式神と襲撃

 抜けた先に広がっているのは木漏れ日の差す森だった。

 鏡面を通る時は夜であったはずだったが……これも何か未知なる力が作用したということなのだろうか?

 おもむろに周囲を見渡すが特別何か変わった森という印象は受けない。優しく風が吹くと青々としげった木々たちがさわさわと音を立て、遠くからは鳥の声も聞こえてくる。深く呼吸をすると抜けるような緑の薫りがした。

 通ってきた方を見ると、森の中にあるには不自然に思える巨石に二メートルほどの鏡が立てかけられていた。神殿にあったものと比べると幾分もみすぼらしく思えるが、おそらく性質は同じなのだろう。


「千影さん」


 そうしている内にその鏡面からおシノちゃん、フロースタと続いてその場に現れる。

 異空間移動……なんて言葉で言えば良いのだろうか? 私自身こちらに来てから様々な『不思議』を体験してきた。しかし、これはその中でもかなり上位にある『不思議』に思えた。

 神子さまはワガクスが使用した『ディメンション・エクステンド』の本家本元のような言い方をしていたが、なるほど、これだけの空間が実際ではなく異界とも呼べるような形で存在しているのは相当な力だろう。


「あの神子さまが言ったようにこの空間が異空間とも言えるものだとしたら、私たちはこの空間に閉じ込められたということになるわね」

「じゃあ、例えば今この鏡を割ったりしたらどうなるのかな? 薬を使っても戻れなかったり?」

「フロースタ、頼みますから興味半分でとんでもないことをしでかさないでくださいよ?」

「未知の空間……にしては懐かしい匂いがあるように思うわ」

「懐かしい?」

「ええ。久しく覚えていなかった感覚よ」


 少なくとも御刀に接してからは接することのなかった感覚だった。


「……人を探しましょう」

「それはホーマ族、ですか?」

「そうなるわね。この空間に張られた結界は間違いなく陰陽道に通じるものがある。となれば、仕掛けた人間がいるはずだもの」

「でも、ここをむやみやたらに探すの?」


 フロースタがうっそうと茂った森を見やり、少しげんなりした表情を見せる。


「もしホーマ族がどこかに住んでてもまともに会える気がしないんだけど?」


 そんなフロースタの言葉に「大丈夫よ」と言葉を返す。


「これだけの結界だもの。きっと今、相手側は私たちを未知の存在として感知してるはずだわ。よほど会いたくないというのなら話は別だけれど、ほんの少しでも警戒心があるなら様子をうかがいに来るんじゃないかしら?」


 言いながら私は先頭を切って森の中に入っていく。

 御刀で周囲の草を払い、木々を斬って獣道とも言えぬあぜ道を作っていく。おシノちゃんとフロースタは少し顔を見合わせたようだったが、「まぁ千影がそう言うのなら」といった感じで私の後に続いた。

 そうして十五分ほども道を進んだだろうか?

 気配を察して私は「止まって」と二人を守るように前に出る。


「二人とも少し下がっていて」


 御刀を鞘に戻し居合いに構える。

 と――


「なるほど、凡俗の徒というわけではないようだな」


 若い男の声。

 次いで、私の前にその姿を現した。どうやら木々の上を跳んでここまでやってきたらしい。

 手には二対となる刀剣。後ろに撫でつけられた髪にがっしりとした背格好はその刀剣を自在に扱えるだろうことが容易に想像出来た。そして、もちろん耳は尖ってなどいない。年齢で言えば二十歳をいくらか超えた程度といったくらいに見える。


「千影さんと同じような格好ですね」

「貴方は日ノ本の……いえ、そもそも人では……」


 そこまで言って言葉を止め、じっと彼を見やる。

 五感全てで感じ取ることが出来た。目の前の存在の『ソレ』が一体何で、どういう仕組みなのか。が、私がその謎を追求する前に彼は小さく微笑んで自らそれを明らかにした。


「ご明察。私は人間ではない。式神だ」

「それもただの式神じゃない。かなり高位に位置しているわね」

「貴殿のような陰陽師にそう評価をもらえるとは嬉しい限りだな。とは言っても、格好を見るに本業は陰陽師ではなさそうだが」

「ええ、私は剣客よ。陰陽師はそのついでのようなもの」


 彼の胸には五つもの勾玉が飾られていた。

 存在自体だってかなりの存在の式神のように感じられる。そんな式神が五つも勾玉を持っているのだ。どの程度なのかは想像がつかなかったが、相当の強者であることは間違いない。

