三英雄 ワガクス

混乱

 そこから数日経って、ようやくワガクスさまにお目通り出来る日になった。

 もちろん、無駄にその数日を過ごしていたわけではない。

 今はとにかく些細なものでも情報が欲しい。

 そんな中、このケルウィンには小さいものの書物館があり、そこには様々な本が所蔵されていて一定の金銭を支払うと自由に閲覧出来ると知った。

 魔族。

 神族。

 ホーマ族。

 そして、テーロという悪魔。

 知りたいことはたくさんあったし、書物が残されていると知った時、これでだいぶ情報が得られると思ったのだが、結論から言うとそれで得られた情報は微々たるものと言わざるを得なかった。

 なんせこの世界では何百年と生きているのが当たり前の単位で、それから考えると紙は耐久性に乏しく、残したところで後世まできっちりと伝わるものは明らかに少なかった。つまるところ、歴史を紙につづって残そうなどという発想がなかったわけである。

 私が生きてきた日ノ本では書物は知を得る大切な存在であったが、ここでは本は娯楽や、おシノちゃんが前に買ってきた教書か、その場での情報のやり取りするためのものという認識が強いらしい。

 それこそ、書物館に勤める人間に「書物で昔のことを紐解こうとはまた珍しいことをお考えで」と言われるほど。所蔵されている本の九割以上は小説などの娯楽作品で、歴史を紙につづって記録しようとしたものはほんの僅かだった。

 それによれば、


『今からはるか昔。世界は混沌とし、悪魔と、その闇に従う魔族によって埋め尽くされていた。それを嘆かれた神はある時この世界に降り立ち、このように言った。

「我に続きし者よ、世界に光あれと願いなさい。さすれば世界は幸福に包まれるであろう」

 その声に導かれた者が光の者、神族の始祖である。始祖らは神の声に従いし精霊たちの力を借り、悪魔に戦いを挑み、見事に悪魔を封することに成功した。その後勇者は代々封を守り、魔族から神族を守る導となった』


 というのが世界の始まりらしい。


「これが一体何年前のことなんでしょう?」

「テーロとかいうのは封を解かれたのは七百年ぶり、なんてことを言っていたような気がするけど……この書物は七百年以上前に書かれたものなのよね?」

「館員さんによると二千年ほど前のもとになるのではないかとおっしゃっていました」

「となると、ここに書かれた悪魔とテーロは別物と考えるべきかしら?」

「ですが……」


 ぎゅっとおシノちゃんが目を細めて、自身の手をぎゅっと握った。


「私個人の感覚にすぎませんが、ここに書かれている悪魔というのはテーロのことのように思えてならないんです」


 そう言われたら私もお手上げである。

 ともなれば、やはりワガクスさまとやらに聞いてみる他にない。それが私たちが出した結論だった。



 一応の身なりを整えてから砦に赴く。

 見せびらかすものでもないし、余計なことが起こっては面倒にもなると、耳はその時になるまで私の式神を使って誤魔化すことにした。

 今日だけで何人の冒険者がワガクスさまに会うのかわからないが、私たちが砦に着き、国兵に控室となっている部屋に案内された時にはすでに結構な数の冒険者が集まっていた。やはり体躯の大きい男たちが目立つものの、中にはこちらと同い年といったくらいの少年少女もいる。しかし、全員がとがった耳をしていて、おそらく全員がもう何十、何百もの時を生きてきたのだろうと感じさせた。

 それから少しして順々に中の者が呼ばれ始めた。どうやら一人ひとりではなくパーティ単位で面会となるらしい。

 実際、そのワガクスさまとやらがどうやって将兵や勇者を選ぶのか私もおシノちゃんも知らなかった。最初は試験のようなものでも受けさせられるのかとも思っていたが、どうやらそういったものがあるわけじゃないらしい。


