不可思議の出会い
肌をだてていく風がこそばゆい。
ゆっくりと目を開くと満天の空が広がっていた。
生きている。そうぼんやりと思い、呼吸をすると深い緑と土の匂いを感じ取ることが出来た。先ほどまであった強烈な眩暈はすっかりなくなっている。後を引いているようなこともない。
立ち上がり、周囲を軽く見渡した。
今の今まで墓場にいたというのに、今私がいるのはだだっ広い草原のど真ん中だった。見渡す限りに草が生え、ところどころに背の高い木が立っている。
「そうだ、御刀」
不意に御刀のことを思い出した。どこかに落ちているかと思ったものの、御刀はあろうことか私の腰に収まっていた。抜いたはずの刀身も鞘に戻っている。そうしてみると、まるでもう何年もそこにあったのではないかと思うほど馴染むものがあった。
不思議なこともある……というだけで片づけて良いのだろうか?
少なくとも普通のことではない。狐か狸にでも化かされている気分だが……今はそんなことを言っているような暇はないようだ。
「へっへっへ……」
立ち上がった辺りから何かしらの気配を感じると思っていたが、ようやくそれが動き始めた。
目を凝らさずとも、少し先の背の高い草に何者かが複数潜んでいるのはすぐにわかった。私が動いたからか、そいつらは隠していた身を鷹揚に現してこちらへと向かってくる。
統一性のない防具や武器で身を固めた格好はどこかの正式な兵や隊士とは思えない。いわゆる賊というやつだ。鉈のようなものを持ったり、脇差とは違う……どこか牛刀のようなブツを持ったりしている。
彫りの深い顔に見慣れない髪型。よく見れば耳の先がとがっている。
外の国には鼻にやけに特徴のある高い連中や目がひどく落ちくぼんで見える連中がいるというが、彼らもそういった類なのだろう。
「若い女とはこいつぁ嬉しい得物がのこのこやってきてくれたみたいだぜ」
「若いってだけじゃねぇ、よく見てみろ」
「うん?」
賊の一人がマジマジとこちらを見やったかと思うと、
「こいつぁ、ホーマ族じゃねえか!」
その言葉には喜びにあふれていた。
「紛れもない丸耳。こんなところにいることを考えたら訳ありだろう。掟でも破って村を追われた、ってところか?」
「だがよぉ、それでもホーマ族なことに変わりはねぇだろう? おまけに顔立ちがかなり良い。こりゃあ当分遊んで暮らせるぞ」
「お頭、その前に……」
「あぁ、もちろん俺らで楽しむに決まってるじゃねぇか」
「ホーマは短命な分、子孫を残すためにソコは搾り取るような動きをして、人間よりはるかに具合が良いって話じゃねぇか。一度味わってみたいと思ってたんだ」
一瞬彼らが日本語をしゃべっているのかと勘違いした。
しかし、耳から伝わってくる言葉はそうではない。日本語ではないのはもちろんのこと、亜米利加や
「言霊か……」
陰陽の道に長くそれに触れていれば意識しなくとも自然と術が身についてしまう。おそらく今の私は聞いたことのない言語であってもそこに宿った言霊を感じ取っているのだろう。
だが、『ホーマ』というのはなんなのだろうか?
