水先案内人

「この町の教会の窓口に繋がるような場所に運んで欲しい?」


 小舟に乗った女性に伝えると、彼女はきょとんとした表情を浮かべて私の言葉を復唱した。


「ええ。その……言葉にするのは難しいんですが、この町で聖教会に通じる場所に案内して欲しいんです。実はこういったものを持っていて、そこにいる人に会うのが本来の目的なので」


 そう言って冒険者組合の受付さんからもらった封筒を差し出す。と、彼女はそれを受けて目をぱちくりとさせた。


「これは……聖教会の特別封筒ですね。宛先は史料編纂室?」

「大丈夫でしょうか?」


 ここで封筒を出したのはマズかったか、と思ったが、彼女は「ええ、もちろん大丈夫です」と言葉を封筒と共に返してきた。


「史料編纂室はアクウァの第三神殿に併設されている建物の中にあります。アクウァには神殿が計五つ存在し、第三神殿はあまり目立ったところがないので通常の観光案内であれば案内しないことが多いのですが、今回は第三神殿を目的地にいたしましょう」

「よろしくお願いします」


 私たち三人が小舟に乗り込むと、一番後ろに立った彼女が「よいしょ」っと小さな掛け声と共に小舟を岸につないでいたロープを解いた。そのままオールを上手く使って岸から離れ、ゆっくりと水路へと漕ぎ出す。

 ガコリとした舟の動きに「おっ?」と思うが、すぐに舟は体勢を立て直す。

 そして、オールで水路に漕ぎ出しながら女性が問うてきた。落ち着いてきた舟はほとんど揺れが感じられず、頬を撫でていく風が心地良い。


「目的地はわかりましたが、順路はどうしましょうか? 真っ直ぐに目的地を目指しますか? それとも少し観光を?」


 その言葉に私たちは顔を見合わせる。

 目的地は聖教会の窓口となりそうな場所であるが、せっかくの観光都市だ。彼女を見ていると少しこのアクウァについても興味が出てきた。

 視線でおシノちゃんやフロースタは『私に任せる』と言ってきた。それを受けて女性の言葉に答える。


「それでは少しばかり観光場所を回って、最後にその第三神殿という場所を目指してもらえますか?」

「承知いたしました」


 なんとか目的地にはたどり着けそうだと安堵の息をもらすと、水路の向こう側から同じような観光客らしき人たちを乗せた小舟がやってきた。

 水路は見た限りではそれなりの広さに思えたが、小舟がすれ違うとなるとそれほど余裕があるようには見えなかった。だが、後ろに立った女性は器用にオールを使って難なくすれ違う。


「見事なものですね」


 それに思わずといった様子でおシノちゃんが言った。


「あんまり幅がないのに、ぶつかりそうな感じは全然なくて」


 純粋な誉め言葉に女性が小さく笑った。


「最初からこういうわけではありません。水先案内人の制度では、入門してから両手見習い、片手見習いと経験を積んでいき、そして最後に手袋をしなくなる一人前の水先案内人となります。そして、片手見習いからは指導役の水先案内人が同乗する場合にのみお客さまをお乗せすることが出来るんです」

「なるほど、そういう仕組みになっているんですか」

「ちょうどよかった。あちらを見てみてださい」


 彼女の言葉のままに視線を少し先で折れた幅広の水路を見やる。と、小舟が三つにそれぞれフロースタとさほど変わらない年に思える子が乗っていた。何やら話しながら小舟を操っているが、そこにはどことなく不安なものを感じさせた。


「あそこで練習しているのはまだ両手見習いの子たちです。操舵技術もまだまだなところがありますが、私たちのような水先案内人は舟を上手く操舵するだけが仕事じゃありません」


 ハテ。おシノちゃん、フロースタ共々首をかしげる。

 それに女性が小さく微笑む。


「右奥、黄色い看板が出ている建物をご覧ください。あそこはカフェとなっており、隠れた名店として地元で名高いのですが、観光ガイドではなかなか案内されておりません。もし午後のティータイムを楽しむのであれば候補の一つに入れておいて損はないと思います」

