果ての里
最後の一匹。
テーロが『エリート』と言うだけあって私の振るう御刀の一撃目はなんとか防いだが、続けざまの二撃目でバッサリと斬り捨てられた。
「千影さん、お疲れさまです」
数十の魔族の死骸が転がった中で前鬼と後鬼を纏ったままのおシノちゃんが軽く息を弾ませてやってきた。
私が参加したことにより案の定戦局は大きくこちらに傾き、魔族たちがなんとか私を抑え込もうと数を集中させたおかげでおシノちゃんとフロースタの負担は十分に減ったらしかった。
ただ、それでもかなりの重労働だったのは確かなようで、フロースタはその場に座り込んで「つーかーれーたー!」と空に叫んでいる。
「………………」
それでも、式神の彼がいなかったらどうなったかはわからない。顔についた魔族の血を手の甲でぬぐう姿は間違いなく歴戦の戦士のものだった。
「おシノちゃんも無事で何よりよ。見たところ二人とも傷らしい傷は負ってないわね?」
「ええ。幸い、テーロがいなくなってから魔族は統率のとれた攻撃は出来なくなったようで、私とフロースタ、それに式神さんも力を貸してくれて、各個撃破でなんとかなりました」
「彼には感謝しなくちゃならないわね。私ひとりじゃ今回は二人を守りながら戦うというのは無理があったもの」
「そうですね、式神さんには何度も危ない所を助けてもらいました」
そうシノが微笑む。
が……
「それより、千影さん」
続けて出てきた表情や語調は厳しいものだった。
「これで千影さんもわかったでしょう?」
「わかったって……何を?」
ハテ、と首を傾げた私に、おシノちゃんはさらに語調を鋭くする。
「テーロです」
「あー……」
「あの者は一切の信用がならない悪魔です。千影さんは前に彼女をどこかかっているようなことを言っていましたが、その結果がこれです。信用するなどもってのほか。あれの口から出てくる全ての言葉は嘘偽りに他なりません。これに懲りたら――」
「――わかった、わかったわ。説教なりなんなりは後で聞くわ」
『ぷんすか』という擬音を出しているかのように怒るシノをどうどうとなだめる。それに、今はそんなことをしている場合でもない。
ゆっくりと男の元へと歩いていく。
「ありがとう。本当に助かったわ」
「そちらこそ見事な腕前だった。視界の端々に映る光景に己の未熟さを思い知らされた」
ふっ、と男が笑う。
「いくら勾玉で強化されたと言っても、私も所詮はたかが式神の一体なのだな。貴殿の方に連中が集中しなければどうなっていたかわからなかった」
それに私は小さく笑った。
多分私が参戦しなかったとしても彼は私との約束を守り通しただろう。彼にはそれだけの実力と矜持があるように感じられた。
「……貴方の他に人は? 式神でもいいのだけれど」
「いないさ。とうの昔に滅んだ。些末なことが原因だったと思うが、今の私にはもはやそれが何だったのかすら思い出せなくなっている。それだけの時が経った。ただわかるのは、私は主の命を果たせなかったということだけだ」
「そう……」
男の顔にはいくらかの寂しさがあったように見える。式神である以上召喚した主のことくらいは覚えているだろうが、彼に残されたのはそのくらいのものしかない。今は永延と一人だけの時間を過ごすばかりに違いない。
そんな中、彼はいったいどういうことを思うのだろうか? と考えるには私はあまりにも若輩者と言えるかもしれない。
男はふっと息を吐き、顔つきを先ほどの凛々しいものに戻して問うてきた。
「今更だが、貴殿らはいったい何が目的でここに?」
「事情があるのよ。こちとら圧倒的情報不足でね」
「なら、私の使っている家で話をするとしよう。朽ちてはいるが果ててはいない。茶の一杯くらい出すくらいの余裕はまだある」
そう言って式神の男は歩き始めた。
*