 じり、と僅かに私は動いたが、彼はそんな私にふっと笑いをこぼした。


「そう殺気立たないでくれ。私は貴殿らと刃を交えよと命令されてここにいるわけじゃない」

「貴方の主……それがこの空間をホーマ族……いえ、人間だけが通れるように結界を張った張本人ね?」

「その通りだ」

「ちょ、ちょっと待ってください」


 おシノちゃんが私たちの会話に割って入った。


「結界を張った張本人って言っても、結界はもう何千年も維持されているんですよね? そんな人がまだ生きているんですか?」

「ふむ……そちらのお嬢さんは才はあれど経験不足か?」


 その質問に「そうね」と首を縦に振ってからおシノちゃんを見やった。


「中にはあるのよ。自分の死後も続く術……いえ、自身の死をもって完成とさせる術が」

「それじゃあ……」

「その通り。私の主はもう生きてはいない。幾星霜も前に死した。私にこの空間を維持し、どうかこの空間だけでも平和な世界が続くよう厳命してな」

「この空間?」

「ああ、我々人類が押し込められたちっぽけな箱庭だ」


 言って男が目を細める。


「だが、そこでこそこそ隠れている貴様は彼女たちの仲間、というわけではなさそうだな」

「え?」


 瞬間、空から『何か』が現れたかと思うと、男へと突っ込んでくる。

 一撃。

 二撃。

 三撃、四撃。

 相当な速度で振るわれるそれを男は二刀でいなす。


「テーロ!?」


 そこでようやく私は気づく。


 ――なぜ気づかなかったのか?

 ――なぜ思い至らなかったのか?


 これほどまでの苦渋を飲まされたのはいつ以来かと思うほどに苦々しい表情で私はテーロを見やる。

 奇妙な違和感。

 漠然とした不安。

 それは彼女が私につけたシルシによるものだったのだ。彼女はそのシルシを導としてこの空間に転移してきたに違いない。

 五撃、六撃。

 大きく振りかぶっての七撃目の槍の先端を男は二刀の刃で受けるが、後方に押し流される。


「な、何が起こってるんですか!?」


 キン、キンと高鳴る音があるからこそ今この場で戦いが起こっていることをおシノちゃんとフロースタもわかっているだろうが、攻防の一端も実際には見えてはいないだろう。

 目の前で繰り広げられる戦いは、少なくともつい先に私とテーロが共闘して滅した異形の生物の分身体と同じ次元の場所にあった。安直にそう言っていいものかはわからないが、人ならざる者同士の戦いだ。

 私は咄嗟の事態が起こってもすぐに動けるように居合いに形を取った。ついでに前鬼と後鬼を召喚し、おシノちゃんへと渡す。彼女は戸惑いながらも前鬼と後鬼を受け取り、身体に憑依させた。

