約束
教会所での一晩が明け、私は目を覚ますと大きくぐぐっと背を伸ばしてから息を吐いた。久しぶりに建物の中で休めたからかいつもより眠りが深かったように思う。身体が幾分軽くなっているように感じた。
おシノちゃんもそれからほどなく目を覚まし、二人して旅立ちの準備を整えていると、ふと思い至ったように「そう言えば」とおシノちゃんが口を開いた。
「昨日に会った村の方々の姿がありませんね」
その言葉に私も大広間を見やる。そこにいる人たちは昨日とほとんど変わらないように思えた。
行商人や冒険者とやらはやはり旅慣れているのか、もうすでにほとんどの支度を終えているようだった。この分だともうここを発った人たちもいるだろう。実際、昨日声をかけてきた軟派な行商人の姿はどこにも見えなかった。
「人数も多かったですし、他の建物にいるのでしょうか?」
「かもしれないけれど、あれだけの集団だもの。仮に別の建物に案内されていたとしても到着していればわかったように思うけど……」
となれば考えられることはそれほど多くない。そして、それはどれもあまり好ましい考えとは言い難かった。
しかし、それをあえて口にして場の空気を重くする必要はない。
それをおシノちゃんもきちんと理解しているようだ。
「それより私たちも準備を始めるとしましょう」
その代わりというわけではないが、私は少し声を弾ませるようにして言った。
「久しぶりにしっかりと休息が取れたし、今日はだいぶ進めるはずよ」
「そうですね。私も今日は元気いっぱいです」
外に出て井戸水で顔を洗い、教会の食堂で量こそそこまで多くないものの温かい朝食にありついた。教会が無償で旅人たちに提供してくれているのだ。こういうものはどうやらここを訪れる巡礼者や行商人からの寄付でまかなわれているらしい。こちらからしてみればありがたい話である。
と、荷物をまとめて出発の準備をしている時に一人の国兵が大広間へとやってきた。カツン、と床で剣の鞘を鳴らして中にいるみなの注目を集める。
「朝早くで申し訳ないが、ここにいる冒険者や傭兵の諸君に協力を要請したい」
手を止めて国兵を見やった。嫌な予感が朝からあったが、それがどうやら当たってしまったらしい。
「ここから南西に行ったところにある森に魔族の群れが存在している可能性が高いことが判明した。種族はわからないが、大型種などではなく小型種との見方が強い。中型種が一、二匹群れに交じっていることも考えられるが、可能性はそう高くない。有志の者たちでこの魔族の群れを殲滅したい。難度は高くなく、正式な冒険者組合を通しての依頼でもないため冒険者ランクは問わないが、それゆえに自己責任という面が強くなる。念のためそこは留意して欲しい」
「あの、質問をよろしいでしょうか?」
手を上げておシノちゃんが国兵に問うた。「なんだろうか?」と国兵が顔をこちらに向ける。
「この辺りにはその……結界というものはないのでしょうか?」
その質問に国兵はどうやら私たちを旅慣れていない女二人の巡礼者の類だと思ったらしい。表情を柔らかくしてから質問に答えてくれる。
「悪戯に心配をさせてしまったのなら申し訳ない。だが、安心して欲しい。この教会所の周辺や主要な道の大部分にはすでに結界が張られている。貴女たちの目的地はどこだろうか?」
「ケルウィンです」
「なら大きな道を外れたり、魔物の動きが活発になる夜間に無茶な移動をしたりしない限り魔族の心配はないだろう。貴女たちには神のご加護がある。この話は関係のないものと思ってもらって構わない」
「お嬢ちゃんが知ってるかどうかはわからないが、ついこの間ちょっとしたアクシデントがあったんだよ」
国兵に続いて大広間にいた傭兵らしき男の一人が口を開いた。
ちょっとしたアクシデント。おそらくは勇者たちのことを言っているのだろう。ちょっとした、というのは不安をあおらないための彼なりの言い回しに違いない。
