出逢い

 結局、そこには合わせて九つもの無残な死体が転がることになった。

 溢れだした血に、斬り裂かれた身体。白目をむいている者もいれば多量の吐血をして事切れている者もいる。

 切断されかけた身体からは鮮血が溢れ、草にべっとりとした色を塗っていた。満月の下で不気味に光るそれはおぞましい光景と言えたかもしれない。


「………………」


 群青の空に月が浮かぶ中、私は身なりを整え、御刀を月に照らして見やった。

 人はもちろんだが、今まで斬ったこともないようなものも多く斬った上に陰陽の力をこれでもかと使った。並の刀であればあれだけの変化にはついてこられずに折れていただろう。

 なのに、この御刀には歯こぼれはもちろん、歪みの一つもない。

 それどころかその刀身の輝きを増しているようにすら感じられた。それはまるで斬った相手の血を吸ったかのようだ。妖刀……いや、そんな凡俗な言葉で表現してしまってはいけないのかもしれない。

 丁寧に布でぬぐってから鞘に収め、ぼんやりと思案する。

 ここでただひたすらに待っているべきだろうか?

 この妙ちくりんな世界に来たのは突然だ。なら、突然元の場所に帰ることだってあるかもしれない。

 だが、逆に言えば戻れる保証だってあるわけじゃない。

 仮に待つとしても水や食料は最低限必要になる。

 と、再び――


『助けて!』

「!」


 例の声だ。

 考えてみればこの声をあの墓場で聞いてからおかしなことは起こり始めた。だとしたらこの声の正体を明らかに出来れば何か打開策が見つかるかもしれない。

 まぁ、元より命を捨てるつもりで墓場に行ったのだ。

 今更何が起こったとしても関係ない。

 空に浮かぶ満月のおかげか周囲は明るく見える。空は漆黒でなく群青だったし、雲の形も薄っすらとわかる。普段もこのくらいに夜目がきけば本を読んだりするのにも何の苦労もないだろう。

 そんなことを考えながら私はゆっくりと声に惹かれるように歩き始めた。



 早足で二時間も歩いただろうか?

 普段ならそれだけ早足で歩けば少しくらいの疲労を覚えるはずなのに、この身体はまるで疲労を感じていなかった。

 そして、そんな私の前に現れたのはうっそうとした森だった。


「声はこの森の中からしているようね……」


 夜の森に入るなど普段なら避けるべきだろう。だが、今は声が導いてくれているような感覚がある。

 視界が確保出来るだろうかと案じたが、何故かほとんど光の入らないはずの木々の中でも遠くまで見通すことが出来た。

 私は梟にでもなったのだろうか?

