旅路
森にて
ふっと目が覚め、目の前におシノちゃんの顔があって私は息を呑んだ。
バクバクと鳴る心臓に、そうだった、と昨日のことを思い出す。どうやら昨日に起こったことは寝たら醒める御伽話じゃないらしい。
魚三尾と木いちごを食べ、寝るにも道着を上掛けがわりにすれば良いと私はおシノちゃんに言ったのだが、おシノちゃんはそれじゃあさらししか巻いていない私が寒くなってしまうと顔をむずがゆいものにした。おシノちゃんが着ていた服はまだ乾きそうになかったし、どうしようかと思っていた矢先、それなら二人で使えば良いと彼女が言ったのだ。
だが、所詮道着は細い女子のそれ。二人が相当にくっつかなければならなくて、変な恥ずかしさで私は簡単に眠りにおちれなかった。
それでもまだ日が高くない内に目が覚めたのは日ごろの習慣というやつだろう。
まだ眠っている彼女を起こさないように道着から抜け出し、御刀を持って少し距離を取ってその場に正座した。
細く長く息を吐き出しながら今日一日の無事を祈る。
そのまま鍛錬をする日も多かったが、今日はそんな暇はない。
立ち上がって周囲をぐるりと見渡す。随分と神秘的な森だ。雰囲気とでも言えば良いのか、何か特別なものを感じさせる。
と、いつまでも森の雰囲気に感心している場合でもない。
昨日に摘んだ木いちごは全て食べてしまっていたし、朝食替わりになるものを探した方が良いのだろうが……そう簡単に見つかるだろうか?
そう案じたが、探してみると幸いなことに昨日の木いちごに加え、ところどころの低木には枇杷のような橙色の果実を見つけることが出来た。匂いは悪くなく、軽くかじってもツンとするような刺激はない。若干種が大きいが、それでも少しの甘味があって果肉を食べる分には問題なさそうだ。
結局、おシノちゃんが起きてくる前にそれなりの量を採ることが出来て、それを朝食とすることが出来た。
「しかし、これからどうしたらいいのか……」
一息ついたところで私は言った。
「水に食料。ここにいろって言われてもしばらくの間は大丈夫なように思うけれど、流石に根付くわけにはいかないわね」
「千影さんもここには全く見覚えがないんですよね?」
「ええ。見覚えも聞き覚えもないわ。京の町の近くにこんな森はなかったし、昨日のことを考えるとここが日ノ本どころか私のいた『世界』そのものなのかすら怪しく思えてくるもの」
「それがどうしてこのようなことに?」
「それもわからないのよ」
そっと御刀に触れる。
「ただ、祠にあったこの御刀に触れたら急に意識がなくなって、気がついたらここに来ていたの」
「その御刀は何か世界を移動出来るような道具なんでしょうか?」
「世界を移動できる道具……なんてものがあるのかしら?」
ゆっくりと鞘から刀身を抜く。日の光に反射するそれは見れば見るほど美しさを増しているように感じられた。
昨日の無茶な使い方にも耐えられたことに加え、そういった意味では確かに異質な御刀なのかもしれないが、それでも何か別の場所に移動が出来るような力があるようには思えない。
「そうだ。あと、声を聞いたのよ」
「声?」
「ええ。助けて、という声よ」
「助けて……?」
おシノちゃんが目を細くする。
「それで、その声を頼りに歩いていたら貴女が捕らわれていたの」
「それじゃあ、その声は私が出していたものなんでしょうか?」
「自覚はない?」
「はい……」
申し訳なさそうにするおシノちゃんに私は微笑んだ。
「そんな顔をしないで。声って言っても普通の声じゃなくて……こう、幻聴のようなものだったから。今思えば私の思い過ごしだったかもしれないわ」
「だけど……」
「とにかく、何もわからない同士。なんとかやっていきましょう」
それにこくんと彼女はうなずいた。
それから少しばかり話を聞いたが、おシノちゃんは本当に何もかもの記憶を失っているようだった。
いや、元よりあの状況下に置かれていたことを考えると普通の記憶喪失と同列に考えて良いものかもわからない。
それに、聞こえてきた別の気配の声のことも結局わからず仕舞いだ。ただ、おシノちゃんがあの奇怪な気配の持ち主とは別なことだけはわかる。
しかし、逆に言えばわかることはそのくらいなもの。
「まったくもってわからないことだらけね」
口内で独り言ちながら息を吐いた。単なる感覚だが、この状況から簡単に抜け出す方法は簡単に見つからないように思える。
一度捨てようと考え、実際その直前までいったこの命だが、不思議な形で永らえた。そして、永らえた先にいたのはもう永遠に会えないはずの幼馴染と瓜二つの容姿をした少女だった。
「何か意味があるのかしら……?」
「意味、というと?」
「私がここにきた意味よ。単なる神さまの気まぐれな神隠しか、何かもっと深い意図がある何かなのか」
「でも、どちらにしてもそのおかげで私は千影さんにお会いすることが出来ました。それだけで私にとってはとても深い意味があったように思います」
「おシノちゃん……」
「す、少し自分勝手すぎますね」
「ううん、そんなことはないわ」
すっと私は立ち上がった。
「確かに貴女に会えた。それは私にとっても大きな意味がある気がするから」
「そうなんですか?」
「もしかしたら私は貴女に会うためにここに来たのかも」
少しのおどけて言うと、おシノちゃんは頬を僅かに赤らめてうつむいた。
結局、しばしの間は森に留まることに決めた。
幸いにも木やツルの類は豊富にある。雨風をしのぐ程度の簡易的な天幕を作ることは容易に作ることが出来そうだ。
私がこの世界に来たのは野原のような場所だったが、すぐに賊とよくわからない連中に絡まれたのだ。式神に探らせれば道の一つや二つ簡単に見つかるかもしれない。しかし、おシノちゃんの身体のことを考えるとまだそう長い距離を移動するのは難しいだろう。焦って森を出ても道中で参ってしまっては意味がない。
その点、ここなら水はもちろん、魚や果実、さらに探せば小動物を獲ることだって出来る可能性がある。少なくとも飢えにやられることはない。
なら、せめてもう少しおシノちゃんの英気が養われるのを待つべきだと判断した。
「そこからは……また、別に考えれば良いわね」
そう独り言ちる。
一度は捨てた命。
ここで何があったところで儲けものだ。
私は隣で恥ずかし気にするおシノちゃんにそんなことを思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます