たずね人
神殿は確かに豪奢なものではなかったが、近くで見ると十分に大きく、荘厳な建物であることがわかった。
「案内してもらった神殿もすごかったけど、ここも負けず劣らずって感じだね」
フロースタが神殿を見上げて言う。
「いくら観光地にはなりにくいと言っても、それでもこの町を支える五つの神殿の内の一つということでしょう」
おシノちゃんも同様に見上げながら答える。
そうしている間にも巡礼者と思しき人たちが神殿の中へと入っていく。観光客とは縁遠い場所だと言っても巡礼者たちにとっては重要な神殿に違いない。一体中でどういう巡礼の儀が行われているのかはさっぱりわからないが、どうもこのアクウァにある五つの神殿を巡るのが巡礼者の中では必須のものとなっているらしい。
が、私たちが用事があるのはそんな神殿の方ではない。
神殿から少し離れた位置にあるその建物は、大きく威厳に満ちた神殿の雰囲気を壊さない程度の装飾がほどこされていたものの、行き交う人たちの誰も目に留めていない様子だった。
「さてさて、どうにか情報があれば嬉しいんだけどね」
見たところ二階建てのその建物のドアには呼び鈴替わりの取手がつけてある。それを持って三回ドアをノックすると、木製と思えるドアは思った以上に重たい音を出した。
五秒、十秒……。
三人で顔を見合わせ、今度は先ほどよりやや強めに取手でドアを打った。が、やはり反応はない。
「おかしいですね……場所はここで間違っていないと思うのですが……」
「留守とかかな?」
「考えられるわね。見た感じ、そんな大人数が詰めているようには思えないもの」
念のために最後にもう三度叩いてみるが、やはり誰も出てこない。と、ちょうど遠くから鐘の音が聞こえてきた。
先ほど乗った小舟の水先案内人の女性によれば、このアクウァでは九時、十二時、十五時、十八時、二十一時の決まった時刻に第一神殿の鐘が鳴らされるとのこと。先ほど案内をしてもらい始めたばかりの頃に九時の鐘が鳴ったから、今のは十二時の鐘の音となるだろう。
「しょうがない。ここで待っていて誰か来るっていう保証もないし、時間も時間。どこかの店屋で昼食にでもしましょう」
このアクウァという町はいわゆる中心地というものがないように感じられる都市だった。五つの神殿がちょうどの塩梅で配置されているおかげで、あえて言うならその各神殿を中心として宿屋や喫茶をはじめとした店が集まっているといった様子だった。
つまるところ、早々に第三神殿の前から退いた私たちは、すぐ近くに観光客向けにやっている飯屋を見つけることが出来て、そこで昼食とすることにした。
店に入るが、時間の関係か中は満席。それでも今日のような好天の時には外にテラス席が設けられ、私たちはそこに通された。そして品の目録を見てみるが、どれも『水中小海老のコユーサ ― パバネを添えて』なんて洒落たものが書かれていて、この世界自体に疎い私たちにはさっぱりわけがわからない。ので、注文を取りにきた給仕に「この店で一番人気の料理を三人前」と雑な頼み方をしてのんびりと待つ。
「でも、上手くいくでしょうか?」
待つ間、おシノちゃんが息を吐いて言った。
「トゥカノアという方に接触出来ても、このツェーフェレナでワガクスさまが探っていた情報につながるかどうか……」
「そこは運としか言いようがないと思うわよ。それに、あの冒険者組合のお姉さんの雰囲気からするとそのトゥカノアという女性は聖教会でそれなりの仕事をしている人物のようだし、接触のための入り口としては上々なものに思えるわ」
「そうそう。こういうの、下手に悩んだって上手くいく時は上手くいくし、上手くいかない時はどう頑張っても上手くいかないもん。待てば海路の日和あり、ってね」
「でも、あまりのんびりとやっているわけにはいかないんじゃないですか? これから魔族の侵攻は間違いなくこのツェーフェレナにもやってくるはずです」
「確かに。そうやって国中が混乱し始めた時に余計なことを言うような冒険者の相手を真摯にしてはくれないでしょうからね」
そんなことを話していたら、「お待たせしました」と三人前の料理が乗った大皿と取り分け用の小皿が運ばれてきた。海は近くなくとも多量の地下水のおかげでそういった資源が豊富なのか、パッと見た感じ魚介類がメインの料理に見える。オプションか元々ついていたものかはわからないが、同時にグラスに淡い紫の飲料が注がれた。アルコールのようではないし、この料理に合わせた飲料なのかもしれない。
いっただきまーす、とまずフロースタがまず一番に料理にスプーンとフォークを伸ばし、そんないささか行儀の悪い様子に、もぅ、とおシノちゃんがため息を吐いた。
見知らぬ女性が「もし……」と近づいてきたのはそんな時だった。
ふいの声に見やる。そこには一般的なこの国の宗教の装束と思しきものを少しばかり豪奢にしたものを身に纏った女性が立っていた。年齢は三百を超えたあたりといったところか?
