闇の力?

 意味のわからない言葉に私は僅かに目を細めた。

 それと同時にユクスと呼ばれた優男は驚いた表情を見せると、大きく後ろへと跳躍して私との距離を取った。


「どういうことだ、クォーツ?」

「念のためと思って見分の術法にかけたんですが、引っかかったんです。しかもこの感覚……とても普通の存在じゃありません。並の魔族をはるかに凌駕しています。まともな存在とは……」


 何を話しているかは知れないが、優男の顔の険しさを見るとあまり良い状況とは言えないように思う。


「……君は魔族なのか?」


 少ししてから優男がそう問いかけてくる。しかし、今度は剣に手がかかっていた。


「悪いけれど貴方たちが何についてしゃべっているのか見当すらつかないわ。私の名前は巫千影。巫家の長女にして徳川さまに仕える者の一人よ。それ以上でもそれ以下でもないわ」

「何かの言語をしゃべってる? でもここまで高度に思える言語を操る魔族なんて聞いたことないですし……念のため少し調べてみましょうか?」

「ああ、頼む」


 やはりこちらの言葉は通じない。ここで何か行動を起こしたらさらなる厄介事が起こりかねない。こういう場合は大人しくしておいた方が良いだろう。

 そんな様子を見てか、大男が優男に話しかける。


「……やっこさん、戦う気はないようだが?」

「ベッセもそう思うか? クォーツが言うだけの闇の力を持っていながらこちらを襲ってくる気配も敵意もない。それに何より彼女の姿は完全にホーマ族だ。少なくとも僕はホーマ族の姿をしている魔族なんて聞いたことはないし、こちらの言葉だってわかっているように見える。話し合いが出来ないとは思えない」

「まぁ、無駄な戦いってのは避けるもんだよな。戦わずして済むならそれが一番良い。なんかそんなことわざかなんかもあったよな。……で、クォーツの嬢ちゃんよ、何かわかったことはあるかい?」

「いえ、少なくとも記録されている魔族の鳴き声のどれとも合致しません」

「闇の力を持ったホーマ族……」

「ったく。ただのホーマ族に会うだけでもレアだってのに、こりゃあ相当にツキがあるんじゃねぇか?」


 豪快に笑う大男に優男が「笑ってる場合じゃないだろう」と困惑したように言う。


「ホーマ族のことはわからないことの方が圧倒的に多い。今まで確認されていなかっただけで、闇の力を持ったホーマ族がいたっておかしくはないけど……」

「相変わらず優等生的な考えだな、ユクスはよ」

「それより、そもそも彼女は本当にホーマ族なんでしょうか?」

「と言うと?」

「今まで出会ったことのない高いレベルの魔族とは考えられませんか? 多少姿を変異させることぐらいなら出来る魔族がいるのは事実です。高レベルの魔族なら魔族特有の言語を操り、ホーマ族に化けることぐらい出来るかもしれません」


 彼らは彼らでわけのわからない話を大きくしているようだ。

 正確な状況はさっぱりつかめないが、この世界はもしかしたら私の知っている『世界』そのものですらないのではないだろうか?

 そんな予感が頭をちらつく。

 しかし、それじゃあ一体ここはどこだというのだろうか?


「なぁ、君」


 そんなことを考えていると優男が声をかけてきた。


「本当に敵意がないのならその武器をこちらに渡してくれないか?」

「御刀を?」


 その言葉に私は目を細めた。

 考えてみればこの御刀に触れた瞬間からおかしなことは始まった。

 少なくとも今の私には今までに経験したことのない未知の『何か』が起こっている。この御刀が鍵を握っているということは十分に考えられた。

 すると、


「ユクス、そいつはちっとばかし止めといた方がいいかもしれねぇぞ」


 後ろから大男が優男に声をかける。


「転がっている死体、ざっと見てみたが、どれも一撃でやられてる。賊連中とは言え多少は腕の立つ奴らだったはずだが、少しの抵抗すら出来なかったみたいだ」


 どうやら大ざっぱな見た目に反して今の間に観察眼を光らせていたらしい。


「何が言いたいんだ、ベッセ」

「いくらホーマ族が未知の種族だなんだと言っても、あの細っちょい嬢ちゃんじゃこんな芸当はそうそう出来ねぇだろう。もしかしたら剣が魔族の本体ってことも考えられるんじゃないか?」

「つまり、彼女は精神を乗っ取られている、と?」

「その可能性も十分あるってことだ。安易にあれに触れない方がいいかもしれねぇぜ」

「影となり人の心に入り込み、操ってしまう魔族……いえ、この場合は魔剣と言った方が良いでしょうか? そういったモノがある可能性は十分考えられると思います。それだったら彼女の身体を操って言語のような何かをしゃべっているように見えるのも納得出来ますね」


 三人はそんな意味のわからない話を勝手に進めたかと思うと、唐突に少女が何か独り言をしゃべり始めた。

 どこか祝詞と似ていると思い聞いていたが、少なくとも私の知っている祝詞とは似て非なるもののようだ。光の精霊、風の精霊だなんだと言っているが……おそらく陰陽道とはまた違った儀式の言葉だろう。

 そんな祝詞とも呪文ともわからないものの詠唱が終わったかと思うと、杖を掲げて――


「今ここに光をっ!」


 ――閃光が走った。


「目潰しっ!?」


 反射的に大きく距離を取って刀に手をやった。

 ――わからない。

 あまりにもわからないことが多すぎる。

 だが、今のこの状況は不味い。

 それだけはわかる。

 目を開くが強烈な光に視界がチカチカとぼやけている。これでは少しの間は戻らないだろう。

 ドッドッドと心臓が激しく鼓動するのがやけに大きく感じられる。耳の奥を激しい勢いで血液が流れ、じっとりとした汗が全身から出てきている。

 やはりここは常識の外の『世界』なのだろうか?

