成り行き

 集まり、しばらくの間ざわついていた民衆の中から一人の老人が出てきたかと思うと、私たちの方へと歩み寄ってくる。それと同時に民衆が静かになる。

 老人のには様々な表情が浮かんでいるように見えた。

 安堵、困惑、恐怖、畏怖……とにかく色々なものが混ざり合い、どういった顔をすれば良いのかわからないように思える。

 傍までやって来たところで老人は立ち止まり、深々と一度礼をした。


「危ない所を救っていただき心より感謝申し上げます。私はこのディルカ村の村長をしているモウラと申します」


 意味は取れるが、やはり日ノ本の言葉ではない。


「旅の傭兵か……それとも正規兵さまでしょうか? どちらにしろお二人はホーマ族、ではありませんか?」


 ホーマ族。またそれか、と思うと、おシノちゃんが戸惑ったように視線を向けてきたので、『わからない』と言うように小さくかぶりを振った。


「特徴的な丸耳。私も話を聞いただけで、見たことすらありませんでしたが、よもやこのような形でお会いすることになるとは思いもしませんでした」


 そうして再び頭を深く下げる。

 確かに老人の耳はとがっていた。後ろにいる群衆を見ても、多少の差はあっても確かにみな耳がとがっているように見える。


「本当に、なんとお礼を申し上げたらよいのかわかりません。お二人がいらっしゃらなければ、間違いなくこの村は魔族の手によって全滅させられていたことでしょう」

「私は何もしていません。化け物たちを倒したのは全て、こちらの千影さんという方です」


 そう答えたおシノちゃんに私は驚いた。


「おシノちゃん……」

「本当のことでしょう? 私はただ千影さんの後ろで見ていただけで、何もしていません」

「そうじゃなくて、言葉……」

「え?」

「彼らの言葉がわかるの?」


 問いかけてようやく、おシノちゃんはハッとした表情を見せた。


「千影さんの言葉とは全然違うのに……私、ちゃんと意味がわかる」

「何語なのかわかる?」


 それに彼女が難しい顔をする。


「え……エラ、エラ……確か、エラ、なんとか語というような名前だったはずです」

「エラなんとか……思い当たる言葉はないわね……」

「ごめんなさい。もうちょっとしっかりと思い出せれば良かったのに……」

「そんな顔しないの。おシノちゃんが悪いわけでもなんでもないんだから」

「あの、何か問題でもありましたでしょうか?」


 日本語で会話をしていたためだろう。意味がわからなかっただろう老人が少しおっかなびっくりといった様子で問いかけてくる。


「いえ、何でもありません。こちらのことで」


 私がそう応え、おシノちゃんを見ると、おシノちゃんが「大丈夫です」と私の言葉を大ざっぱに訳してくれる。

 結局、この後私たちは村長であるモウラから村にある寄合所へと招かれた。村の中では比較的堅固に作られているようで、ここに逃れてなんとか命を拾った村人も多かったようである。

 ただそれでも村人の四分の一は殺され、家屋も相当数が壊された。

 もっとも、私たちがここに来るのがもう少し遅ければ村長の言う通りこの村は全滅していたに違いない。村にはちょっとした自警団のようなものはあっても、戦闘を生業とした兵と呼べるような者はいなかったらしい。


「別に、大したことをしたつもりはない。そう彼女は言っています。ただ、私にとっても邪魔だっただけ、と」


 私の言葉をおシノちゃんが伝える。

 村人の中にはそう言う私やおシノちゃんを拝んでいる者も少なくなかった。そして、ぼそりぼそりと「勇者さまだ」「新しい、それもホーマ族の勇者さまが来てくださった」という声がもれ聞こえてくる。勇者。勇敢なる者。新しい。どうやら何かの事情があるのかもしれない。

 ただ、私が気になったのは集まっている村人全員が日ノ本の人間とはとても思えないことだった。とがった耳もそうであるし、服装も日ノ本で着られていたものとは全く違う。

 ともなればここはやはり日ノ本ではなく外の国……エラなんとか語ということから、そんな名前の国……と単純に問屋は卸さないだろう。

 そもそも外国ではあのような豚の化け物が闊歩しているなんて聞いたことはないし、この間に斬り伏せた連中が『術法』と呼んでいたものだって、私は今まで一度たりとも触れたことのないものだった。

 そう考えると御伽話に放り込まれたと言った方が正しかっただろう。わけのわからない世界に放り込まれた迷い人だ。


「まったく、困ったものね」

「千影さん?」

「ああ、なんでもないわ。えっと、それより、ここではああいうのに襲われるのは日常茶飯事なの?」


 おシノちゃんが言葉を伝えると、村長が両手を振っていやいやと否定する。


「そんな、とんでもありません。少し前までここは勇者さまの結界に守られ、ああいった魔族が襲ってくることなんてありませんでした」


 勇者に魔族。それにホーマ族。

 馴染みのない言葉だらけだったが、今までの話から考えるに魔族とはいわゆるぬえのような妖怪で、勇者とやらは源頼政のような英雄なのだろう。私からすれば実影さまが勇者で、実影さまが打ち破ったという魑魅魍魎が魔族といったところか?

