出逢いの意味

 お祓いをすると言っても、祓所はらえどもなければ必要な道具もない。

 どの程度のものが出来るかわからないが、一応の準備を整えている時におシノちゃんが私の元へとやってきた。


「千影さん」

「おシノちゃん。村の人たちはどんな様子だった?」

「だいぶ落ち着いたように思います。似た儀式をしてみる。そう言ったら、安心したみたいで……」

「そう言われるとなんだか責任重大ね」

「でも、千影さんは優しいです。こんな大がかりな準備までして」


 そうおシノちゃんが顔を僅かにほころばせたのがむずがゆく、私は早々に白状することにした。


「そうじゃなくってね。実は、こうなったのも元はと言えば私の責任なのよ」


 それにおシノちゃんが「?」と頭の上にはてなマークを浮かべた。


「そう言えば、この世界に来た経緯は話したけれど、ここに来てから起こったことは今まで一度も話していなかったわね」


 このまま隠し続けることも出来ることは出来る。けれど、このままというわけにはいかないように思えた。何よりおシノちゃんに黙り続けているのが嫌だった。


「さっきの話。五人の賊と四人の勇者さまたちが死んだというやつなんだけれど……あれをやったのは他でもなく私なのよ」

「え?」


 言った瞬間、おシノちゃんが目をぱちくりとさせた。

 よく意味がわからない。

 そんな言葉が彼女の顔にはありありと書かれている。


「単純な話でね。賊を殺したのも、その後で勇者とやらを殺したのも私なの。魔族だなんだなんてこれっぽっちも関係ないわ」

「賊と勇者さまは、千影さんが殺した……?」

「ええ、結果だけ言えばそうなるわね」


 私は淡々と儀式の準備を整えながら、この世界に来てからおシノちゃんに出会うまでに起きたことをかいつまんで説明した。

 突然この世界で目覚め、すぐに賊たちに囲まれたこと。

 そして、賊を片づけたと思ったら別の連中が現れたこと。

 意志疎通が出来ない上に一方的に攻撃を仕掛けられ、それへの反攻として斬ったこと。


「そんなことが……」


 全てを話し終えた時、おシノちゃんはまるで少し有益な雑学を聞いただけのような顔をした。かなり淡白な反応だったと言って良いだろう。

 私は祓所の細部をいじって口を開く。


「勇者さまや賊なんてものは知りもしなかったし、言葉も通じない。その状況で襲われたものだから、ついつい反撃をしてしまったのよ。だから、この村の結界が消えたのはつまるところ私の責任ってことになるわ」


 それに「そういうことならわかりました」とおシノちゃんがこくんと首を振った。

 外見や言葉遣い、仕草から一見情に厚そうに見えて、こういったことにおいては竹を割ったかのようなところも昔馴染みだったおシノちゃんのように思えた。

 他でもない、彼女とて『殺し』のための情報を幼い頃から運んでいたのである。直接手を下すことはなかったが、彼女が運んだ情報で何人の人間が殺されたのかわからない。私と同じに善悪なんて考えていたらとても出来なかったに違いない。