「もしかしたらワガクスさまというのは特別な、そういうものを見つける力があるのかもしれないわね」

「見つける力?」

「ツザーの教会所で会った行商人も言っていたでしょう、ワガクスさまに国が依頼した、って。それはワガクスさまとやらが特別な力を持っているからじゃないかしら?」

「なるほど、有り得る話ですね」


 まぁ、逆に言えば何かしら見る力がなければ国だってそう頼みはしないだろう。

 それにワガクスという人物は数百年も前に活躍した三英雄の一人という話だ。その力があればある種の才能の有無を見分けることが出来ることだって十分ある話だろう。


「………………」


 パーティーがいくらか呼ばれるようになってくると、私は自分たちに向けられる奇怪な視線に気づいた。

 なんだろうか、気取られない範囲で視線の元を探っていくとある共通点に気づいた。冒険者パーティーの多く……いや、全てのパーティーはDランク以上の認識票を首から下げている。冒険者でない傭兵の類も、いかにも『つわもの』とわかる人物がほとんどだ。

 それが、私たちの首にかかっている認識票は最低を示すGランクである。となれば、「なぜ彼女たちはこの場にいるのか?」という疑問を持つのは当然だろう。

 今回のワガクスさまの選別も、望めば誰もが受けられるわけじゃない。蜘蛛のような男の支配していた村に発つ前に書いて提出した書類で、二人は『選別を受ける権利がある』と判断されたわけだが、それは特記事項の『ホーマ族』という理由ただ一つだけのおかげように感じられた。

 ホーマ族がどんな種族として扱われているのかは未だわからない。しかし、特別扱いを受けるのは当然のものであるらしい。でなければ、体躯も大きくなく術法も武術も使えなければ冒険者としての実績もない剣士など門前払いだっただろう。

 ただ、今は耳を誤魔化している。この場で私たちをホーマ族とわかる人はおらず、奇妙な印象を持つのだろう。

 そんなことを考えている内に部屋に入ってきた国兵が声をあげた。


「それでは次にチカゲ、シノという名の二人組のパーティー」


 国兵が淡々と読み上げる。

 千影もシノもそのタイミングで立ち上がるが、国兵はすぐにみすぼらしい認識票に気づいて頭をかしげた。


「お前たちがその二人組のパーティーなのか?」


 言外にどうして千影たちのような低ランクの冒険者まで交じっているのかと言いたげだ。


「まぁいい。ついてこい」


 おざなりに扱われながら、部屋を出て廊下を歩く。石造りのそこに飾り気はなく、歩くとコツコツという音がアーチ状の天井に響いた。

 案内された部屋は砦の中心に近いところにあり、他の、人が一人通れるかどうかという大きさしかないような扉とは違って大きな両開きの扉になっていた。普段は指揮所か何かに使われているのかもしれない。

 国兵が武骨な手で木の扉をノックをして、「次の候補者を連れてきました」と声をかける。

 ガチャリと中から扉が開かれる。国兵はちらりと千影とシノを見やってから中へと入る。二人もそれに続いた。


「これはこれは、また随分年若いパーティが来たものだ」


 そう笑うように言ったのは、部屋の奥に設置された豪華な椅子に座った老人だった。僅かに癖を持った白髪は後ろに撫でつけられ、口の周りからあごにかけては髪と同じように白くなったひげが豊かにたくわえられている。耳が長いのはもはや当たり前だが、その老人の耳は他の誰よりもさらに長く伸びているように感じられた。

 彼がワガクスという人物なのだろう。

 老賢人と言われたら、なるほど、特に何の違和感もなくそう思える。片手には大きな青の宝石のようなものが特徴となっている豪奢な杖が握られていた。


「冒険者ランクはGランク。なぜこんな二人が書類の審査を通ったのかわかりませんが……あぁ、特記事項があります。彼女たちは……ほ、ホーマ族だって!?」


 途中まで読んで国兵は驚きの声を上げた。

 そのタイミングで私は式神の使役を止める。途端にとがっていた部分がただの石ころとして地面に落ちて、私たちの丸耳はあらわになった。瞬間ざわりと老人以外の兵たちが動揺に揺らいだ。やはりホーマ族とやらはそれほど珍しい存在らしい。