それと同時に独特のにおいを感じ取った。どこかで嗅いだことがある……漆のようなにおい、とでも言えば良いかもしれない。
「申し訳ありませんが、この国の出身ではないようにお見受けします。どちらからいらしたのでしょう?」
突然の質問に互いに視線をやるが、隠す必要はない。
「私たちはゼシサバル王国からですが……」
私の言葉に女性が目をぱちくりとさせる。
「出身も王国ですか?」
「……この二人はそうなりますね」
とおシノちゃんとフロースタを紹介した。
具体的に言うならおシノちゃんは出自不明の囚われの身、フロースタはたまたま山頂の近くで死んだ数万年前のホーマ族の子供に精霊が受肉した存在である。当たり前に「出身」と言って良いのかわからないが、一応はそうなるだろう。
「それでは、貴女さまは?」
「私ですか?」
「うーん……」と目を瞑って少し思案する。格好からか、今まで異国の人間だと言われてきたことはあったがこうもストレートに聞かれたことはなかった。
「何か言えない事情でも? 聞いてはいけないことだったでしょうか?」
「それは……」
答えに窮する。
「ただ、王国でも、もちろんこの聖教国でもなく、人知れぬ国なもので……」
「何というお名前でしょう?」
「日ノ本です」
「ヒノモト?」
女性は首を傾げた。それから何かを思い出そうとするかのように頭に手をやり、「ヒノモト……ヒノモト……」と繰り返し口にするが、ややあってから「私もまだまだですね」と苦く笑った。
そこまで言って、空いていた席に目をやり「ご一緒しても? ここのスァフニルは絶品なんです。もちろん、御代金は私がお支払いいたしますので」と問うてくる。ここで「それは出来ない」と言うような理由もなく、女性は自然に私たちの輪に加わった。
給仕にもう一皿小分けのお皿を頼み、「まずは料理を片づけてしまいましょう」と大皿から取り分けていく。三人分を四人で分ける話になってしまったが、元々盛り付けが多い店なのか、四人で取り分けてちょうどいいくらいの量になった。
料理を食べている間、女性はほとんど口を開かなかった。ただ、「ツェーフェレナへは観光で?」と問われたので「似たようなものです」と笑ってはぐらかした。
いったい彼女がどんな企みをもっているのか、悟られぬようおシノちゃんと視線をやりとりするが、彼女もさっぱり心当たりがないようだった。まさか同席して、料理をちょうだいしてから「少しお手洗いに」なんて言って消える食い逃げでもないだろう。そもそもそのような雰囲気を女性は持っていない。
全員のお皿が空となり、少し甘酸っぱさのある飲み物に口をつけていると、コホン、と女性は少したたずまいを直した。
「突然ご一緒されて困惑されるのは当然のことと思います。ただ、私はヒノモトなる国について興味を持ったがゆえに、ご一緒させてもらったのです」
「日ノ本に興味を?」
「はい。ご存じかどうかはわかりませんが、我がツェーフェレナ聖教国は多くの国と交易をしております。隣国であるゼシサバル王国はもちろん、北方のメソッツ公国。東南のヴォクソン首長国、リ・イェザー評議国。さらに、連なる大山脈を越えた先にあるケアド帝国……細かい国や地域を挙げればもっと多くの国と交流を持っています」
知ってた? と小声で私がおシノちゃんに聞くと、「図書館で調べた際に多少は周辺諸国について調べましたが、内情がどうなっているかなど、詳しくはなんとも……」と答えが返ってきた。
フロースタはあまり興味がないようで水路をいく小舟に向かって手を振っている。荷物を運んでいると思しき若い水先案内人がそれに優しい表情で手を振り返していた。
