対決

 御刀や荷物は簡単に回収することが出来た。

 夜の砦。もしかしたら外は多少の警らがいたかもしれないが、中でこんなことが起こるとはあまり想定していなかったとみえる。元々少数の兵しかいなかったのだろう。不意に出会ってしまった相手は仕方ない、全員がまるで仔犬と戯れるかのようにしただけでその命を手放してくれ、大きな騒ぎにはならなかった。

 だが、それでも私の怒りは収まらなかった。

 身体を巡る血液が沸騰しているのではないかと思えるほどに全身が熱かった。それなのに異常なほど冷静な私がいるのもまた事実だった。

 砦の最上階、無味乾燥な砦には不釣り合いな装飾がされた木戸がつけられた部屋があった。ゆっくりと扉に触れると――何かの術法だろうか、少しピリッとした感触を指先に覚えたが、気にするほどのものじゃない。軽く押して扉を開く。

 月の明かりと洋灯だけが薄く照らす部屋の中、その老人はベッドサイドに置かれた椅子にゆったりと座っていた。

 扉の音に気づき見やってくる。

 と、僅かに驚きの表情を見せたが、すぐに目つきを鋭いものへと変えた。


「どうやったかは知れぬが、首輪の術法をどうにか解いたようじゃな……」


 兵士たちの返り血をあびた私の姿にワガクスは目を細める。


「扉にも並の魔族なら消し炭になるくらいの結界を張っていたのじゃが……術法から逃れた今ではものともせぬか」

「そうね、軽く指の先が痺れたわ」

「今ここで警備の者たちを呼んだとしたらどうなる? 応えてくれる者はおるかのう?」


 言いながらもワガクスはそれが無意味なものだとわかっている様子だった。

 それを受けてこちらも口を開く。


「本当はこんなことはしたくなかったわ。けど、おシノちゃんにあんなことをされても大人しくしてろってのは無理な話よ。今だって怒りで頭がどうかなりそうなんだから」

「魔族……いや、お主のことは魔人とでも呼ぶべきか? そんなお主が何の腹積もりで依り代を連れて歩いていたのか……それがわからぬほどわしとてもうろくはしとらん」

「その依り代っていうのは? おシノちゃんのことを言ってるの?」


 問うた私をワガクスが鼻で笑う。


「よく飼いならされておったわ。何を聞いても知らぬ存ぜぬと繰り返すばかりで、お主のことを何一つとしてしゃべろうとはせんかった。それどころか逆にこのわしに協力を乞うてきたのだから驚きじゃ。依り代を連れ、ホーマ族を演じれば多少は懐に潜り込みやすいと考えたのじゃろう? ……いや、実際その通りじゃな。事実、こうしてお主はここにまでたどり着いておる」

「ボケた老人が何を考えようと勝手だけど、その妄想を押しつけようとはしないでくれる?」


 言うが、ワガクスは全く意に介していない様子だった。盲目的に自分の考えが正しいと思っている人間ほど性質の悪いものはない。


「さっきから依り代依り代と言ってるけど、それと私が何の関係があるの?」

「もうそんな演技をせんでもよい。初めからわしを狙っておったのだろう? 今生の勇者たちを殺し、テーロの封印を解いたことが何よりもの証じゃ」

「テーロ?」


 ピクリと反応した。

 自身はテーロについてほとんど何も知らないと言っても過言じゃないが、少なくとも目の前の老人はそれ以上の何かを知っているらしい。


「彼女のことを知ってるの? 彼女は一体どういう存在なのかしら?」

「まったく。いつまであべこべな無知を装うつもりじゃ?」


 そう笑う老人に他意は感じられない。


「単なる魔族の仕業だと思って探しても目星がつかなくて当然じゃ。わしとてあの時のレーシキルのようなことが起こるとは思ってもおらんかった。そうとわかっていればまだ別の方策もあったかもしれんが……今さらそんなことを考えても詮ないことか」


 あの時のレーシキルのようなこと?