 しかし、老人は「それはまた珍しい」と独り言のように言って少しの驚きも見せなかった。この辺りは流石に年の功と言うべきかもしれない。

 そしてマジマジと私たちを見やると、私に視線をやっておもむろに口を開いた。


「ところで、お主は釣りをするかね?」

「釣り?」


 出てきた言葉に思わずという形で聞き返していた。


「あぁ、釣りじゃ」


 おうように老人は頷いた。なにか意図があるのかもしれないが、今ここで聞くような話題ではないように思う。しかし、だからと言って無視するわけにもいかない。


「釣りは……経験がないことはありませんが、特別やっていたというほどでは……」

「釣りは興味深いぞ。駆け引きとでも言えばいいかのう? 焦れて無意味に糸を操っていては逃げられる。かといって息をひそめすぎては機会を逃す。じっくりと待ち、獲物が喰いつくその瞬間を的確に見極めねばならぬ」


 言いながら彼は豪奢な杖を軽く振ったかと思うと、ドン、と強く一度地面を杖の先で叩いた。

 瞬間――


「っ――!?」


 複雑な魔法陣が青白く浮き上がり、耳の奥に高く響くような音を立てた。国兵も何事かと互いに顔を見合わせる。

 その中で老人一人が「ふぉっふぉっふぉっ……」と笑い声をあげた。


「力を得たと言っても、所詮は凡俗の徒ということか。勇者がいなくなった今、次はこのわしを狙ってくる可能性がある。そう考えぬほどわしとて呑気者じゃない」

「わ、ワガクスさま、これは一体っ!?」

「その二人を捕らえよ。ホーマ族に化けるとは考えたものじゃが、だからと言って依り代の姿をそのままにしておくとは、わしも随分なめられたものじゃ」


 何が起こったのかわからない。おそらくわかっているのはこの老人だけだろう。

 が、彼の「捕らえよ」という言葉には忠実に従うのか、国兵は剣を抜いてこちらに向けてきた。


「ち、千影さん……」


 おシノちゃんが怯えたような声を出して私に寄る。

 私はすっと目を細くし、半分にらむような形で老人を見やった。


「これはいったいどういうこと?」

「そう睨むでない。聖遺物の力が出せずに焦っておるのだろう?」


 言いながら再び愉快そうに笑う。


「この術法は事前に覚えさせた聖遺物以外の聖遺物の力を一時的に抑え込む、わしが百年以上の歳月を費やして作り出した秘蔵の術法よ」

「聖遺物……?」


 わからないまま周囲を国兵たちに囲まれる。

 おシノちゃんをかばうようにしながら、さてどうしたものかと思案した。

 目の前の老人が何を言っているかさっぱりわからず、状況はお世辞にも良いとは言えない状況だ。

 聖遺物の力を抑え込む。

 そう言ったが、正直私は自身の身体に何の違和感も覚えていなかった。


「聖遺物っていうのは、この御刀のこと?」


 そう思って腰に差した御刀を鞘ごと抜き取ってみせる。

しかしそんな私を老人は鼻で笑った。


「なるほど、ここにきて無知を装うか」

「………………」

「そう装うは構わんが、実際はひしひしと感じておるのじゃろう? 自身の身に宿した聖遺物の力が抑え込まれ、立っていることさえ難しいのを」


 この状況から逃げようと思えばそれはたぶん可能だ。

 目の前の老人が何を言っているのかさっぱりわからないし、その実力がどれほどのものかわからないが、数人の国兵を蹴散らかするのは難しいものとは思えない。

 だが……


「千影さん……」


 不安そうにするおシノちゃんをかばうように動く。

 もし万が一彼女に何かあったら?

 そう思うと、今ここで騒ぎを起こすのは得策だとは思えなかった。


「今のソヤツは赤子同然じゃ。これを首に巻いてやるといい」


 そう指示された国兵の一人が老人からところどころに宝石が施された鎖の首輪を渡される。国兵はおそるおそるといった様子で私に近づくと、首にそれを巻きつけた。


「この部屋の術法ほどではないが、それでもその首輪につけた宝玉に組み込んだ術法は大きく聖遺物の力を削ぐことが出来る。後のことは牢に入れてからじっくりとやればよい」

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