ツザーの教会所
村人たちと別れたその日の夕刻前、それまでろくな人工物がなかったところに突然石造りの教会と小さな砦のようなものがいくつか建っている場所に着いた。
その頃には道は十分に舗装されたものとなっていて、ここに来る前に行商人や旅人、戦を生業としているような者たちの姿をちらほらと見かけるようになっていた。
「ここがツザーの教会所と呼ばれている所なんでしょうね」
「私が想像していたものよりも随分大きいです……」
「ええ。立派で驚いたわ」
検問のようなものはなかったが、建物のそれぞれには傭兵ではなく、どこかの正規兵と思しき連中が数人ずつで哨戒していた。
行商人や兵は別にして、旅人たちは誰もが一様に疲れた表情を浮かべている。私が勇者を殺してひと月半は経つ。もしあの村のように魔族とやらが暴れているのだとしたら、そういった旅人たちは魔族から逃れてきたのかもしれない。
「こうしてみると、私はとんでもないことをしでかしたらしいわね……」
「でも、千影さんはそんなこととは知らずにやってしまったのでしょう?」
私の独り言におシノちゃんはそう言った。
「それであるなら、過去を悔やむより、今出来ることを精一杯するべきのように私には思えます。もちろん、私も全力でお手伝いいたしますから」
そう笑うおシノちゃんに小さく笑みをこぼし、ますます昔のことを思い出した。
徳川さまのために。
それを合言葉としたように、彼女も徳川さまのために働いていた。
加えて言うなら、それが私に絡んでいることとなると一層力を入れて協力してくれたように思う。
そう考えると、今目の前にいるおシノちゃんと昔に死んだと思っていたおシノちゃんが別人であると思うことの方が難しいように感じられた。
感謝するわ。そう言っておシノちゃんの頭を撫でると、彼女は照れながら、「もうっ」とその手から逃れた。まだ出会ってそれほど期間が経っていないが、彼女とは竹馬の友であったような感覚があった。
「それにしても、ここにいる人全てがケルウィンという町を目指しているのかしら?」
「そうだと思います。聞いた話だと、ケルウィンにはワガクスさまが張った別の結界があり、それが魔族から守ってくれているそうですから」
まだ外は明るくもう少し先を目指すことも出来なくはなさそうだったが、野宿と建物の中で休めるのとでは雲泥の差がある。今日のところはここに泊まることに決めた。
井戸で水を汲み、食料を売っている店から安価な保存食を買ってから教会に入る。と、中には同じことを考えたらしい者たちがいくらか見受けられた。
行商人らしい人に巡礼者と思しき人。そして旅人の姿。
しかしそれよりも多かったのは、剣なり斧なりを携えたガタイの良い男や、飾りのついた杖、そうでなければ弓矢を持った者たちだった。傭兵の類とくくっていいだろう。そういう荒事は男の専売特許なのかと思っていたが、杖や弓矢を持っている者には女性の姿もあった。
そう言えば勇者の一行の半分は女性で、術法とかなんとかいう不可思議な技を使っていた。この世界であのような技が一般的であれば、戦や争いが男のものと決めるのは早計かもしれない。
その点、私は京の都にあって異質な存在として扱われていたように思う。
巫の家に生まれたと言っても所詮は女児。しかし、様々な才を私の中に見つけた巫の家は幼い頃から私に剣や陰陽の術を教え、叩きこんだ。だが、私は他に人斬りをしているような女を聞いたことはない。京の都で私は唯一の女の人斬りだっただろう。
中の人々は入ってきた私たちに一瞥をくれたものの、ここまでくると多少格好が違っていてもそこまで大きな関心を持たれるわけでもないらしい。みな、「追加の旅人か」といったくらいの様子ですぐに興味を失ったようだった。式神で耳を化かしているおかげだろう。
教会に幾らかの寄付をすれば個室を使うことも許されるらしいが、生憎私たちはこの国での金銭の類をほとんど持っていない。仕方なく混雑した大広間の壁際に場所を取った。
「それにしても、この世界の宗教はどうなっているのかしら?」
声を小さくして私は言った。