 とは言っても、私の知る妖怪や英雄はあくまで空想上のもの。

当たり前だが実際に見たことはないし、全てが創作の類だと思っていた。実影さまのことだって、爺に言われた通り、事実がそのまま伝わっているとは思っていなかった。

 それが、ここでは現実に存在する。

 ともなれば魔族とやらが様々な形態をとっているのも想像がついた。

 御伽話に出てくる妖怪の類だって鵺のようなものもいれば八岐大蛇のようなものもいるし、一反木綿のように薄っぺらいものもいる。

 そういえばおシノちゃんと出会う前に斬り伏せた相手も魔族がどうとか言っていたが、自分はああいった化け物の類と一緒にされていたのかと少しげんなりとした。耳がとがっているとか丸いとか、顔の彫りの浅い深いはあっても自分はどうあっても人間に近しい生き物だ。

 そしてその勇者とやらは妖怪……ここの世界に倣って言うなら魔族の侵入を防ぐ結界を張っていたらしい。そう考えると勇者は陰陽師や巫女のような力もあるのかもしれない。


「それでは、なんで今回はこのようなことに? その勇者さまとやらの結界は?」


 おシノちゃんを通して伝えられた言葉に村長が夫人と顔を見合わせ、重たげに口を開いた。


「実は勇者さまの結界はこの間に消えてしまったのです」

「消えた? どうして?」

「それは……」


 そこで言葉が途切れるが、もうどうあっても覆らないらしい事実を前に村長が言葉を続ける。


「勇者さまたちが先日に亡くなられてしまったからだと考えています」

「亡くなった?」


 それはまた急な話ね、と独り言ちた。少し戸惑いながらもおシノちゃんがこちらを向いたので小さく頷いた。


「どうして勇者さまたちはそのようなことに?」

「チカゲさま、シノさまは、ここから南に行った先に賞金がかけられた悪党どもの根城があったことをご存じでしょうか?」

「いえ、初耳です」


 と言うより、そもそもこの世界の位置もわからない。

 太陽の位置で東西南北くらいはわかったものの、見知らぬ土地でそれがわかったところで何の役にも立たなかった。あぜ道を行く時だって東西南北など考えず、おシノちゃんとなんとなく話をして決めたに過ぎない。


「ここより南……二日ほど行った場所でしょうか? そこに賞金のかけられた賊どもが根城を構えており、その点については度々手を焼いておりました。村の男総出で自警団を組んでおりましたから幸い被害はほとんど出ませんでしたが、いつまでも居られると間違いなく厄介なことになります。なので、ひと月と少し前になるでしょうか? 村に寄ってくださった勇者さまたちに退治してくれるようお願いしたんです」

「ということは、その悪党退治の際に勇者さまたちが返り討ちにあった、と?」


 私の言葉を訳したおシノちゃんに村長が激しく首を振る。


「そんなまさか! 賊たちは確かに荒くれの者たちでしたが、勇者さまたちがあの程度の賊に負けるはずもありません。それに何より……その賊の死体と共に、勇者さまたちの死体も……実に、無残な形で……」

「つまり、その賊も勇者さまも、どういうわけか全員が死んでしまっていた?」


 おシノちゃんの言葉に村長が声を詰まらせたまま頷いた。

 噛みしめた唇はどれほどの悔しさを物語っていただろうか? 言葉が続かず村人たちからも嗚咽が漏れる。それはどれだけその勇者とやらがこの村の人々に愛され頼りにされていたのか、その証だった。


「ありゃあ、新手の魔族の仕業だ!」


 皆々が言葉に詰まった代わりに、叫ぶように言ったのはまだ若い男だった。先ほどまで村人の救助に当たっていたように思う。

 普通の人間では到底敵わないだろう化け物に対しても一人で果敢に立ち向かい、震えながらも皆が避難した寄合所を守ろうと必死になっていたらしい。その際に傷を受けたのらしく、頭にあてがわれた布にはじっとりと血がにじみ出ていた。


「魔族が賊どもの身体を乗っ取って、勇者さまたちを卑劣な方法で襲ったにちげぇねぇ! でなければ……でなければ、あんなに強かったユクスさまたちがやられるはずなんてねぇ……っ!」


 その声は何とも言えない感情に支配されているように思えた。現実を信じたくないがために未だ感情を片づけられていないように感じる。

 時として強者は絶対な信頼を置かれる。

 勇者――それが後世に名を遺すような英雄のようなものならなおさらだ。

 だが上にはさらに上がいるというのも世の常だ。勇者とやらがどれほど強かったとしても、それを上回る強さを誇る相手がいないということにはならない。


「本当に、ユクスさまたちがやられる……わけなんて……っ!」


 そんな時、私の頭に引っかかるものがあった。

 ……ユクス?