 御伽話じゃあるまいに、と思ってもそう考えておかしくないような状況が周囲には揃ってきてしまっている。

 刹那――


「――そこっ!」


 感じた気配を反射的に御刀で斬った。

 人間や何かの物という感触じゃない。手応えはほとんどなく、初めて斬る得物に思えた。


「術法を斬ったっ!?」


 術法。

 またそれかと思ったが、私は自分の間合いに入ってきた『何か』を斬ったに過ぎない。

 目はまだ戻らない。抜いた刀を霞に構え、息を細く吐き出しながら気配を読む。


「うらあっ!!」


 左!

 振り下ろされた何か――それはあの大斧のようだ――を素早く刀で受ける。

 今度ははっきりとした感触がある。

 キンッ、と御刀が鳴いた。

 追撃はなし。様子見の一撃だけで離脱したらしい。


「あの嬢ちゃん、目を瞑ってやがるってのに全部見えてるってのか?」

「ベッセ! いきなり襲いかかって何かあったらどうする!?」

「術法を斬るようなやつだぜ? 少なくともまともなやつには思えないだろ? 実際、俺の一撃をあの細腕で軽々と受け止めやがった」

「このままじゃどうにも出来ません。多少手荒でも彼女の動きを止めないと――」


 少女の声。

 短い呪文。

 杖が向けられるのがわかる。


「ライトニング・ランサー!」


 それは雨の匂いを思い起こさせた。

 鈍色の雲から鳴り響き、雨の中から降るは眩い一筋。


「――ふっ!」


 刀のタイミングを合わせ、そのまま斬り裂く。

 背後で音が弾けたのがわかった。

 目は瞑ったままだったが今回は何を斬ったかくらいは理解出来た。

 雷。それすなわち陰陽道でいうところの木の力。

 五行相剋。

 金属でつくられた御刀で木が斬れぬわけはない。


「確か、雷を斬ったというのは千鳥という刀だったわね。まぁ、今はそんなことを考えている場合じゃないけれど」


 ゆっくりと目を開く。

 回復した視界に目の前の三人の驚きと戸惑い、そして微かな不安の色が映った。


「クォーツ……カミナリっていうのは斬れるものなのかい?」


 優男の言葉に少女がかぶりを振る。


「少なくとも私は聞いたことがありません……」

「術法を斬るってだけでも規格外だ。考えたところで意味がないだろうよ」


 今度は強めに行くぞ。

 大男がそう言ったかと思うと一気に距離を詰めてくる。体格の割に速度は速い。


「はぁ!!」


 大斧をなぎ払うように一振り。ぶわりと草たちが風圧になびく。あれだけの鉄の塊を振りまわすのだから力もそれなりにあるのだろう。

 しかしそれが手に取るように見えるほど私の力も向上しているようだった。

 軽いステップで後ろにかわす。

 すぐに次の斬撃がくる。

 流れに逆らわないように身体をさばく。

 しかし、次から次に繰り出される斬撃に終わりはないらしい。

 舌打ちをして私は大男に叫ぶ。


「ちょっと待って! 私は戦うつもりはないし、理由もないわ!」

「お生憎さま、お前さんの言葉は通じないんでね!」


 大男が高く跳び上がり、真上から体重の全てをかけて振り下ろしたような一撃を放ってくる。それを私は上段の刀で受け止めた。

 御刀がガキンと大きな音を立てる。

 瞬間、どれだけの衝撃がくるかと身構えたが、それは驚くくらいに軽いものだった。せいぜい幼児が悪戯に遊ぶ木の枝を受け止めたくらいの衝撃だ。


「こ、のっ!」

「見かけ倒し……?」


 いや、そうじゃない。

 見れば、私の足は僅かに地面にめり込んでいた。斧の衝撃はそれだけの力があったということだろう。それが、どういうわけか私には大した力に思えなかったのだ。


「………………」


 撫でるように刀を振ると、大男は「うおっ!」と声を上げて後ろへと吹っ飛んでいった。強くやったつもりは微塵もないが、男は地面を転がり、なんとか受け身を取って体勢を整えた。


「ベッセ、大丈夫か!?」

「ってぇな……。おい、ユクス、こいつぁちょっと不味いぜ。あの嬢ちゃん、やっぱりただのホーマ族には思えねぇ」

「私もそう思います……いくらホーマ族と言えど、あんな子がベッセさんを吹き飛ばすなんて、頭が混乱しそうです」


 状況はどうも悪化の一途をたどっていると見える。ついには優男も剣を抜いた。

 明らかに何かおかしな……現実であるとしたらあまりにも奇々怪々な状況としか言いようがない。

 と、ふいの気配を感じた。

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