そんなことを思ったところで小さく息を吐き出した。今はそんなことを呑気に考えている暇はなさそうだ。
「貴方たち。悪いけれど、こちらをただの女子供と考えていたら痛い目を見るわよ?」
「あぁ?」
「ただの賊の類と言っても、多少は力量を見る目はあるでしょう? 見た所、そちらが何人いようが私が後れをとるようには思えないのだけれど?」
私は鋭い目つきのまま言った。
しかし奴らはそんな私にきょとんとしたかと思うと、いきなりゲヘゲヘと笑いだした。
「なんか言ってやがるぞ、この嬢ちゃん。命乞いか?」
「その割には随分澄ました面してやがる。強がってるんじゃないか?」
「いやいや、それ以前に自分の置かれてる立場ってもんがわかってねぇんだろう」
相手の言っていることはわかるのだが、どうもこちらの言っていることは伝わらないらしい。あちらの言霊は感じ取れるが、生憎こちらの言霊はわからないようだ。
所詮は外の国の者。陰陽道のなんたるかもわからなければ、言霊を読み取る力などあるはずもないか。
私はそう嘆息した。
「まぁまぁ、いいじゃねえか。一発二発犯してやりゃあ少しは立場もわかるってもんよ」
「ああ、すげぇ俺好みの顔つきをしてやがる。なぁ、俺が最初にやっちまっても良いだろう?」
「おいおい、せっかくのホーマなんだ。そうほいほい譲ってやるかよ」
「そこをなんとか頼む! 金の分け前が減ったってかまわねぇ。な? 頼むよ。こんな機会一生に一度あるかどうか……それにあの感じを見たらもう今から股間がうずいてたまらねぇんだ」
「そう必死になるなって。ったく、相変わらずしょんべん臭いガキが好きなんだな」
「ちげぇって、あの雰囲気見てみろよ。ああいう女になりきる前の気の強そうな小娘が一番具合が良いんだ。それも、ホーマとなりゃあ格別に決まってる」
「わかったわかった。最初はお前に譲ってやるよ」
「ありがてぇ。あれはぜってぇ初物だ……ピーピー泣いて許しを請う姿が早く見てみてぇぜ」
下衆共め、と小さく独り言ちた。
ここがどこかは置いておいたにしても、どこにでもこういった下衆な類の連中はいるものだ。虫唾が走るという言葉ですら物足りない。
「俗世のことなんてもうどうでも良いと思っていたけれど、こんな連中を野放しにしておくのは性に合わないわね……」
「あ? おかしな顔して何言ってやがんだこいつ」
「大方、助けてー、お願いだから痛いコトはしないでー、とでも言ってるんだろ」
「はっ、だとしたら俺たちに見つかったのが運の尽きってやつだ」
私をよそに男たちは指をさして笑うばかりだ。舌舐めずりしてる奴もいる。ガサリと草を鳴らしながら鉈を持った男が迫ってくる姿に大きく息を吐き出した。
「ところでよ、腰の辺りにぶら下げてるもんはなんだ? なんかのお宝か?」
そう言って私に触れようとする。
抜刀。
瞬間、水を打ったかのような静寂が辺りを包んだ。
そして、放った刀を鞘に収めた音を合図としたかのようにドサリと男が崩れ落ちる。何をされたかわからなかっただろう。
「お、おい、どうしたんだよ……?」
周囲の男たちがどよめいた。
私の居合術はすでに音すら置き去りにする。時さえも斬り伏せると言われる所以だ。
ただ男が唐突に倒れた。彼らの目にはそう見えたに違いない。
「阿呆なことを考えるからそうなるのよ」
崩れた男から血が流れ出す。目にも映らないくらいの一瞬にして繰り出された居合いは男の身体を見事に斬り裂き、絶命に追いやっていた。
「命を捨てるために墓地に行ったのは確かだけど、生憎あんたたちのような連中にくれてやるほど私の命は安くないわ」
言ってやると、呆気に取られていた男たちが喚きだした。
「こ、こいつ、ただのホーマじゃねぇ!」
「くそったれ、舐めたマネしてくれやがって!」
四人の男が叫び、まとめて襲いかかってくる。
素早く刀を構え、再び居合いを放つ。
一人を瞬く間に斬り伏せ、回す刀で二人三人と斬り、大振りの攻撃をしゃがんでかわしてから四人目には斜め下からの斬撃を喰らわせる。
ものの五秒もかからなかっただろう。
異常な身体の軽さ。こんなに素早く動けたのは今までの戦いの中で一度もなかったと言って良い。
そして御刀は異常なほど身体に馴染み、重さを感じさせなかった。今の動きだって全力を出したわけじゃない。速度も太刀の重さもまだまだ上があるように感じられる。
「命は粗末にするものじゃないわ。……と今更ね。相手の力量も測れない雑魚じゃあ無理な話だったでしょうし」
取り出した手布で刀身を拭いながら、転がった死体五つにそう吐き捨てる。
が、いつまでも雑魚に心を置いておくわけにもいかない。
「さて、本格的にどういう状況なのか調べないと」
周囲を見渡しても見慣れた風景どころか人の手が加わった建物一つ見つけることが出来なかった。
何かがおかしい。
何がか、と言われても具体的なことは何一つとして言えないのだが、その場の空気とでも呼べばいいだろうか?
