第35話 キルリダ平原

 崖から転落して丸2日、カルタスはすっかり運転に慣れ、進軍を先導している。国王カルロスがクルマに乗ってみたいと言い出し、最後の砦のメンバーは国王の馬車へ、代わりにカルロスとシャロンとウェルギス卿がランドクルーザーに乗車した。


「シャロン、本当に腕治さなくていいの? あと顔の火傷の痕も……すぐ治るよ?」


 パトロギスの本部に行った時も聞いたことだった。今回の戦闘では間違いなくカルロスとシャロンが最前線の要になる。片腕が無かった所為で誰かが傷付くなどということがあって欲しくないのだ。


「隻腕の赤鬼」


 カルロスがぼそりと呟く。シャロンは目を閉じて少し下を向き、クスッと笑った。


「それがシャロンの戦場での二つ名だ。こいつは戦闘が終わるといつも返り血で真っ赤になっておってな、髪が赤いこともあって赤鬼と呼ばれておるようだ」

「サニー、気持ちは嬉しいが私のアイデンティティを崩さないでくれ。すっかり片腕での戦闘に慣れてしまったのだ。今更両腕を使って戦えと言われても困る」

「そっかぁ、そういうもんかなー。でもいつか困ったら言ってね。すぐ治すから」

「ああ、戦争が終わったら、な」


 小高い丘を越えると、長い下り坂の先に広大な平原が広がっているのが見えた。ダコロス平原と似ていて、違う点と言えば所々に背の高い木が生えていることだ。

 近付くまで気づかなかったが、足首の高さ程度の草が生い茂っており、草原であることがわかる。

 小さな花を付けているところもあり、ここが戦場でなければレジャーシートでも広げて弁当を食べたら心地よいピクニック気分が味わえただろう。


 坂を下り終えた軍は、野営地の設営に取り掛かる。横に広く、第4野営地まで設置するようだ。


 テント張りを手伝っていると、平原の先にうごめく深緑色の軍勢に気付いた。テルミナ軍だ。軍隊において士気の高さは行軍時の歩調と野営地の設営精度からうかがえると聞いたことがある。私はウェルギスに縦と横、綺麗に整列してテントを設営するよう伝えた。敵軍から見えなくても、こちらの士気が高いことをアピールするのだ。


「ちょっと偵察に行ってくる」

「サニー様! お一人では危険です!」

「大丈夫。すぐ戻ってくるよ」


 上空から観察してみると、草原の緑に深緑色の鎧や装備は、カモフラージュの効果があり、実際の人数よりも少なく見えることが戦況にどう影響するか不安だった。


 敵軍の歩調はお世辞にも綺麗とは言い難く、歩き方もどこか気怠そうな印象を受けた。さほど士気は高くないと見える。

 すると、上空30メートルほどのところから観察していたのが敵軍の上官らしき人物にバレた。


「サラエドの遣いだ! 弓兵! 討ち取れーーー!」


 矢が数十本飛んできた。1人優秀な弓兵がいるらしく、数十本の矢の群から1本だけ群を抜いて私の眉間にぴったりのコースで1番に届いた。その矢を右手で掴み取ると、残りの矢は空間魔法で防いだ。


「スペーシャルシールド」


 左手をかざして唱えると、正面に半透明の薄いオレンジ色の壁が出現し、迫り来る矢を全て跳ね返した。


 次の瞬間――


 真横に深緑のローブを纏った男性の老人が突然姿を現した。浅黒い肌にエルフ耳。ダークエルフと言ったところか。


(瞬間移動⁉︎)


 老人は身の丈ほどの立派な杖の先端をこちらに突きつけ、こう叫ぶ。その距離20センチ弱。


「ファイアアロー!」


 目の前が炎に包まれる。


「あっつ!」


 瞬時に仰け反り後退し、距離を取った。焦げた前髪が徐々に再生する。私は額を押さえながら叫んだ。


「あっついなー! 名を名乗れ!」

「テルミナ軍、魔導騎士団長、ホセ・ロッソじゃ。サラエドの遣いよ、其方そなたに恨みはないが、ここで死んでもらう。悪く思うなよ」


 ホセは両手で杖を縦に構えると、目をギラリと光らせてこう叫んだ。


「ホーリーバインド!」


 私の両手首、両足首の辺りの空間が歪み、そこから小さな天使が4人現れ、私の手足を拘束した。不覚にも手足にしがみつく様が可愛く思えてしまった。振りほどこうにもビクともしない。

