人のいない船

 動きがあったのはその翌日だった。

 港から少し離れた沖合でケアド帝国を発ったと思われる大型の船が見つかったのだ。確かに見つかったのだが……


「誰も乗っていない?」


 私は実際に船を見てきたという船乗りの言葉に眉をしかめた。


「ああ、てっきりマストでもやられて漂流してたのかと思って近寄ってみたんだが、人の気配がねぇ。こりゃあなんかあったぞと焦って乗り込んだんだが、実際人っ子一人いなかったんだよ」

「それは……賊か何かに襲われて無理矢理に人がどこかへ連れ去られた、というような?」

「いいや、そういったような争った形跡もない。積み荷だって手つかずだった。だけど、さっきまでここには人がいた。そういう生活感は残っていたし、船のどこにも壊れた部分はなかった。なのに人だけがいなくなってたんだ」

「鳩はどうだったんですか?」


 長期の船旅となると、何かあった時のためにどこにいても正確に巣へと戻れる鳩を通信手段として使うことがあると聞いていた。座礁や故障、遭難。それとはまた別のトラブル。そういった時に鳩は使われるそうだが、男は首を横に振った。


「鳩はそのままゲージの中にいたよ。死んでなかったってことは少なくとも一週間前くらいまではエサと水をもらえていたっていたんだろうよ。だから、とりあえず鳩だけ連れて帰って、事情を書いた紙を足に括り付けてケアド帝国に向けて飛ばすって話だ」


 人だけが消え去った奇妙な船。

 この話は一日もすればパリセドスの町中に広まった。


「ケアド帝国の船は聖教会のご加護にあずかってねぇ。きっと魔族の連中に襲われて、血の一滴残らず食われちまったんじゃねぇのか!?」

「海のバケモンだ。丸呑みの方が合ってるってもんよ!」


 夜の食堂では船乗りたちのそんな揶揄するような話が飛び交うようになっていた。船乗りは他国も経験することが多いからか兵士などに比べると聖教会に対する考えが少し違うように感じられた。

 実際、食堂にいた聖教会に属していると思しき兵士は船乗りの連中を『これだから連中は好かん』という表情が顔に出ていた。



 見つかった船をそのままにしておくわけにはいかない。翌日に見つかった船をとりあえず港まで航行させるためのチームが組まれた。


「それで、それにあんたらも加わりたいってのか?」

「ええ、少し興味があるもので」


 出航の準備をしていた船乗りの男は奇妙な申し出だとは思ったようだったが、すぐに「まぁ、そりゃあ今更三人くらいは構わねぇぜ。冒険者みたいだしよ」と承諾した。


「実際、俺たちは戦いが本業じゃねぇ。一応パリセドスにいる聖教会の兵士さまたちがいくらか同行してくれることにはなったんだが……いかんせん数が心細いんだ」


 確かにいくらか同行はしてくれるのだろうが、パリセドスの町の警備をゼロにするわけにもいかない。多くを連れていくのは難しいのだろう。


「だとしたら、私たちはぴったりです。海には結界もないという話。私たちはEランクではありますが、魔族との戦闘経験もありますし、万が一の時には役に立てるかと」

「あぁ、そうとくりゃあ期待させてもらうよ」


 その言葉をうけ、私たちは船に乗り込んだ。

 時間は早朝。係留しているロープが外され、錨が上げられると、船はゆっくりと港から出航した。みゃあみゃあと鳴く海鳥に見送られている気分だ。


「なんだかすごいですね……」


 甲板に出てその様子を見ていた私たちの中でおシノちゃんが言った。大きな船がざぶんとゆるやかな波を立てながら海を進んでいくのは確かになかなかの迫力がある。

 船はほどなくして大海原に出て、帆に風をいっぱいに受けるまま進んでいく。速度も思った以上に出ているように感じられる。フロースタは純粋に風に遊び、おシノちゃんも初めての経験に少し顔を紅潮させていた。

 それに、何を隠そう私だってこのような帆船に乗るのは初めてのこと。

 風を切って進んでいく感覚にぐらりと僅かに揺れる甲板。まるで船と並走するかのように飛ぶ海鳥に、水面が泡立つ様子はいくらか冒険心をくすぐった。

 そんな大海原の景色がしばらく広がっていたが、予想していたよりも早く見張り台の男が「あったぞ!」と声を上げた。出航してまだ一時間かそのくらいだろうか?