 もしかしたら……本当に彼女は……。

 そんな考えが頭をよぎったところで、今に考えることじゃないと頭を切り替え、逆に彼女に質問した。


「それより、おシノちゃんの方こそ何か情報はあったかしら?」


 それに、「はい」とおシノちゃんは首を縦に振った。


「詳しいことはわからないけれど、何か不可思議な事情があるのならワガクスさまに知恵をお借りしたら良いのではないか、と」

「ワガクスさま?」

「ここを出て東……こちらの方向にしばらく行くと、ケルウィンという大きな町があるそうです。それで、そのケルウィンにワガクスさまという知恵者がいると村長さんが」

「何者なのかしら、そのワガクスという人は」

「詳しくは知らないようでした。ただ、三英雄さまの一人だとかなんとか」

「三英雄?」

「昔、魔族の動きが急激に活発になった時があったそうなんです。その時、活躍したのが三英雄さま、だと」

「そう言えば勇者たちの誰だかがワガクスさまがうんぬんと言っていた気がするわね……」


 確か大杖をもった女だったと思うが詳しいことまでは思い出せない。


「今は前線から退いているようですけど、その力は勇者さまをも凌ぐと……」

「だとしたらその人に会ってみるのも何か手掛かりになるかもしれない、か……」

「それに、これを見て下さい」


 言ってシノがくるりと反転してそれなりの大きさの背嚢を見せた。


「旅をするなら色々必要だろうと、村の方が色々用意してくださいました」


 千影は一度準備の手を止めてそのもらった物を確認する。

 布の天幕に保存食。縄やちょっとした着替えなんかもある。


「ありがたい限りね。こちらはほとんど着の身着のままだったから」

「村を救ってくれたほんのお礼だそうです。ただ、あまり裕福な村じゃないから多額の金銭は難しいとは言ってました」

「そこまでしてもらうわけにはいかないわ。さっきも言ったけれど、この村が襲われたそもそもの始まりは私なんだもの。これをもらっちゃうっていうだけでも詐欺もいいところなのに」


 それからまた私は祓いの儀式の準備を進めた。

 村の結界とやらを壊しておきながら、色々ともらいものもしたのだ。正式なものではないが、出来る限りのことはしてやろうと村にあったもので斎場をこしらえる。

 穢れを防ぐために四方に立てる竹。

 葉のついた青竹に縄を張り、四手を垂らす。

 そんな風に準備を進める私が珍しいのか、村人たちは遠巻きに座して様子をうかがっていた。

 流石に正式な形のおおぬさまでは用意出来ないが、それでも陰陽の力があれば多少は効果があるだろう。

 元々私は剣客として育てられ、そこに偶然陰陽師としての力があったに過ぎない。もちろんそちらの方面でも一流になれるようにと稽古を受け、五行相生、相剋など戦いの役に立ってはいるが、あくまで副業のようなものだ。

 だけどまぁ、出来るだけはやってみよう。

 斉場いつきばが出来上がり、私は「あー、あー」と軽く声を出してからおおぬさに模した棒と房を持った。

 そして、


「掛けまくも畏き

 伊邪那岐大神

 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に

 御禊祓へ給ひし時に

 生り坐せる祓戸の大神等

 諸諸の禍事・罪・穢

 有らむをば

 祓へ給ひ清め給へと

 白す事を聞こし食せと

 恐み恐みも白す――」


 祓詞を詠んだ瞬間だった。


「っ――!?」


 夜にあって、眩い光が突如斉場を呑み込んだかと思うと、その光は一気に村全体を包み込んだ。

 思わず目を閉じて腕で目を覆う。一体何が起こったのか――わからないまま光の洪水に数十秒は溺れていただろう。

 ようやく光が収まっていきゆっくりと瞼を開いたが、そこに見える光景は唖然とするものだった。

 黒い砂漠。

 表現するならそれが一番だっただろう。

 斎場はそのままに残っていたが、周囲を見渡しても、先ほどまであったはずの建物は全てその芯から燃え朽ちたように黒く変色し、真っ黒なものへと変化させていた。

 いや、建物だけじゃない。

 遠くから見守っていた村人たちも一様に黒く変色し、さらりと風が吹くとその姿がさらさらと砂塵へと崩れていった。

 唯一荷を抱えていたおシノちゃんだけがその場にポツンと取り残され、黒焦げに変色した村人たちに囲まれて恐怖の色をその顔に浮かべていた。


「おシノちゃんっ!」


 斎場から離れ、おシノちゃんの元にかけていくと彼女も立ち上がってこちらへと寄って来た。


「ち、千影さん……」


 困惑した様子でおシノちゃんが口を開く。


「あ、あの、これは一体……?」

「わからないわ。私はただ祓詞を詠んだだけだったんだけど……」

「私も感じました。千影さんがありがたいお言葉を言っている。それはわかりました。けど、そうしたら……」

「この様ね……。だけど、誰に説明を求められるような状況じゃないことは確かみたい」


 周囲に見物に来ていた者だけじゃない。見やるに建物の中にいた人も例外なく黒く変色し、やがてぐずぐずと重力に負けてその形を崩していっているようだった。


「千影さんの詠んだ祝詞はありがたいお言葉なんですよね?」

「一応ね。祓詞は、唱えれば祓戸の神々の御神力により罪や穢れが清められると言われているの。少なくともこんな惨状になるわけはないと思うんだけれど……」

「それじゃあ……」


 どうしてこんなことになったのか?

