忘れられた里

異空間へ

 目の前にあるのは高さが三メートルはあろうかという巨大な鏡だった。上にかけて柔らかなアーチを描き、周囲は精緻な金の装飾がされている。周囲には小さなランプがあるだけで薄暗く、通ってきた道も地肌がそのままとなってごつごつとした印象があったからかもしれない。それはまるで突然この世界に現れた異世界への扉か何かのようにすら感じられた。


「これがホーマ族を囲ってる場所に続いてるゲートのひとつよ」


 神子さまはその雄大な鏡に圧倒されている私たちにどこか誇るような口調で言った。

 今私たちがいるのは第一神殿の地下深くだった。

とは言っても、階段を降り、あまり手入れのされていない洞窟をそれなりの距離を歩いたからここがアクウァのどの辺りにあるのかはよくわからない。

 神殿の一角に作られた下へと降りる階段は普段から固く警備がされているらしかった。おまけにカモフラージュもされていたようで、序列四位の神子さまとて部外者である私たちを誰にも知られることなく中へ入れるための工作には随分とかかったとみえる。彼女の使いの者が深夜にこっそりと私の元に来たのは、このアクウァに宿を取って五日経ってからだった。


「数千年前と変わっていないのなら、ここを通って一時間くらい森の中の道を進んだところにホーマ族の村があるはずだけど、今はどうなってるかはわからないわ。アンタらホーマ族はえらく短命だから事情も何もかもころころ変わるでしょう?」

「そうですね……数千年もあれば文化も習慣もかなり変わっていておかしくありません。言語だってまともには通じないでしょう」

「その前にもう中で滅んじゃってるってことはないの?」


 フロースタの疑問に「それもあるかもね」と神子さまが言った。


「ただ、中の結界が千年単位で維持されているということは、一定の力を持ったヤツが生きて、勇者の連中たちがやっていたように代々結界を維持してると思ってるわ。それで、今から私がこの鏡にゲートを開くから、あんたたちは中へと入ってちょうだい。ホーマ族であるあんたらなら結界に弾かれることなく中に入れるはずよ」

「具体的にどこまで調べれば良い、という指針はないんですよね?」

「残念ながらね」


 神子さまがそう肩をすくめる。


「そりゃあマガタマの生成方法から力のあるマガタマをたくさん持って帰ってくれるのが一番だけど、そうは簡単にいくわけないとは思ってる」

「つまり、引き際は私たちに任せる、と」

「そういうこと」


 言ったが、神子さまはさらに言葉を続けた。


「ただ、向こうの世界に行って、ホーマ族はホーマ族同士、こっちの依頼なんて無視して末永く幸せに暮らそう、なんてことは考えないようにね?」

「どうしてでしょう?」

「あんたらが向こうの世界に行って一週間。何も動きがなかったり報告が上がってこなかったりするようならば水路に毒を流させてもらうわ」

「水路に毒を?」

「異空間と言っても水はこちら側の一部を流用しているのよ。毒を混ぜればあっちの世界はたちどころに困ることになるわね」


 もちろん、こっちの世界にも多少は影響が出ちゃうからやりたくはあんまりないんだけど。

 そう神子さまが嘆息した。


「つまり、期限は実質一週間と考えてよろしいんでしょうか?」

「最長の場合ね。目立った収穫がなかったとしてもそれを目安に一度は必ず戻ってくることね。『収穫ナシ』でも一応『収穫はなかったっていう収穫』になるから、あんまり重く考えない方が毒で死なずにすむはずよ」


 恐ろしいことをさらりと言ってのける。

 ただ、それだけ聖遺物、勾玉の情報が欲しいというのは事実のようで、今日の神子さまはこの前に会った時よりも若干やつれているように見える。方々に根回しするのは大変だったとみえる。

