決着
直感が働いた。
ほとんど反射的と言って良い反応で後ろへ飛ぶと、私がいた場所が深く穿たれた。
「……なるほど、ホーマってことだけが特徴の子供ってわけじゃなさそうだね」
その場に新しく現れたのは私より十以上は年上に見える女だった。
少女のような装飾がふんだんにされた杖ではなく、古い大木から切り出したような、使い方によっては鈍器にもなりそうな杖を持っている。
「まったく、アタシが野暮用を済ませてる間に小娘相手に何やってるんだい?」
「ニナ? もう追いついたのか?」
「あんたらがちんたら歩いてるからだろう? 別れてから何日経ってると思ってるんだ? アタシはこうして急いで来てやったってのに……」
「それよりニナさんよ、ワガクスさまの様子はどうだった?」
その問いかけに女がかぶりを振る。
「わかっちゃいたけど、ワガクスの爺さんを今更あっちこっちと引っ張り回すってわけにはいかないね。本人はもう九百歳を超えてるんだ。いくら聖遺物を持った三英雄って言っても難しい感じだったさ」
「最近はどういうわけか魔族の動きが活発になってきてる。ネコの手でも借りたいくらいなんだけれど、やっぱり難しいか……」
「それより、ワガクスの爺さんは魔族の活発化なんかより封印の方を盛んに気にしていたね」
「封印を?」
「ああ。封印だけはなんとしても守るように、って強く念を押されたよ。結界を張り、魔族の脅威を退けるのも大切だが、封印を守る事こそが真のお役目であることを忘れるな。そう口を酸っぱくして言っていたさ」
「ワガクスさまは何を気にしていらっしゃるんでしょうか? 少なくともこの五百年、封印は安定して守られ続けているはずですけど……」
「そりゃあ七百年前にひと騒動あったからだろう。俺も詳しくは知らねぇが、結構手を焼いたって話じゃねえか」
「ですが、それを機として封印はさらに厳重なものへと変えられました。今更何か起こるとは思いにくいんですが……」
「さてね。アタシにもわからないけれど、年寄りは年寄りで考えるところがあるんだろう」
女が呆れたように笑う。何のことかはわからないが、どうやら彼女を含めた四人が正式な一団ということらしい。
しかし……九百歳?
おまけに私のことを先ほどから幼子のように言っている節がある。
不可思議な連中という言葉で片づけるには奇妙すぎた。
「で、そこの小娘はなんなんだい? ただのホーマ族ってわけじゃないんだろう? 魔族の類かい?」
「わからない。ただ、その可能性は高い。クォーツの見分の術法に引っかかったんだ」
「なら真っ黒じゃないか。何をぐずぐずしてるんだ?」
「それが、彼女自身が魔族なのか、それともあの剣が魔族としての本体なのかわからないんだ。言葉のようなものもしゃべるし、彼女は完全にホーマ族みたいだろう? もし魔族に身体を乗っ取られているんだとしたらなんとかして助けないと」
「今更になってまだそんなことを……ったく、そんなんだからアンタは甘いって言われるんだよ」
言ったかと思うと、女は祝詞を紡いだ。
そして――
「サウザンドウィンド・イン・ヘルっ!」
「っ!?」
向ってきたそれはまさに無数の風の刃だった。
自然豊かな場所から風――つまりは木の力を生み出す。それは陰陽の力に似通っている。彼らは『術法』だなんだと言っていたが、名称が違うだけ。そう考えることも出来る。出来る……が、どこか陰陽師としての私の感覚がそれを否定しようとする。
おかしな年齢に、奇妙な扱われ方。
でも、だとしたらここはどこだというのだ?
わからないが、今は目の前の風をどうにかしなければならない。
一つひとつはそれほどでもないが、集合となったそれは脅威となるかもしれない。
素早く刀を鞘へと戻し、少しばかり力を込めて抜刀する。
刀に圧がかかる。
相当な数の風の圧だ。
とは言っても、振り抜くのは今の私にとってわけなかった。
と、斬り裂いた風があちらこちらの地面に突き刺さり、巻き上げられた草と土埃で辺り一帯が煙にまみれた。視界が先ほどとは別の意味でゼロになる。
そして――
「サンダーファランクスアサルト・オーバー・ザ・リミッツ!!」
「!」
先ほどの風は目くらまし。
こちらが本命だ。
視界に突如として現れた雷の奔流。先ほどの少女のものとはとても比較になるものじゃない。正真正銘、天から授けられた雷と言って差し支えなかっただろう。
これを受けたら死ぬ。
はっきりと頭がそう自覚する。
「………………」
いや、元より死を覚悟して墓場に行ったのだ。先ほどまで流れで反発をしていたが、どうせ死ぬのであればここで死ぬにしても大差はない。
最期は奇妙なことになったが、ここで今無駄に反発して生きながらえて何になるというのだろう?