 それは少し前に聞いたことがある名前だった。

 そう名乗られたわけじゃない。が、会話の節々で彼らはあの優男をそんな名前で呼んでいたような気がする。


「……ひとつ聞いても良いかしら?」


 私は嫌な予感を覚えながらもその男に問うた。慌てておシノちゃんが言葉を訳してくれる。


「勇者さまっていうのは全部で何人だったの?」

「勇者さまたちは全部で四人だ……。大斧を難なく振り回す怪力のベッセさまに、操れない術はないと言われた術法の天才、クォーツさま。絶対的な破壊の術法の持ち主のニナさまに、そんな勇者さまたちをまとめていたのが類稀なる剣技を持ったユクスさまだ……」


 悔しさに若者の言葉が滲んでいる。


「………………」


 強かったか弱かったか、絶対的な基準で言えば今の私には遠く及ばなかった。

 けれど、先ほどの化け物と比較したら十二分に彼らも強者だったと言える。もし彼らの内一人でもこの村にいれば、きっと先ほどの魔族を撃退することは容易いことだったと今ならわかった。

 そして、その前には五人の賊に襲われ、それを斬った記憶もある。


「なるほど……そういうことね……」

「千影さん?」

「いえ、なんでもないわ」


 おシノちゃんの視線に大きくため息を吐いて手を頭にやる。

 なんとも巡りの悪い運命だ。

 彼らは誰ひとりとして……たったの一言だってそんなことは言ってはいなかったではないか。

 あの時の私は自身を攻撃してきた彼らを斬り伏せることしか考えていなかった。

 私がこれまで幾人もの人間を斬ってきた時代は正に動乱の時代だ。

 幾つもの正義が複雑に入り混じり、それは混沌と呼ぶに相応しかっただろう。ゆえに、相手が善人なのか悪人なのか……もっと言えば、正義とは何か、悪とは何か、そんなことをを意識したことは一度だってなかった。そんなことを考えていては一体何が正しくて何が間違いなのかわからなくなり、刀の切れ味を鈍らせるだけにすぎなかったからだ。

 ただ、徳川さまのために。

 私にとってはそれだけだった。

 しかし、その思考が今回は不運を招いたとしか言いようがない。彼らが何者かなど、あの時はこれっぽっちも考えていなかった。

 ……これからも刀を振るのであれば、その時は相手が一体何者なのか考えるべきなのだろうか?

 何のために刀を振るのか?

 何のための力なのか?

 今までに一度として考えたことのないことだった。


「世界はどうなってしまうんでしょう?」


 私の横で涙声の村長の夫人がおシノちゃんに声をかけた。


「今まで世界を守ってくださっていた勇者さまたちがいなくなり……もしかしたら、私たちはそう遠くない内に魔族たちに……」

「未来は誰にもわかるものではありません」


 おシノちゃんはご夫人の手を優しく取って言った。


「過去に起こったことを嘆くより、今出来ることを精一杯にする。それが私たちにとって一番必要なことだと思います」

「おシノちゃん……」


 彼女の言葉に、変に傾きかけた思考に私は待ったをかけた。

 彼女が何者かわからない。

 他人の空似という方が可能性としてはあるだろう。彼女が本物のおシノちゃんである確率なんて、それこそ万に一つもないのかもしれない。

 それでも、私は再びおシノちゃんに出会うことが出来た。

 なら、今の自分はおシノちゃんの為にあるべきだ。

 彼女が笑顔でいられるよう……彼女の笑顔を守れるよう。

 あの時守れなかった約束を果たすべきに違いない。


「あの、千影さん」


 おシノちゃんの声にハッと我に返った。


「どうかしましたか?」

「ううん、なんでもないわ。ただ……陰陽道にも結界という考え方があるから、少しそこについて考えていただけよ」

「千影さんも結界が張れるのですか?」


 素朴なおシノちゃんの疑問に少し難しいものを覚えた。

 一応私とて江戸の時代にあって大陰陽師と呼ばれた存在だ。

 修祓……祓いの類が出来ないわけじゃないが、それが勇者とやらが作っていた結界と同じものとは思えない。陰陽術と勇者たちの使っていた術法、結界は全くの別物だと考えるのが妥当だろう。

 だが、祓いの意義は、神を迎え交流するための準備として、罪穢れのない清浄な空間をつくりあげること。

 もしあの化け物というものが罪穢れている存在であるというなら除け程度にはなるかもしれない。


「それでは、新たな結界をお願い出来ないでしょうか?」


 おずおずとおシノちゃんが言う。見やれば村長夫妻がまるで祈るような目でこちらを見やっていた。おシノちゃんの意見がゼロというわけではないが、彼らに懇願されたに違いない。


「やはり、難しいですか……?」


 おシノちゃんの頼みではないが、彼らにとってしてみれば生きるか死ぬかの大問題である。

 それに、このままおシノちゃんを困らせているわけにもいかない。


「わかったわ。勇者さまと同じ結界を作れるわけじゃないけれど、祓いの儀式をしてみましょう」


 おシノちゃんが私の言葉を訳して村長たちに伝えると、彼らは幾度も幾度も頭を下げ、口々に感謝の言葉を発した。

 正義の味方なんてものは私の役柄じゃないんだけど。

 思いながら、小さく息を吐いた。

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