神子さまの部屋
目の前にあるのは重厚なベンガラ色の大きな二枚扉。鍵の類はかかっていないようだったが、神子さまはそこに触れると小さく何かを呟いた。鍵の代わりになっている術法か何かかもしれない。
と、ガチャリと音がしてゆっくりと扉が開く。
「入りなさい。ここはあたしの私室だから耳を出しても大丈夫よ」
第三神殿から第一神殿まで半ば連行される形で私たちは神子さま専用の馬車で連れていかれた。そして、それにはどういうわけかトゥカノアさんも同行するように言われた。
第一神殿。
神子さまが常駐している神殿で、このアクウァの中でも一番大きく絢爛な神殿だ。そして、そんな広い神殿の中を歩いて着いた、最上階の一角に作られた部屋は見事な調度品で整えられていた。
天蓋付きの大きなベッドに、幅広く取られた窓からは町の美しい景色が見てとれる。チェストや姿見の鏡、ソファにいたるまで一流品だと感じ取れた。
この部屋に来るまでに何人かの教会の人間とすれ違ったが、その全員が神子さまが歩いているとすぐさま廊下の端によって頭を下げた。それにこの神子さまとやらはおざなりに手を挙げて応えるだけだった。まぁ、序列四位、この都市では一番上位にいるのだから当たり前なのかもしれない。
「ソファにでも座ってて。トゥカノアはこっち側」
そう言うと神子さまはチェストの上にあったベルを鳴らした。すると間もなくノックの音がした。
『何か御用ですか、神子さま?』
「お茶の用意。五人分。特急でね」
神子さまが言うと、『かしこまりました』と再度扉の向こうから声がした。
それから三分もしない間に再びノックの音がしたかと思うと、「失礼します」という言葉と共に扉が開いてカートを押した修道女が現れた。カートの上にはティーセットが乗っかっている。
そのままソファの前のテーブルにお茶の用意を始める。
と、「っ!」修道女は私たちの姿にぎょっとしたようだった。
とっさにおシノちゃんがその耳を隠そうとするが、「大丈夫よ」と神子さまが事もなげに言った。
「彼女はここで見たり聞いたり、知ったりしたことは一切ないことになるから」
「とおっしゃれますと?」
疑問に思って問うた。
「言葉の意味のままよ。ここに入った女中はここで見聞きしたことなど何もないことになるの」
そう言っている間にお茶の用意が終わり、修道女は再び頭を下げてカートを押して出て行った。
少しして、
「でも、例えそういう決まり事があたとしてもそう都合良くはいかないのではありませんか? 人の口に戸は立てられぬ。私の国にあることわざの一つです」
それにクスクスと神子さまが笑ってティーカップに口をつけた。
「そういう一般的な話じゃないわ。ま、わかんないでしょうけど」
「…………?」
「ここではあるキーワードを口にした者か、私が許可した者以外の者の記憶は保持されないの。そういう術法がかけられているのよ。つまり、今の彼女は私にお茶の用意のために呼ばれてこの部屋に入った時点から記憶が失われ、次に記憶が戻った時には用意の終わったティーセットが乗ったカートを押している、というわけ。もちろん部屋の中にホーマ族が三人もいたことなんて頭の片隅にも残ってない」
「記憶操作の術法……」
「まぁ、ありていに言えばそんなものね」
「知っるの、おシノちゃん?」
「もうとうに失われたと言われている術法の一つだと前に本で読みました。記憶を操り、改ざんはもちろん消去や存在しない記憶の生成さえも出来るという……」
「要するにとてつもない術法の一つ、というわけね」
それに彼女はこくりと頷いた。
「ま、実際はそんななんでもありな術法ってわけじゃないわよ。条件さえ整えればそれなりに便利な術法であるのは確かだけど、いかんせんその条件を整えるのが面倒で」
言いながら、目と仕草でお茶を勧めてくる。
無視するのもあれだと私もカップに口をつけた。深い茶葉の薫りが鼻に抜ける。かなり上質なものだというのが素人なりにだがわかった。この世界では日ノ本ではとても味わったことのない味や触感の食物もあり、口が受けつけないものさえあった。それを考えたらこれは西洋茶に似て馴染みがあるようにすら思える。
一番緊張しているのはおシノちゃんで、フロースタは「そういやそんな術法もあったっけ……」なんて独りごちながらティーセットと共に運ばれてきたクッキーをばりばりと頬張っている。子供らしさの勝ち、というものかもしれない。
トゥカノアは「あらあら、まぁまぁ」と自分がここに連れてこられた理由の見当がついているのかいないのか傍目にはわからなかった。
「それで、そんな神子さまが一体どのようなことをお考えになってここに私たちを?」
仕方なく、紅茶に二口ほど口をつけてから本題を切りだした。
