異変と蜜言

 大規模な港町というだけあって宿屋はそれなりにあった。が、今は宿選びに時間をかけず、目についたそれなりの宿に目星をつけて、早々に出かけることにした。おシノちゃんが港に興味を惹かれているのは明らかだった。


「なんだか独特の香りがしますね」

「潮の香りね。海に面した町はどこもこんな香りでいっぱいよ」


 港町は漁港もあるらしく店屋や露店にはこの近辺で獲れたと思しき新鮮な輝きを放つ魚介類が並べられていた。

 海に近づいていくとおシノちゃんの足が自然と早くなるのがわかり、それに思わず頬が緩んだ。


「すごい……」


 石造りの大きな船着き場がいくつも用意された港に着くとおシノちゃんの口からそんな言葉が思わずといった様子でもれた。

 圧倒的なモノの前に人はただ息を呑むことしか出来なくなることがある。

 おシノちゃんもそうだったのか、数十秒目の前の光景をただ見やってから、興奮したように私に振り返った。


「すごい! すごいですよ、千影さん! おっきい船がたくさん!」

「ええ、そうね」


 大きいことは確かに大きいが、ここには浦賀に来た黒船のようなものはないらしい。あれと比べると帆船は威圧感が劣る。もっとも、今そんなことを言っても野暮というもの。


「シノ、子供みたい」


 フロースタの言葉におシノちゃんは顔を真っ赤にした。


「良いじゃないの。そんなことを言ったってフロースタだってこれだけの船を一度に見るのは初めてなんじゃない?」

「まぁ、それはそうだけどさ」

「ここに着くのは行商船や客船で、漁船はあっち側に見える漁港に行くみたいね」


 船着き場と船に目が行きがちだが、レンガ造りの建物も何棟も立っている。

 船から荷を下ろし、台車でせわしなく運び込んでいる建物もあるかと思えば、人の手で中へと持ち運ばれていく建物もある。流石に港なだけあって船乗りの姿が多く目についたが、よく見れば仕立ての良い服を着た商人らしい人物も見受けられた。

 おそらくここでは積み荷のやりとりや商売が日々行われているのだろう。この熱気はどこか流行りの市場とはまた違ったものを感じさせた。

 そんな中で船乗りも商売人もあまり入って行かないやや小さめのレンガ造りの建物があった。軒先に掲げられたプレートには船の形に彫られ、下に『受付』の文字があった。

 

「おシノちゃん」


 未だ興奮冷めやらぬおシノちゃんとフロースタを呼んで中へと入る。中は思っていたより人がいたが、明らかな船乗りや商売人の姿はなく、逆に私たちと同じ旅人の姿が見受けられた。ここは客船の切符売り場なのだろう。

 いくつかあるカウンターの一つに近づいて「すみません」と声をかける。


「はい、なんでございましょうか?」

「ケアド帝国に向かう船の切符を三枚欲しいんですが」

「ケアド帝国行きの船ですか?」


 途端、受付の中の女性は少し困った顔をした。


「申し訳ございません。ただいまケアド帝国行きの切符は販売してないんです」

「販売していない? どういうことでしょう?」

「実はケアド帝国から出たはずの船がまだこちらに着いていなくて……。本来なら遅くとも五日前には到着しているはずなんですけど……」

「途中で何かトラブルがあった、ということでしょうか?」

「まだなんとも言えません。ただ、とりあえず様子見ということでケアド帝国への切符は一時的に販売を見合わせているんです」

「こういったことは頻繁に?」


 その質問に答えるのはやや難しかったのか、女性は「んー……」としばらく考えるような仕草をしてから言った。


「頻繁というわけではありませんが、耳を疑うほど珍しいというわけでもありません。この時期のケアド帝国への航路は少し荒れますから」

「荒れている海となると、遭難というやつですか?」


 そう問うと、受付の女性は慌てて「まだそうと決まったわけじゃありません」と訂正した。


「スケジュールが少し遅れているだけだと今考えています。日程的に考えてもう近くには着ているはずですから」


 なるほど、確かに御者も海路が荒れることがあるとは言っていた。思いながらも、疑心が浮かぶ。

 海図もない未知の領域に行くような冒険船なんかではなく、定期便。いくら多少海路が荒れるからといってそう簡単に遭難するだろうか?