 いや、視力だけではない。先ほどの体の動きといい、身体の具合がぐんと好くなっているのは確かなように感じられた。

 森に入り、誘われるように歩るくこと十分。ぽっかりと口を開けた大穴にたどり着いた。

 両側から一本の縄がしめ縄のように垂れさがっている。ある種の結界の類なのだろうか? しかし、結界にしては拒むような雰囲気はこれっぽっちも感じられない。

 そのまま人が二、三人通れる大きさの入り口から奥を覗くと、等間隔に松明が備えられていて暗い印象はあまり受けなかった。


『助けて!』


 もう何度目かになるかもわからない声。

 緩やかな下り坂で奥を完全に見通すことは出来ない。しかしその程度で臆病風が吹くほど肝が小さいわけもない。

 縄をくぐると、そのまま奥へ向かって歩き始めた。下り坂はそこまで長いものではなく、五分ほど歩くと目の前に巨大な扉が現れた。

 軽く手で叩いてみるが、どうやら金属製で相当に分厚いものらしい。ゴンゴンとした感触はちょっとやそっとの力ではどうにもなりそうになかった。


『お前は浦賀の巨大な黒金の船を斬り伏せられるか?』


 それに爺の言葉が頭に木霊する。

 確かに、この程度の扉で立ち止まっていては黒金の船を斬り伏せるのは到底無理なことだろう。

 しかし、今なら……。


「………………」


 私はすっと居合いの構えを取ると、鞘に収めた刃を灼熱の火へと変化させた。

 そして、一閃。

 放った居合いに、目の前の重厚な扉は斜めにずれ、自重に耐えられなかったのか重たく腹に響くような音を立てて崩れた。

 見やるとその厚みは一尺半、五十センチはあるように見えた。

 それだけのモノを斬ったのは初めてのことだ。

 思いながらも、瓦礫を踏んで奥へと進む。

 すると、


「これは……」


 大きな広間のようになった空間の奥に、石で造られた巨大な像があった。何がモチーフになっているかはわからないが、突き出すように現れた姿は女性の姿を思わせる。

 そして、


「っ!」


 その根元に鎖で両手を囚われた少女が吊るされるようになっていた。

 慌てて傍に寄る。

 少女が捕らわれていたことに単純に驚いたが……


「なっ……!?」


 近づいた私は正に息を呑んだ。

 服装こそ外の国のもののように思えたが、耳は尖っていない。彼女自身は私と同じ日ノ本の人間に思えた。

 それどころか……


「おシノ、ちゃん……?」


 頬がややこけているが、その姿は自分と同い年ほどまでに成長した幼馴染の姿によく似ていた。

 いや、と心の中でかぶりを振る。

 そんなことはあるはずない。

 もう何年も前に彼女は死んだはずだ。

 今になって……こうして亡霊でもなんでもなく姿を見せるわけがない。

 それでも、先ほどとは違った意味で鼓動が強くなる。口が渇き、粘っこい唾がじわりと口内にたまるのがわかった。

 と、少女が微かに目を開けた。そして、虚ろな目で私を見やる。


「貴女、は……」


 辛うじて聞き取れたかすれた声は日本語だった。先ほどの言霊で意味が取れたのとは違う。

 御刀で少女の両手を束縛していた鎖を断ち切ってやる。鎖から解かれ、少女はどさりと地面に倒れ込んだ。


「大丈夫?」


 その身を抱きかかえると、おシノちゃんによく似た少女は「ふぅぅ」と長く息を吐き出した。

 瞬間――


「っ!?」


 今までになかった気配。

 咄嗟に少女を抱きかかえ、大きく後ろに跳ぶ。

 ドッドッと心の臓が鳴るのを耳の奥で聞きながら周囲を探ると、


『まさか、こういう風に助けられるとは思ってもいなかったわ』


 何者かの声が洞窟内に低く響く。意味はとれるものの、日本語ではない。

 周囲を見渡すが、人の気配はもちろん、虫一匹の気配すらなかった。が、『ソレ』は間違いなくそこにいるように感じられる。


「誰なの? 出てきたらどうかしら?」

『あら、こちらの言葉はしゃべれない? ホーマ族はまだ独自の言語を使っているのかしら? 流石、古臭くカビの生えたような生き物ね』


 笑うような声。


『ただ、呪縛を解いてくれたことの礼くらいは言っておくわ。ありがとう、ホーマ族のお嬢さん』


 呪縛を解いた?

 なんのことだろうかと思うが、それよりも腕の中の少女の方が気にかかる。


『それにしても呆れたものね。まだ私のことを諦めてなかったの? どれだけあっても無駄だっていうのに。それともホーマ族はそれすらわからないほどの阿呆なのかしら?』

「………………」

『そう怖い顔しないでよ。今ここでコトを起こそうってわけにはいかないでしょう? 私も、それに貴女も』


 ケラケラと笑うような声が洞窟内に低く響く。


『依り代ちゃんに傷でもついたら大変だものね』


 その瞬間、何らかの気配が遠ざかるのを感じた。


『それじゃあ、この辺でおいとまさせてもらうわ。ルーノのクリストナースコなんて今まで意識したこともなかったけど、私にも記念日になりそう』

「待て! お前は一体――」


 言葉を続けようとしたが……


「消えた、か……」


 小さく息を吐く。

 物の怪の類の仕業だろうか? わからないが、ここに来てからというもの不可思議なことばかりが起こる。


「私、生きてる……?」


 と、今度は抱えていた少女のか細い声が聞こえた。視線を戻す。その様はおシノちゃんそのものと言えるように感じられた。

 まだ意識が朦朧としているようで今のやり取りはわからなかったようだ。


「ええ、生きてるわよ」


 携帯していた水の入った竹筒を取り出し、そっと少女の口に近づける。


「水、飲めそう?」


 それに少女は小さくこくんと頷いた。

 ゆっくりと飲み口をつけてやって傾けると、僅かにこぼしてしまったものの、少女はこくりこくりとまるで数年ぶりに水を口にしだかのような様子で飲み、先ほどとは違った息をもらした。その顔に僅かだが生気が戻る。


