彼女の覚悟

 真っ暗闇の空に一つの光の球が生成される。電気の塊のようにも見えるが、全く異質の力のようにも見える。だが、それは小さく、今にもかき消えてしまいそうなものだった。

 彼女はゆっくりとした動作で光の塊が宿った杖の先を前へと向ける。その先にあるのは空のビンだ。

 ぐっと噛みしめるような表情を見せて指を振る。と、光の球はゆっくりと空のビン目がけて飛び始めた、が……


「っ……!」


 一メートルほどいったところでその光の塊は一気に霧散し、跡形もなく消え去ってしまう。

 それを見やってから彼女は大きく息を吐いた。ぜぇぜぇと激しく肩で呼吸を繰り返しているのが傍目にもわかる。知らず知らずの内に呼吸を止めていたらしい。少しの間ひざに手をついて息を整える。

 それが落ち着くと、額に浮いただろう汗を手の甲で拭ってから再び目を閉じ、口述と共に光の球を作ろうとする。


「その辺で止めておいたいいわ、おシノちゃん」


 私が声をかけるとおシノちゃんは驚いたように振り返った。


「もう一時間以上やっているでしょう?」

「千影さん……」


 余程集中していたらしく、誰かいるとは思ってもみなかったらしい。一週間前に戻ってきたケルウィンの町はすっかり闇が覆い、この空き地にも人影はなかった。

 翌日、おシノちゃんが珍しく一人で買い物に行くと言って少しの間宿を開けた。

 彼女はすぐに帰ってきて、「あったら千影さんの役に立つと思って」とまだ文字を学び始めたばかりの子が読むような絵本の類があったが、彼女はもう一冊別の本を隠すように持っていた。


『それは?』

『あ、ああ、これは千影さんとは関係なくて、私が個人的に気になった……その、小説を一冊買って来たんです』

『小説、ね……』


 彼女はそう言ってその日から熱心にそれを読みだしたが、おシノちゃんがウソを吐く時の癖は重々承知していた。

 表題の中で千影が見て取れたのはごく一部だったが、そっと書き写し、後でそれを宿の主人に聞くと、それが『術法―基礎の仕組みと使用について―』という表題であることを知った。

 そして、その晩からおシノちゃんは私が寝静まったのを見計らい抜け出すようになった。もちろん、それに私が気づかなかったわけはない。

 最初は何もない空間で杖を振って――どうやらその買い物の時に杖も買ったらしい――もごもごと言っているだけだったが、三日目に本当に小さな光の球を生成することに彼女は成功した。

 そして今日まで、彼女は毎晩の特訓を続けてきた。


「私は術法のことについてはわからないけれど、肉体的にも精神的にもきついんじゃないの? さっきまではもうちょっと維持出来ていたけれど、この三回は全部半分以下の距離で消えちゃってるわ」

「……きつくなければ鍛錬にはなりませんから」

「度を過ぎた鍛錬は逆効果よ」


 この一週間、素知らぬ振りを続けていたけれど、流石に今日までこの過度な鍛練を見過ごすつもりはなかった。昨晩など、彼女は腕が上がらなくなるまで鍛錬を積んだ。そのくせ、今朝になったらそんな素振りはこれっぽっちも見せなかった。

 しかし、その無理が身体に出ないわけがない。顔にも疲労の色が濃く出ている。


「でも、このままでは私はそう遠くない内に千影さんのお荷物になってしまいます」

「おシノちゃん、その言い方は――」

「――わかっています」


 咎めようとしたこちらの言葉をおシノちゃんは遮った。


「ケルウィンに来たばかりの頃、千影さんは言ってくれました。自分を荷物だなんて言ってくれるな、と。許さないとまで言ってくれたのは今でもはっきりと覚えています」

「じゃあ、なんで……」

「現実は、やっぱり残酷だからです」

「残酷?」

「考えてみれば、もっと早く何かしらの鍛錬をし始めるべきでした。千影さんが全てそつなくこなしてしまうことをいいことに、私は何もしてこなかったんです」


 言葉を紡ぎ、光の球が生成される。

 バチバチとしたそれを、おシノちゃんはゆっくりとそれを空のビン目掛けて放った。が、今回も彼女から少し離れたところで光の球は少しの名残りを散らして消えた。

 正直、おシノちゃんにこの世界の術法とやらの才能があるのかどうか私にはさっぱりわからない。一週間でここまで上達出来たと言うべきなのか、一週間かかってもこれしか出来るようにならなかったと言うべきなのか。

 ただ、わかるのは……


「おシノちゃん」

「………………」

「私は、たぶんおシノちゃんが自分で思っている以上におシノちゃんに助けられてる」

「千影さん……」


 汗で濡れた手をゆっくりとつかみ、指を絡ませ、そっと力を入れる。


「この何もわからない世界に放り出されても今までやってこられたのは、おシノちゃんがいたからよ」

「でも、今からだってそうだとは限りません。私の無力さゆえに、千影さんに迷惑をかけてしまうことになってしまうかもしれない。私のせいで千影さんの足を引っ張ってしまうかもしれない。それは単なるお荷物であることに違いありません」

「だからそんなこと、どんなことになったとしても私は思ったりしないわ」

「そんな千影さんに甘えてしまうのが、私は許せないんです」


 力を入れていたはずなのに、私の指からおシノちゃんはするりと抜けた。


「………………」


 もう一度。

 今度は先ほどより大きい光球が生成される。

 が、


「――っ!?」


 バチッ、と光は大きく破裂し、それはあっという間にかき消えた。

 おシノちゃんはその場で崩れ落ち、肩で呼吸を繰り返す。額からは汗がしたたり、地面に水滴の跡を作った。


「おシノちゃん、もう止めて」

「強く、なりたいんです。千影さんの横に、立っていられるように……」

「誰かの横に立つのに強さは必要ないと私は思うわ。お互いにそれを望み、それが叶うのなら誰だって横に立つ資格がある。……違う?」

「……そうかもしれません。けれど千影さん、現実というのは時として驚くほど残酷なんじゃないかって思うんです。現実の前に、理想はあまりにも無力なんじゃないか、って……」

「………………」

「私は、強くなりたい。貴女の……貴女の隣に立っていられるように」


 そう彼女は呟いた。きっとそれは心からの言葉だったに違いない。

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