未知との遭遇
浅黒い肌に肩の少し下でざっくばらんに切られた髪。側頭部からはうねった短い角が頭蓋骨に沿うように二本生え、背にある翼は蝙蝠のような真黒なものである。年は二十ほどの女性に見えるが、見た目通りとは思えない。
「なんかあったら面倒だし殺してしまうつもりだったんだけど……なるほど、今のを難なく避けるってことは、こんな奴じゃ相手にならないわけね」
「あ、あんたは……」
地面に突っ伏したまま、虫のように蠢いて男が顔をあげる。
「た、助けにきて――」
「そんなわけないでしょう?」
すがるような言葉をバッサリと切り捨てる。その表情は冷たいものだった。目には道端に吐き捨てられた汚物を見るかのような嫌悪が見てとれる。
「邪魔な封印がなくなって自由の身になった。七百年前の傷もだいぶ癒えてきたし、今なら邪魔をする者はいない。そう思って、その辺のチンピラ程度でも多少力を貸してあげれば面白いことになるかと思ってこれを貸してあげたというのに……」
女はこれ見よがしにため息を吐いた。
「自分の軍団を作る? 世界の王になる? トンチンカンなことを言った挙句、この様じゃあねぇ……。辞書の役立たずっていう項目に載せて欲しいのかしら?」
「そ、それは、俺にも考えがあって――」
「残念。あんたの願望を叶えるために手を貸したつもりは毛頭ないの」
宙に浮いたままの女が右手を前に出してぐぐっと力を込めるように握っていく。
「やっ、やめ――が、あ、ああぁぁ……っ!!」
すると、男の顔面が見る見るうちに歪んでいったかと思うと、完全に握られた瞬間にぐしゃりと子供が遊び飽きた紙風船をくしゃりとするように潰された。真っ赤な花が一瞬咲いてすぐに地面に広がっていく。圧縮でもされたかのようにそこに頭蓋骨の原型は見て取れない。
完全に動かなくなったソレに今度はパチンと指を鳴らす。全身があっという間に黒いもやのような炎に包まれ、三秒もすればそこには黒く焦げた跡だけが残された。
「こんなご時世だもの。その辺のチンピラでも問題ないかと思ったんだけど、やっぱり適当に選んだんじゃダメね」
言って、女は男が持っていた勾玉を口に放り込むとそのまま飲み下した。
「な、なんなんだよ、あの女はっ!?」
「ま……ま、魔族に違いねぇ!」
生き残っていたヤックを含む賊の四人が騒ぎ出す。さっさと逃げればいいものを、腰が抜けてしまったのかその場にへたり込んでしまっているヤツがほとんどだった。
「うるさい奴らねぇ……」
女がため息まじりに言ってパチンと指を鳴らす。と、
「う、うあわああああ!!」
「がああぁあああっ!!」
四人の身体が瞬く間に黒い炎に包まれ、連中は身体を千切られた芋虫のように身体をうねらせたかと思ったが、すぐに先ほどの男と同じように燃え尽きた。後に残ったのは焦げた跡だけだ。
そしてこちらを見やる。
「さて、お久しぶりね。覚えていてくれるかしら?」
その言葉に私はようやく思い至った。
おシノちゃんを見つけた時に聞こえてきた不可思議な気配と声。
その持ち主が今頃になって現れたらしい。
「まさかこういう形で会うことになるとは思わなかったわ」
「そんな挨拶を交わすほどあの時交流があったようには思えないんだけど」
「なるほど、それもそうね」
女がクスクスと笑う。
「……貴女は魔族かしら?」
そんな様子を見やってから私は改めて宙に浮いたままの女に問うた。
「魔族ねぇ……。そんな下等な連中と一緒にされると腹が立つけど、今となっては連中は自分たち以外をまとめてそんな感じに呼んでいるみたいだから、それに則るのなら一応はそうなるのかしら? ……って、私の方が貴女に聞きたいことがあるんだけど」
「聞きたいことがある? その割に先ほどは殺そうとしてなかった?」
「さっきので死んでしまうのならその程度の存在。大したものじゃないから死んでしまっても問題ないって思ったんだけれど、さっきのでも……」
パチンともう一度指を鳴らす。今度は私の身体に黒炎がまとわりつくが、それは特別熱くもなければ体が焼ける痛みもない。
一刀。
炎を斬るように御刀を振ったら黒のソレはあっという間にかき消えた。本物の炎ではないのだろう。
「……今のでも殺せないとなると少し面倒ね。封印を解いたのも貴女。そして今こうして私の前に立っているのも貴女となると、ただの部外者じゃなさそうね。さしずめホーマ族の隠し玉といったところかしら?」
「ホーマ族の隠し玉? 私が?」