そこは里と言うにはあまりにも朽ち果てていた。
崩れながらも原型を辛うじて保っている家はまだ良い方で、他は「ここには家があったのではないか?」と思うのがせいぜい。昔は手入れがされていただろう道にも草が生い茂り、男の通る道以外はもはや地面が見えぬほどに草花に覆われていた。
たどり着いたのは一軒の茶屋のような建物だった。
日ノ本でよく見たようなものだと言ってよかっただろう。古臭くはなっているが、男が住んでいるおかげか建物が死んでいるようには見えない。確かに朽ち果てた里の中でこの家だけは果ててはいなかった。
「今更なんですが、貴方はなんというお名前なのですか?」
「名前?」
「はい。もうわかっているかと思いますが、私はシノと申します。彼女……千影さんにつけてもらいました。それで、この子がフロースタ。外見はホーマ族ですが、精霊が宿ってその体を使っています」
「それでか」
男が合点のいったような表情を見せた。
「貴殿らの中でその幼子からだけは人間味がいくらか欠落しているように感じていた。そうか……中身は精霊か」
「一応ね。氷の精霊だよ」
「冬が顕現したようなものだな。どんな熱でさえ絶対の零度には逆らえない。熱を奪い、凛とした空気を世界へともたらす。眠りの季節。そして、春の訪れを察して目覚めをつかさどる。生と死の狭間を揺蕩うようなそれは神秘という言葉に近くある」
「すごいね! 私のことを感覚でそれだけわかってるのは千影以外じゃ初めてじゃないかな?」
「私とて式神の端くれだからな」
男は顔を柔らかいものにした。存外子供は嫌いではないのかもしれない。
「それで、貴方のお名前は?」
「そうだな……なんという名だったのだろうな?」
「それって、名無しの権兵衛さんだったんですか?」
「過去にはおそらく名を呼ぶ者もいたはずだ。主が死したとは言ってもここにはある程度の人間たちがいたからな」
「でも、今は……」
「そう、ご覧の有り様だ。私の名を呼ぶ者などとうにおらず、今となっては自分で自分の名を忘れるほどの時が経った」
「本当に他の人はいないのですか?」
「ああ、人っ子一人存在していない」
おシノちゃんの疑問に男は答えた。
「狭い箱庭で種を保てるほど人間……そちらの流儀で呼べばホーマ族は賢くなかったということだろう」
「式神も?」
それに男は自身の髪を引き抜いて息をかけると、小さな丸い鬼のようなものがポンポンと現れた。
「この程度ならいないことはないが、私レベルの式神となったら存在していない」
「式神が式神を使役する。貴方の主は相当な陰陽師だったようね」
「この里で一番の使い手であり、知者でもあったと言えるのは間違いない。が、寄る年には勝てずに死した。私という置き土産を残してな。もう何千年も昔のことだ」
「それじゃあ貴方は何千年も主なしで存在出来ているんですか?」
「彼は半永久的に動く式神だと考えた方が良いわ」
おシノちゃんの疑問には私が答えた。
「ここまでの式神を作り、操ったとなるとその術者は類稀なる存在だったと言って良いでしょう。自分で言うのもなんだけれど、その才は私よりも長けていたんじゃないかと思うわ」
「それは言い過ぎというものだろう」
男がもらすように笑う。
「式神だからこそわかることもある。貴殿だって相当な陰陽師だ。五行の真髄。言うは易し、行うは難し。だが貴殿は十分すぎるほどにその真髄を掴んでいるように見える」
「さっきも言ったけれど、陰陽師は副業のようなもの。私は剣客。違えた理想の果てに殺しを繰り返してきた殺人者に過ぎないわ」
「理想の果てに殺しを繰り返してきた、か……」
男が視線を落とした。土くれの中にその答えがあるかのようにじっと見やり、少し経ってから
「人類にはそこが限界点なのかもしれないな」言った。
