牢屋
押し込められた石牢の中はひんやりとした冷気が停滞しているように思えた。
「少しは考えるべきだったわね」
地下に作られているせいか、澱んだ空気にはどこか湿り気のようなものを感じる。もしかしたらどこからか水がしみ出しているのかもしれない。灯りと言えば天井から下げられた小さなランプ一つで薄暗い。鼻をつくような臭いはカビか何かだろうか?
「この世界に来てから周囲の人たちがおもんばかってくれる人ばかりだったけれど、逆のパターンも考えておくべきだった」
ふぅ、と一息吐く。
「気づかなかった私の落ち度だわ。ごめんなさい、おシノちゃん。こんなことに巻き込んじゃって」
「そんな、謝らないでください」
精一杯の笑顔を作っておシノちゃんが両手を振る。
「千影さんが悪いわけじゃありません。ワガクスさまはきっと何か誤解をしているんじゃないかと思います」
「そうだと嬉しいんだけど、こんなところに押し込められて気持ちの良いものじゃ――」
「――静かにしていろっ!」
鉄の扉が向こうから強く叩かれ激しい音を立てる。ビクリと肩を跳ねさせたおシノちゃんをそっと抱き寄せた。
精神的に弱いわけでは決してないけれど、荒事に慣れているとは言い難い。手荒に牢に放り込まれたのが、最初に私と出会った時、捕らわれていたのと類似しているせいもあるのだろう。明るく振るまってはいるが、気分は相当に落ち込んでいるに違いない。
その点、私は自分でも不思議に思えるほどに落ち着いていた。
もちろん快か不快かと問われたら不快だと答えるけれど、牢に入れられたからと言って特別気が滅入るような様子はこれっぽっちもない。元より日ノ本でやっていたことは当たり前のこと、この世界に来てからも勇者を殺したり村を潰したり、露見すれば牢に入れられて当然のことばかりしている。そういう意味でもあの老人の判断は間違っていなかったのかもしれない。
とにかく二人で一つの牢に放り込まれたのは不幸中の幸いだった。もしこれでバラバラに入れられたりしたら、おシノちゃんのことが気がかりでこんな落ち着いてはいられなかっただろう。
「………………」
さて、これからどうするか?
結局、御刀はもちろん、ちょっとの荷物も没収されてこの地下牢へと放り込まれた。最初は恐々といった様子で私を見やっていた国兵の連中だったが、私が大人しく従い、袴に隠してあった暗器の類も差し出すと、本当にこちらが無力になったと思い込むことが出来たのか一気に態度が大きくなった。
ただ、今の状態でも私はなんとなくの感覚で御刀がどこにあるのか感じ取ることが出来る。この世界に来るきっかけとなったものだ。もしかしたら御刀と私の間には何か特別な繋がりがあるのかもしれない。
まだ暖かい季節だが、夜になると地下牢は冷え込んだ。
食事として単なる塩の汁物と固くなった黒パンが配られたものの、それは到底まともな食事とは言えず味以前の問題だった。なんとか胃に収めたものの、たぶんこんなものその辺の小鳥だって食べやしない。
牢にはまともな寝具の一つもなく、代わりに一枚の多少厚手のぼろ布があてがわれた。私はそれをおシノちゃんに巻いてやった。彼女は「千影さんも一緒に……」と言ったが、とても二人で暖を取れるような大きさじゃない。「私は丈夫に出来てるから」と笑ってみせた。
「……千影さん、大丈夫ですか?」
深夜。
外にいるだろう国兵に聞こえないくらいに小さな声でおシノちゃんが言った。
「大丈夫って何が?」
「その首輪、よくわからないですけど千影さんの力を削いでしまうものなんですよね……?」
「ああ、これのこと?」
けろりと言って私は首輪に手をやると、音がしないように鍵の部分を単純に力で押し潰した。そして、そのまま取り外してみせると、おシノちゃんはぽかんと呆気にとられた表情を見せた。
「この首輪がどういうものなのかは知れないけど、私にはなんてことないただの首輪に過ぎないわ」
「で、でも、力を抑え込む術法が組み込まれているとかなんとかって……」
「生憎だけど私の力は聖遺物なんてものが由来じゃないみたい。あのご老人はそういう意味では大きな誤解をしているみたいね」
兵に気づかれていないかちらりと見やる。槍を持った兵士は緊張感など感じさせない様子でふわりとあくびをかみ殺したりしている。ワガクスとやらの言葉を信じ切り、私にはもはや何の力もないと信じているのだろう。
「聖遺物。おシノちゃん、聞いたことある?」
「いえ……全く」
おシノちゃんが首を振り、私もなんだよね、と言った。
「とにかく情報が欲しいわね。この状態でどれだけ放置されるのかはわからないけれど、近い内に取り調べみたいなことをされるんじゃないかと思うの。その時に出来る限りのことを話して、出来れば誤解を解いたうえで助力を求めたい」
そして、少なくともおシノちゃんだけでもこんな牢から出してもらうように訴えるしかない。
言葉にしなかったが、それが今の私にとって最優先のことだった。
「でも、そう簡単に助力が得られるでしょうか?」
「簡単……ではないかもね。けど、仮にも三英雄と言われるような人の一人。今日はいきなりだったから思い込みで動いていたのかもしれないけど、冷静になれば話の一つくらい聞いてくれるだけの器の大きさがあると願いましょう」
「そうだと良いんですが……」
おシノちゃんは目を伏せがちにして呟いた。
壁や床は身体を預けるのに冷たすぎる。私は石壁に寄りかかるようにして、おシノちゃんには自分の身体を貸すような形でもたれかけさせた。そのまま目を閉じると、ぴちゃりぴちゃりと滴るような水の音がどこからか聞こえてくる。
寝るには到底向いていない場所だが、少しするとおシノちゃんは穏やかな寝息を立て始め、私はほっと安堵の息をもらした。無茶な鍛錬はもうあの時以来させていないが、それでも毎日彼女は鍛錬を怠ってはいない。心身ともに疲れているのは明らかだった。
「………………」
これからどうなるのか?
もちろん私だってさっきおシノちゃんに言ったようなことがそう容易く出来るとは思っていない。極端な話だが、いきなり処刑だなんだという流れになってもおかしくなとすら思える。
だが、同じ極端な話ということで言えば今すぐにここから逃げ出すことだって容易なことだ。一般的に言えば堅牢な石牢なのだろうけれど、私がその気になれば鉄の扉を強引にぶち破ることは朝飯前だろうし、国兵が何人集まろうと物の数じゃない。脱獄するのは簡単だ。
であれば、今焦って何か行動を起こすのはあまり賢い選択じゃないように思う。あの老人がどれだけの情報を持っているかもしれないが、それでも何らかの情報を得られれば御の字だ。少なくとも、今の私はあの老人と対立する気も理由もない。
出来ればあの老人が少しでも聞く耳を持っていますように。
そんなことを思いながら私もそっと目を閉じた。
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