 恐怖の顔を浮かべて周囲をおシノちゃんが見渡すが、生憎その理由は私にも皆目見当すらつかなかった。



 おシノちゃんと相談し、夜の内に黒い砂漠と化した村を出てケルウィンに向けてあぜ道を一夜歩いていった。

 終始私たちの間には沈黙が降っていた。いくら多少の荒事に慣れていたと言ってもあんなことがあって楽しくいろという方が土台無理な話だっただろう。

 それでも、村を出て二日も経つと私は勇者とやらを殺したことも、一つの村を丸ごと滅ぼしたことも特に重荷に思うことはなくなった。

 もっと端的に言ってしまえば、この世界がどうなっても関心がなかったと言っても良いかもしれない。

 それは今までに覚えたことのない不思議な感覚だった。

 私は別に今まで聖人君子として生きてきたつもりはないし、そんな高尚な性格でもない。

 けれど、だからと言ってこれほどまでに他人を切り捨てるような冷酷な性格かと言われたらそれにも首を振っただろう。少なくとも、自分のためなら他の何がどうなっても良い、なんて考えはしてこなかった。

 それが今はそういった道徳や倫理という観念が薄くなっていた。


「………………」


 ある意味これは、任務のためなら情の一切を捨ててきた影響なのかもしれない。


「千影さん」


 村を発って二日目の夜。

 焚火を前に干し肉をかじりながらそんなことを薄ぼんやりと考えていると、不意のおシノちゃんの言葉にはっとした。


「何を考えているんですか?」

「……何も考えてない、っていうのが正しいかもしれないわ」


 自嘲するように言った。


「この世界の英雄であるはずの勇者を殺し、事故のようなものとは言っても村をまるごと潰してしまった。それなのに、今の私には罪悪感というものが湧いてこないの」

「………………」

「おシノちゃん」


 ゆっくりと視線を向ける。


「こんな悪人のそばにいるのは嫌なんじゃない?」

「千影さん……」

「おシノちゃんは私とは無関係なんだもの。勇者を殺し、村を潰したくせに罪悪感の一つも覚えない人間のそばに無理にいる必要なんてないわ。もし少しでも嫌悪感があるのなら、これまでのことはちょっとした事故だと思って、どこかの機会で私と別れた方が良いように思うの。幸いおシノちゃんは言葉も不自由ないのだから、どこかの村や町で暮らすことだって出来るはずよ」


 夜も大分更けてきた。

 私は「先に寝るわね」と言い残し、一人天幕の中に入ると荷物を枕にするようにして目を閉じた。

 遠くから虫の声が聞こえる。それに耳を傾けていると、どうして今のような言葉がするすると口から出てきたのかわからなかった。

 おシノちゃんのことは純粋に想っている。それこそ天地神明に誓ったって良い。

 彼女が元の世界のおシノちゃんなのかどうかは定かでないが、少なくとも今までの人生で唯一と言って良いほど気の置けない相手だ。

 ……いや、だからこそだ。

 だからこそ、彼女に嫌な思いをさせたくはなかった。


「千影さん」


 続いて天幕に入ってきたらしいおシノちゃんの声に薄っすらと目を開ける。


「確かに千影さんがどういった存在なのか……もっと言ってしまえば、この世界にとって千影さんは良くない存在なのかもしれません」

「………………」

「けれど、例えもし千影さんが神に歯向かう存在であったとしても、私は千影さんのそばにいます。貴女のそばが私の居場所だと確かに感じられますから」


 そう言っておシノちゃんは私に寄り添った。


「辛い目に遭うかもしれないわよ? この世界はどういう世界なのかまるでわからないんだもの。私がこの世界を滅ぼす人間だという可能性だって有り得るわ」

「……それでも千影さんと離れるなど考えたくもありません」


 私の身体に腕を回しておシノちゃんが顔を寄せてくる。


「きっと、初めてあの洞窟で千影さんに会ったその時から私は貴女の存在に魅せられてしまったんです」

「魅せられた、ね……もしかしたらそれは呪いかもしれないわね」

「なら、私は世界で一番幸福な呪いをかけられた存在です。そう言い切れます」


 そんな彼女に私は再び目を閉じた。


「……ありがとう、おシノちゃん」


 小さな声だったが、それは確かに彼女の心に届くような気がした。

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