「ツェーフェレナ聖教国においてホーマ族は禁忌の種族。ただし、一部の例外は除いて……と言葉をつけなければいけないのではないですか?」
「へぇ」
神子さまが少し笑うように言う。
「わざわざ迫害されると言われているこの国に来てるだけあって、どこからか情報を得ているのね」
「ワガクスさまの文献で少々、といった程度です」
「なるほど、それでワガクスさまのことを聞いたのですね」
納得がいったとトゥカノアはぽむと両手を打った。
「ただむやみに迫害されているだけではない、ということを知っているだけで、詳しくは知りません」
「それでもホーマ族の方としては十分なのではないですか? 私も多少なりともこの国の……何と言えば良いでしょう? 裏側、とでも言いましょうか? ともかく、そういった面を知っていますが、それもこの百年少々で知り得たことばかり。それ以前は本気でホーマ族は神の怒りに触れた禁断の種族だと思っておりましたから」
「トゥカノアさんはホーマ族とこの国がどういう接点を持っているのかご存じなのですか?」
「そうですねぇ……」
んー、と少し考えるように唇に指をあてて考える。
「たぶん皆さんよりかは存じ上げていると思いますが、もちろん神子さまには遠く及びません。何を隠そう、今もどうして私までここに連れて来られたのか、正直わかっておりませんので」
「ああ、トゥカノアはついでよ」
「ついで?」
「他言無用で放置しても良かったんだけど、あたし一人じゃやっぱり限界ってものがあってね。手助けしてくれる仲間が欲しいと思ってたの」
「それで私に白羽の矢が立った、と?」
「そーゆーこと。ま、深く事情に巻き込まれたくなかったのだとしたらご愁傷様だけどね」
「いえいえ。腐ってもこのツェーフェレナで史料の編纂を任されている身です。このような話、聞き逃すのはあまりにも惜しいというものです」
そう言うトゥカノアの言葉に嘘はないのか垂涎モノのネタを前にしたような表情を浮かべ、神子さまがその様子に「前から思ってたんだけど、あんたも結構曲者よね……」なんてジト目で言っている。
そして、クッキーの一枚をつかんで口の中に放り込み、バリバリと豪快に咀嚼して飲みこんでから神子さまは「さて」と言葉を仕切り直し、私たちに向いた。
「今、この世界の現状がどうなってんのか、冒険者やってんならわかるでしょう?」
「多少の程度であればわからないわけではありません」
「勇者たちが死んで、ワガクスのジジイまで死んだ。この町は能天気な連中が多いからそんな空気は微塵もないけど、このままだと間違いなくやばいっていうのが個人的な意見。どう思う?」
「それには同意いたします。ゼシサバル王国から私たちは来ましたが、結界の維持がされなかった町の多くは廃墟のようになっていましたので」
「でしょう? あの国が魔族の侵入をことごとく防いでくれれば言うことないんだけど、いつどこから魔族がこの国へのルートを作るともわからない。この町自体にはあたしが結界を張っているからなんとかなるかもしれないけれど、周囲を包囲でもされたら内部から破綻していくわ」
「………………」
「そういうことにならないためにもホーマ族の力が欲しい」
言いながら胸元の勾玉のネックレスに触れる。
「聖遺物。名前を聞いたことは?」
「……ホーマ族の遺産、ということだけは」
「十分よ。見たことがあるかどうかは知れないけれど、この宝玉二つがその聖遺物と呼ばれるものだわ」
おシノちゃんがこちらに目をやり、私は小さくこくりとうなずいた。
はっきりそうだと言われたのはこれが初めてのことだったが、そういう可能性があるという予想はしていた。
「短命弱小なホーマ族だけど、そんな連中が作り出した聖遺物は十分すぎる力を持っている。それこそ、モノによってはただの凡人を……あんたら冒険者にのっとって言うならAランクの冒険者並の存在に変えることだって難しくない」
「残念ですが、私たちは聖遺物の一つも持ってはおりません」
「わかってるわよ、そんくらい」
私の言葉を「バカにするな」とでも言うように神子さまは切り捨てた。
「なにも単にホーマ族がいた、聖遺物があるかもしれない、なんて短絡的な考えはしてないっての」
「それでは、どうして私たちをこの場に?」
「この聖遺物、どのくらいの年代のものかわかる?」
質問には答えず、神子さまは逆に質問をよこしてきた。
疑問に思いながらも神子さまの胸元で薄っすらと輝く勾玉を見やる。ワガクスも聖遺物を持っていたのだろうが、あの老人はそれを体内に仕込んでいたらしくあらわにはしていなかった。そういう意味では聖遺物の現物を見るのはあのクモ男の時以来。しかし、あれと比べると神子さまの胸元で輝く二つの勾玉は少々『力』が劣るように感じられた。
