カグロダ
木製の鍛練用の剣が相手の胴を打ち抜く。相手の男は「うぐっ……」と詰まった声を出して片膝をついた。
「それまでっ!」
中央で審判をしていたおシノちゃんがそう言って片手を上げ、
「勝者、千影!」
言うと、すっかり増えた周囲のギャラリーが沸いたのが私にもわかった。
―― これで十二人抜きか? ――
―― いや、十三人だ! ――
―― 本当にあんな娘っ子が? ――
―― 見てみろ、あの丸耳。ホーマ族だ。そんじょそこらの剣士とは違うんだろう。 ――
―― いくらホーマ族ってったって信じらんねぇ。やらせなんじゃねぇのか? ――
―― いや、さっき俺の連れもやられたんだ。あれはマジもんだ。 ――
ざっと見まわしても三十人近くは集まっているだろう。女子供もいるが、多かったのはやっぱり男の冒険者だった。全員とは言えないかもしれないが、多くの人は将兵を集めているという話を聞いてきた者たちだろう。腕自慢だっているに違いない。
「良い試合だったわ」
私はさも熱戦だったかのように手の甲で額を拭う動作をして、片膝をついていた男にそっと手を伸ばした。
青年はまだ二十歳ほどになったばかりくらいの年齢に見えるが、聞くところによると今年で二百十三を迎えるらしい。そのくせ、短く刈った茶髪に同じ色の瞳がまだ年若い青年のそれを感じさせる。
彼はまだ引かない痛みをこらえるようにしながらも、私の手を取って立ち上がった。ガタイはそこまで大きく見えないが、それでも私よりは随分と背丈が高い。
「いや……まさか本当に十数年しか研鑽を積んでいない幼子にやられるとは思わなかった」
「私も辛うじて勝利をもぎ取れたっていう……感じらしいです」
おシノちゃんが近くに寄ってきてまだおぼつかない私の言葉の足りない部分を補足しながら青年に伝える。
「紙一重の勝負。次にやったら結果は変わるかもしれない、と」
「それはどうだろうな? どうにも化かされた気分だよ」
そう言って彼は苦く笑ってから私に挨拶をして周囲で見ていた仲間の所へと戻っていく。仲間たちはやられた青年をからかっているようだったが、ねぎらいの言葉の方が多いと見える。今の相手とは二分近く打ち合いをしていたのだから、周りから見たらかなりの接戦に見えたことだろう。
「さぁ、次の挑戦者はいらっしゃいませんか!?」
そんな光景をよそにおシノちゃんが声をあげる。
「挑戦は一回千ドラーロ! もし彼女に一本入れることが出来たらその場で十万ドラーロを差し上げます!」
とんでもないうたい文句だ。それも、その相手というのが小娘ときている。
勝ったところでなんだかんだ言って十万ドラーロなんて支払わないんじゃないか?
そう疑う声もあったが、宣伝をしているおシノちゃんも剣を握る私も式神で耳を偽らず、自らがホーマ族ということを隠していない。ホーマ族自体が非常に珍しく、それが一体どういう風に扱われているのかはこの世界にきて少しではあるが知っていた。
もしかしたら、もしかするかもしれない。
最初の一人が挑戦してくるまでには多少の時間がかかったが、一人が挑戦し、惜しくも破れたとなると二人目三人目はすぐにやってきた。彼らとも接戦を演じて見せたら挑戦者は列になってくれた。
もちろん、今の対戦相手……いや、それまでの対戦相手全員、ただ倒すだけならものの五秒も必要なかったのが実際である。正直、私が本当に苦戦したことなど一回もなく、どれも目にもとまらぬ速さで打ってしまえばそれまでだったに違いない。
だが、そんな圧倒的な差を見せつけられては挑戦者はあっという間にいなくなってしまうというもの。数回の打ち合いで相手の力量を見極め、絶妙な力加減でどの対戦相手とも接戦を演じたからこそ挑戦者も途切れなかったわけである。
「今日はもう店じまいにしても良いかもしれないわね」
周囲にギャラリーはまだいたが、十三人抜きを目の当たりに挑戦する者はどうやら現れそうにない。どの挑戦者もかなり良い線まではいっているのだが、なかなかどうして一本入れられないというのがある種の不吉なものを感じさせているのかもしれない。
それにもう夕方も近い。体力の方はまだしも、腹は随分と空いてきたというのが本音だった。
「明日もやるのかい、ホーマのお嬢ちゃんたち?」