「ありがとう、ございます」

「このくらいなんてことはないけれど……貴女は誰? それにここはどこなの?」


 その言葉に少女は頭に手をやり、考えるように眉根を寄せたが結局首を左右に振った。


「わからない。ここ……私は……?」

「………………」

「もうずっとここにいる気がします。生まれてから、ずっと……」

「捕らわれていたみたいだけど、誰にやられたとかそういうことは?」


 問うたが、再度首を左右に振った。


「何も……何も、思い出せません。ううん……最初からなかったんです。何も、なかったんです……」

「そんなバカげたこと……」


 あるはずない、と思ったが私がこの摩訶不思議な世界に来てから起こったことはわからないことだらけだ。

 先ほどの謎の気配や声と言い、少なくとも今までの私の常識の中にあったことは一つとしてなかったと言っていいだろう。


「ひとまずここから出るとしましょう。もし捕らえられていたのだとしたら、誰かが戻ってくるかもしれないわ」


 そんな真っ当な考えは通じないと思いつつもそう言って少女に肩を貸した。彼女の脚は箒の柄のように細く今にも折れてしまいそうだったが、それでも肩を貸すと歩くことは出来た。

 ゆっくり長い時間をかけて洞穴の中を歩き、私が降りた時の何倍もの時間をかけて外へと出る。

 洞窟の入り口。先ほどまでされていた縄の結界らしきものが途中で切られている。それに先ほどの正体不明の『存在』との会話が頭をちらついた。

 だが、今はそんなことを考えている場合じゃない。

 少女は軽く息を切らせていたが、それでももう一歩も歩けないという様子でもない。そんな少女を傍目に耳を澄ませると、ふいにせせらぎの音を捉えた。

 どうやら近くに川があるらしい。


「ちょっと待っていて。少し周囲を探ってくるから」

「行ってしまうのですか……?」

「ほんの少し周りを見てくるだけよ。心配しないで」


 笑って少女の頭を軽くなでる。そして、音を頼りに周囲を探してみると少し行った場所に澄んだ小川を見つけた。

 ほっと小さく息を吐く。これで渇きにやられるということはない。ひとまず顔を洗い、口をすすぐと一心地ついたような気がした。冷たい水の感覚が心地良い。

 それに加え、近くに木いちごのような実がなっているのも見つけた。

 一つ二つとつんで口に含む。

 暗殺などを生業にしていた分、毒には多少の知識も感覚もあったが、甘酸っぱいそれは毒があるようには思えなかった。

 とりあえず持っていた手布に持てるだけ摘んで少女の元に戻る。

 洞穴の端に背を預けていた少女は私が戻ってくると明らかにほっとした、そして微かな笑顔を見せた。


「近くに綺麗な小川があったわ。それと、たぶん木いちごの類ね。食べられそう?」


 こくりと頷き、少女が木いちごの実を一つ口に含む。途端に顔をほころばせた。


「美味しい……」

「もう少し歩けるかしら?」

「はい。大丈夫、だと思います」


 小さな木いちごではあったが、それでもいくつか食べると明らかに少女の顔が明るくなった印象を受ける。先ほどまでそれこそ死を目の前にしていたかのようであったが、今は少しばかり死から遠ざかっているような印象だ。

 ゆっくりではあったが、今度は肩を貸さなくても少女は歩くことが出来た。

 小川があるということは上流に向かえば水源があるかもしれない。そう考え、少女の様子をうかがいながら歩いていく。

 森は不思議な感覚を呼び起こさせた。

 うっそうとはしているものの、不気味な雰囲気はこれっぽっちもない。

 空から注ぐ光は柔らかく森の中を照らし、空中で何かに反射しているのか、チカチカと光の粒が舞っているようにも見える。幻想的であり、また、神聖な何かを感じさせた。木々はまるで私たちを歓迎するかのようにさわさわと揺れている。

 そんな雰囲気の世界にどこか導かれるように感じながら十五分ほど歩いた時だった。大きく視界が開け、小川の始まりらしい泉にたどり着いた。


「ここなら一晩くらいは明かすことが出来そうね」

「ここで休むんですか?」

「ええ。身体も汚れてるだろうし、ちょうど良いでしょう」


 泉のそばで適当に茂っている草木を御刀で切ってスペースを作る。そして、その切った草木を中央に集めてそっと手をかざした。途端に草木の塊が燃え、焚火となってくれる。


「すごい……今、何をしたんですか?」

「陰陽術よ。五行相生、木生火。木をこすると火が生じ、木が燃えて火になる。私は陰陽師でもあるからこういう術が使えるの」

「おんみょうじ……?」

「聞いたことある?」


 それに少女は頭に手をやって難しそうな顔をした。


「わかりません……けど、なんだかひどく懐かしい感じがします」

「懐かしい?」

「はい。わからないはずなのに、すごく身近にあったような気もして……」

「貴女は日本語をしゃべっているし、日ノ本の人間なのかもしれないわね。私と同じ迷い人なのかも」

「迷い人?」

「生憎、私もどうして自分がここにいるのかわからない状態なのよ」


 泉で手布を洗い、とりあえず少女の身体を拭いてやる。あんな所でどれだけ拘束されていたのかはわからないが、彼女の身体はあまりに細く、骨にようやく皮が張っているだけのように思えた。