そう思った時だった。
『助けて!』
「――っ!」
再度、例の声が聞こえた。
ドクン、と心臓がそれまでよりも大きく一つ鼓動を打った。
頭に今まで覚えたことのないような感覚が一気に流れ込んでくる。それは大雨の後に増水した川の濁流のように私の思考を呑みこんでいく。
その感覚は、時間にすれば本当に一瞬のものだったのかもしれない。
「………………」
しかし、感覚のうねりが止んだ時、私は驚くほど冷静だった。
目の前の強大な雷を前に、心は恐ろしいまでに落ち着いていた。全く風のない日の湖に波が立たないように、心には一切の乱れがなくなっている。
ここがどこかなど今はどうでも良い。
極度の集中が視界に映る全てを瞬く間に遅くした。
刹那で見切り、
<無想月影流――
刀を下段から斬り上げる。
遅滞した世界の中でも一瞬に圧縮された斬撃は私の胴の数倍はあろうかという太さの雷を真っ二つに斬り裂いた。
時の早さが戻る。
周囲に凄まじい音が轟いた。
裂いた雷が後ろで大きく爆発を起こしたらしい。
砂煙はまだ収まらないが、その向こうで優男の大きな声が聞こえた。
「に、ニナ! 今のはなんでもやりすぎだ! あれじゃあ彼女だって無事じゃすまないぞ――っ!」
「言っただろう? そんな甘いことを言ってたらきりがない。そもそもあれだけ強大な闇の力に乗っ取られていたとしたらもうお嬢ちゃんはまともには生きていないさ」
「仕方ねぇ……ってことか?」
「……可哀そうなことかもしれませんが、見たこともないほどの闇の力です。彼女が本当は神族であったとしても、晒されれば骨の髄まで汚染され、とても自我を保っていられるとは……」
「クォーツまで……」
「アタシたちにはここで立ち止まっているような時間はない。それを忘れちゃならないよ。多くを助けたいっていうアンタの気持ちはわかるけど、犠牲をゼロに、なんてことは出来ないんだから」
土煙が僅かに晴れる。
振り向くと――両断した雷の仕業だろう。地面が激しくえぐられ、爆発の影響で大きなくぼみが出来上がっていた。私としてはそこまでの威力には思えなかったが、どうやら実際には相当なものだったらしい。
そっと手を握っては開いてみる。
「………………」
ありありとした『感覚』がそこにはあった。
自分であって自分でない。そう言っても良かったかもしれない。
なぜこんなにも冷静なのか自分でもわからない。それでも、もう先ほどのように戸惑う気持ちはなかった。流れ込んできた感覚が為すべき事を教えてくれているように感じられる。
「まぁ、ユクスが甘ちゃんなのは今に始まったことじゃねえ。今更直せって言われても無理があるってもんだ」
「それもそうだね。それに、今日はルーノのクリストナースコ。そんな聖なる夜に、見た目はどうあれ幼子を殺すなんて罰当たりなのは違いないか。まぁ、小さな墓でも作って花の一つでも供えてやろうじゃないか。せめてもの手向けには――」
そこでニナとやらの女の言葉が止まる。
土煙が収まり始め、私にも四人の姿が目視出来るようになった。彼らは最初女が何に驚いているのかわからない様子だったが、今の苛烈な攻撃を受けても傷一つ負うことなくそこに立っている私の姿に言葉を失ったようだった。
「ウソ、でしょう……?」
「ユクス、ベッセ、クォーツ!」
女が素早く檄を飛ばす。
「見た目に惑わされるな! あれはホーマ族なんて易しいもんじゃない! 間違いなく化け物の中の化け物だっ!」
真っ先に動いたのは大男だった。
今度こそ全力のものだっただろう。大斧を先ほどよりも早い速度で振り下ろしてくる。それを軽くかわしたが、斧は地響きを起こさんかというような勢いで激しく地面をえぐった。
「ふんっ!」
そしてすぐに横殴りに振るってくる。刀で受け、勢いを利用して宙で身体を舞わせて地面に降り立った。