「同じ理想を抱けず、違えた目標を掲げ、異端者を排除しようとする。……外の世界もそうなのか?」
「そこまではわからないわ」
肩をすくめて答えた。
「ただ、長耳……フェンドゥーロの連中は栄えてはいるわ。魔族という化け物に苦労はしてるけどね」
「魔族……」
男が目を細める。
「それは先ほどの物の怪連中のことだな? 彼らはいったい何物だ? 少なくとも動物の一種と見るにはあまりにも異端すぎた」
それに今まで会ってきた魔族の特徴を説明してみるが、男は深く考え込んでいるようだった。
「それも人間の驕りの残滓だろうな」
ややあって言った。
「貴殿らには到底わからない世界だと思うが、人間はその昔、宇宙を手に入れ、生命すらも自在に操ろうとしていた時代があったという」
「宇宙っていうと、さっき言っていたボヤジャント?」
「そうだ。人間たちはボイジャーと呼んでいたが、宇宙をその手にするための足掛かりがそれだったらしい。もっとも、私も詳しくは知らされていないのだがな」
男は、「お手上げだ」というようなポーズを見せる。
「そして、もう一つの禁忌。それが生物への神の真似事だ」
「神の真似事……」
「ああ。そのなれの果てがその魔族だということは間違いないと思ってもらって構わないだろう」
「魔族が神の真似事のなれの果て……?」
「人間に使役された私がこういうのもおかしな話だが、人間が驕り昂っていたのは違いない。全知全能の神を気取った、とでも言えば良いだろうか? そうして、今滅びの道の最先端といって良い場所にいる。世界を見ず、己の所業を省みず、ただ実った果実だけをむさぼろうとした先に待っていたのがこの世界だ」
そう言って彼は荒れ果てた村を見やった。
私もつられるように村を見やる。
草が好き放題に伸び、彼が手入れをしていると思しき部分以外は好き放題に生えては枯れを繰り返しているように見えた。
「だけど、そんな滅びの最先端に私は迷い込んだ」
彼は小さく頷いた。
「もしかしたら、まだ世界のどこかに朽ち果てた夢を見続けている輩がいるのかもしれない」
「だけど、それは生憎ここじゃなかった」
「そうだな。もう貴殿を呼び出せるほどの者はここにはいない。ここは貴殿にとっては何の意味もない場所なのではないか?」
「そんなことはないわ。少なくとも貴方に会えた。それだけで大きな収穫よ」
言いながら自分の胸を指し示した。彼の胸にかけられた勾玉五つ。それは初めて見たテーロの勾玉に勝るとも劣らない力を有しているように感じられた。
「勾玉に興味があるのか?」
「と言うより私の知らない世界全てに興味があると言った方が正しいわね」
「私たち……この場合千影さんは、と言った方が正しいかもしれませんが、元の世界に戻る術を探して旅をしているんです」
「元の世界?」
男は猛禽類のような目を一層鋭いものへと変えた。
「事情があるのは重々承知だが、もう少し詳しく聞かせてくれないか?」
「正確に言えば私はこの世界の住人じゃないかもしれないのよ。似ているけれど、別の世界からやってきたという可能性も考えているわ」
そのまま私がこの世界に来た経緯をかいつまんで話す。
こちらに来てからは様々なことがあり、もう幾年も過ごしたかのような感覚があったが、実際はまだ私がこの世界に迷い込んでからさほど時間は経っていない。
話をする傍ら、外に意識を向けると、遠くからは鳥の鳴き声が聞こえ、庭では猫が丹念に自分の顔を洗っているのを見ることが出来た。どうやら滅んだのは人間のみで、いくらかの動植物にとってここは楽園となっているのかもしれない。
「件の御刀を見せてはもらえないだろうか?」
話が終わり、男は何か真剣に考えるような仕草をしてから言った。
私は腰から御刀を鞘ごと抜いて男に手渡した。受け取り、彼はじっと何かを見通そうとするかのような目つきで、御刀の仔細、柄の革緒のごく僅かな隙間さえも見逃さないようにしていた。
