部とやり取りをしていれば時間だってかかってしまうのは当然だと言えた。
「だけど、このままだと私たちこの町にはりつけ状態だよね」
「ええ。もうケアド帝国への定期便うんぬんの話ではなくなってしまいましたからね」
「いい迷惑……と片づけるべきなのかしら?」
ついでに言えばこの海での魔族事件は、海とは関係を持たずに町で暮らす人々の恐怖の対象にもされた。
石壁に囲われていると言ってもこれは所詮人間同士が争っていた時に役立っていた骨董品。海に出てくる魔族が万が一攻めてきた時に効果があるのか疑う声は少なくないらしく、聖教会に対策を求める声はもちろん後を絶たず、冒険者組合にすらポツポツと富裕層からだと思われえるボディーガードの仕事依頼がきていた。
「それなりのボディーガードを雇うのは一種のステータス。ゼシサバル王国ではそのようなことを聞いたような気がしますけれど、これは本気で切羽詰まっていますよね」
冒険者組合で一枚の紙を取っておシノちゃんが言った。
「夜間警備の募集。冒険者ランクはCランク以上。報酬を考えたらかなり良い案件に感じます」
「やっぱりどっかで冒険者ランク上げといた方が良かったんじゃない? 夜に何事も起こらない敷地で過ごすだけでお金もらえるんでしょう?」
「別に良いじゃない、私たちはお金に困ってるわけじゃないんだから」
「でも、あって困るものじゃないじゃん、お金って」
そんなやり取りで時間を潰すものの、確かにここでただ足踏みをしているのはもどかしかった。
急ぐ旅ではないし、早く行っても何か当てあがあるというわけではないが、こういった形での停滞はあまり望ましいものとは言い難い。
と、その時受付で「だから、そういうんじゃないって言っているわけじゃないのよ!」と強めの声が聞こえてきた。
見やると中年の恰幅のいいおばさんが受付の女性に食って掛かっているようだった。
「ただの冒険者の寄せ集めなんて玉石混交でしょう? そういうのじゃなくて、ゼシサバル王国の黒鷹みたいな冒険者集団は呼べないのかって聞いてるのよ」
「そうはおっしゃられましても……おわかりとは思いますがこのツェーフェレナでの冒険者の活動は活発ではなく、黒鷹のような組織を求められても我々ではとてもお応え出来ません」
「お金は払うって言ってるのよ? 何もそっちのルールを無視してるわけじゃないわ」
「しかし、依頼主さまのご要望にお応え出来ない以上、他の組織に頼っていただくしか……」
「そんな組織がどこにあるっていうのよ! 聖教会は海に出るっていう魔族の対応にかかりきりで話すらろくに聞いてもらえないし、貴女は私たちにこのまま魔族におびえながら生活しろって言うの!?」
「ですが、現状魔族による被害が出ているというわけではありませんので、他国にある冒険者組合に要請を出すことは難しく……」
「だから、何かあってからじゃ遅いでしょう!? そういうのを未然に防ぐのが冒険者の役目じゃないの!?」
カウンターをドンと叩いたおばさんに受付嬢はほとほと困り顔だ。
それにしても、ここまで来ても黒鷹の名前を聞くのが驚きだった。国をまたぎ、聖教会という信頼に足る組織があるこの国でもその名は知られているということは本当にすごい冒険者集団なのだろう。
「なんか荒れてるねぇ……」
私が見やっているのがわかったのかフロースタがそんなことを呟いた。
「何か耳に入ってくる感じだと海の魔族とは関係なさそうだけど」
「そうね。それとはまた別の用件があってここに来てるみたい」
負の連鎖、とでも言えば良いのだろうか?