「教会と名がついているのだから基督(キリスト)教のものかと思ったけれど、十字架や像といったものはないわね。まぁ、元より私のいた世界とこの世界を比べること自体が無意味なものなのかもしれないけれど……」
「千影さんの国ではどのような宗教を信じていらっしゃったんですか?」
「日ノ本では神というのはいたるところに宿るもので、八百万の神々なんていう風に言われていたわ。私が村を黒焦げにした祓詞にも神さまの名が出てきているし、とにかく多種多様な神さまがいらっしゃったの」
「それと比べるとここはなんだか雰囲気が違いそうですね」
「そうね。なんとなくでしかないけれど、神とそれ以外。そんな風にとらえているような感じを受けるわ」
「そう言えば」
おシノちゃんが思い出したように言った。
「村で神族、精霊、それにルーノなんて言葉を聞きました」
「神族に精霊……加えてルーノ?」
「はい」
もはや微かな記憶になってしまっているが、その三つの内、一つ……ルーノという言葉にだけ聞き覚えがあった。
この世界に来たばかり。
勇者のうちの優男……ユクスという人物が『ルーノの生誕祭、クリストナースコ』という言葉を言っていた。それに、あの声だけの存在もルーノという言葉を言っていたと思う。
となると、ルーノとやらはこの世界では深く宗教と結びついているのかもしれない。
そんなことを思案していた千影をよそにシノが言葉を続ける。
「例の化け物のことを魔族と言っていたことを考えると、そうでないのが神族なのでしょう。精霊はそんな神族に属する目に見えない存在で、村の方々は敬っているような感じでした」
「精霊……」
雰囲気からするとその精霊が日ノ本で言うところの八百万の神にあたるような気がする。そう考えると、神世、常世、常夜、現世、尊、御霊等々……神道に通じるものがあるだろう。
が、かと言ってあのような化け物が闊歩している世界が日ノ本とは思えない。偶然の一致とでも考えて良いだろう。
「それで、ルーノというものについては何か聞かなかった?」
逆に千影からそうシノに話を振ってみる。
「そうですね……ルーノというのはお月さまのことのようでした」
「月?」
「はい。どうやらこの世界の人たちは月……ルーノに深い思い入れがあるようでした」
「思い入れ……」
「この世界と月は並び星。永きを共にしてきた存在であり、欠かせない存在だと」
「月に対する何らかの考えがあるのね。」
しかし、それ自体はそう珍しいことでもない。他でもない、仏教などは月に重きを置いた月の宗教と呼ぶことも出来たし、他の宗教でも月が重んじられることが多かった。それに、何を隠そう私の剣だって無想『月』影流だ。
流派の祖。実影は多様な姿を見せる月になぞらえその数々の技を編みだし、ほぼ一子相伝で巫にその技が引き継がれてきた。そういったこともあって、私だって月には多少なりとも思い入れがある。
「女性お二人での旅ですか?」
そんなことを考えていると不意に一人の男が話しかけてきた。
「それも、お二人ともまだお若い。驚きました。お二人ともまだ百五十歳を超えてあまり経っていないのではありませんか?」
「百五十歳!?」
出てきた単位におシノちゃんが驚いて目を丸くする。
そう言えばあの勇者の連中もやたらとこちらを幼子扱いしていたが、この世界はどうやらそういうものらしい。
そう考えると、幸いおシノちゃんの感覚は私と同じようだ。
「女性に年齢を聞くのは失礼だと聞いたことはありませんか?」
そんな言葉を、まだ目を白黒させているおシノちゃんに訳してもらう。
「あっはっは、それは確かに。これは大変な失礼をいたしました」
短く切った髪に手をやりながらその若者は笑った。着ている服は随分と質が良さそうで防具の類は身につけていない。兵や巡礼者という雰囲気には見えなかった。
「私の名前はバススト」
聞いてもいないのに若者はそう言葉を続けた。
「今年に二百五十三になったばかり。若造の行商人です」
「二百五十……?」
またもや目を白黒させるおシノちゃんに小さく言葉を紡ぐ。
「彼らの言っていることが本当だったら、ってことになっちゃうけど、彼らはどうやら百年単位で生きるらしいわ」