今日の賭け試合はここまでと周囲に宣言すると、三々五々に消えていく中で一人の、背はそこまで高くないものの、随分とずんぐりとした体格の男が話しかけてきた。背には柄の長い斧を背負っている。それを振りまわして戦っているからか、ずんぐりとした体形はほぼ全て筋肉で出来ているようだ。
おシノちゃんと目を合わせる。今日で集まった金は一万三千ドラーロ。この数時間で稼いだお金という意味で言えば十分なものだが、路銀というものは多ければ多い方が良いに決まってる。
「そうですね。体調が良ければ明日もやろうと思います」
私が拙い言葉でそう男に返すと、「それじゃあ、明日は俺も参加させてもらうからよ。俺は斧が専門だが、剣だってそこそこなもんなんだ。首を洗って待っていてくれや!」と揚々と町の雑踏へと消えて行った。今日は旅の疲れが残ってんだ、というようなことも言っていたが、多分彼は私たちも今日このケルウィンに着いたばかりとは知らないのだろう。明日のカモになってくれるに違いない。
なけなしの金銭で調達した練習用の模造剣を袋に放り込んで、代わりにおシノちゃんに預かっていてもらった御刀を腰に差す。この十三試合、西洋風の剣もそれなりに使えないことはなかったが、やはり私には御刀が一番しっくりきた。
それから三日に四日。
私の考えた賭け試合は実に上手くいった。
何かペテンの仕組みがあるのではないかと術師を使って調べるような連中も何組かいたが、そのどれもが『不正は見受けられず』という結果。そして、絶妙な手加減もあって挑戦者は結構な数集まってくれていた。中には「賭け金を三倍にするから、勝ったら三倍の賞金を出してくれ」なんて言う人もいて、それは私たちにとっては願ったり叶ったりだった。
もちろんその時から
『一回の挑戦は基本千ドラーロ。勝てば賞金十万ドラーロ。なお、賭け金に関しては相談可』
としたのは言うまでもない。
加えて、私にとってもこの試合は勉強になった。
術法とやらはてっきり術師の専売特許かと思っていたのだが、それとは別に武術という技で身体を強化したり技を強化したりする剣士もいたのだ。最初にこの技をやられ、それまでの数倍の速さで突きを出された時は少しばかり驚いた。
おそらくベッセやユクスなる勇者たちも武術というものを自然とやっていたに違いない。
多少の傭兵や冒険者を相手にしてわかったのは、あの時の勇者なる者たちが並の連中とは比べ物にならない強さを持っていたということだ。もっとも、あの時はそこまで把握する知識も経験も何もなかった。ここを改めて意識出来たのはこの世界の全てのことに不足している私にとってはありがたいことだった。
「次の挑戦者の方、いらっしゃいませんか!? 挑戦は一回千ドラーロから! そろそろ彼女も疲れが溜まってきているはずです。ここが狙い目かもしれませんよ!?」
おシノちゃんの客引きも随分とさまになってきた。
四日目も夕方が近い。この三日で私たちは相応の額を儲けていた。初日からいた者は『あのホーマ族にはどういうわけか勝てん』とわかっている者もいるようだったが、ケルウィンの町には次から次に新しい傭兵や冒険者がやってくる。そういう者たちが上手く試合に乗ってくれた。
そして、その人物がやってきたのはちょうどその時だった。
「客引きのお嬢ちゃんよ」
「はい!」
咄嗟に振り返ったおシノちゃんがぎょっと目を向いた。二メートルを超えるほどの大男を一五〇センチちょっとの彼女は完全に見上げる形になった。
短い髪に、頬には斜めに傷跡が走っている。隆々とした身体の背にはその身体に見合っただけの大剣、目つきは鋭く猛禽類のそれを思わせた。その目を見た瞬間、その男がいくつもの死線をくぐってきた人物であることが私にはわかった。
「ここに三十万ドラーロある」
「へっ?」
それなりの大きさの革袋には金貨が詰め込まれているようだった。受け取って「あの!」とおシノちゃんが声をかけるが、男は気にも留めずに私の前にやってくる。
「あ、ありゃあ黒鷹のカグロダだ!!」
「な、なんだって!?」
「前に一度見たことがある! あの大剣に頬の傷! 間違いねぇ!!」
民衆の誰かがそう言うと、周囲が一気にざわついた。
黒鷹のカグロダ?