「なるほど、一人前の水先案内人は操舵だけでなく、観光についての知識についても一人前でないといけない、と?」

「そういうことです」


 と女性が微笑んで、オールを華麗に舞わせて水路の流れに棹をさす。

 それから女性の案内の元、このアクウァという観光都市をいくらか見て回った。神殿に教会といったような聖教会に通ずる場所ももちろんあったが、パスタがおいしい料理店やぼったくりで有名な賭博場という遊び心を含めたものも多数あった。

 ただ、聖教会に通ずる建物はどれも豪奢な彫刻やステンドグラスで彩られ、その華美さは今まで見てきたこの世界のどれに勝るとも劣らないものだった。


「本来はこういった質問はご法度なのですが……」


 そして、一通りの案内が済み、それではそろそろ最終目的地の第三神殿とやらに向かおうとした時に女性は口を開いた。


「皆さまは格好から察するに冒険者のようですが、どういったご用件でこのアクウァへ?」


 この町にも国境付近の町で魔族が見つかったという情報が流れてきているのだろう。彼女の言葉の裏には少し心配の色があるのが見えた。


「質問に質問で返すのは無礼とは思いますが、冒険者がこういった町にくるのは珍しいですか?」

「いえ、そういうわけではありません」


 女性は言った。


「私が言うのもおかしな話ですが、この水の都アクウァは近辺の国にある観光都市と比べても何の遜色もないものだと思っております。もちろんひっきりなしというわけではありませんが、冒険者と思しき方々が時折こちらに見え、案内を差し上げたことも幾度かあります」

「なら、私たちもそんな冒険者の方とさほど変わりません。ただそれに、用件と言ってしまうと大業ですが、それに加えて人探しというものが加わっただけです」

「人探し? それでは先日、国境近くの町に魔族が出たこととは関係していないのですか?」

「そうですね。巡り巡れば関係あることになるかもしれませんが、直接の関係はありません」


 応えると彼女はほっとした様子で安堵の息を吐いた。


「魔族の存在は怖いですか?」


 それに逆にこちらが質問を投げかけてみる。


「そうですね。怖くないと言えば嘘になってしまいます」


 大きな水路に出る前に一時停止し、小舟よりいくらか大きな船が通っていくのを見送ってから水路へと漕ぎ出していく。


「ご存じかもしれませんが、この町にはブルー・アプレンティスさまがいらっしゃっいます。もちろん結界もあり、この町にいる限り魔族の存在におびえる必要はないとわかっております。けれど、それでも今までこの国は魔族との関わりが非常に薄い国でしたので」

「未知のモノを恐れる。それはいたってごく普通のことだと思います。ですが、それが広がらないように私たちが動いているのもまた事実です」

「それでも、この国では冒険者という肩書きでは肩身が狭い思いをされているのではないですか?」

「まぁ、それは確かに」


 笑いながら答える。


「ですが、それにめげているようでは冒険者は務まりませんから」


 別に冒険者として責務を全うしようなどという心意気はさらさらなかったが、こう言っておいた方が話も丸く収まるだろうと思うと、案の定「冒険者というものはもっと身勝手なものだと誤解をしておりました」と女性は言った。

 それから十数分水路を行くと、遠目に大きな建物が見えてきた。


「あれが第三神殿です。先ほども申しましたが、華美な装飾などは少なく、観光目的という意味では無視してしまいがちな場所ですが、このアクウァを支えているという意味では非常に大きな存在であるのは間違いありません」


 言いながら神殿近くの船着き場に小舟を寄せ、手慣れた様子で舟をロープで固定する。


「本日はご利用いただき、ありがとうございました。皆さまの旅路に幸多からんことを祈っておりますね」


 そう微笑んでくれた女性に小舟の利用料を支払って、私たちは小舟を降りた。

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