難民
翌日、日が昇ると同時に支度を始めてケルウィンの町を目指して出発した。ケルウィンまでは思ったより距離があるらしく、徒歩では一週程度かかるようだった。
それでも、町に向かって歩くにつれそれまで細いあぜ道だったものが多少広いものへと変わり、別の道と合流してより一層大きな道へと変わった。徐々に発展している場所へと通じている証拠だろう。
「あれ、なにかしら?」
そして、それは村を出て三日目のことだった。
真っ直ぐに伸びた道を歩いていると、遠くに一つの集団を見つけた。遠くでよくわからないが、馬に引かれた荷車が一台。その前後に歩いている人が二十人ほどいるだろうか? さっきまでは気配も感じなかったことを考えると、少し前に合流した横道から来たのだろう。
「少なくとも大名行列といった様子じゃなさそうね」
「行商をする人たち……にしては大規模すぎる気がしますね。だからと言って巡礼者さんたちとうわけでもなさそう……」
「敗走してきた兵の類、にしてはあべこべか」
歩いている集団は武器を携えているわけじゃないし、随分とバラバラな様子に見えた。恰好という意味だけじゃない。距離があるせいで細部まではわからないが、老若男女が集まっているように見える。
「ところで、この世界にも巡礼者というのがいるの?」
私にとって巡礼と言われるとお伊勢参りや四国八十八か所霊場めぐりが思い浮かぶ。仏教に限っていうなら、いわゆる行者というものだ。
「村でちらりと聞いただけですが、この国にも信じられている神がいて、聖地というものがいくつかあるそうです。そういうところを巡っている人たちが巡礼者ですね。だけど、彼らはそんな感じじゃないみたい……」
「となるとただの旅人かしら? だけど、あんなに大人数で旅をするっていうのも少し不可思議に思えるわね」
「そうですね。移住やそういったものでない限りあまりない……とは思います」
言いながらおシノちゃんは髪を整えて耳を隠そうとする。確かに遠目に見ても彼らの耳は尖っている。
どうやら私たちのような丸耳を持つ者はホーマ族と呼ばれるもので、一目置かれる存在らしい。だとすれば、今回もホーマ族とやらとわかると面倒事が増えるかもしれない。
「少し待って。式神にそれらしい装いをさせるわ」
近くに転がっていた小石を四つ拾い、ふっと息をかける。
と、石は独りでに動き始めて私とおシノちゃんの耳の先端に触れ、少々歪ながらそれらしい形となってくれる。
「すごい! 千影さん、こんなことまで出来るんですね」
「完全に模倣出来るわけじゃないわ。ただの石ころを擬態させているだけだから、こちらの意思で動かしたりは出来ないし、感触も違う」
「でも、じっくりと間近で観察でもされない限りわからないように思います」
「そうね。そのくらいの誤魔化しにはなるでしょう。……それより、どうする? 彼らと積極的に関わってみるというのも一つの選択肢だと思うけど」
「無用な接触は……出来れば避けたいです」
そんな物言いはやはり私の知っているおシノちゃんだった。
彼女が京の都で密偵として動いていた時も、むやみやたらにあたっていたわけじゃない。基本的に彼女は丁寧ながらも、他人との距離を違えた対応をしたことはない。完全な他人に対しては商家の娘として培った上辺の笑顔で対応をしていた。
それに、今は目の前の連中がどういった人たちかもわからい。そういった様子はあまりないが、こちらに敵意が向いてこないという保証もない。
しかし、向こうがこちらに気づいた時にどういう行動に出てくるか、それは未知数だ。
ひとまず距離を置いて歩くことにしたが、私たちと集団の距離はどんどんと詰まっていった。
向こうは集団で馬車もある。歩く速度に差があるのは当然だと考えていたが、少し近づくと前の集団が普通でないことにすぐに気がついた。
どう見ても彼らは旅をするような恰好ではなかったのだ。
荷物を背負っているような人はほとんどおらず、服装だって旅のために整えられたものじゃない。ほとんどの人は薄汚れた日常着を着ており、農道具の一つでも担いでいれば畑仕事帰りの人間と間違えただろう。
それどころか、彼らの中には怪我人らしき人が何人もいた。
ただの集団じゃない。
そう思うのとほぼ同時に彼らは私たちの存在に気づいた様子だった。
集団は少しだけざわついたが、すぐにその歩みを止めた。こちらと接触しようとしているのは明らかだった。
「おシノちゃん」
「……ここで私たちが止まったところでどうしようもなさそうですね」
「ええ。そうすれば今度は逆に向こうから積極的にこちらに来るでしょう」
向こうが接触を持つつもりなら今更それを避けることは出来ない。
私たちは少しだけ歩く速度を早くする。
そして、集団の近くにまで来ると一人の中年に見える男が代表するかのように集団の中から前に歩み出た。そのまま深々と頭を下げてくる。
一応敵意はないらしい。
念のためにと思って御刀にかけていた手を外す。
「すみませんが、旅のお方とお見受けします」
声が届くかどうかといったところで男が声をかけてきた。
言霊の関係で意味はとれるが、やはり日ノ本では聞いたこともない言葉だ。
「何用でしょうか?」
歩みは止めず、そばまで寄ってから言葉の通じるおシノちゃんが返した。
「もし多少でも余裕があるのであれば、水と食料を分けてはいただけませんか?」
「水と食料を?」
私の口から素っ頓狂な声が出た。
申し出の内容としては意味のわかる内容だったが、申し出全体として見るのであれば明らかにおかしい申し出だった。
水は今朝に川で汲んだものを煮沸してあったし、食料は旅を続けるにまだ十分な量を持ってはいる。