聞いたこともないし、おシノちゃんもわからない様子。……いや、黒鷹というのは前に教会所で会った行商人が言っていたか? おそらくこの世界ではそれなりに有名なのだろうが、生憎私たちはそれ以前の問題だ。この世界でいくら有名だろうとわかるはずがない。
しかし、試合を挑まれていることに違いはない。私は襟元を正して相対した。
「三十万ドラーロということは、賞金は三千万欲しいということ? 流石にそんな金額は持っていないのだけれど」
「安心してくれ。そういう条件を求めているんじゃない」
言葉に男は首を横に振った。
この数日で私も口語ならそれなりに上達していた。
「俺が求めてるのは金じゃない。強者だ。ホーマの小娘。この数日で相当に物を言わせてると聞いた」
「いえ、それほどでもないわ。過分な評価をもらってるみたいで」
「俺も話だけなら疑っただろう。だが、一目見てわかった。あんたは俺が求めている強さを十分に満たしている。俺が勝ったなら、お前さんには黒鷹に入ってもらう。それが条件だ」
「黒鷹に? 前にも名前をちらりと聞いたんだけれど、その黒鷹というのは何なのかしら?」
聞くと、「流石にホーマ族にまでは伝わっていないか」と男は笑うように言った。
「俺が頭領をやっている冒険者集団だ。自慢するわけじゃないが、この辺りで並ぶような冒険者集団はないと自負している。それに、一目見て気に入った。もし俺が勝ったらお前は俺の子を産め」
唐突な発言に呆気に取られた。周囲のざわめきも一段と大きくなる。おシノちゃんなどはその大きな目を見開いて、唖然という言葉そのままの表情を浮かべていた。
そんな騒ぎが少し落ち着いてから、
「……随分と突飛な要望ね」言った。
「うだうだやるのは好きじゃねえんでな」
「なるほど。そういう性格は嫌いじゃないわ」
私はそうカラリと言葉を返し、
「わかったわ」言ってやった。
その発言におシノちゃんがぎょっとして、今にもこちらに詰め寄ってきそうな顔をしている。私はそんな彼女を片手でなだめるような仕草をした。
「だけど、三十万で子供まで産めと言うのは少し求めすぎじゃない? こう見えてもそこまで安い女のつもりじゃないわ」
「ほぅ」
男は強面の顔をニヤリとさせた。
「良い度強じゃねぇか。ますます気に入った」
懐をあさって別の革袋を取り出し、おシノちゃんの方に投げる。彼女はなんとかそれを受け取った。先ほどの革袋よりは小さいが、中には金貨銀貨が入っているのだろう。
「数えちゃいねえが、さっきのと合わせて五十万はあるはずだ」
多少の金銭感覚はこの数日で身につけてきた。五十万ともなれば旅は随分と楽になる。
一日目は一種類しか用意していなかった練習用の模造剣も、今日は町の店屋で数種類集めておいた。私はいつもの御刀に一番近いものを選んだが、彼――カグロダに向かっては一番大きいものを掴んで渡してやった。
「背負っている物よりかは小さくなっちゃうけど、そこは大目にみてよ。そんなバカでかい模造剣なんてどこにも売ってなかったから」
「別に俺はあんたのと同じ大きさのやつでも構わねぇぜ。同じ大きさじゃないと不公平ってことにならないか?」
「そう? 使い慣れてる得物を持ってこそ一番公平ってものじゃない?」
ぽんぽん、と感触を確かめるように剣で手のひらを打つ。
「それに、剣のサイズがいつもと違うから負けた、という風に言い訳されるのも面白くないもの」
これには流石のカグロダとやらも大いに触発されたらしい。
一瞬の間の後、ハッハッハ、と大笑いしながら背負った大剣を外すと、近くにいた部下らしいヤツに渡した。持つだけでも大変なのか、渡された部下はよろめきながら群衆の中に戻っていく。今までのやり取りで周囲の人間も息をのんでおり、部下が下がってくるとそこにちょっとした穴が出来た。
「良い、実に良い! その心意気、なんとしても俺のモノにしてみせる!」
「生憎そう簡単には貴方のモノにはならないと思うわよ」
「小娘、名前は何と言う?」
「名乗るならまず自分から。習わなかった?」
「なるほど、道理だな」
カグロダがニッと笑う。
「俺はカグロダだ。カグロダ・ゾスト・セブンフット。しっかりと覚えておくと良い、数分後にはお前の主になる男だ」
「私は千影よ。チカゲ・カンナギ。でも、貴方のモノになるかどうかはわからないわよ? 勝負は水もの。よく言うでしょう?」
どっちが勝つと思う?