「で、でも、耳がとがっていること以外は普通の人……ですよね?」
「だと思うんだけど、とりあえずその話は置いておきましょう。情報はどこかでまとめて仕入れないといけないわ」
ひそひそと話し、とりあえず今は目の前の男、バスストとやらの相手をすることにした。
「それで、バスストさんは何かご用でしょうか?」
おシノちゃんが聞いた。
「いや、特にこれと言ったわけじゃないんです。ただ、この近辺の出身ではなさそうだったので物珍しさから話しかけてしまいました」
「生憎ですが必要なものは先ほど揃えてしまいました。それにお金をほとんど持っていないので……商売なら他を回った方が良いと思います」
そんなおシノちゃんの言葉に男は苦笑した。
「いえいえ、商売目的で近づいたわけじゃありません」
しかし、それにもめげない様子でバスストとやらは話しかけてくる。
おシノちゃんがこちらをちらりと見やってきたので、私はそれに小さく頷いた。面倒くさいだろうとは思うけれど、ここで一晩明かす以上場の空気を必要以上に悪くするのも気が引けた。
「休むにはまだ日が高く、かと言って時間を潰せるような娯楽もない。ここは一つ遠方にある教会の話でも聞けないものかと思ったんです」
「教会の話を?」
「ええ。教会の様式も遠方では違ってくるのでしょう? 話に聞いた程度ですが、巡礼の仕方も少し異なるとか」
「そう言われても……別に私たちは巡礼者というわけではないので……」
「違うのですか?」
バスストは「おや?」といった様子の表情を見せた。
「商売人とは違いますし、かと言って冒険者や傭兵という風にはとても見えません。自然と巡礼者なのだろうな、と思ったのですが……」
「えっと……そこまで信心深いものじゃないんです。あえて言うならただの旅人……でしょうか?」
おシノちゃんが困ったように言う。こうぐいぐいとくる輩の相手をあまりおシノちゃんにはして欲しくない。私が相手を出来れば良いのだが、生憎こちらは言葉が通じないときている。
「そうね。あえて言うなら観光目的の旅人と言ったところかしら?」
「旅人です。その、観光目的の」
私の言葉をおシノちゃんが慌てて訳す。
「観光目的……と言うことは、もしかしてケルウィンにいらっしゃる三英雄が一人、ワガクスさまにお目通りしようとお考えで?」
「そう、ですね。ワガクスさまに会おうと思って……よくわかりましたね」
「まぁ、この近辺には他にめぼしい観光地なんてありませんから。旅人が立ち寄ると言えばそのくらいしか理由が思いつきません。……ですけど、それは少し難しいかもしれませんよ」
おシノちゃんが再び私を見やる。こそこそとやり取りをしておシノちゃんが口を開く。
「やはり三英雄の一人というだけあってそう簡単には会ってもらえませんか?」
「いえ。ワガクスさまは寛大なお方で有名です。面会を申し込めば基本的には誰にでもお会いしてくれます。が、今はその限りではありません」
「それはどういうことでしょう?」
そんな疑問に男は声を潜めるようにして言った。
「今、ワガクスさまは国の要請を受けて冒険者や傭兵の中から将兵となれるだろう人材を集める作業を手伝っておられるのです。実際、ここにも冒険者や傭兵の方たちがいるでしょう?」
そう言ってちらりと大広間の方に視線を向ける。
冒険者。先ほどからまた知らぬ言葉が出てきていると思っていたが……冒険をする者。そして傭兵と並べて言われていることを考えるとそういった類の連中と考えて良いだろう。
「みな、ワガクスさまが傭兵や冒険者を広く集めているという話を聞いてケルウィンに行かれるのだと思います」
「ワガクスさまはそれほどまでに積極的に傭兵や冒険者を募集しているのですか?」
おシノちゃんが純粋に疑問を口にする。
「ええ。……貴女方は、勇者さまの件をご存じでしょうか?」
ひと際小声で男が問うてくる。もはや初対面同士はこれを聞くのが礼儀にでもなっているのだろうかと私はため息を吐いた。
「ひと月ほど前に亡くなったという話は聞いています」
それにおシノちゃんは同じく小声で返答し、男は軽く頷いた。