「そのせいで結界が弱くなってる所が多くなってんだ。今は国に所属してる術師たちが人の住んでいるところを重点的に結界を張り直してる真っ最中って話さ。人命第一だからな、森なんかは後回しになってるんだろうよ」
「そうなのですか……」
「ただ、脅かすつもりはないが、この周辺の道でも結界と結界の切れ目みたいなところはあるのは確かだ。兵士さんが言うように用心するにこしたことはないし、金に余裕があるなら冒険者を護衛に雇うってのもありだと思うぜ。それでなんと、今ならちょうどここに暇をしている冒険者パーティがあるんだがどうだい?」
にっ、と歯を見せて男が笑う。
「嬢ちゃんたち二人だけってのも実際心細いだろう? 俺たちがケルウィンまでお姫さまのようにエスコートしてやるし、料金もお安くしとくよ」
「敬虔な巡礼者相手に押し売りしてんじゃないよ」
そう押してくる男の頭を後ろから杖を持った女がはたく。そんなやり取りを人の良さそうな大柄の男が笑って見やっていた。おそらく三人組のパーティなのだろう。
「お嬢ちゃんたち、こんなヤツの言うことは無視して良いからね。……兵隊さん、話を中断させちまって悪かった。続けてちょうだい」
女の言葉に国兵が頷く。
「先ほども言ったが、魔族は小型種と考えられているし、国兵からも討伐のために多少ではあるが人員を出す。余程のことがない限り危険なものにはならないだろう。低ランクの冒険者であっても参加を歓迎する」
「群れってどのくらいの大きさなんすか?」
先ほどのパーティーとは別の者が手を上げて質問した。
「大きくはないだろう。小型であれば十匹から十五匹ほど。人型であっても同数か、若干少ないくらいだと推測される」
「たったそれだけ? 雑魚狩りってレベルにも入らないじゃないっすか」
質問した男が驚いたように言った。
「そんなちっさな群れ、放置してたって特に問題にならないでしょうに……」
「だとは思う。が、現状を踏まえるに魔族に対して過敏になってなりすぎるということはないだろう。今はまだ小さな群れであるが、それが別の群れや中型種、大型種を呼び寄せてしまうような可能性も否定は出来ない。危険の芽は早々に摘むべきだという意見でまとまった」
「なるほど。それで俺らのような冒険者の連中にゴミ掃除をさせようってことですか」
「それで、お掃除が出来た際のお小遣いはいかほどなんだい、国兵さん?」
「一人当たり百ドラーロ。もし中型がいた場合や群れが想定より大きかった場合には追加で報酬を出す予定だ」
「本当に子供のお遣いレベルっすね……まぁ、内容を考えたら妥当とも言えそうですけど」
お金がもらえるのか、と一瞬心が揺らいだが額は確かに子供のお小遣いと大差ない。
加えて、そもそも私たちは戦いを生業にしている風には見られないだろう。参加を認められるかどうかも怪しい。
結局、この時間まで教会に残り、暇をしていた冒険者の一グループがお遊び半分で参加する様子だった。私たちはそんな冒険者を横目に準備を整えると教会を後にすることにした。
そして、正に今教会から出ようとしていた時だった。
「魔族討伐を急ぐのは、どうやらすでに被害が出てしまったからのようだ」
そんな言葉が耳に入り、自然と足が止まった。
見やると、討伐に参加する冒険者の一人がパーティの仲間に話しているところだった。
「なんでもこの教会所を目指していた連中がやられたらしい」
「その話、本当なのか? 小型種十数匹だろう? 仮にも冒険者なら余裕で撃退出来ただろうし、行商人なら馬車で逃げられたんじゃないか?」
「素人の旅人か巡礼者が奴らのテリトリーに入ってしまったってこと?」
「それに近いだろう。少なくて十人、多く見積もっても二十人ほどの集団だったようだが、ここへの到着を急いだせいで夜道を誤り、間違って森に近づいてしまったらしい」
そんな話におシノちゃんが表情を暗くして私を見やる。私は、残念だけれど、という風に首を小さく振った。それに彼女は僅かに息をもらした。おそらく彼女も自身の中でこの可能性にたどり着いていたのだろう。