いや、流石にカグロダが相手じゃ分が悪すぎる。
そんな会話が私にも聞こえてきた。
それにこれだけ言うヤツだ。たぶん今までの連中とはレベルが違うと考えた方が良いだろう。
おシノちゃんが真ん中に立って手を上げる。彼女も流石に緊張しているらしい。目の色には動揺があって、半分祈るような表情にも見えた。
しかし、久しぶりのつわものかもしれない。私も心が僅かに踊るのを感じた。
「始めっ!」
おシノちゃんが手を下ろす。
瞬間、その図体からは想像出来ないほどの速度でカグロダが突っ込んできた。そのまま大剣を横に構える。なぎ払うつもりだろう。
なるほど、と心の中で思いながら私は素早く身をかがめた。頭の上をかなりの速度の剣が過ぎていく。
その勢いに地面のホコリが舞い上がった。軽い木製の模造剣でこれだけの風圧だ。鉄の塊なら相当なものに違いない。あのベッセという勇者ほどではなかったが、少なくとも冒険者たちの間で言えばかなりの強者であることは確かだろう。
「ふんっ!」
かわされたとわかった瞬間に今度は縦に斬ってくる。それを軽く剣で捌いて横に避ける。
今までの挑戦者とは格が違う。
右に左、そして素早い突き。重さも早さもこの三日間で見た中ではピカイチと言って良い。
観衆は息をのんでいるようだった。
幾重にも繰り出される攻撃に、それを紙一重で避ける。
たぶん周囲からは私が一方的に攻撃を受けながらも、辛うじてそれをかわしているように見えていることだろう。
素早いなぎ払いが再び。
私は剣でそれを受け流し、その勢いを利用して素早く身体を回転させると同時に軽く剣を突き出すが、カグロダはそれを幅の広い刀身で受け止めた。しかし、力は殺しきれなかったようで、大きな身体が後ろに流される。
だが、後ろに流されるのを逆に利用し、大木をなぎ倒すような後ろ蹴りを放ってきた。
それを冷静に後ろに跳んでかわす。
なるほど、戦い方も単調じゃない。
「………………」
「………………」
一旦場が落ち着き、周囲の観客が息を吐くのがわかった。
受け止めた剣を下ろしたカグロダがゆっくりと問うてくる。
「……チカゲ、と言ったな? ホーマ族といえ、所詮は女子供と侮っていた部分が俺にもあったらしい。ここまでの剣士だとは正直思わなかった。身のこなしに反応速度。細腕に似合わず力も十分だ。黒鷹の幹部でもここまでやれるやつはそういない」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
「悪いが、今度こそ全力でいかせてもらう!」
さらに速度が上がっただろうか? すでに武術というものを使っているに違いない。
剣の打ち合い。右に左。打っては払い、対応を一つ間違えば並の剣士は二の太刀で確実に仕留められるだろう。
力任せじゃない。しっかりと基礎が出来ているからこその剣圧に思わず笑みがこぼれそうになる。
それに、このカグロダとやらはまだ何かを隠しているように思えた。
この際全てが勉強だ。