「聖遺物はホーマ族の遺産。ホーマ族が何万と昔の時に神族と戦うために作り出したと聞いていますが、神子さまの胸元にあるその二つはそれより幾分も新しいもののように思います」
「上出来。はぐれのホーマ族がどのくらいの情報を知ってるのかあたしも詳しくは知らなかったけど、聖遺物の由来やらなんやらを一々ここで説明する必要はなさそうね」
「蛇の道は蛇。はぐれと言えど、流れてくる情報は自然と耳に入ってくるものです」
「ホント、喰えない種族」
そう「はん」と天邪鬼のように神子さまが笑う。
「あんたの言った通り、これは厳密に言えば聖遺物じゃないわ。のちの世になって模倣されてつくられたモノ。力だってマジモンの聖遺物に比べればいささか劣る。けど、それでもな強大と呼んでいいくらいの力は秘めているわ」
言いながら今度は部屋のチェストに行くと、引き出しを開けて中に入った何かを取り出してひゅっと私目掛けて投げてきた。
「これは……」
キャッチして見やると、そこには勾玉があった。
聖遺物。
とっさにそう思うが、これに『力』はほとんど感じられなかった。微かなものが宿っているようには思うものの、あまりにも脆弱。聖遺物はもちろん、神子さまの胸元にあるものともとても比べられたもんじゃない。
「それは今から数千年前にこの聖教国に献上された品だそうよ」
「これが?」
「ええ。そんなゴミみたいなものでも一応はそれなりの扱いでここに置いてるけど、ただの装飾品に興味はない」
「神子さまはどこでこれを? このようなもの、私も見るのは初めてです」
トゥカノアが疑問を投げかけた。
「献上された品、って言ったでしょう? 持ってきたのよ、ホーマの連中が」
その回答に「まぁ!」とトゥカノアが頬に手をやった。この人は本気で驚いているのかそういう仕草なのかまったくわからない。仲間であればそれも多少は無視出来るが、敵にいたら厄介な存在だ、などと考える。
「それではやはり、神子さまはホーマ族と交流がおありで?」
「あら、トゥカノアもその辺の事情は知らないのね」
「多少の事情を存じ上げているというだけで、私は所詮一人の史料編纂室の人間でしかありませんから」
「だけど、ホーマ族が過去にこのツェーフェレナで活動をしていたことを知っている、と?」
「それだって憶測にしかすぎません。ただ、資料をさかのぼり、集めていくと、ツェーフェレナでホーマ族が活動していた時期があった、という風に考えるのが妥当だと結論付けたまでです」
「だからそういった答えが出てくるのね」
神子さまがソファの向かいに戻る。
テーブルの上の茶を一口飲んでから息を吐き、どう言ったものか、とでも言うように表情を変えた。そしてややあってから改めてこちらを見やってくる。
「ところで、あんたたちは今までどこに隠れ住んでいたのよ? 付け耳で誤魔化しながらこのツェーフェレナにいたって風じゃないわよね?」
「ええ。ついこの間までゼシサバル王国に」
「あそこにはもうホーマ族の集落はないはずよ。ワガクスのジジイがもう四百年は前に確認してた。それとも、新しく移り住んできたの? あんたたちの寿命は極端に短いから、四百年もあれば移住してくるには十分だった? あんたの着てる服は見たこともない服だものね。見ず知らずの僻地からわざわざやってきたのかしら?」
「説明するには……」
おシノちゃんとフロースタに視線をやるが、二人とも困ったように眉を下げていた。私だって自分がどうやってこの世界にきたのかなんてわからない。
誤魔化すか、と思ったが目の前の神子さまはそう簡単に煙に巻かれてはくれないだろう。
「説明出来ない、と言った方がいいでしょう。私たちはなりこそホーマ族ですが、おそらく神子さまの知っているホーマ族とは違います」
「訳ありなのはわかるわよ。でもここにきてまで隠す必要もないんじゃない? あたしだってそうほいほいしゃべらないわ」
「……そういった次元のものじゃない、とお答えするしかありません」
「強情……っていうわけじゃなさそうね」
吊り上がり気味の目を細めてこちらを見やってくる。見た目は子供だが、神子さまと呼ばれるだけのことはあるのか、私の言葉をただの方便ととっている風には見えなかった。
「……まぁ良いわ。別にあたしはあんたらの出自にはそんなに興味ないし」
そう神子さまが独り言のように言った。
「話を戻すけど、あたしたちがホーマ族と交流があるっていうのは半分正解で半分間違いよ」
「とおっしゃらられますと?」
「誤解を恐れずに言うなら……」
クッキーを放り込んで咀嚼して飲みこむ。そして、
「あたしたちは秘密裏にホーマ族を飼ってる……いえ、飼っていたのよ」
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