そうして十分ほどしていただろうか? 彼が唐突に聞いてきた。
「貴殿は三種の神器については知っているか?」
「三種の神器? それは、八咫鏡、天叢雲剣に八尺瓊勾玉っていう……」
と挙げたところで、「まさか……」と私は口にした。
「ああ。これは天叢雲剣である可能性がある」
彼の口から出てきたのは今までの予想の中で一番吹っ飛んだ考えのように思えた。とても、「なるほど、そうかもしれない」などと同意出来るものじゃない。
しかし、彼はそんな私の考えもお見通しだったらしい。言葉を続ける。
「神器。まさに神の器なのだ。これを介して数万……いや、数十万数百万もの時を一気にかけ、ここへ導かれた可能性もある。そもそも、私の胸にかかっている聖遺物と呼ばれるものだってフェンドゥーロとの戦いに際して作られ、八尺瓊勾玉の力にあやかろうと勾玉の形にされたのだ」
「でも天叢雲剣は剣ではあったが刀だったなんて聞いたことがないわ。それに、天叢雲剣はもっと過去に造られたものでしょう? この御刀はそれよりはるかに新しいものよ?」
「もちろん天叢雲剣、その現物は残っていないだろう。だが、その概念だけは脈々と受け継がれていた可能性は十分に考えられる。そして、何がきっかけかはわからないが、その概念がその御刀に宿った」
「しかし、なぜそんな御刀が私のところに……?」
「人類として最後の抵抗の意味かもしれないな」
そう言って男は「すまない、感謝する」と私に御刀を返してきた。私はそれを畳の上に置いた。
「この分だと八咫鏡と八尺瓊勾玉もこの世界にきていておかしくない。もし貴殿が自身に起こった謎を解こうとするならこの一振りだけでは難しいだろうな」
「八咫鏡や八尺瓊勾玉。その二つも必要になる、と?」
「必要かどうかはわからない。だが、この世界にそれだけの力を有した者がいるということだ」
「そういう相手なら三種の神器全てを呼び出していてもおかしくない、か……」
彼は黙ってうなずいた。
頭が痛くなりそうだった。確かに御刀がただの御刀だと思ったことは今までに一度もなかった。だが、だからと言ってまさか天叢雲剣だなんて想像だにしていなかった。
それでもかのような神器であれば今までのあまりに不可解とも言える力にも納得が出来る。
「まぁ、焦って結論を出すものでもあるまい。その可能性がある。それを頭の片隅に置いておいてもいいのではないか、くらいに考えてくれ」
彼はそのまま立ち上がって「帰りを急いではいないのだろう? 茶の一杯くらいは飲んでいくと良い」と奥へと向かった。
*
結局、それからお茶をいただき、多少の雑談をしてから場所を辞そうとした。その際、私は「貴方も一緒にくる? 外の世界で私を呼び出した暇人を探そうと思ってるの。貴方なら歓迎するわ」と言った。
が、彼は私の予想通り「ありがたい誘いだが、遠慮しておこう」と寂しそうな顔で、しかし確かな意思をもって僅かに笑った。
「悪く思わないで欲しい。存外、ここでの一人の生活も気に入っているんだ」
「でも、ここに何もないと知った連中は何をするかわからないわよ? 結果を持ち帰らなければ毒を流すともおどされていたし」
「流したければ流せばいい。こう見えてもそれなりの式神のつもりだ。ここに息づいた生き物たちを生かすことくらいはやってみせるさ。それに何より、ここに驕り昂ったが故に滅びへの道を歩んだ種族がいたことを後世に刻む役割が私にはある」
「また、誰かがやってくるなんて保証もないのに?」
「ああ」
そう言った彼の目にはただの式神にはないような感情があるように見えた。
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