 服もかなり汚れていたし、そちらも洗うことにした。少女の身体には私が着ていた道着をかけてやる。焚火のおかげで身体が冷えるということもない。


「さて、なんだか色々と事情がありそうだけど、何か思い出せたことはあるかしら?」


 問いかけるが、少女はふるふるとかぶりを振って「すみません」と申し訳なさそうに言った。


「謝ることなんてないわよ。私の方だって何もわからないんだもの。おあいこというものよ。……とは言っても、名前も思い出せないっていうのは少し不便ね」

「貴女はなんというお名前なんですか?」

「私? 私は千影よ。巫千影。京の都でひっそりやってる剣術道場の一人娘」

「それでは、千影さまとお呼びしても良いですか?」

「好きに呼んでもらって良いけど、さまっていうのはちょっとね。せいぜいさん付けで止めておいてくれないかしら?」


 そう笑うと少女はつられるようにはにかんだ。

 その顔が再び私におシノちゃんの面影を思わせる。気弱なおシノちゃんもよくはにかむことがあった。


「……貴女もただの名無しじゃダメよね。何か名前がないと」

「私ですか?」

「ええ。私だってその方が都合が良いし……」


 そこで言葉を切る。

 脳裏に思い浮かんでいるのは、どれだけ会いたいと願ってももう会えるはずのない幼馴染の顔だ。

 ごくりと唾をのみこんで口を開く。

 本当にそれで良いのか?

 そう思うが言葉は止まることはなかった。


「シノ、というのはどう?」

「シノ?」

「そう。おシノちゃんという風に呼ぶことになるわね。日ノ本らしい名前だと思うんだけど」


 それに少女が微笑む。


「シノ。良い名前だと思います」

「そう?」

「はい。シノ……大切にします」

「そんな大層な……本当の名前を思い出せたらすぐに言ってくれて構わないから」


 しかし少女は首を振った。


「シノが良いです。その……貴女が付けてくれた名前ですから」


 そう言って少しうつむいた顔が僅かに赤くなっている。照れているのかもしれない。それが伝播して私もどこかこっぱずかしくなる。

 それを誤魔化すように、「さて」と声を出した。


「川で魚か何か捕れないか見てくるわ。木いちごだけでしのぐっていうのも侘しいでしょう?」

「そんなことが出来るんですか?」

「大物はいないかもしれないけれど、綺麗な川だから何かしらはいるんじゃないかと思うわ。少し待ってて」


 泉から小川を少し下り、岩場の多くなった場所に見当をつける。

 陰陽道は五行の術が全てではない。近くにあった葉っぱを三枚千切ると、ふっと息を吹きかけた。するとそれが独りでに動き始める。『式神』の使役。それも立派な陰陽術だ。

 葉っぱ三枚は川に身を落とすと、ゆらゆらと魚を探すように動き、ややあって獲物を見つけた。三枚がそれとなく位置を教えてくれる。

 私は袴に隠していた寸鉄を取り出し、狙いを定めて、


「よっ、と」放つ。


 手ごたえあり。

 滅多に使わない暗器の類だったが、鍛錬を積んでいて無駄はなかった。

 川底に刺さったそれを引き抜くと、手のひらよりやや大きいフナらしき魚が身をよじっていた。

 とりあえず同じ要領でもう二匹捕らえておシノちゃんのもとに戻る。


「どうでした?」

「とりあえず魚が三尾。小腹は満たせるんじゃないかしら?」

「すごい……」

「元よりこんなことしか取り柄のない人間なのよ、私は」


 苦笑しながら三尾のフナを木の枝に挿して焚火であぶり始める。


「食べたらとりあえず今日はもう寝てしまいましょう。無駄に体力を使うのもあれだし、色々考えるのは明日の方が良いわ」


 その言葉に「はい」と答える彼女の少し笑ったような表情は、まさに昔にいなくなったおシノちゃんがこの世に蘇ったのではないかと思えるようなものだった。

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