「あら、私を封から解いて、どうにか支配下に置こうとしているからこうなっているんじゃないの?」
「残念だけど違うわ。ホーマ族っていうのが何なのかすら私は知らないのよ」
言うと、「なにそれ」と女はケラケラと笑った。
「自分自身がホーマ族のくせにホーマ族のなんたるかもわかってないのって、冗談にもなってないわよ?」
「そう言ってくれるな。こちとら冗談でやったことなんて一つも言ったつもりはない」
「じゃあ、封を解いたのもたまたまってことになるのかしら? だとしたら、とんでもないことをしてしまったわね、貴女」
「……どうやら、私について何かしらの情報を知っているようね」
刀を手布で拭ってから腰の鞘へと戻した。
「もしよかったら少し話を聞かせてもらえない? こっちは圧倒的に情報が不足していてね、事情を察してくれると嬉しいんだけれど」
「それは残念。仮に何か知っていたとしても、私は素直にそれを教えてあげるほどのお人好しじゃないわ」
にんまりと笑ってこそいたが確かに人の好い表情じゃない。
「それに、ホーマ族は私の因縁の相手とも言えるもの。そんな相手にご丁寧に情報を差し上げえるわけにもいかないでしょう?」
人を食ったようなそれは友好的とはとても言い難く、笑顔を浮かべていながら、それは他者をいたぶって楽しむような残酷さを感じさせた。あまり積極的に関わりたいタイプとは言い難いが、今この場所で選り好みをしている場合でもない。
そんな考えをわかってか女は言葉を続けた。
「そうだ、情報が欲しかったら力ずくで聞き出してみるっていうのはどうかしら? その腰に差してるの、少しは上手に使えるんでしょう? お姉さんが遊んであげる」
「遊んであげるとは大した自信ね。万に一つも負けることはない、と?」
「ええ。多少はやれるみたいだけど、所詮ホーマはホーマ。アリはどんなに頑張ったところでアリでしかない。種族の壁っていうのは超えられないわ」
「それはどうかしら? 眼の前にいるアリはとてつもない毒を秘めているかもしれないわよ?」
「ふふ、気の強い子は嫌いじゃないわ」
言って、女は無の空間から一振りの槍を取り出した。深紅色に染め上げられた禍々しい形のそれはまるで人の血で塗りたくられたかのようだ。月明かりに照らされ不気味に光る様まで似通っているように思える。
「でも、貴女は本当にそんな毒を秘めたアリなのかしら?」
ざっと互いに構えを取る。
視線が交ざり合う。
先に動いたのは女だった。
「――っ!」
先ほどとはスピードの桁が違う。それに驚いたが、こちらもそれに併せて動きを始める。
急降下からの攻撃。
急所を狙ったものじゃない。苦痛を与えることを目的としたようなそれを抜刀した御刀で防ぐ。
続けざまに二撃目。
流れるような動作で槍の切っ先を御刀でそらす。趣味の悪い攻撃だ。
「へぇ、なかなかやるじゃない。私の封印を解けただけのことはあるってことかしら?」
「どうなのかしらね?」
今度はこちらから動いた。
一方的な動きから足を使って大きくブレーキをかけ空へと身体を舞わせる。同時に御刀を振るが、女は槍の柄でそれを防ぐ。
高く音が鳴いた。
一撃。二撃。
続けて攻撃を放つが、そのいずれも女は容易く応じて見せた。そして低い体勢から翼を打つと宙を旋回して真っ正面から向かってくる。しかし、私だって速度を落としたりはしない。
一瞬の交錯。
その間に交わされた攻撃は互いに五撃。
女が再び高く高度を取る。
静寂が降ってきた。
心の奥でゾクゾクとした高揚感を覚えていた。今までとは全くレベルの違うやりとりだった。少なくともこの最近で私とこれだけやり合うことが出来たのは彼女が初めてだ。この世界に来てからの戦いに胸を躍らせたことなどほとんどなかったが、今はまるで幼い時に無邪気に打ち合いを楽しんでいた頃のような懐かしささえあった。
そして、その感覚を彼女も楽しんでいるらしい。小さく微笑んでいる。
「まだ封から解かれたばかりで身体が思うように動かないのよね……」
少しの沈黙の後、女がそうポツリともらした。
と同時に彼女の肩口に鋭い裂傷が走った。交わされた五撃の内の一撃が、完璧ではなかったものの彼女の身を裂いていた。
真新しい傷口から出た血が肩から腕を伝って地面へと落ちていく。
「やっぱり身体ってのは使っていないとダメね。あんなので傷を作っちゃうなんて、私も鈍ったものだわ」
「言い訳かしら?」
「随分長い間眠らされていたんだもの。多少身体が鈍っていても仕方がないと思わない?」