相手が自分より弱者だからと言って学ぶものが何もないとは限らない。
「どぅ!」
強引な剣による押し出し。そこそこの力だが、私を無理矢理に引き下がらせるほどの力ではない。
が、それを受けてわざと少しだけ後退してみせる。言うなれば隙を見せたというところだ。どんな隠し玉を相手が持っているか、それを早く知りたかった。
そして案の定――
「武術!」
私の後退を、よろめいたか何かと勘違いしたらしいカグロダが剣を構え直した。
「
これには流石に驚いた。
身体をとてつもない早さで回転させることによって、普通ならただの斜めから斬り下ろす五連撃になるものを僅かな時間に圧縮して放ってきたのだ。
仮に一つ二つをなんとか捌いたとしても、凄まじい勢いに弾かれた剣では残りの斬撃を受け切れない。結果として相手は残りの連撃をもろに喰らうという仕組みだ。それだけの攻撃を受ければ普通なら命を諦めなければいけない。
だが、それはあくまでも常識の範囲で言えば、だ。
私はすっと短く息を吸うと、瞬間的に姿勢を低く構え――
<無想月影流――
身体をひねりこんで鋭い一撃を放った。
剣と剣のぶつかる衝突音が木製であることを忘れさせるくらいに重たく響く。
西洋風の模造剣では威力も半減であるが、だからと言って今の攻撃が生易しいものということではない。
カグロダのそれが激しい連撃であったのはもちろんである。今までお遊び半分で相手をしてやった連中の誰であってもそれを受け切れる相手はいなかっただろう。
しかし、それでも私の斬撃は押し負けるほど柔じゃない。
「………………」
空気が凍ったかのように場が静まり返る。
どちらの攻撃がどうなったのか、はっきりと目で追えた者はここにはいなかった。少なくとも今のは刹那でのやり取りだ。相当なつわものでない限り何があったのかわからなかっただろう。
私は剣を刀のように軽く振ると、いつもの手癖で腰に差した。
そして――
「ぐっ……」
ドサリと大きな音を立てて前のめりに倒れ込んだのはカグロダの方だった。
耳が痛くなるような静寂。
ここにいた観衆の誰もがこのような……つまりは、私がカグロダを破るという決着を想像していなかったと見える。
誰もが息をのみ、目の前で起こった『何か』に圧倒されていた。
ただわかったことは、お互いに何かの攻撃を繰り出し、結果として――それが信じられるかどうかは別に――カグロダという男が倒れたということだけだ。
「おシノちゃん、お願い」
もっとも、ずっとそんな時間を過ごしているわけにはいかない。そうおシノちゃんに声をかけると、観衆と一緒になって息をのんでいたらしいシノがハッと我に返った。
「しょ、勝者! 千影!」
言った瞬間、その場はまるで爆発したかのような歓声が覆い尽した。
*
カグロダが目を覚ましたのはそれからおおよそ五分ほどの時間が経ってからだった。
周囲の観衆はまだ沸き立っていた。
カグロダが武術を放ったのはわかったにしろ、それが一体どんな武術だったのか?
そして、それに対して私が何をしたのか?