 しかし、ケアド帝国へは順調にいっても二週間はかかると聞いていた。途中で嵐にでも遭遇した可能性は十分にあるし、五日程度の遅れはそう珍しいことじゃないのかもしれない。

 そもそも私は陸で活動していたから海の事情はよくわからない。内情もわからないままに「だろう」と決めつけるのは憶測とすら呼べないものだ。


「ですので、船が無事に着いても次のケアド帝国への出発は少し遅れてしまうと思います。と言うより、スケジュールに目途が立たないと切符そのものが売れないんですけどね……」

「もしこのまま帰ってこなければ? 単なるスケジュールの遅れなら良いですが、最悪のケースだって考えられないことはないでしょう?」


 問うと女性は難しい顔をした。再び考えるように黙ってから口を開いた。


「その場合は聖教会の本部に指示をあおがねばいけませんし、その後どうなるかは私ではちょっと……。でも、聖教会にまで話がいくと一般の方が渡航を出来るようになるまで結構な時間を要してしまう可能性があります」


 まぁ、そんなところだろう。第一こちらの世界に来てから順調に物事が進む方が珍しくなっている。そう私が諦めをかけていたところに体躯の良い男が割って入ってきた。恰好を見るに船乗りではなさそうだが、あまり品の良い商売をやっているようには見えなかった。


「魔族が出たんじゃないかっていう噂があるぜ」

「魔族が?」

「ああ。船乗りをやってる仲間から聞いただけなんだけよ」


 言いながら銭の仕草をするので、「切り売りはナシですよ」と言ってから銅貨を三枚男に手渡した。どうやら情報屋……いや、たぶんこの近辺であれこれする何でも屋のような人物なのだろう。


「仲間がツェーフェレナの港同士をつなぐ船の船乗りをやってるだがよ、途中、今までにないような濃霧に出くわしたらしいんだ。風もすっかり止んじまって、ここで足止めかって思った矢先、おかしな影を見たって言うんだよ」

「おかしな影?」

「ああ、真っ黒な化け物に見えたって話だったぜ。それを見て大慌て。全員で舵を漕ぎまくってその場をどうにか離れたらしい」

「海路に結界は?」


 ないない、と男が手でジェスチャーする。


「ゼシサバル王国と重なるような場所は維持されている場所も多いらしいが、そうじゃないところはそれに限らないんじゃないかって話だ」

「つまり、結界はなくなってしまった、と?」

「ああ。勇者さまやワガクスさまは死んじまったんだろう? 結界がなくなれば魔族が進出してくる。そう考えりゃ道理も道理よ」

「それではどうしてツェーフェレナは無事なままなんでしょうか?」


 そう問うと、「そりゃあ我がツェーフェレナ聖教国は神のご加護がある国だからに決まってるじゃねぇか」と男は軽く笑うように答えた。


「最近国境付近で魔族が出たって話も聞くが、どうせ尾ひれ背びれが付いたもんに違いねぇ。みんなビビり過ぎなんだよ。魔族がこの聖教国の内地にまで入ってこられるわけはないね」


 男はそう鼻で笑ってその場を離れていった。


「千影さん……」

「何とも言えないわね。海の上じゃ歩いて情報を取りに行くって訳にもいかないし、海の中に潜むような生物だったら探すのはさらに難しくなる」


 私はそう嘆息した。と、受付の女性が「余計なお世話かもしれませんけど……」と口を出した。


「勇者さまやワガクスさまが亡くなられたという話が来てから聖教会は港湾施設にすぐ結界を張りました。重要な航路には幾人もの術師を使って結界を生成したという話も聞きます。先ほどのお方の話を真に受けるのは……」

「ああ、大丈夫ですよ」


 そう笑う。


「旅をしていればあのような方は珍しくありませんから。銅貨三枚で邪魔を払った程度にしか考えてません」

「なら良いのですが……」

「それでは、何か進展があったらまた来てみますので、よろしく願います」


 そう言い残して建物を出る。

 次にどこに行こうかと話していたら、意外におシノちゃんから「ここには冒険者組合もあるのではないでしょうか?」と提案があった。海がこれだけ近いのだからそちらの方にばかり気を取られているかと思ったがそうではないらしい。

 その提案に特に異議もなく、道行く人に「冒険者組合の建物はあるか?」と問うたら、初老にさしかかった恰幅の良いおばさんは「あぁ、冒険者組合ね。いつも庭木の手入れでお世話になっているわ」と若干怪しい言葉と共に場所を教えてくれた。

 そして、私たちは最初にツェーフェレナに来た時の印象を再び受けることになった。


「これ、ね……」


 まぁ、流石ツェーフェレナ一の港町ということで冒険者組合の建物も三階建てで占有面積もそれなりに広い。

 が、成りはお察し。

 潮風での塩害か、三階建てではあるものの建物は少々情けなく見えた。欠けたレンガに海風にはためいている旗はどこかくすんでいる。個所を改修する金銭すらないのか、屋根は細木で補修しただけのように見えるところあった。

 まぁそれもここではやむ無しかと中に入ると、意外に人の姿がぽつりぽつりとあった。


「そう言えば検問のところでも冒険者が増えているって話していましたね」

「でも、人はいても依頼はさっぱりみたい」


 掲示板に貼られた紙は数枚。その内一枚を手に取ってみると、内容は町の側溝のドブさらいのようだった。募集ランクはGランクから。なるほど、この分なら庭木の剪定も十分やりそうだ。