「くそっ! 器用なことをしやがるっ!」
「力自慢なんでしょうね。けど、私からしてみればそれほどじゃない」
いい加減このやり取りには飽き飽きしてきたところだった。
ホーマ族だの魔族だの知らないが、そっちがその気ならこちらだってこちらのやり方というものがある。
京の都で時すらも斬り伏せると恐れられた抜刀術。
無想月影流に加え、卓越した陰陽術の前に少々の鉄などものの数じゃない。
火剋金。
再度大きく斧を振り抜こうとした男に対して居合いを放つ。
<無想月影流――
「なん、だ、と……?」
瞬きすらさせない間に大男を防具ごと真一文字に炎の刀が斬り裂き、男の死を確認するまでもなく素早く八相に構えて真っ直ぐに少女の方へと跳んだ。
「クォーツ!」
「くっ――」
杖をかざして少女が素早く呪文を紡ぐ。そして、
「サンド・ウォール! シュート・アグレッシブ!!」
土が瞬く間に集まり彼女を守る壁となったかと思うと、土壁から塊が大きなつぶてとなって凄まじい早さで飛んできた。例えるなら土で出来た連射型の砲筒と言ったところだろう。
だが、
「木剋土。陰陽道なんて知らないんでしょう?」
「!?」
木剣に変化した御刀がただの土のつぶての養分を吸い取って塵に変えてしまう。そして、そのまま少女へと一気に距離を詰める。
少女を守るように土壁が動くが、そんなもの土を剋する木の刀の前にとっては薄皮が一枚張ったようなものに過ぎない。
「悪く思わないでよ? 先に仕掛けてきたのはそっちなんだから」
土くれの壁ごと少女の細い身体を刀で斬る。
少女の目から生気がなくなる。と、女が生成したと思われる巨大な火球が真横に迫っていた。
しかし、恐るるに足らず。
水剋火。
<無想月影流――
突っ込むと同時に素早く縦横無尽に水に変化した刀身で炎を斬り刻み、霧散した火が刀身にかき消される間に距離を詰めた。
「こ、この力――!?」
女が驚愕に顔を歪ませる。
「ただの魔族じゃないっ! お前は一体っ!?」
「一体も何も、私はただの人間よ」
火の構えから袈裟がけに斬る。
肩口から入った刀はまるで柔らかい赤子の肉を裂くように腰へと抜けた。
女は目を見開き、深々と致命の傷を負った身体がその場に崩れ落ちた。
最後。
確か、ユクスという名前だっただろうか?
「………………」
金属に戻した刀をゆっくりと中段に構える。
「この戦いに意味はないわ。もし今ここで止めると言うなら私は貴方を追いはしないわよ?」
言葉は通じない。しかし雰囲気は伝わるだろう。
そう思ったが、優男は両の眼に確かな怒りを宿していた。髪の毛を逆立てんばかりの怒気。逃げることはあり得なさそうだ。
「お前たちは……いつもそうだ」
「え?」
優男……いや、怒りに満ちた男が静かに言葉を紡ぐ。
「僕から、大切なモノを奪っていく。家族、友達……村の人々に、今度はかけがえのない仲間たちだ」
「貴方がどんな人生を送ってきたか、残念だけど興味はないの。それに、私とは関係のないことよ」
と言ったところでどうせ言葉は伝わらない。
彼はゆっくりと剣を構えた。
立ち姿からそれなりの修練は積んでいるというのがわかった。並の人間なら達人と言っても差し支えないレベルかもしれない。
しかし、それはあくまでも並の人間ならの話である。
今の私は自在に空を飛べるのではないかと思えるほどの身軽さと、どんな巨石さえも指先一つで簡単に動かせるような力をその身体の内に感じていた。
「弔いはしないわ。そういった類の感情は切っ先を鈍らせるだけだから」
言い終わると同時に男が真っ直ぐに向かってくる。
私は小さく一つ息を吐いた。斬り伏せる相手に情は一片も必要ない。
決着は一瞬の交錯でついた。
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