第25話 エルヌスの呪い

――聖神暦576年6月42日。


 私がこの実験を行うにあたって、その前に回復魔法が使えなくなったこととエルヌスの封印とが、どう関連しているのかを記さなければならないだろう。


 まず第一に、双方の時期の同一性だ。エルヌスが封印されたのは聖神暦276年14月5日。封印の際、主サラエドはエニストスの傷を癒やしたと記録にある。この時点ではまだ回復魔法が使えていたということだ。

 そして回復魔法が使えないと発覚した1番古い記録は同年14月15日。ユーナデリア大戦の開戦日である。傷を癒すことができなくなり、戦争は血で血を洗う地獄と化した。

 記録にない回復魔法の使用の可能性は否めないが、10日間の内に何かが起きたのだと推測される。


 第二に、双方の情報の取り扱いの同一性。回復魔法に関する本も、エルヌスに関する本も、同一の禁書庫で管理されている。特級禁書庫だ。他にも呪術に関する禁書などがあるが、それらは別の一般禁書庫に保管されており、閲覧の制限も各々の禁書庫で異なる。私は特級禁書庫に出入りする権限を持っているが、ほとんどの魔法使いは回復魔法を研究したくても本が手に入らないのだ。

 なぜエルヌスと回復魔法を同一の禁書庫で管理しているのか、なぜ回復魔法に関する本を禁書とするのか、この2つを関連させて疑問に思うのは私だけではないはずだ。


 第三。私は見てしまったのだ。魔王ダナトスと国王陛下が密会されているのを。そして聞いてしまった。『回復魔法の研究はどうなっている?』との魔王の問いかけに『順調に滞っております』と答える陛下の会話を。

 滞るのが魔王にとって――エルヌスを崇拝する魔王にとって順調なのだ。エルヌスの封印から300年が経った今、『人間の戦争には干渉しない』と声明を出した魔王がタリドニア国王に回復魔法の是非を問う。この異常事態に魔族宗教と回復魔法との繋がりを連想し、エルヌスの封印が回復魔法に何らかの影響を与えていると想像するのは的外れではないはずだ。


 私は回復魔法を使用するには今までとは全く違った手法をとる必要があると考えた。私の仮説では回復魔法は使用できないのではない。呪文が変わったのだ。

 エルヌスによる呪いによって呪文が変わったのだと仮定しよう。今までのように癒しの精霊に呼びかけるのではなく、エルヌスに呼びかけるのだ。



***



 私はあらゆる角度から、これならばという呪文を詠唱した。その試みはこれで248回目になる。

 被験体の体力も限界を超えている。自然治癒を待って長年付き添ってきたが、そろそろ私の精神が限界を迎えそうだ。


 これでダメなら諦める。


 最後の詠唱はこうだ。『深淵にうごめく混沌から生まれし大いなる災いの神エルヌスよ、呪縛の盟約を破棄しここにその奇跡の慈悲を与えたまえ。エクストラヒール』


 遂に成功した。被験体の傷が30%回復したのだ。しかし私のMPはマイナス8000という不可思議な数値となった。それと共に足の感覚が麻痺し、両腕は常に切り裂かれるような激痛に襲われ、右目が見えなくなった。

 呪いは確かに存在したのだ。回復魔法は、その呪文からエルヌスが支配しているということも明らかになった。

 私は左目の失明を恐れることなく、もう一度実践した。しかし2度と成功することはなかった。考えられる原因は、私のMPがマイナスのまま元に戻らないということだ。


 今、私は途方に暮れている。



***



 私はそっとノートを閉じた。


「ゴードン、今日は何年何月何日?」

「聖神暦585年12月38日です」


 最後の日付は583年8月10日。およそ7年も呪文を研究していたのだ。そして最期は自ら呪いを受けて呪いの存在を証明した。2人とも丁重に弔ってやろう。この2人の実験は、今この時を以って私に重要な情報を与えるという成果を残したのだ。


 エルヌスは消滅した。その事実は変わらない。しかし大きな置き土産をしていった。おそらく人間を恨んでいるのだろう。怪我や病気を治す力を奪って復讐しているつもりなのだ。おまけに人間たちは同士討ちをしている。エルヌスから見たらこれほど滑稽なものはない。

 人間たちの同士討ちと言えば、タリドニア国王のカルロスの立場も気になるところだ。パトロギスのメンバーと言いながら魔王ダナトスと通じている。この戦争は一進一退を繰り返しているというが、果たして本当にそうなのだろうか。魔族が密かに介入し、戦況を操っている可能性もあるのでは。

 そうなるとゴードンが言っていた、戦況が傾いた時に生じる『神の加護』も、その実態を調べなければならない。なぜならそれが神によるものではなく、魔族によるものの可能性があるからだ。特にタリドニア軍にもたらされる『自然治癒Lv3』は明らかに回復魔法だ。この部屋の実験結果が真実だとすれば『神の加護』はエルヌスの力を借りていることになる。戦場に紛れ込んだ魔族が大規模な魔法を使っている可能性――カルドはそういう役割も担っていたのではないだろうか。

 そう言えばアイツまた会おうとか言って音沙汰なしだな。今度襲ってきたら尋問してやろう。


「サニー様、持ち帰る書物の選別が終わりました」

「ご苦労様。ゴードンこれどう報告すんの?」

「まずはウェルギス卿に相談しようかと思っております」

「ひとつ提案なんだけどさ」


 そう言って、私は背伸びしてゴードンの耳に手を添えた。ゴードンは屈んで私の口に耳を近付ける。


「これパトロギスで会議しない?」


 ゴードンはしばらく考えた後、口を開いた。


「シャロン様に打診いたします」


 シャロン・ザナ・パトロギス。パトロギスのリーダーだ。名前から察するに女性だろうか。平和主義者ではあるのだろうが、1組織を纏め上げる手腕の持ち主であることを考慮すると、気が強そうな人物像が思い浮かんでしまう。果たしてどんな人物なのか会うのが楽しみだ。


 暇そうにしていたテッドたちは、私たちが撤収する雰囲気を察すると、レニング卿と被験体の女性の亡骸を持ち運ぶ準備を始めた。

 レニング卿は王都に奥さんと子どもを遺しているとのことで、ゴードンがその家族に知らせた上で王都近郊の墓地に運ぶことにした。

 この世界では一夫多妻が常識だそうで、身元不明の女性の遺体がついてきても、奥さんは取り乱したりはしないそうだ。


 ダンジョンの帰り道は遺体を運んでいることもあって、テッドたちのレベル上げはお預けとした。


 ダンジョンから出ると、すっかり日の高さで時間を考慮するようになった私は、午後の鐘3つぐらいかなとゴードンに聞くと、朝から何も食べていないことを思い出し、ちょうど見晴らしのいい丘を見つけては、皆で食事の準備を始めるのだった。

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