些細な違和感

 トゥカノアと神子さまの使いの者に見送られる形で神殿から外へと出て、私はぐぐっと伸びをした。


「まったく、世の中には僥倖なこともあるものね」

「千影さん?」

「だってそうじゃない? ほんの数時間前までは一切の手段もなければ手がかりもなし。もはや詰みの状態かと思っていたのが一転して大きく目標に近づくことが出来たんだもの」

「そう言われればそうですが……」


 おシノちゃんが表情を曇らせる。

 ……少しわざとらし過ぎたか。

 私自身、明るい声を意識して僥倖などと言ってみたものの、神子さまの部屋で感じた嫌な予感は消えてくれてはいなかった。

 形だけ見れば、一足飛びに目的に近づけたと言っても過言じゃないだろう。こうも呆気なくホーマ族と接触出来るというのは予想もしていなかった。しかし、そんな正に『僥倖』なことがあったのに、気持ちの悪い違和感がどうあっても消えてくれそうにない。


「私も……そして多分フロースタも今の千影さんの様子がおかしいということに気づかないほど鈍感なつもりはありません」

「おシノちゃん……」

「それとも、私たちには何か伝えられない事情があるのでしょうか?」


 不安気に、そして少し哀しそうに言ったおシノちゃんに私は息を吐いた。彼女にそう言われて「なんでもないわよ」なんて言葉を返せるほど彼女を想っていないわけがない。

 大きく息を吐き、唇をきゅっと一文字に結んで自身の前髪をかきあげた。眉間にしわが寄っているのが自分でもよくわかる。

 今も自分の中にある不安の正体は全くつかめていない。影ばかりが見えるだけ……そういった気配を僅かに感じ取っているだけでそう感じる根拠も理由も見当たらない。

 それでも、このまま先に進むのは少し躊躇われた。

 実際二人にも怪訝に思われている。ちゃんとした説明になるかはわからないが、多少は話をしておいた方が良いかもしれない。


「……なんだか気味の悪い、得体の知れない不安があるのよ」


 ポツリと私は言った。


「得体の知れない不安、ですか……?」

「ええ」


 神子さまから『取り引き』を持ちかけられた時から奇妙な違和感、不安があったと伝えたものの、本当に伝えられるのは私が覚えているあまりにも漠然とした感覚だけだった。


「それっていわゆる直感、っていうやつ?」

「そうとも呼べるかもしれないけれど、個人的にはもっと鈍くて薄い気配に思うわ。正直、些末な気の迷いとして片づけてしまってもおかしくないようにすら思う。なのに、まるで頭の底に薄皮のように貼りついて離れない」

「それはあの神子さまが考えていることに関わることなのでしょうか?」

「残念ながらそれすらもわからないのよね」


 地面に視線を落とす。口にすれば多少は気持ちが楽になるかもしれないと思ったのは一瞬で、結局こうして全てを二人に話しても気分は変わらなかった。


「うーん、他の人のヤツなら、そんなの考え過ぎ、の一言で笑い飛ばすんだけど、千影の感覚となるとなぁ……」

「私自身杞憂かと思ってるのよ。本気で考えるだけ無駄かもしれないわ」

「ですが、少なくとも千影さんがこの世界において別格なのは確かです。そういったものには注意を払った方が賢明なように思います」

「だとすれば、少しばかり早まったかしら? 神子さまとやらと、それこそ私が刀を抜いてでももうちょっと交渉するべきだった方が良かったかもしれないわね」


 小さな声で呟くように言った。


「実際、手がかりとなるものが目の前に差し出されたとあって気持ちが急いたっていうのはあったかも」

「いえ……こう言うと先ほどの言葉と矛盾しますが、私が同じ立場だったとしてもその程度の予感であれば無視したはずです。根拠もなく思い当たるものもない。それでみすみす絶好の機会を逃すのはあまりにも惜しいですから」

「それにも同意かな。第一そんな些細なものに振り回されてたらまともに生活出来なさそうだし」


 二人が慰めとして言ってくれているわけじゃないのは私にもわかった。たぶん二人とも本心から言っているのだろう。それだけ信頼してもらえているというのは嬉しいことであった。

 しかし、それを今ここで云々と延々と考えたところでどうしようもない。確証が何一つとしてないただの胸騒ぎにしか過ぎないのだ。

 私は大きく息を吐いた。


「まぁ、今にどうにか出来るわけじゃないのは確かな気がするわ。時間が経てば単なる気のせいだった、なんてことがあるとも限らないし。今のところ他にホーマ族に接触する手立てが全くないのは事実。だとしたら、今回のことを最大限利用させてもらうことを一番に考えた方が建設的でしょう? 多少の不安があっても、それに見合うだけのリターンがあるような気がするのも確かだし」