海での魔族の一件からこのツェーフェレナも安泰ではいと思い始めた人が一定数いるようだった。
「………………」
脆い、とどうしても感じてしまう。
ある程度の力の庇護下にあってまとまっていたはずの集団が、突然現れた強力な外圧によって崩壊を始める。
それはどこの世界であっても変わりはないのかもしれない。
「千影さん?」
おシノちゃんの言葉にハッとして「なに?」と言葉を返す。
「いえ、なんだか考え込んでいたようなので……」
「詮ないことよ。なんでもないわ」
それから遠巻きに受付でのやりとりを聞いていたが、どうやら町の外に出た時に魔族のようなものを見たらしい。
魔族。それを一般の人が見分けるのはなかなか難しいだろう。私とおシノちゃんが最初の村で出会った、明らかに動物から外れた存在ならまだわかるかもしれないが、獣に近い魔族となるとそうはいかない。
魔族との戦いを生業にしている兵士や冒険者。経験不足でも術者なら術法で魔族かどうかが判別出来るかもしれない。
しかし、一般の人からすれば小さな魔族と野生の獰猛な動物を見分けるのは難しい。
結局、おばさんは肩を怒らせながら冒険者組合の建物から出て行った。受付の女性が大きくため息を吐いたのが遠巻きにもわかったので、なんとなく受付に寄ってみる。
「今のご婦人は? 魔族がどうの、という話をされていたように思いますが」
「……町の外で魔族を見たから冒険者組合でなんとかして欲しい、と」
かなりオブラートに包んだ言い方だろうというのはわかった。
「実際この辺りに魔族が出てくる可能性は?」
「二百年ほど前に水の聖女さまが実際にこの地にいらして、元からあった結界を強化してくれました。もちろんそこに穴が出来たなんて話は聞いていません」
「それじゃあさっきの魔族の姿を見たという話は?」
「針小棒大……いえ、正直に言ってしまうなら妄言に近いものだと思います」
と受付嬢は言った。
「海の上のことは正直何もわかりませんが、内地ということで言えばここに魔族が出てくる可能性ないと言って過言じゃありません。たぶん大きな野生動物か何かを見間違えたのでしょう。だけど、聖教会の検問だけでは不安だから、と」
確かにドブさらに庭木の剪定だけでは冒険者を名乗るには問題がある。だが、かと言ってそれだけの余力が町の冒険者組合にないのはお察しだった。
「それはまた都合のいいことで……」
はぁ、と半分ため息のような形で息を吐いた。
普段は聖教会聖教会と言いながら、その聖教会が別のことに執着して自分たちが手薄になると手のひらを返したように冒険者にすりよってくる。もちろん冒険者としても嬉しいものじゃないだろう。
たぶんここがアクウァならもう少し違った状況になったはずだ。
あそこはツェーフェレナの中でも特に宗教色が強い。このくらいじゃ聖教会への信頼はおそらく揺らがない。
しかし、ここには海を通して他所の地域からの文化が入ってくる。そうなると、大なり小なりあるとは思うが、聖教会への信頼が揺らいでしまうのだ。
「あの様子だと数日中に掲示板に魔族関係の案件が出て来そう」
「千影さんはそれを?」
「受けるわけないでしょう」
おシノちゃんの言葉にすぐにそう返した。
「彼女も言っているけれど、たぶん魔族はこの付近の内地には出てないんだと思う。だけど、自分の想像と違った『魔族の姿はありませんでした』っていう報告をして『はい、そうですか』って大人しく聞いてもらえるようには思えないからね」
「なんか逆に相手を怒らせる結果になりそうですね」
「まぁ、そもそもEランクの冒険者がやれる任務かどうかもわかんないけどね」
*
予想通り、それから三日経ったら冒険者組合の掲示板に『魔族討伐』依頼の紙が貼られた。
『捜索』や『調査』ではなくいきなり『討伐』とくるのはあまりにもバカらしく、横に立った背の高い冒険者は私に目配せをして『やってらんないな』とでも言いたげに肩をすくめてその場を去って行った。
元々、この町に来るような冒険者は別の目的があって、中継地点としてここを訪れるのがほとんど。そして、この近辺の内地に魔族がいないのは十分承知していた。
それなのにどうやっていもしない魔族を『討伐』出来るというのか?
「困りましたよ、正直」
この数日冒険者組合に顔を出していたせいか、私が件の依頼書を見やっていると受付の女性が隣にやってきた。
「最初は『調査』や『捜索』などの名目で出すことが慣例となっている。実際に魔族が存在するとわかってから『討伐』依頼は出すものだ、と再三申し上げたんですが、『自分が見た』、『間違いない』、『魔族だった』。聞く耳を持ってもらえませんでした」
「それで最後は?」
「こちらが根負けです。この国じゃ冒険者は結局強く出られないのが実際で……」
「お疲れさまです。それで、この依頼、受けてくれる方は?」
「いないとわかって聞いていませんか?」
受付嬢は嘆息した。
「受けられることのない依頼。根も葉もない噂にせっつかれる依頼。そして、冒険者は腰抜けばかりだっていう非難の声。この先の展開が手に取るようにわかってうんざりです」
「ツェーフェレナでは冒険者の肩身が狭いそうですが、ここではそれがさらに窮屈になりそうですね。だけど、そこまでいけば批判の矛先はまた変わりませんか?」
「そうですね。時間が経てば動かない聖教会に批判の対象は移っていくでしょう。その時聖教会がどういう動きを見せるのか……。でも、たぶん海の方が優先でしょうね。内地と違って摩訶不思議なことが実際に起こってますから。それで多少ガス抜きが出来れば良いんですが……」
言いながら彼女は受付の中に戻って行った。
「受付の方はなんと?」
おシノちゃんが隣にやってきて聞いた。
「随分苦労してるみたい。これ以上冒険者の肩身が狭くなるようなことをしてくれるな、っていうのが本音なんじゃないかしら?」
「大変なんですね、どこもかしこも……」
「勇者さまが殺されて、三英雄のワガクスさまも死んだ。大元をたどるとそこが発端になってると思うと少し申し訳ない気がしないでもないけどね」
ツェーフェレナが国として動き、公認船をケアド帝国へと向けて出航させる計画を立てているのがわかったのは、冒険者組合の掲示板に四度目の『魔族討伐』依頼の紙が貼られたころだった。
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