 そんな私の考えを読んだように神子さまは愚痴るように言葉を口にする。


「本来ならこのゲートを開くには色んな議決やらなんやらをクリアする必要があるの。正直、もうちょっと楽に誤魔化せると思ってたんだけど、どうにも融通が利かない部分があって時間が随分とかかっちゃったってわけ。この国のお偉いさんたちはどいつもこいつも頭カッチカチ。このままじゃ魔族が攻めてこなくても勝手に滅ぶんじゃないかと呆れたわ」


 全体を通して考えれば彼女のやっていることは神族の未来を思ってのことなのだから神族としてみれば善なのだろうが、局所だけを取り上げれば規約に反する。そういう理屈をどうこうするのに苦労するのはどこの世界でも共通なのかもしれない。


「………………」


 一方、最初に神子さまから話を持ちかけられた時に生まれた嫌な予感は未だ消えてはくれず胸の中に残っていた。

 おかげでこのところは夢見も悪く、眠りも浅かった。かと言って思い当たるものに心当たりはなく、現実的に何かが起こったわけでもない。

 今はこのまま全て杞憂で終わってくれることを願うばかりだった。


「ま、おしゃべりはこのくらいにしときましょ。あんまり長引いて神殿の誰かに勘付かれたら困るしね」


 言って、神子さまは巨大な鏡に触れて何か口述を始めた。口述ということは術法の一つなのだろうか? おシノちゃんとフロースタの方を見やったが、二人とも「心当たりはない」といった様子でかぶりを振った。二人が知らないとなれば、術法ではなくゲートを開くためのパスワードか何かなのかもしれない。

 口述は長く、神子さまは一分ほどひたすらに言葉を紡いでいた。

 そして、


「――っ!?」


 突然鏡面が眩く光ったかと思うと、次の瞬間には様々な色が交ざり合った水模様へと変化した。それが絶えず揺れ動くように変化する様はあまり触れて身体に良さそうなものとは思えない。

 ゆっくりと神子さまが手を離す。


「さて、見ての通りよ」


 神子さまが言いながらコンコンとその表面を叩く。


「ご覧のとおり私たちにとってはただの壁と変わりない。けど、ホーマ族なら……」


 言いながら私に向かってあごで指示する。

 私は軽く触れるようにそれに手を伸ばしたが、そこに壁のようなものはなく、水模様の向こうへと腕が呑みこまれた。


「なるほど……これがホーマ族以外の者を拒む結界、ということですね」

「そういうこと。まぁ、私もこの先に手を入れられた存在を見るのは初めてだけど」


 視線でおシノちゃんとフロースタにもやってみるよう促すと、二人はおっかなびっくりという様子で水模様に触れる。と、私同様弾かれるようなことはなく、向こう側へと手が呑まれた。

 一度腕を引き抜いて手を閉じたり開いたりするが特別おかしな感覚はない。本当にただ他者を排除するためだけの結界のようだ。


「さっきも言ったけれど一応の目安は一週間。余裕をもって三日ほどで帰ってくることを考えときなさい。結果が早々に出たなら、さっさと帰ってきても構わないわ」

「そうはおっしゃっても、戻ってくる時はどうすれば? あちら側では自由に行き来出来るのでしょうか?」

「それじゃあここを捕虜の檻にしていた意味がないでしょ」


 あんたバカなの? とでも言いたげにおシノちゃんの言葉を神子さまが切った。


「向こうからこちらに戻ってくるのにも本来なら相応の術師が必要だけど、今回はあんたたちに誰も帯同出来ない。だから、それについてはこれを渡しておくわ」


 そう言って手渡されたのは中に青い液体の入った小瓶だった。


「無くしたりするんじゃないわよ? さっき私が口述した術を練り込んだ妙薬よ。一時的に術法を発揮するから、戻ってくる時はそれを向こうにあるゲートにふりかけなさい」


 そして、それじゃあ、と彼女はパチンと一度手を打った。


「あんたたちにとっては命がかかっているも同然。出来れば聖遺物、マガタマをしこたま持って帰ってきてくれることを期待しているわ」


 そうほくそ笑む神子さまに見送られ、私たちは身体をマーブル模様の中へと進めていった。

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