 数撃のやり取り。

 ひと際大きな音が鳴り響き、周囲をぶわりと風が吹いて場が静まり返った。


「……流石、過ぎたる驕りの果てに生み出された怪物だな」


 男が息を短く吐いてから言った。


「窮地にあったと言えど、驕り高ぶった果てに怪物を生み出したのは人類の汚点と言わざるを得ない」

「いやね、怪物なんて言われ方は」


 それにテーロがようやく口を開いた。


「そっちこそ、ただの式神ごときが私相手にここまでやるとは思わなかったわ。褒めてあげる」

「随分と上から目線だな。式神ごとき。そう言うが、貴様とて根源は同じではないか」

「笑わせないで。貴方と私、どれほどの力の差があると思ってるの? まさか今の寸劇が私の全力だなんて思ってないでしょう?」


 その言葉に男がぎゅっと視線をきつく絞る。


「それじゃあ、ちょっとだけ本気でやらせてもらうわよ」


 瞬間、テーロがにやりと笑って消えたかと思うと、次の瞬間にその姿は男の眼前にあった。


「くっ――!」


 槍の一撃を男は辛うじて受け切る。

 二撃三撃。

 テーロの苛烈な攻めを男が二刀で辛うじて防ぐ形で応酬がされる。

 スピード、威力。

 共にテーロの方が幾分も上だが、男は技術でその二つをカバーしている。その技術は並の修練では到底会得出来ないものだっただろう。

 重い一撃。

 男は地面を転がるが、大きく後方へと身体を流してなんとか受け切った。


「ふぅん、結構頑張るのね」


 テーロがからかうように言った。

 それに男がふぅぅ、と細く長く息を吐き出してから言葉を紡ぐ。


「問おう。今更人類驕りの化身が何用だ?」

「何用とは失礼ね。呼び出したのはそちらの癖に」

「ああ。驕りの末路だ。だからこそ封をし、永延の眠りについてもらおうとしたのではないか」

「だけど、その封は七百年前、そして今になってもう一度解かれた」

「七百年前?」


 男は眉をひそめた。


「ああ、こんな箱庭で暮らしてたんじゃ知らないわよね。ボヤジャントのことなんて」

「ボヤジャント……?」


 それに男が顔をしかめた。が、すぐに思い至るものがあったらしい。


「……なるほど、ボイジャーか。宇宙さえも自分の領地としようとした人間の浅ましさの残滓が七百年前にもあったということか」

「安心しなさい。そっちの方はフェンドゥーロに滅ぼされたから」

「そして貴様は再び……」


 ちらりと男がおシノちゃんの方を見やり、言葉を続けた。


「……器に押し込められた」

「ええ。でも、今度は完全な形で器から助け出してもらえたのよ」

「完全な形で助け出されたのだとしたら、貴様のことだ。独りで還ることも出来ただろう? 母なる海、雄大な大地、そして全てを覆う空。あまねくところに還ることが出来たはずなのに、それが今となって槍を振るうのはなぜだ?」

「なぜも何もないわ。ワガママで呼び出されて、今度は勝手に還れ? 随分と言ってくれるじゃない。そういう人間の驕りに腹が立つのは当たり前だと思わない?」

「つまるところは復讐、といったところか。思った以上に安直なものだ」

「あら、もっと崇高な目的が出てくるとでも思っていたの?」

「いや、愚問だったな」


 男は自分でもバカなことを言ったと思ったのか小さく笑った。


「スケールの差こそあれ、惑星もただの物体の一つに過ぎない。そこに崇高さを求める方が間違いだった」

「そういう扱われ方も腹立たしいのよね。どこまでも驕り昂る人間どもの浅ましさよ」

「否定はしない。意志も感情も迷いがある。そこに絶対などない。持ちうる者が崇高などと思ったところから全ての間違いは起こったのだろう」

「だから、私が掃除をしてあげようとしているのよ。ホーマにフェンドゥーロ、両方ね」

「言う割にやたらめったらというわけじゃないのだな」

「それこそ能無しのやることじゃない。どうせ滅ぼすのなら楽しい方が何倍も良いと思わなくて?」

「理屈はわかる」


 言いながら男が二刀を構え直した。


「だが、理解し、同調しろと言われてもうなずく気には到底ならん」

「ふん、所詮は良い子ちゃんに呼ばれた式神風情ね」


 テーロも槍を構える。


「自分じゃやりたくないから、私と同じ存在に全てを託そうなんて、あまりにも自分勝手じゃない。ねぇ?」


 そうテーロ私の方を見やる。


「貴女もうすうす気づいているでしょう? 空に浮かぶルーノ。その化身なら、貴女はどちらかと言えばこちらの立場でなくて?」


 私は目にギュッと力を込めた。


「……生憎、話が見えないわ」

「ウソ。ただ、貴女の中の常識がそれを拒んでいるだけ。だけど、今はどちらでも良いわね」


 テーロは高らかに声を上げる。


「さぁ、ささやかな饗宴の始まりよ!」


 途端、地が揺れ、轟音が辺りに走る。

 そして、同時に大量の魔族と思しき存在が周囲に召喚……いや、転移されてきたと言った方が良いだろう。

 テーロの言葉は正に場を混沌へと落としこんだ。

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