「でも、それだけ数がいたんなら素人でも十分抵抗出来たんじゃないか?」
「いや、二十人とは言っても残されていた死体を見るに怪我人や子供、老人も多かったという話だ。おそらく何らかのアクシデント……魔物か何かに村を襲われ、着のみ着のままで逃げてきたんだろう。旅の準備なんて出来てなかったに違いない」
「弱った者から狙われ、見捨てることも出来ずに気がつけば全滅……まぁ、有り得ない話じゃないね」
「あの……その話は本当なのですか?」
少しトーンを落とした調子でおシノちゃんが冒険者の男に問うた。
「ああ、さっき国兵に聞いたんだ」
男は何事かといった様子でおシノちゃんを見やると言葉を続けた。
「君は……さっき国兵に質問していた巡礼者か」
問われた理由に合点がいったらしい。
「君のように切に平和を願っている人には辛い話だな……」
「このかたきは私たちが必ず取ってあげるわ。貴女は神族である私たちに一層の加護があるよう神さまに祈っててちょうだい。それが貴女に出来ることだと思うから」
そんな慰めのような言葉をパーティーの仲間がかけてくれる。
「酷な話だが、このひと月で魔族に襲われた村は結構な数あるという話だ。お嬢ちゃんたちも旅を続けるつもりなら十分に気をつけた方が良い」
最後にそう言って冒険者たちは大広間の奥へと入っていく。討伐の準備を始めるのだろう。
「………………」
朝にここに到着していなかったということから何かあったのではないかと思っていたが、出来ることならこういうことがわかる前に旅立ってしまいたかった。
所詮は関係のない者たちとは言え、聞いてすっきりとする話ではない。
「……急いだところでここで一晩を過ごすことになるのはわかってた。なら、多少遅くなることなど気にせず、彼らと行動を共にしていればこういったことにはならなかったわね」
私は自分の運命を嘲るように言った。
「この間の村のことと言い、いよいよ本当に私は疫病神なのかもしれないわ」
村でのことはあまりに現実離れしすぎていて実感がなかったかもしれないが、今回はそれとは少し違う。ちょっとの間だけとは言っても直に交流を持った人たちが紛れもなく死んだ、という情報がもたらされたのだ。むしろ多少はショックを受けてしかるべきだと思う。
しかし、不思議と私にはそういったものがなかった。近寄りがたいとは言われていたが、日ノ本で起こった討幕派などに絡んだ事件には様々な感情を覚えたことも多い。
悲しみ、怒り、空虚、無念、罪悪感。
今も、覚えてもいいだろう感情は様々あるように思う。
なのに、今はこれも自然の摂理の一つ、仕方のないことだと思えてしまった。その感覚は無心で任務をこなしている時に近かった。
私は、もはや感情すら忘れてしまった殺しの道具になってしまったのか?
そんなことを考えていると、不意におシノちゃんが私の頬に触れた。
「おシノちゃん……?」
「千影さん、今回のことは結果論というものです。あの時の私たちはよもや魔族がこんなところにも出てくるとは考えてはいなかったんですから。わかっていて見捨てたのならまだしも、そういうわけじゃない」
「それはそうだけど……」
「この間の村の時だって、千影さんは良かれと思って結界を張ろうとしてくれたんです。ただ、それが想像とは違って上手くいかなかった。何も、千影さんが好き好んで悪人になっているわけじゃありません。千影さんは千影さん。正義の味方というわけじゃないんです」
そんなことを言ったおシノちゃんに私は小さく笑った。
「……確かに、私は正義の味方なんかじゃないわ。けれど――」
しっかりと彼女の目を見て言葉を続ける。
「例え世界中がおシノちゃんの敵になったとしても、私はおシノちゃんの味方だから。それだけは忘れないで」
それが今の私の全てのように思えた。
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