雰囲気や感覚。
そういったものが今まで暮らしてきた京の町、それどころか日ノ本とは明らかに違うようにすら感じられる。
「まさかこれが世に言う神隠しとやら? それともあの祠の前で気を失って、おかしな夢でも見ているのかしら?」
と、再び人の気配がした。
「やれやれ……次から次へと物事が起こってくれるわね……」
ひとまず刀を鞘に収めると周囲をうかがった。
次いで現れたのは優男と、いかにも雇われの荒くれ者に見える中年の男の二人。そして、長い杖を持った、私より僅かに年上に見える女性一人という三人組だった。
長い耳。やけに鮮やかに見える髪色や瞳。
さっきの賊どももそうだったが、彼らも日ノ本の人間ではないようだ。
若い男の一人は南蛮の剣のようなものを腰に差し、中年の男は持つことさえ普通なら難しいだろう大斧をかついでいる。少女の手にある杖は実用的なものではなく、装飾がふんだんに施された何らかの儀式につかう錫杖のようなものだった。
神隠しというのは外の国に飛ばされるようなことを言うのだろうか?
そう思うのと同時に優男が現場の状況を見て顔を大きくしかめ、しゃべりかけてきた。
「何か変な物音が聞こえてきたから急いでやってきたんだけど……これは、君がやったのか?」
「斬ったのは確かに私だけれど、私が売った喧嘩じゃないわ」
「えっと……ごめん、なんて言ってるの?」
やはり彼らにも言霊は伝わらなかったようだ。
外の国……清の国の者であれば多少はわかってもらえたかもしれないが、生憎彼らもそういった顔立ちじゃない。
言霊が伝わらないのなら仕方ない。首を縦に振って見せた。
「そいつぁすげぇ。こいつら、村の連中にどうにかしてくれって頼まれた荒くれの夜盗連中じゃないか? めっぽう強くて手を焼いてるって話だったが、それをたった一人でとは、大した嬢ちゃんだ」
「しかし、大の男五人を相手に……見た所クォーツと同じくらいか年下だ。そんなことが出来るのか?」
「見てみろ、あの丸耳。ホーマ族だ。まともな人間とは違うんだろ」
「ホーマ族? だとしたら彼女は……まだ二十歳にもなっていないってことになるじゃないか!? そんな幼児に等しい子がこの夜盗連中を倒したっていうのかい?」
「ホーマ族はわからねぇことだらけだ。幼いから弱いっていう風に片づけるのは早計ってやつだろ」
「ですけど、私のような術法の使い手といった様子じゃないように思えますね。手に持ってるのは……なんでしょう? 武器の類だとは思いますけど、なんだか変わった形……」
三人組がそんなことを話している。
おかしな空間に放り込まれ、誰も彼もがわけのわからないことを言う。術法とは言うが、陰陽術の類であればあの女性には言霊が伝わるはずだ。そうでないということはまた別の何かなのだろう。
このおかしな世界に飛ばされてからというもの奇怪なことばかりが起こる。
「まぁ、今はそんなことをああだこうだ言っている場合でもない。もう夜も遅いんだ」
優男はそう言って私の方へと寄ってきた。敵意は見られない。
「ここから少し離れた場所で野宿の準備をしていたんだ。もし良かったら君も来ないか?」
「ユクス、そんな簡単に誘っちまって良いのかよ?」
「しょうがないだろう? 素性はどうあれ彼女みたいな幼女を放っておくわけにもいかないし、何より今夜はルーノが年で一番輝く日」
優男がゆっくりと空を見上げる。そこには綺麗な満月が雲の一つもかぶることなく浮かんでいた。
「五十年に一度のルーノの生誕祭、クリストナースコ。そんな日を一人で過ごすっていうのはあまりにも侘しすぎる」
彼らからは敵意を感じ取ることは出来ない。むしろ厚意すら感じられた。
が、頭の片隅で警鐘が鳴っている。今目の前で起こっているのはそんな、敵意があるかないかとかいうものではない、と。
背筋に一本筋を通しておかなければいけない感覚だった。
「待って、ユクスっ!」
次の瞬間、いきなり少女――クォーツと呼ばれていただろうか?――が叫んだ。
「その子、とてつもない闇の力を持っています!」
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