 少しこの世界の文字に触れてきたおかげで、簡単なものなら文字も読めるようになっていた。


「港町なら船の護衛とかないの?」


 そうフロースタが言った。


「海なら海賊とかそういう悪い人もいそうじゃん? あってもおかしくないと思うんだけど」


 確かに考えつきそうなものだったが、おシノちゃんが軽く見て回って首を左右に振った。どうやらそういった依頼はないようだ。


「もしかしたらそのような仕事は聖教会に所属している人たちに任されているのかもしれませんね」

「宗教っていうのは敵に回すと面倒な相手だもの。ツェーフェレナの公認船を襲ったりしたら後がどうなるのかわからない。海賊もバカじゃないんでしょう」

「どうしますか、千影さん?」


 その問いかけに小さく唸る。この有り様じゃにっちもさっちもいきそうにないのは確かだ。

 とにかくケアド帝国からの船が帰ってくるか、帰ってこないにしても何かしらの情報がないと身動きがとれない。


「……なんとなく思ったんだけどさ」


 フロースタが口を開く。


「定期便を待つ必要ってあるのかな? お金に余裕はあるんでしょう? 私たちなら船の一隻くらい借りられるんじゃない? それで直接ケアド帝国に行く、っていうのは?」

「出来るかもしれないけれど簡単じゃないでしょうね」


 私は言った。


「さっきの馬車が聖教会の認定馬車だったから検問も比較的楽に抜けられたけれど、ただの馬車だったらどうなっていたかわからない。ましてや国をまたぐような移動となると、互いに慎重になるだろうし、Eランクの冒険者三人……それも私たちみたいな子女ばかりじゃ逆に厄介事に巻き込まれる可能性の方が高いんじゃないかしら?」

「そっかぁ……」


 フロースタがつまんなーいとでも言うかのように頭の後ろで手を組んだ。


「まぁ、とりあえず今日は宿で身体を休めるとしましょう。馬車旅でだいぶ身体も疲れているでしょうから」



 でも、ケアド帝国に行って、何があるんでしょうか? 

 そんなことをおシノちゃんがぽつりと呟いたのは私の腕を枕として寄り添っている時だった。もう随分と夜も更けている。独特の疲労感を覚えながら「どういうこと?」と優しく聞くと、「別に深い意味じゃないんです」とおシノちゃんは苦笑しながら言った。

 それに私は彼女の髪に唇を落とした。


「なんでも言って。私たちの間に隠し事はなしでしょう?」

「………………」


 おシノちゃんはそれでも少し迷うような表情を見せたが、ややあって言った。


「千影さんはもし、千影さんをこの世界に呼び出した存在がわかって元の世界に戻れるとなったら戻りたいですか?」

「……その質問、前にもされたわね」

「不思議ですよね」


 そう彼女が穏やかな表情になる。


「あの時はまだ、お互いに何も知らないことだらけだったのに、それでも千影さんは『私と別れるのなら残らない』。そうおっしゃってくださいました」

「ええ。今でもその気持ちは変わらないわよ」


 彼女の身体に回した腕を少しだけ強くする。なめらかな肌に私の手は吸いつくように思えた。

 そのまま言葉を続ける。


「……前の世界……日ノ本で私は徳川さまという家に仕えていたの」

「徳川さま?」

「ええ。徳川さまは三百年も日ノ本の安寧を守ってきたのだけれど、それが崩れてしまってね。もう徳川さまの世じゃない、っていうのがほとんどの人の考え。だけど、私はそうなっていても巫の家は徳川さまに仕えたままだと思ってる。だから、もし戻ってまだ何か私に成せることがあるならすべきなのかもしれないわ。仕える主を変えた覚えはないからね」

「千影さん……」


 でも、と私はそこから少し語調を強くした。


「さっきも言ったけれど、それはおシノちゃんと一緒なら、の話」


 ぎし、となるベッドの中、私はおシノちゃんの上に覆いかぶさるような形をとった。


「もし元の世界に帰るのに貴女と別れなきゃいけないとなったら、そんな答えは放り捨てるでしょうね」

「それで良いんですか? 戻れるのなら迷わず戻る。それがその徳川さまという家に仕えている者としての正しい選択なのでは?」

「そうかもしれない。だけど、動乱の世に疑問をもっていたのもまた事実なのよ」


 言いながら私はおシノちゃんの顔に唇をよせた。

 愛してる、だなんてきっと軽々しく口にして良い言葉じゃない。けれど、今の私にはその言葉を言う資格があるように思えた。


「愛してるわ、おシノちゃん。この世界の誰よりも」


 首元に吸い付き、軽く喘いだ彼女の吐息に私の中の春情に火がついたように感じた。

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