「ここだけの話ですが、勇者さまを殺したのは未だかつてない魔族の仕業だと言われているんです」
「未だかつてない魔族……?」
「ええ。少なくとも並の魔族の手にかかったわけではない、というのが国の見方です。そもそも並の魔族であれば勇者さまたちが後れをとるわけはありません」
「……勇者を殺した相手の目星はついているのでしょうか?」
そっと聞いたおシノちゃんに男は小さく首を横に振った。
「今の所はなにも。ただ、それなりの知性を持った魔族ではないか、と噂されています。ちょうど七百年以上前の時と同じです」
「七百年以上前?」
「ええ。あの時も高度な知性を持った魔族が長となり、神族に戦争を仕掛けてきて、代々勇者さまが築き上げてきた結界の一部が浸食されたと言われているでしょう? あの時はワガクスさまをはじめとした三英雄の活躍もあり、事なきを得ましたが、今回はどうなるか……」
男は常識のことのように言っているが、こちらにとっては初耳のことだ。
情報は出来るだけ仕入れておきたい。私はおシノちゃんに目配せして、バスストに言葉を続けさせる。
「なんせ、この度は勇者さまたちはあっという間にやられてしまったという話ですからね。こんなこと、並の魔族には到底出来ないことです。となると、歴史的に見ても相当に知性と力を持った魔族の仕業ではないかと巷ではもっぱらの噂なんです」
「それは、恐ろしい存在ですね……」
「全くです。今代の勇者さまたちが特別歴代の勇者さまたちと比べて劣っていたという話は聞きませんし、考えるだけで背筋が寒くなります」
そんな会話を聞きながら、少なくとも『勇者殺し』が人の手によるものだと考えられているわけではなさそうだと感じて安堵した。『勇者殺し』が人の手によるもので、国が何らかの捜査をしているなんて話になったら――そう簡単には結びつかなかったとは思うが――それは旅をするのに面倒になったに違いない。
「どちらにしろ、これを機として魔物は攻勢を強めてくるはず。そう考えた国王は傭兵や冒険者の中から使えそうな者を将兵として雇おうと考えているのです。そして、ワガクスさまにその助力を乞うた」
「なるほど、そういうことだったんですか……」
「ええ。ですけど、ただ将兵を増やすだけではあまりにも脳がない。ワガクスさまがこの話を受けたのは、この近辺の腕ききを集めることによってその中から新たな勇者となる人物を見つけるつもりではないか? と言われているんです」
「新しい勇者……」
「何十万年と続いてきた結界を保持しなければいけませんからね。新たな勇者を探すのは急務であることに違いありません」
「それでは、皆さんは新しい勇者になろうと?」
「まさか」
おシノちゃんの言葉を男は一笑に付した。
「本気で勇者を目指している傭兵や冒険者などほんの一握りもいないでしょう。そこまで自惚れていられるほど傭兵も冒険者も楽じゃありません」
「と言うことは、多くの人は将兵になるのが目的で?」
「そうですね。本来将兵になれるのは相応の出自と実績がある者のみ。それがどういった形であれ庶民にも門扉が開かれたのです。武勲を上げれば貴族位を得ることだって夢じゃない。いや、例え貴族位を得られなくとも、将兵となれば雑兵とは得られる金銭が違います。この辺りにいる傭兵や冒険者……特に冒険者の多くは王国の冒険者組合に登録している人がほとんど。しかし、黒鷹ほどの冒険者集団でない限りは組合を通じての仕事は安定しているとは言えません。将兵に魅力を感じるのは当然のことと言えるでしょう」
王国。冒険者組合。黒鷹という冒険者集団。
わからない言葉が再び並ぶが、その中で報酬という言葉に耳が動いた。路銀をどこかで稼がねばならないというのは最初から思っていたことだった。気持ちだけあったところで先立つ物がなければどうにもならないことも多い。情報を手に入れるのにだって金が必要になることも多いだろう。
冒険者組合……話の内容から察するに冒険者に仕事を斡旋している組織のように思える。冒険者であればそこから仕事を紹介してもらえたりするのだろうか?