 眉をひそめたが、ワガクスはそんな私の様子を気にする様子はなかった。


「しかし、これまた面倒なことをしてくれたものじゃ。テーロの封が解けたのは七百年ぶり。あの時はあまりにも不完全であったがゆえ、わしでもどうにかすることが出来た。が、今回はわからぬ。ここでお主の相手をするのも少々骨じゃが、その後にあの娘を再度封印せねばならぬと考えると胃が痛いわい」


 言いながらもどこか余裕があるように感じられる。絶対の自信を持っているのだろう。

 やはりこの老人は何かを知っていると見るべきだ。

 そう勘定するが、ワガクスはそんな私に構わず言葉を続ける。


「さて、ここからは聖遺物を身体に宿した者同士……とは言ってもお主は魔の力に魅了された魔人じゃが、言うなれば人の領域から外れた場所を見た者同士、決着をつけようじゃないか」


 ぎしりと椅子を鳴らして老人が立ち上がる。年老いてはいたが目には力がある。

 どうやら本当にここで一戦交えるつもりらしい。おそらく今は何を言っても意味がないだろう。なら、とりあえず戦いで相手の気を削いだ方が得策だ。


「混沌を望む魔人よ。お主が……そしてお主と志を共にする者たちが何を望んでおるのかは知らぬ。だが、わしはかつてこの世界を救った三英雄の一人としてこの神族の世界を魔の世界にするわけにはいかぬのだ」


 そう言ってカシャンと大きく杖を鳴らした。と、床に巨大な魔法陣が浮き上がる。暗い部屋の中でその青白い光は目に痛いくらいだった。幾何学模様が複雑に入り込んで描かれたそれは初めて会ったあの部屋に浮かび上がったものと同じものに見える。


「聖遺物を身体に宿した時の万能感は確かに凄いものがある。だが、哀れにも学習能力はないようじゃな。この部屋に何の躊躇もなく入ってきて、再びこの術法に囚われた」

「………………」

「さぁ、どうする? 聖遺物の力はもう使えんぞ?」


 高らかに言いながら、ワガクスは右手に持った杖を掲げた。

 そこには確かなものを感じさせた。

 三英雄。その肩書きを何百年も背負ってきただけのことはあるのだろう。


「ディメンション・エクステンド」

「――っ?」


 急に部屋が巨大なものへと変質したのを感じ取る。

 床、そして四方の壁が一気に遠くに離れていく。

 空間の膨張。先ほどまで大した広さじゃなかった部屋が今ではちょっとした道場ほどの大きさに膨れ上がっていた。

 術法にどれほどのことが出来るのかはわからないが、本当に空間そのものを拡張するなんてことが出来るのだろうか?

 それとも、視覚や聴覚を欺いて作られた見せかけの空間か? 

 周囲を見てもその答えになりそうなものはなかった。


「その様子だとこの術法を見るのはおろか、聞くのも初めてのようじゃな」


 ワガクスが笑いながら自身の長い白髭を撫でつけるようにした。


「所詮は力に溺れただけか。術法に対しての対策も知識もない。野蛮なものよ……ホーマ族を模しても魔族は所詮魔族」

「………………」

「さぁ、抗えるものなら抗うが良い!」


 杖を高く掲げ口述を刻む。青い宝玉の周囲に七つの火球が生成され、次々と動き始める。


「ファイアシュート・カプリチオ!」


 一直線に狙ってくるような単調なものじゃない。私を取り囲むように動いたかと思うと、それぞれが各個の意志を持っているかのような連携を見せ、緩急をつけて襲いかかってくる。

 右。左。上。

 身体を捌いてかわせば死角となった部分の火球が襲ってくる。

 息もつかせぬほどの連携……と一般的には言えるのだろう。そういう意味では悪い攻撃ではない。


「その手に持った剣では対抗出来ぬか? それとも、やはりこの魔法陣の中ではそれを使うほどの余裕もない、ということかな?」

「いえ、どちらでもないわ」


 私は御刀の柄を握ると一息に抜いてその場で大きく身体を回転させた。

 瞬間、七つの火球は全て真っ二つに斬り裂かれ霧散する。

 火剋水。

 水に変化した刀による斬撃とそれに伴う水の飛沫。火球がどれほどの耐久性があったかは知らないが、私の術にはとても耐えられるものではなかったようだ。

 全てが消え去ってから鞘へと刀を収める。


「まだ私の質問は終わってないわ。対話の最中に武器を見せるというのはあまり好ましくないでしょう?」

「ほぅ……」


 ワガクスが少し驚いたように声をあげる。


「武術と術法の融合、と見るべきじゃろうな。多少は自身の腕も鍛えておったか。聖遺物の力を抑えられても戦えないわけではない、と」

「戦うのが目的じゃないわ。私は、私に起こったことを知りたい。ただそれだけなのよ」


 その質問にワガクスは口元に手をやって私をじっと見やった。

 十秒二十秒。コウコウと唸りを上げる魔法陣の光の中で言葉のないやりとりが続く。


「……なるほど、わしにもようやく見えてきた」


 そして、おもむろに口を開いた。


「その質問は己が存在に対する自問じゃな?」

「自問?」

「突然手にした莫大な力。魔の力に溺れ、その欲望に従うままに神に祝福されし勇者たちを手にかけ、テーロの封を解いたは良いものの、残った人としての自我が自分の存在について疑問を持った。何が故に生まれ、何を成すのか……その疑問の答えを求めているのじゃな?」

「バカバカしい……」


 頭痛がする思いだった。

 賢人というものはこうまでも言葉を曲解してとらえるものなのだろうか? それとも単にこのワガクスという人間の性質か?