しかし、それはあくまでも私とおシノちゃんの二人分だけの話だ。目の前で水と食料を乞うているのは二十人近くの人間である。例え私たちが持っているものを全てやったところで一日分にもならないだろう。
「ほ、本当に少しで良いんです」
そんな考えを読んだのか、男は言った。
「ここからもう少し……あと幾ばくか進んだところにはツザーの教会所があります。そこにたどり着けるだけの……本当に僅かな量で構いません」
「ツザーの教会所?」
聞き慣れない言葉におシノちゃんを見やるが、彼女は小さくかぶりを振る。どうやら村で聞いたことがあるものではないようだ。
「申し訳ありませんが、その教会所というのは……?」
「ツザーの教会所はこの辺りでは比較的大きな教会所なんです。そこまで行けば私どももどうにかなると思いますので……」
「その教会所というのは休憩が取れる宿町のようなものなんですか?」
「教会所をご存じないのですか?」
おシノちゃんの疑問に中年の男はあからさまに驚いた。
とりあえずこの世界では知らなければおかしい常識らしい。が、生憎私もおシノちゃんもこの世界とは縁がない。
しかし、男はここでこちらの機嫌を損ねてはならないと思ったのか、慌てて言葉を続けた。
「教会所とは町や村の間にあって、魔族の侵入を防いでいる場所です。巡礼者や行商人に加えて傭兵や冒険者の一団……もちろん旅人のための建物も用意されていて……村とまでは言えませんが、旅の休憩所のようなものと言えるでしょう。も、もしかしたら地方によっては別の言い方をしているのかもしれません」
「……貴方たちはそこを目指して?」
「はい。教会所にたどり着ければ国に助けを求めることも出来ますので」
男の顔は憔悴しきっていた。
いや、彼の後ろにいる集団の全員が強く疲労の色を見せていた。今すぐに倒れ伏してもおかしくないような人が、まるで一つまみの生を与えられた亡者のように立っていた。
「お、お願いします! この子はこの二日間、僅かな量の水しか口にしていないんです!」
集団の中からまだ若く見える女が出てきてすがるように言った。
本人も相当にやつれているように見えたが、腕に抱かれたまだ幼児はすでに死んでいるのではないかと思えるほど生気がなかった。
ただの飢えや乾きではない。よく見ると足にそう古くない傷があり、膿んで腫れていた。骨に皮が張っただけのような腕を見るに元々の栄養状態も良くなかったに違いない。もう虫の息のように感じられる。
「少しでも――私の分はいりません! ですが、せめてこの子が何か口に出来るものをお恵みください!」
自分たちは間違って墓から蘇ったばかりの死者の集団と遭遇したのではないか?
そんな母娘を前に私は思わずそんなことを考えた。
「それにしても、一体どうしてこの様なことに?」
私の疑問をおシノちゃんが伝えると、男は沈痛の表情を浮かべた。
「実は……三日前に私たちの村が魔族に襲われたのです」
「魔族に?」
「はい。……勇者さまたちに不幸があったことは、お二人はもうご存じでしょうか?」
「ええ。聞き及んでいます」
「その影響で村を含めた周辺の地域に張られていた結界が弱まってしまったんです。村は魔族に襲われ、戦いましたがとても敵うものではありませんでした。結局、村の若い男たちがなんとか食い止めてくれている間に生き残った者たちだけで命からがら村を逃げ出したのです……」
要するに村を追われた難民だったのかと合点がいった。
小さく後ろに視線を向けると、おシノちゃんはなんとも言えない表情を浮かべていた。
見ず知らずの存在と関わり合いにならない方が面倒事にならないとわかりつつも、だからといってこの状況を相手をせずに切り抜ける方法はない。
その点、面倒事だけれど、少なくとも敵ではないらしいと気を緩めた私の方が楽観的なのかもしれない。
まぁ、そもそも私の『勇者殺し』が発端と言って良い。それにこの先に進めば教会所という宿場があることも意図せずとも教えてもらえたのだ。ちょっとの償いと礼はしてしかるべきだろう。
「おシノちゃん」
荷を降ろしながら私はおシノちゃんに言った。
意図を察した彼女は『千影さんがそう言うのであれば』という表情を浮かべて男に向き合う。
「私たちは二人旅です。そこまで多くの水や食料は持っていませんが、出来る限りの量をお渡しします。……千影さんもそれで良いでしょうか?」
「ええ、構わないわ」
「よ、良いのですか?」
「はい。ここで会ったのも何かの縁というものですから」
「あ、ありがとうございます! 村の長として、心から感謝を申し上げます!」
男……村長をはじめとして後ろの集団のみなが深々と頭を下げた。感謝されると言っても、大元の原因を作ったのは私に他ならない。自ら火をつけて、火消しにかけつけているようなものだ。
結局、道から横の草むらに移動して少しの間ここで足を止めることにした。
水を配り、干し肉が食べられる者にはそれを渡した。固い肉が難しい者には水を沸かし、保存食と合わせて簡単な流動食を作ってやった。もちろん絶対的な量は少なかったが、それでもここまでほとんど飲まず食わずでやってきた者たちにとってはありがたいものであったようだ。
おシノちゃんは傷を負った者たちの手当てをしているようだった。森にいた際に見知った薬草を見つけていたから、念のためにそれを摘んでいたのだ。多少の切り傷や打撲には効くだろう。
「私どもはもう少しここで休んでから向かおうと思います」
一通りのことが終わると村長はそう言った。
「貴重な水や食料に加え、手当てまでしていただいて……このご恩は一生忘れません」
「いえ。僅かですが助けになったのなら幸いです」
村の人々を置いて、私たちは一足先にツザーの教会所を目指すことにした。
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