「それで、貴方はどういう目的で私たちに声を?」
考えていると、おシノちゃんが再びそう言葉を口にした。
「いやはや、本当にただの興味本位ですよ。信じてもらえていないようですが」
「商人というのは実にたくましい。転んでもタダでは起きない、地面に転がっている石でもなんでも掴んで起き上がるのが商人だと教えられたものですから」
「それは参ったな……」
商家の娘だった実におシノちゃんらしい言葉に男は苦笑を浮かべる。
「良いでしょう。本音で話すなら、貴女たちとお近づきになりたかったのです」
「私たちと?」
「行商人というものの生活を貴女たちはご存じでしょうか? よほど成功した行商人でない限り、たった一人で馬車に乗り、日がな一日カタカタと揺れる道を進んでいくのが大半です。のどかな風景を満喫するにはもってこいの職業かもしれませんが、何十年も同じことが続けばほとんどの人はうんざりしてくることでしょう。それこそ、星の巡りによって馬は時として人の姿となることがあるから、その時のために馬車馬には自分とは異性の馬を選ぶべきだ、なんて冗談が言われるくらいに孤独と隣り合わせなんです」
「つまり話し相手が欲しかった、と?」
「有体に言えばそうなります。貴女たちもケルウィンを目指すのでしょう? なら、もしよろしければ私の馬車に乗りませんか? 私が足や食事を提供する代わりに、貴女たちにはその数日、世間話に付き合ってもらいたいのです。そうなればこの中でも服装が独特で、興味深い話が聞けそうな貴女たちに目がいくのは自然なことじゃありませんか?」
そんなことを言うバスストに悪意は感じられなかった。
しかし、ここには他にも旅人がいるし、実際に今この瞬間も楽しそうに談笑している連中がいる。話の輪に加えてもらうのならああいった方が良さそうなものに感じられた。
それとも、この行商人はこんなことを言いつつもまだ若い自分たちを使って金儲けの一つでも企んでいるのだろうか?
なんてことを勘繰ったところで一つのことに気がついた。
確かに周囲を見てみれば多くの旅人がいるのだが、女性の旅人にはもれなく男性が付属しており、女性だけのパーティは千影たちをのぞいて一つも存在していない。
「………………」
何が、興味深い話が聞けそうだ、だ。
下衆に言ってしまえばただの漁色家である。
呆れに息を吐く。この具合だとこの男はこういったことに慣れているのだろう。整った顔立ちや話術にはそれなりの自信があるとみえた。
しかし、道すがらの雑談相手を務めただけで馬車に乗せてもらえるのであれば引き受けるのもありかもしれないとも思う。
鍛えてある私の足は健脚そのもので一日歩き通しても大したことはないが、おシノちゃんはそういった意味で言えばまだ平均の女子かそれ以下だ。道中で楽が出来るにこしたことはないだろう。
「おシノちゃん、どうする? 馬車に乗せてもらえれば確かに楽が出来そうだけど」
だが、そんな風に私がおシノちゃんに話題を振った時には、彼女はすでに口を開いていた。
「だとしたら、それはお生憎さまでした」
おシノちゃんがバススト相手に小さく笑ってみせる。何を言うのかときょとんとしていると、不意に私にそっと自分の身体を寄せてきた。
「足を提供するという提案は確かに魅力的かもしれません。けれど、それでも貴方のような方が千影さんに近づくのは我慢なりません」
そう言えば、おシノちゃんはなんだかんだ独占欲が強くて、時折こちらの思いもよらないことをすることがあった。
昔もそうだ。
鍛錬でほぼ埋まっていた私のたまの休み。よその子と遊んでいるとおシノちゃんはすぐに機嫌を損ねていた。
一度など男の子と二人きりで遊んでいたものだから、彼女はそれはもう烈火のごとく怒り、私があの手この手と機嫌を取ろうとしたのだが、徒労に終わったことがある。あの時は子供の遊びとはいえ『もう二度とあのようなことはしない』という念書まで書かされたのだ。
けれど、そんながまた私の心をくすぐるのも確かだった。
「ご期待に添えなくてごめんなさい。ですが、彼女の隣を歩けるのであれば私はどんな険しい道であっても自らの足で歩く覚悟があるんです」
おシノちゃんはそう笑って見せ、その屈託のなさに男は返す言葉を持たなかった。
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