怒り

 だが、そんな千影の考えはすぐに裏切られることになった。

 一時間、二時間……三時間ほど経ってもおシノちゃんが帰ってくるような気配は微塵も感じられなかった。四時間経って昼食として冷めた塩の汁物と黒パンが出され、その時に国兵におシノちゃんのことを聞いたが、


「貴様が知る必要はない」


 と一蹴された。

 逆に蹴飛ばしてやろうかと思ったが、それでおシノちゃんが不利をこうむるようなことになっては元も子もないと思って大人しく引き下がった。

 さらに時間は過ぎていく。それと共に胸のざわつきは確かな不安へと変化していった。

 正確な時間の経過はわからないが、自身の感覚と見張りの国兵の交代だけが時間が過ぎていっていることを明確に示していた。

 きっと直に帰ってくる。

 そう信じて地下水の滴りに耳を澄ませたが心は落ち着かない。ぐっと下唇を噛んで、やはり朝にもっと強引に反対するべきだったと思ったものの今となってはどうしようもない。

 痺れが切れて何度か外の見張り番に声をかけたが全てが無視された。高圧的に言っても下手に出ても何の変化もない。完璧に無視するように言われているのかもしれない。

 そして、昼と同じ夕食が配られた。それでもおシノちゃんは戻ってこない。

 気を張り詰めていたせいか疲れがあるように感じられた。石の壁に背を預け、ああでもないこうでもないと考えを巡らせる。

 ……もしかしたら、おシノちゃんはもう外の世界に出されているのではないだろうか?

 ふいにそんなことを思いついた。

 おシノちゃんのことを調べても後ろめたいことは何も出てこない。そうなれば石牢に閉じ込めておくわけにもいかず、無罪放免となっている可能性だってある。

 そう考えるとそれが一番筋が通っているような話のように思えた。

 少しだけ胸のざわつきが収まる。そうであれば、次に自分が聴取される時に聞けば良い。そのくらいは教えてくれるだろう。

 そう思った時だった。


「ぐずぐずするな!」


 野太い男の声に私はハッと目を覚ました。少しだけ意識が落ちかけていたらしい。

 ずりずりと足を引きずるように階段を下りてくる音が地下牢に響き、嫌な予感に背筋に汗が伝う。

 ……きっと別の囚人だ。別の人間が捕らえられてここに運ばれてきたんだ。

 そう思うがドッドッと早くなった鼓動は収まりそうにない。

 そして、私がいる石牢の扉が無造作に開かれる。


「おシノちゃん!」


 私の口から出てきたのは声とも悲鳴とも区別がつかない言葉だった。

 どさりと倒れ込むようにおシノちゃんが牢の中に入ってくる。いや、入ってくると言うより国兵に放り込まれたと言った方が正しいだろう。

 自身の顔から血の気が引くのがわかる。


「ち、かげさん……」


 ようやくと言った様子でおシノちゃんが言った。

 彼女の顔には何発も殴られたような痕があった。目の周辺は蒼くなり、切れた唇の端からはまだ渇ききっていない血が流れている。

 身体は顔よりもはるかに悲惨な状態だった。無傷の場所を探すのが難しいと言っても良かっただろう。

 両手首は拘束されていたのか、縄の跡がくっきりと残り真っ赤になっている。着ている服はあちらこちらが破け、柔肌には蛇のような傷が無数に作られていた。言われなくともわかる。鞭のようなもので何度も叩かれたに違いない。右足の付け根には大きな打撲痕。蹴られたのか、もしかしたら鈍器で殴られたのかもしれない。