ニヤリと女が笑う。
「それに、貴女の方だって無傷ではないでしょう?」
その言葉にプシュリとこちらの肩口にも傷口が走る。胴着にじんわりと血がにじむ。
「この程度、ほんのかすり傷よ」
「それは強がり?」
「いえ、単なる事実だと思ってもらってかまわないわ」
刀を鞘に収め、居合いの形を取る。
それに女はゆっくりと地面に降りたかと思うと、その背の翼を大きく広げた。槍を大きく頭上で何度も回転させてから構える。その顔は小さく微笑んでいた。
先ほどの攻防でも互いにこの程度のダメージとなれば、求められるのはさらなる速度と威力だろう。そして、無想月影流の極意は居合いにある。
次の一撃。
もしかしたらそれはどちらかに致命のものとなるかもしれない。
そう思った時だった。
「――千影さんっ!」
その声に後ろへ視線をやる。
「おシノちゃん?」
「これはこれは……こちらもお久しぶりね」
張り詰め、ひりついていた空気が一気に壊れ、相手も一度取った攻撃の姿勢を解いた。
その間におシノちゃんは私のそばに駆け寄ると、まるで親猫が仔猫を守るかのように女の前に立ちふさがった。
「今すぐに私たちの前から消え去りなさい、この悪魔風情が!」
「おシノちゃん……」
「千影さん。その者が何を言ったかはわかりませんが、耳を貸してはいけません。悪魔の言葉は人を惑わす悪夢の言語。信じたが最後、破滅に導かれます」
「よく言うわね。元はと言えば私がここにいるのはそちらの都合なのよ? なのに好き勝手悪口を言うのはひどいんじゃない? それに、私は貴女の中で長く眠ってた。今更他人行儀されるのは少し傷つくわ」
「そんなこと、言われるだけで吐き気がします」
ぎゅっとしかめられた顔は本気のそれだ。
「それとも、再び私の中で眠りますか?」
その言葉に女はすっと目を細めた。
五秒十秒。
言葉のないやり取りがおシノちゃんと女の間で行われるが、女の方が「はんっ」と嘲笑うように息を吐いて槍を虚空に消し去った。
「せっかく面白いところだったに興醒めね」
その言葉におシノちゃんが何かを口走ろうとする。
私はため息を一つ吐き、そんな彼女を抑えるように肩に触れた。
「千影さん……?」
「止めた方がいいわ、おシノちゃん。貴女の事情はよくわからないけれど、彼女は言葉の一つ二つでどうにかなるような柔な存在じゃないはずよ」
「で、でも!」
「どうやらそちらのお嬢さん……千影ちゃんって言うのかしら? 彼女の方が客観的に物事を判断出来る上に理性的みたいね」
「どうかしら? 私はただ彼女に危ないことをして欲しくないだけよ」
「へぇ、依り代なだけあって、大事にしてるのね。それじゃあ、そっちの子を虐めたら貴女との戦いはもっと楽しくなるのかしら?」
女が言った言葉に、私自身さえも覚えたことないような感覚が襲った。
怒りや敵意という言葉ではない。
幾重にも黒色ばかりが塗り重ねられたような、今までに抱いたことのない、されど何よりも強い感情だ。
「やれるものならやってみなさいよ」
口から出てきた言葉は異様なほど無機質なものだった。
「その時は貴女という存在を塵一つ残さずこの世界から消滅させてやるから」
互いの視線が交じる。
暴力的な言葉は一片もないのに、触れただけで切り裂かれてしまうのではないかと思えるほど空気が緊張する。
あとひとつでもきっかけがあれば瞬時に一帯全部が吹き飛んでしまいそうな雰囲気だ。
「……おお、怖い怖い」
そんな中、チャラけるように矛を降ろしたのは女だった。
「何の力もない癖に私の前に立ちふさがった勇気に免じて今日はこの辺にしておいてあげる。それに、貴女たちがホーマ族である以上、また会うことになるでしょうから」
ばさりと背の翼を打って女が宙に浮く。先ほど出来たはずの肩口の傷はもう塞がったのか血を出してはいなかった。この辺りも人間とは違っているのかもしれない。
一方の私はそれを見やったまま動かなかった。今ここで追及することは出来たかもしれないが、おシノちゃんを危ない目に巻き込むわけにはいかない。
それに何より、彼女とは再び会うことになるだろうという予感が私にもあった。
「それと、最後に一つだけ」
「………………」
「私の名前はテーロ。覚えてくれると嬉しいわ」
そう言葉を残して女は夜空にかき消えた。
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