「私はただ自分が何なのか、この世界はどういうものなのか知りたいだけ。深い意味は全くないわ」


 そう言うが、一度食い違ってしまったやり取りは離れる一方だった。


「自己存在や世界への疑問……なれば、先ほどの言葉は訂正せねばなるまいな。お主は魔に魅せられながらも辛うじて理性を残しておる。ただの魔族に堕ちてはいない。だが、それが故に苦悩しておる。哀しいことじゃ……」

「………………」

「しかし、一度魔に魅せられたが最後、もはや神族として生きることは叶わぬ。であれば、一息に葬ってやるのがせめてもの救いというものだろう」


 術法を紡ぐ。

 と、ワガクスの姿が揺らぎ、二、四、八……瞬く間にその数は増えていき、あっという間に私を取り囲んだ。


「残像……? いえ、分身と言った方が良いかしら?」

「哀しき魔人よ」


 声が周囲から何重にも重なって聞こえてくる。気味の悪い感覚に目を細めた。


「決着じゃ。そなたに今、死という名の安らぎを与えよう! 神の祝福と共にっ!」


 取り囲んだ全てのワガクスの手に持たれた杖が掲げられ、青の宝玉が光を発し始める。


「ヘイルストーム・ロウア・バンドル!!」

「っ!」


 眩い光。

 青の宝玉から幾つもの光が生みだされたかと思うと、渦巻くような風と共に中心にいる私を襲った。

 四方八方から降り注ぐエネルギーは凄まじく、一点に集中されたそこからは眩い光の柱が生成された。

 その威力がどれほどのものだったかは、作られた光の柱が頑丈な砦の天井をいとも容易く突き破り、高く空へと伸びて厚く覆っていた雲にさえ大きな穴を穿ったことからもわかるだろう。

 幾十にも分かれたワガクスの姿は全て実体を持っており、その杖一つひとつから放たれる術法も幻ではなかった。

 一つの攻撃でさえ並の術師からすれば桁違いの威力である。それが何十もの束になって襲いかかっているのだ。普通の存在にはまず耐えることの出来ないものだったに違いない。

 柱を中心として部屋全体に光が溢れる。

 全くの白。

 広げられた部屋の中であってさえその眩さは並大抵のものじゃない。

 杖から光が途絶えても数十秒は部屋は光で満たされていた。まるで世界中の今ある灯りの全てをかき集めたかのようなそれは、確かに神の祝福と呼びたくなってもおかしくなかったかもしれない。