わからない者同士がわからないなりに必死に言葉をかわしているが、無想月影流を知らない限り答えは出ないだろう。中には私が実は術師でもあり、何かの術法で破ったのではないか? なんてことを言っている者までいる始末である。
「……俺は、負けたのか?」
「気がついた?」
下から聞こえてきた声にカグロダを見やった。
手を差し伸べるが、彼は首を振ってそれを断り自力で起き上がった。全力ではなかったと言っても、あの攻撃を受けてすでに立ち上がれるというのが彼の強さの証明だっただろう。
カグロダが立ち上がったことによって周囲がまた再び静かになる。誰もが固唾をのんで見守っていた。
「俺はとんでもない化け物に勝負を挑んだらしいな」
「良い勝負じゃなかった?」
私がそう言うとカグロダはふっと笑いをこぼした。
「あれが良い勝負だったと言えるほど俺だって鈍っちゃいねぇ……。どんな攻撃を繰り出そうが、あんたには常に余裕があった。たぶん何百回やったところで俺は勝てないんだろうな」
「さぁ、それはどうでしょうね? 貴方の剣にはさらなる高みを目指そうとするものがあったもの。まだまだ強くなる余地があると思うわ」
カグロダはガシガシと頭をかいた。長くため息を吐いてから、
「本当にあんたが欲しくなった。頭領を譲ってやっても良い。黒鷹に来る気はないか? あんたの言う通り、俺はこれからだって強くなってみせる。そして、これは剣士としてじゃない。一人の男としての言葉だが、俺があんたに認められるくらいになった時、俺の子を産んでくれると――」
「――はいはい、そこまでです!」
話を続けようとするカグロダとの間におシノちゃんが無理矢理に割って入ってきた。
「貴方は勝負に負けたんですから大人しく引き下がってください! これ以上の勧誘やナンパは許しません!」
「おシノちゃん……」
「なんだ、えらくはっきりと物を言うんだな。ホーマ族ってやつはもっと穏やかな種族だと思ってたんだが……」
「千影さんは特別なんです!」
私にまとわりつくように言ったおシノちゃんにカグロダは「まるで忠犬だな」とからかうように言った。確かに今の彼女は「ぐるる」と威嚇をする犬のようだ。
「確かカグロダと言ったわよね? 貴方も冒険者募集の話を聞いてここに?」
そんな彼女を片手でなだめながら、今度は私の方が聞いた。
「いや。俺はただ腕利きの冒険者を黒鷹に勧誘出来ないかと思って来たクチだ。冒険者組合を通じての報酬は一般的にはさほど多くないが、うちのように大きな集団になればそれなりにはなる。勇者たちが死んだ今、各地で冒険者の仕事は増えるだろう。今後どうなるかは知らないが、俺たちにとって稼ぎ時がくるのは間違いない。……少しでも興味を持ってくれたのか?」
「多少、といったところね。だけど、たった今かなりのお金が入ってきてくれたから急ぐ必要がなくなったわ。感謝しなくちゃいけないわね」
「あぁ……本当に俺も惜しいことをした。俺より強いやつなんてそれこそもう勇者くらいなものだろう。そう驕っていたが、まだまだ上には上がいる。いい勉強になった」
カグロダはそう言って部下を連れて去っていった。雰囲気からするとケルウィンの町からも出ていくのだろう。
一方、この場で続けて私に勝負を挑むような者は現れなかった。『黒鷹のカグロダ』というのは本当にかなりの有名人だったようで、「あのカグロダが無理だったんなら俺なんて逆立ちしても勝てやしねぇ」ともらす冒険者が全員だった。
もっとも、私たちも五十万ドラーロという大金を手にして当座の金の必要がなくなった。これ以上賭け試合をする必要もなくなり、賭け試合はこの日をもって終了ということになった。
二人して宿へと引き上げ、カグロダから頂戴した金貨銀貨に二人でちょっとした歓声を上げる。
多少の金銀ならまだしも、ここまでの金貨銀貨を目にしたことはない。ずっしりとした重みは今まで覚えたことのない種類の感想を抱かせる。
『金は人を狂わせる』
今までの人生で何回か聞いたことがあったけれど、それも納得するというものだ。
「今日はどうだったんだい?」
一階に降り、夕食を頼むともうすっかりと馴染みとなった宿の主人である中年の女性が声をかけてきた。
「もうこの町でもちらほら噂になってるよ。ホーマ族の謎の女剣士ってね」
「そうなんですか?」
「ああ。やられたっていうお客もいてね。そうそう、さっき黒鷹のカグロダまで倒したなんて大業な噂を聞いたけど、本当かい?」
「ええ、一応ですけど」
答えると、「へぇ!」と正に感嘆の声を彼女は出した。
「本当に何者なんだい? カグロダって言えばAランクの冒険者だよ? もしかして、あたしゃ今ものすごい相手と話してるのかねぇ?」
そうコロコロと笑う。
「あの――」
そして、不意に可愛らしい声がやってきた。
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