 その様子を見ながらホセがニヤリと笑みを浮かべて杖の先端をこちらに向ける。


「うそやん」

「ふぉっふぉ、それは力では振り解けん。アイスランス!」


 氷の槍が迫り来る。手足が自由であれば掴み取れるスピードだが、今は逆にゆっくり見えるそのスピードのせいで、氷の槍が向かうその先が心臓であることが明確にわかってしまう分、血の気が引いてしまう。


 私は咄嗟に叫んだ。


「スペーシャルシールド!」


 しかしその直後、ホセも叫ぶ。


「甘い! リリース!」


 シールドは粉々に砕け散った。


「な⁉︎」


 ドスンという衝撃と共に、胸に一度だけ体験したことのある痛みが襲いかかる。転生した時の――死んだ時の痛みだ。死の痛みに耐えきれず口から悲鳴が溢れ出す。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」


 息が続かなくなって悶絶していると、地上から風切り音が聞こえてきた。それは急速に接近し、私の前方10メートルほどの場所にドッという音を立てて急停止する。痛みに耐えながら前方を見ると、右肩に矢が突き刺さったホセが苦痛の表情を浮かべていた。

 手足の天使たちがフッと消える。私は重力に従って落下した。


「サニー様ーーー!!!」


 声の方向を見ると、ゴードンが馬に乗り、草原を疾走していた。左手には弓を持ち、矢筒を背負っている。

 ゴードンの後ろにはガトリー、傭兵団団長のヌーベルと、副団長のキーシャもそれぞれ馬に乗って全力で走ってくるのが見える。


「団長ー! 弓が来ます!」


 ガトリーは疾走しながらも敵軍の動きを見逃さなかった。


「任せな! 純真なる水の精霊よ! ここに集いて我が身を守る盾となれ! アイスシールド!」


 キーシャが唱えると、私を含めた味方全員の前方に5メートル四方の氷の盾が出現し、テルミナ軍弓兵の矢を弾く。私は自由落下しながら、落下地点にゴードンが間に合うか目測していた。


 目測では――間に合わない。


 ゴードンが雄叫びを上げて馬を全力で走らせる。


「おおおおおおおおおお!!!」


 私はゴードンの前方2メートルの地点に落下。胸に刺さっていた氷の槍が砕け散る。ゴードンは即座に馬を跳躍させ、私を避けた。


「ヌーベル! サニー様を頼む!」

「任された! 全員止まるな! 進路転換!」


 ヌーベルは手綱を左足に巻き付けると、馬の右側に体を宙吊りに――所謂曲乗り状態で地面に横たわる私に接近した。


「天使様ー! 手を伸ばして下さい!」


 私は力を振り絞って右手を上げた。直後、走り抜けるヌーベルの右手が私を掴んだ。勢いに身を委ねて風に乗る。


「うおおおらあああ!」


 ヌーベルの右手は力強く、私の体を引き寄せ両手で抱えながら、器用に馬を操りタリドニア陣営に進路転換する。そこへガトリーが接近し「ぬん!」と言って片手で私ごとヌーベルの体を馬の上部へと戻した。


「デカいのが来るよー! 盾じゃ防げない! 回避ー!」


 キーシャが叫ぶ。上空では怒りの表情のホセが杖を高く上げて何か詠唱していた。


 その直後、空に巨大な火の玉が出現する。その直径は20メートル前後で、まるで太陽のようにフレアを撒き散らしている。


 心臓の痛みが消え、胸の傷が癒えた私は、上空の火球に右手をかざして唱えた。


「スロウダウン!」


 巨大な火の玉は燃え盛る炎の勢いが鈍くなり、ちょうどホセが私たちに向かって解き放とうとしていたところでスローモーションになる。


 それを目の当たりにしたホセが叫ぶ。


「馬鹿な! 時間魔法じゃと⁉︎ くっ! リリース!」


 リリースの魔法はホセが編み出した闇属性魔法だった。あらゆる状態異常、盾やバフ、デバフを解除する効果がある。


 しかし、その対象として時間魔法は考慮されていなかった。なぜなら時間魔法は理論的には成し得るが、実際に使用できる者など存在しなかったからだ。


 ホセはリリースが効かない火の玉を消去した。


「時間を操るとは……サラエドの遣いはその危うさを理解しておるのか……」


 ホセは逃げるサニー達が魔法や弓の射程範囲から外れるのを見送ると、ポータルの魔法で自軍へ戻った。


 くして対テルミナ戦の前哨戦はサニーの逃亡により敗北を喫し、折角召喚した革ジャンに穴を開けられ血まみれにされたサニーは、開幕メーデイアで全員熟睡させてやると苦虫を噛んだような顔でテルミナ陣営を睨むのだった。

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