「……魔に惑わされし哀しき子よ。次に訪れるだろう生では神の加護が与えられるようここに祈ろう」


 ワガクスの分身が消え、元の一人へと戻っていく。

 圧倒的な術法の前に魔人の少女は跡形もなく消滅した。

 少なくとも老賢人はそう信じ切っていただろう。

 が、


「神の加護、ね……」

「!?」


 光が虚空へと消え去った時、中心には変わらず私の姿があった。


「ば、バカなっ――!! あれだけの術法をどうやって防いだ!? いや、かわしたのか!?」

「防いでもかわしてもないわよ」


 光という物は五行の中に含まれていない。何から生み出され、何によって剋されるのかもわからない。

 だが一つわかることがある。

 光がある所には闇が生まれる。

 そう言えば、あの時勇者の一人が言っていた。私は闇の力に溢れている、と。


「ただ、私の身体を傷つけるにはいささか威力が不足していた。それだけのことでしょう」

「か、完全ではなかったとは言え、あのテーロですら今の攻撃に屈し、再度封に呑まれたというのに――! き、貴様、一体何者じゃ!?」

「だから、それがわかっていれば苦労はしないのよ」

「くぅっ……!」


 再びワガクスの姿が揺らぎ、数十もの数へと分身して取り囲む。

 私はすぅと小さく息を吸うと、ぐっと居合いの構えを取った。

 目を閉じ、心を研ぎ澄ませる。

 おシノちゃんがあんな目に遭わされた怒りが消えたわけじゃない。今だってそれは身体の奥底で溶岩のごとく煮えたぎっている。

 だが、今必要なのは怒りではない。

 怒りや憎しみを糧とした刀はすぐにその切っ先を曇らせてしまう。

 必要なのはどこまでも澄んだ心だ。


<無想月影流 奥義――鏡花水月きょうかすいげつ


 鏡に映る花。

 水に浮かぶ月。

 それは、儚いと呼ぶことすら出来ない幻想をこの世界に具現化する幻の太刀。


「なっ……!?」


 居合いからの一太刀は幻想を経て数多もの刃となり、私を取り囲んでいた何十ものワガクスの持つ杖の宝玉を全くの同時に断ち切った。

 長く息を吐き出しながら刀を収める。

 と、大きく広がっていた空間は元に戻り、足元の魔法陣も消えていった。もちろん、取り囲んでいた分身もみな消え失せている。

 やはりあの宝玉が術法の要になっていたらしい。


「………………」


 ぎゅっと手のひらを握る。

 怒りや憎しみは刃を鈍らせる。今の私の中にどれだけその二つの感情があったかはわからない。しかし、それでも御刀の切っ先は鋭いままだった。どうやら培った力を失うほど愚かではないらしい。

 へなへなとワガクスが腰砕けになる。その表情もあっという間に精気の消えたものへと変わっていた。


「今度こそ質問に答えてもらうわよ」


 歩み寄りながら問いかける。


「この世界は何? 貴方はおシノちゃんを依り代と呼んだり、私のことを魔人だのって言ったり――」

「――まさか……お主はボヤジャント以上の存在とでもいうのか?」

「ボヤジャント?」


 問うが、老人の耳には届いていないようだった。


「それだけは許されぬ……人の世を……神族の世界を守るため、それだけは許されぬ……」


 しわがれた声が震えている。

 私は崩れ落ちたワガクスの前に座り目線を合わせた。それでも彼には私の姿が見えないようだった。虚空を見つめるような目はこの数分で何十年もの時を経たかのようだった。


「ボヤジャントというのは何? 人の名前? 場所?」

「させぬ……それだけは、させぬぞ……っ!!」

「っ!?」


 杖を捨て、ワガクスが目を見開いて襲いかかってきた。正気を失っているのか、両手で私にしがみついてくる。


「我が身体に眠る聖遺物よ!」

「待ちなさい! 何をする気よ!?」

「今ここに、魔を滅するだけの力を与えたまえっ!」

「――っ!」

「シュイサイド・ボムっ!!」


 瞬く光。

 響く轟音。

 強い光に顔をそむけたが、それでも何が起こったかくらいはわかる。どういう原理かはしれないがワガクスが自爆したのだ。

 突如として起こされた爆発に砦はとても耐えられなかったようで、天井だったと思しき石の瓦礫が次々と落ち、地面は崩落した。

 周囲があっという間に瓦礫と煙でまみれる。ここが最上階だったから良かったものの、砦の中枢だったら間違いなく砦を中心として地面に大きな穴が穿たれていただろう。

 もっとも、それだけの攻撃でも私には傷一つつかなかった。

 身体こそ埋まってしまったが、それらの瓦礫を一息にどけて、ゴホゴホと煙に咳き込みながら身体を起こした。


「これだから……狂信者というのは……っ」


 周囲を見渡すが、どうやら地上まで落ちたらしい。砦は全壊と言っても良いような状態になっていた。

 こうなってくるとおシノちゃんが堅固な地下牢にいたのは幸いだった。最上階だったこともあり、爆発のエネルギーの多くは上空へと逃げていったようだから地下牢まで大きく破壊していることはないだろう。

 ただ、これだけの大騒ぎになったらすぐに辺りから人も集まってくるに違いない。

 町の中枢である砦がこのような状態になったのだ。今にケルウィンの町は狂騒の最中に叩き落とされる。関わり合いがあったと知れたら面倒だ。


「ボヤジャント、ね……」


 結局自分や世界の何がしかもわからなかった。得られたのはその単語だけ。むしろわからないことが増えてしまったが……今はそれだけでも新しい情報が得られたということで良しとするしかない。

 ボヤジャント。

 それを探ってみれば何かが見えてくるかもしれない。

 私は瓦礫から身体を抜き出すと、おシノちゃんの待つ地下牢へと駆けていった。

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