「そんな顔……しないで、ください」


 それでも彼女は笑おうとする。

 まるで自身が受けたことなど些細なものだったとでも言わんばかりの口調。

 だが、私の感情は簡単に限界を超えた。

 ゆっくりと立ち上がって鉄扉の前に立つ。激しい怒りが音となって耳の奥で発せられている気分だった。

 感情のまま鉄扉を蹴飛ばす。


「な、何事だ!?」


 激しい音と共に石牢の一部が破壊される。鉄扉は蝶番ごと外れ、向かいの石牢の壁さえも破壊して倒れ込んだ。おもむろに牢から出ると、見張りの国兵が驚きの表情を浮かべた。


「き、貴様、力を奪われているはずでは――!?」

「これのこと?」


 右手で引きちぎった首輪をぶらんとしてみせる。

 それに国兵たちはひゅっと息を呑み、槍を構えてきた。

 どういう指示が与えられていたかはわからない。けれど、国兵たちは私が出てきたのを確認すると一斉に槍を突き出してきた。

 躊躇のない動き。確かな訓練を受けたそれは確実に急所を狙い穿つものだった。

 万が一の場合は殺しても構わない。きっとそう言われているのだろう。

 だが……


「――っ!?」


 槍の先端は確かに触れた。が、その先端は私の身体を傷つけるどころか衣服を裂くことすら出来なかった。どろりと刃先が真っ赤になってその場にしたたっていく。

 火剋金。

 ゆっくりと槍の先端に触れると、そのままとろけている刃先を握りこんだ。


「ひ、ひぇ……ッ!?」


 鉄で出来ているはずの先端が粘土のように曲げられ、少し力を入れただけで槍の柄から折れてしまう。

 それに思わずと言った様子で国兵は槍を手放した。カランカランと槍が地面を転がる。それを私は強めに蹴った。直線的に飛んだ槍の柄は鎧ごと兵士の胸を貫くと、そのまま石壁に刺さる。急所を穿ったらしいそれに兵士は一瞬で事切れた。


「く、くるなっ! くるなぁっ!!」


 もう一人の兵士ががむしゃらに槍で千影を突こうとするものの、その全てが無意味だった。切っ先が私を傷つけることはなく、足を止めることすら叶わない。徐々に後退していった兵士だが、階段の部分で足を取られて転げた。

 恐怖の一色で声が震えている。そのまま槍を手放し、階段を上って逃げようとする兵士の襟首を捕らえた。


「た、たすけ……っ!」

「誰の命令?」

「ひっ!?」

「誰の命令でおシノちゃんをあんな目に?」

「そ、それは、わ、わ、ワガクスさまが、勇者たちを殺したのもヤツらだろうから、依り代である方から少しでも情報を引き出せと――」

「依り代? どういう意味?」

「し、知らない! 俺は本当に何にも知らな――」

「――そう」


 襟首をつかんだまま兵士を壁に叩きつける。ごしゃりと鉄仮面ごと頭部がひしゃげる音がして、壁には小さな窪みが出来た。手を放すと命を失った肉の塊がその場に崩れ落ちた。

 しんと静まりかえった地下牢で千影はおシノちゃんのいる石牢――もはや扉はなく、牢としての意味はなくなっていたが――に戻った。


「ち、かげさん……?」


 苦しそうな呼吸をしながらおシノちゃんが私の名前を呼ぶ。


「じっとしていて」


 そんな彼女に優しく、慈しむように傷に触れ、優しくすべらせていく。


―― 六根清浄 急急如律令 ――


 すると、私が触れいった個所がまるでそれまで受けた暴行などなかったかのように治っていった。

 安堵のため息を吐いてから、今度は顔に指をやる。じっくりと目や口の周囲の傷をなぞりながら、痛まないようそっと唇の中に指を入れ、口の中を滑らせた。

 濃い血の感触にふつふつとした怒りを改めて覚えるが、今はそんなことを気にしている暇はない。殴られたせいでぐらついている歯もあったものの、私が触れるとあっという間にそれらは元の綺麗なものへと戻っていってくれた。

 ゆっくりと指を離し、こつんとおでこ同士を合わせると最悪の事態にならなくて良かったと心の底から感じた。


「待ってて。他の所も治しちゃうから」

「これも……千影さんの力……?」


 傷が次々と治っていき、おシノちゃんの口からそんな言葉がもれたが私だって知るよしもない。

 六根清浄、急急如律令。

 至急に六根――眼、耳、鼻、舌、身、意――を清めよ、という呪文ではあるが、日ノ本にいた時にはこんな、傷を治したり癒したりする力はなかった。ただ今は彼女の傷が痕の残らないように消えてくれることを願っているだけだった。

 そうして親猫が仔猫の身体を慈しむようにおシノちゃんの身体のほとんどに触れると、彼女の身体はすっかり綺麗なものへと治っていた。それを改めて確認してからゆっくりと抱き寄せる。


「どこか痛むようなところはない?」

「え、ええ……もう大丈夫です」

「良かった。綺麗な身体に痕が残るようなことになったらどうしようかと思った」

「でも、今のは一体……?」

「さぁ、何かしらね? ただ、私のおシノちゃんを想う気持ちがそれだけ強かったということじゃないかしら?」


 そう笑うように言ってから言葉を続けた。


「こんな所ではゆっくり休めないかもしれないけど、少しは眠った方がいいわ。傷は治っても体力まで回復出来たわけじゃないはずだから」

「千影さんはどうするつもりですか?」

「情報の収集と、落とし前につけに行くわ。生憎私は大切な人が痛めつけられたのに、大人しく引き下がれるような性格じゃないから」

「危ないことはしないでください。千影さんにもしものことがあったらと思うと、今度は私の方が耐えられません」

「大丈夫」


 小さく微笑む。


「すぐに帰ってくるわ。御刀と荷物を取ってきて……そうね、ワガクスやらと少し話をしてくるだけよ」

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