「最大限利用する……上手くやれればいいんですが……」

「正直、こればっかりはそれこそ実際に起こってみないとどうなるか知れたものじゃないけどね」


 おシノちゃんの言葉に私は言った。

 物事は先へと進んでいるのにどうにも煮え切らない何かがある。それがまた嫌な空気を運んできそうで、雰囲気を転換させるように私は口を開いた。


「とりあえず宿に戻りましょう。有耶無耶なものにとらわれていられるほど私たちはこの国を知らないんだから」


 その言葉の半分は自分に向けて言ったものだ。捉えどころのない違和感があったとしても、何かが起こるまではどうしようもない。

 結局宿の場所や名前などはひとつも神子さまに伝えなかったが、あれだけ自信に満ちた様子からすればこの町の宿全てに目が行き届き、私たちの宿もすでに特定されていると考えて良いだろう。人海戦術でやっているのか……もしかしたら術法の類で知ることが出来るようになっていたりするのかもしれない

 アクウァの町のちょうど中央にある大広場のベンチで、この町の名物らしい、穀物を炒って弾けさせ、その上から甘い蜜をかけた菓子を頬張りながらどうするかと相談する。


「こんな機会なんだし、やっぱり一番良い宿の一番良い部屋に泊まろうよ」


 フロースタが指先に付いた蜜を行儀悪く舐め取りながらそんなことを言った。

 それにおシノちゃんが呆れたようにため息を吐く。


「フロースタ。これだけの観光地です。最上級の部屋の値段はかなりのものになるでしょうし、下手に泊まりなんかしたらお金はあっという間に底を尽きますよ?」

「もしなくなったらなくなったで神子さまのツケにしてもらえば?」


 どこか面白い企みを思いついたといった様子でフロースタが言う。


「一応こっちは向こうさんの都合で動くんだし、そのくらいの贅沢しても許されるでしょ。ねぇ、千影もそう思わない?」

「そう言われてもねぇ……」


 おシノちゃんはああ言ったが、懐にはカグロダとの賭け試合の賞金がまだそれなりに残っている。加えて今回も神子さまからも金銭を渡された。泊まろうと思えば最上級の宿だって、よほどの連泊でない限りは無理ではないだろう。

 とは言っても変に目立つことをして、それがまた面倒事に繋がる可能性もある。あの神子さまは勘が働きそうだし、行動も早い。


「私たちは結構ワケアリな集団だからね。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれてしまうようなところは避けた方が無難、出来るだけ大人しくしておいた方が良いでしょう」

「えー、つまんなーい」

「まぁ、そう文句を言わないで」


 ぽすりとフロースタの頭に手を置いた。


「観光の町なんだから、探せば結構面白いところがあるはずよ」


 結局最初に決めた宿から動かないことに決め、部屋で一息つく。

 改めて金銭的なことを考える。この辺の宿の相場がいくらなのか正確にはわからなかったが、置いてあるベッドや家具はそう安物には見えなかったし、窓からは綺麗な水路が見られた。悪い部屋には思えない。


「ねぇ、そう言えば一つ確認なんだけど」


 私の部屋におシノちゃんとフロースタが来て、ベッドにドサリと身体を投げ出したフロースタが上半身を起こして口を開いた。


「このままとんとん拍子にことが進んでホーマ族に辿り着いたとしたら、千影はどうするのさ?」

「そうねぇ……」

「神子さまとやらはその……マガタマっていう聖遺物について調べろって言ってたけど、真面目に調査するの?」

「興味深く思っている、っていうのは確かよ」


 私は言った。


「確かにあの勾玉には人知を超えた力がある。同じホーマ族っていうこともあるし、もしかしたら私やおシノちゃんに関係する何かがひょこんと出てこないとも限らない」

「そもそも私たちの目的はホーマ族の伝承を調べることですもんね。こちらとしては対立ではなく友好的な関係を築きたいです」

「でも、結界を張って他者を排除してるっていうし、元々は捕虜を捕らえて置く場所だったんでしょう? 同じホーマ族とは言ってもこっちは敵軍に雇われた側。最初から友好的っていう風にいくかな?」

「そう言われると……」


 おシノちゃんの口は重そうだった。一旦気にするのを止めようと言ったものの、やはり先ほどの不安に何か覚えるところがあるのかもしれない。


「まぁ、情報も圧倒的に不足している今、どうこう考えても仕方がないわ。ある程度は行き当たりばったりになってしまうことは承知の上。なるようにしかならないと考えておくぐらいがちょうど良いかもね」


 そんな彼女にそう言って、ひとまず話を終いとした。

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