 見張り台の男が指差す方向に目を凝らすと、遠くに確かに船影が見えた。幸い海は荒れていないし、見つかった船は帆をたたんでいるために動きは海流任せのようだ。

そこからの船乗りたちの動きは早かった。

 こちらから近づいて、船の先端を軽く当てるようにぶつかると、真っ黒に日焼けした一人の船乗りが向こう側の船に飛び乗った。そのまま船を横づけするように動かし、もう一人の男がロープを向こうに放り投げ、それを受け取った男は二つの船を手際よくロープで結んだ。そして、安全に船同士を渡れるように大きな板をかけると、向こう側の男がハンマーで板を叩いて軽く固定する。こういった作業には慣れているのだろう。よどみが一切なかった。

 まず万一の危険を考えて聖教会の兵の中の隊長らしき男が板を渡ったが、彼は渡ったのちに周囲に軽く視線を振ってから紺色のフードを取り、視線を送ってきた。そのまま数人の兵を船の警備に残して、ツェーフェレナの兵と私たちはケアド帝国からやってきたと思しき船に渡った。

 確かに昨日の船乗りが言っていたように人が忽然と消えただけで、それ以外はどこにでもありそうな船に思えた。


「いたって普通の船に見えますね……」

「とりあえず全体を見てまわりましょう」


 しかし、どこの部屋を回っても人は見当たらない。積み荷もそのままにされている。争った形跡もなければ、むしろ普通に生活をしていた環境が残されていた。片づけられていない食器。まだ珈琲の入ったままのカップ。見事に人だけが消えている。


「どうですか、千影さん?」

「奇妙な話……としか言えないわ」


 おシノちゃんの疑問に私は首を横に振った。陰陽の力でも少し探ってはみたけれど、何もおかしな気配はなし。忽然と人が消えたとしか言えない。


「少し思ったんですが、これって千影さんの時と似ていませんか?」


 そんなおシノちゃんの言葉にきょとんとした。


「千影さんも御刀に触れた瞬間にこの世界にやってきたんですよね? 元の世界からしてみたら千影さんだけが忽然と消えた話になりませんか?」

「それは確かにそうだけれど……」


 うーん、と少し口に手を当てて考えてから「あまりにも規模が違い過ぎるわね」と私は答えた。


「聞いたところによるとこの船には百人以上の人間が乗れたというもの。一緒に考えてしまうのは少し乱暴な気がするわ」

「それだったらあのアクウァの人払い結界の方が近いよね」


 そう言ったのはフロースタだった。


「私たちが鏡の中に入ったのと同じで、ここの人たちも何か特殊な結界に捕まった、とか」

「考えられない話じゃないけれど、神子さまの口ぶりからするにあの術はそう容易く扱える技じゃないはずよ。条件も様々あるでしょうし、あんまり現実的とは言えないように思う」

「ダメかぁ……」とフロースタも唸る。


「あとは……自発的にいなくなった?」


 三人でああでもないこうでもないと考えていると、ふいにフロースタがそんなことを言った。


「これだけ広い海だもん。自分で飛び込んだら死体も上がらないでお魚さんのエサになっちゃうでしょ?」

「自発的にって……いなくなったのが一人だけならそういう可能性もあったかもしれませんが、船に乗っていたのは百人近くの人ですよ? それだけの人が自発的に海に飛び込むと思いますか?」

「いや、思わないけどさ……あるかもしれないじゃん、逃げ場がなくなって海に飛び込む、みたいな感じで」

「それだったら何人かは港に着いていないとおかしいのではないですか? そこまで距離があるってわけでもないし、泳げる人は十分泳いでこられるはずです」

「だとしたら……そう、集団ヒステリーだよ! 集団ヒステリー。誰かが狂ったらそれに感化されて次々に狂っていったみたいな」

「フロースタ、先ほどから案を出すのは良いですが、そんなバカげたことがあると……」

「待って」


 そのやり取りに昔の勇者たちとのやりとりを思い出した。


「人の心に入り込む魔族がいるかもしれないって勇者の誰かが言っていたように思うわ。人の心に入り込んで操るだのなんだのって、そんなことを言っていた気がする」

「それじゃあ、この状況はその魔族によって?」

「考えられないってばっさり切り捨てるには少しもったいないわね」


 近くを通った船乗りにあとどのくらいで動き出せそうかと聞いたら、もうほとんど動かす準備は出来ているとのこと。

 ここでどれだけ話していても結論が出てくるわけじゃない。何があったかを探る話は一旦止め。とりあえず今日はそのまま港へと帰ることとなった。

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