「そして、交流がない国や地域、部族、種族に対しても多くの情報を集めてきたのです。聖女さまがいらっしゃるとは言え、一般的な範疇で言えば我が聖教国は決して強大な武力を持った国というわけではありません。多くの情報を持つことによって力となしてきたのです」
ふむ、と頷く。情報は武力に勝るとも劣らない力である。理にかなった話だろう。
「ですが、ヒノモトなる国の名前は聞いたことも見たこともありません。もちろんそこからやってきた旅人や巡礼者、冒険者と会ったことも一度もありません」
それはそうだろう。元々この世界にある国じゃない。例えこの世界の全てを知っている神が存在していたとしても知らないはずだ。
私は少し考えてから、「……嘘を言っているとは思わないのですか?」と問うた。
それに彼女は一瞬きょとんとしたかと思うと、ふふっと笑った。
「面白いことをおっしゃいますね。正直、その発想はございませんでした」
「そうでしょうか?」
「ええ。何より、最初に見た時から貴女のその装束にまったく見覚えがなかったのです。国、地域、部族……装束とはそれぞれ個性が出ます。装束に見覚えがなければまったく知らない地域や部族である可能性は十分あり得ますから」
なるほど、その通りかもしれない。
「それに、私の本業は絵描きなのです」
「画家、というやつでしょうか?」
「そこまで大層なものではありません。ただ、世の中には文字や言葉だけでは伝えきれない情報も多くあります。それ故、私のような人物も聖教会では必要とされているのです」
そこで先ほど嗅いだ独特なにおいに思い至るものがあった。これは画材のにおいだ。彼女が画家というなら染料などのにおいが沁みついていたとしてもおかしくない。
「声をかけたのも、実は絵描きとしてその見たことのない独特な装束に興味を持ったからなんです。もしよろしければヒノモトなる国について教えてはいただけませんか? もちろん、多少の代金はお支払い出来ると思います」
「そうおっしゃられても……」
この世界にない国について教えて対価をもらうのは一種の詐欺に近いようなものがあるような気がする。と言うか詐欺だろう。
そこでふと、自身が駆けていた時代のことを思い出した。
「……実は日ノ本は他の国と交易や交流をはかるどころか、住人がその土地を出ることさえ固く禁じられているのです。鎖国、と言えば良いでしょうか?」
「そうなのですか?」
「ええ……ですので、本来なら私がここにいること自体があまりにも異端と言って良いでしょう。それを、公にはされないと言えど資料に残されるのは困ってしまいます」
それに彼女はふむと少し考えるような仕草をした。一分二分、水路のせせらぎを聞きながら彼女の返答を待つ。
「事情はわかりました」
彼女はゆっくりと口を開いた。
「なら、せめてその装束をスケッチさせてはいただけませんか? ヒノモト国という国名も出さず、未知の部族の装束、とさせていただきます。それとも、それも難しいでしょうか?」
「そうですね……それなら構いませんよ」
まぁ、聖教会に知己が出来るのは悪いことじゃないだろう。
そのくらいの軽い気持ちで私は彼女の提案を承諾した。
すると、彼女は良かった、というような表情を浮かべ、私たちに礼を言った。そこで「あら、いけない」と彼女は少し慌てて言って頭を下げた。
「未知の国の方に興奮して、自己紹介をするのすら忘れておりました。私は聖教会の資料編纂室に所属しているトゥカノア・ロズナと申します」
「……え?」
もちろん、その自己紹介に絶句したのは私だけではなかった。
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